バカバカしい。なんともバカバカしい。観劇しながら常に思ったことである。それは、今年で三年目を迎える若い劇団にありがちで、挑発的でポップなチラシに充満するふざけ具合の通りの印象なのだが、その徹底的なバカバカしさが最高でしかも意外にしたたかな手つきをしていることにちょっと驚かされたのだ。それがこの劇団のいつものスタイルで且つ実力によるものなのかは初見であるが故に判然としない。舞台をから感得したこととは、キャラ作りは達者でも演技のアンサンブルという面ではお世辞にも決して上手いとは言えない俳優、我々若い世代の虚構のノスタルジックを喚起させて止まない布施明や尾崎紀世彦といった昭和歌謡の劇中使用、演劇的約束事を平気で異化せんがためのパロディと映像を用いたギャグ(『となりのトトロ』の、雨の日にカンタがサツキに傘を貸すシーン映像にアテレコすることで生じるズレた笑い等)である。こういったくだらなさが全編とおして速射砲のように繰り広げられるダイナミズムさに私はとにかく底知れぬパワーを皮膚感覚で体験したのだ。俳優達と共に汗を流すほどに熱さが充満した要因は確かに気候だけによるものではなかった。
悪い芝居 『イク直前ニ歌エル女(幽霊みたいな顔で)』
◎徹底したドライな視線 バカバカしい。なんともバカバカしい。観劇しながら常に思ったことである。それは、今年で三年目を迎える若い劇団にありがちで、挑発的でポップなチラシに充満するふざけ具合の通りの印象なのだが、その徹底的な … “悪い芝居 『イク直前ニ歌エル女(幽霊みたいな顔で)』” の続きを読む
我々が自明のごとく見聞きしたり用いる言説は多く、こと舞台芸術に関してはパフォーマンスがその一つに挙げることができるが、改めて吟味すると何とも曖昧模糊としている。演じ手が居てそれを見る者が同席することで共に生成するその時、その場の唯一無二の親和的宇宙を開示する見せ物が演劇の原初的な在り処である。ならばパフォーマンスもそういった演劇の枠内に収まるものであるはずであるがそうならずに別の印象を自動的に誘発されてしまう。すなわち身体言語を上位概念と捕えてなされる演劇の解体であり、そこから容易く前衛的なるものの匂いを嗅ぎ取ってしまうのだ。今作が所見のdots『MONU/MENT(s) for Living』もパフォーマンス・グループと自らを位置付けているようにしっかりパフォーマンスを展開していた。
上品芸術演劇団といういささか大時代がかったネーミングのユニットは、チラシには兵庫県のAI・HALLで長年開かれていた演劇塾の9期生(女優4人)にチーフディレクターであった劇団八時半主宰の鈴江俊郎が加わって成立したものであると書かれている。私は2月の劇団八時半公演『完璧な冬の日』で描かれた空港建設に反対運動を続ける登場人物に鈴江の演劇することの意味と倫理を感じ取り、また愚直なまでに演劇が成立する作業仮設としての劇団の堅持とその必要性を希求する姿勢に好感を持った。それは本当に今どき珍しいくらい演劇への直截な情熱を感じさせるものであるが、まさか自劇団の他に集団を持つとは予想外だった。