忘れられない一冊、伝えたい一冊 第27回

◎「ローザ・ルクセンブルク」(J.P.ネットル 河出書房新社)
 黒澤世莉

「ローザ・ルクセンブルク」表紙
「ローザ・ルクセンブルク」表紙

 人間にしか興味がないので、人間くさいものが好きだ。私にとって人間くさいものとは、完全無欠の英雄ではなく、魅力的だが時としてそれ以上に欠点が目につくような人物だ。さっそく話は逸れるが、だから夢を題材にした作品はどんなに名作と言われているものも楽しめないし、夢オチに出くわすと落胆する。日常的にも他人の夢の話を聞くことに何の興味も持てず聞き流してしまう。たとえ虚構であっても、虚構の人物たちにとっての現実がはっきりしているものが好きだ。
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大阪大学ロボット演劇プロジェクト×吉本興業「ロボット演劇版 銀河鉄道の夜」

◎ロボットから学ぶ、心のつながり
  小泉うめ

 大阪駅の改札を出ると、ゴールデンウィークの雑踏が大きな流れになっていた。2013年4月26日にオープンしたばかりの新名所「グランフロント大阪」に向かう人々だ。
 その流れに乗って「まち」の深部へと進んで行くと、館内に5月2日にオープンされた劇場「ナレッジシアター」を見つけることができた。その名の通り、商業演劇で使われるような大劇場の派手さはないが、かと言って伝統を受け継ぐ小劇場の渋さとも違う。講演会などにも使えそうな落ち着いた雰囲気で、シンプルかつスタイリッシュな造りである。
 大阪はかつて賑わっていた演劇用の小劇場が次々閉館され、その数が減少しており、このような新しい劇場のオープンは本当に喜ばしい。
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Theatre Company Ort-d.d「わが友ヒットラー」

◎内なる対話としての四人芝居 いささかの疑念を込めて
  金塚さくら

「わが友ヒットラー」公演チラシ
「わが友ヒットラー」公演チラシ

 劇場には生きた鼠がいた。比喩ではなく文字どおり。Theatre Company Ort-d.d『わが友ヒットラー』の舞台では、場内を二分する形で作られた細長いスロープ状のステージの突端で、アクリルの透明なケージの中に入れられて、鼠が一匹、意味深に、生きて飼われていたのだった。

 三島由紀夫の書いたこの戯曲には、登場人物に語られる形で、たしかに一匹の鼠が登場する。アドルフ・ヒットラーとその盟友、エルンスト・レームの名を半分ずつ引き受けてアドルストと呼ばれたその鼠は、二人に共有される懐かしい思い出のアイコンだ。それは輝かしい青春の日々と直結している。
 少なくとも、エルンスト・レームにとっては。アドルスト鼠の記憶を持っている事実が、ことヒットラーに関して他の誰よりも自分は優越的な立場にあるという自信を、彼に与えている。
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渡辺源四郎商店「オトナの高校演劇祭」

◎高校演劇と小劇場の架け橋
  片山幹生

高校演劇の挑戦

 東京公演の最初の演目、「修学旅行~TJ-REMIX Ver.」の開演の40分ぐらい前に会場のザ・スズナリに到着したのだが、いつものザ・スズナリでの公演の開場前とは雰囲気が違う。ザ・スズナリの建物の周囲に行列ができている。高校生のグループや高校演劇関係者らしき人たちが行列を作っているのだ。そして小劇場ファンらしき人たちもそのなかに交じっている。
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親子演劇ガイド

◎小劇場ファンのための親子演劇ガイド
 片山幹生

1.発端

 2005年12月に演劇集団円のこどもステージ『おばけリンゴ』を、両国のシアターχで娘と一緒に見たときのことはいまだはっきりと覚えている。舞台上で生成するあらゆる出来事に目を輝かせて見入り、いちいち律儀に反応を示す子供の様子をそばで眺めるのは、芝居そのもの以上に私の気分を高揚させる体験だった。娘が5歳になるころから12歳になった現在まで、平均すると大体、一年に10回ぐらいは子供と芝居を見に行っている。子供と一緒に見る演劇は、私の観劇生活のなかでも重要なものになっている。
 子ども劇場などの観劇団体に関わっている方などには、子供向けの演劇作品に長年にわたり数多く接し、私などよりはるかにその世界に精通している方が多いはずだ。この記事は東京に住む一小劇場ファンの観点からの私的で主観的な子供向け演劇の世界の紹介にすぎないことを最初にお断りしておく。
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岡崎藝術座「隣人ジミーの不在」

◎個人とスタンダード(文脈)ということについての考え-「隣人ジミーの不在」再演を前に
  神里雄大

 今月再演する『隣人ジミーの不在』(※注)は、その製作の一部を韓国ソウルでおこなった。韓国人俳優が出るわけでもなく、韓国のことを直接的に扱った作品でもなく、また今のところ韓国での公演の予定もない(機会があればぜひやりたい)ので、なぜ? と聞かれることも少なからずあった。その経緯を書き記すことで、僕がいまどんなことを考えて作品をつくり活動しているかを紹介したいと思う。話は、2009年までさかのぼる。旅をするつもりで読んでもらいたい。
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映画「演劇1」「演劇2」(想田和弘監督)

 平田オリザと青年団の世界を描いた想田和弘監督の「観察映画」、『演劇1』『演劇2』が、第34回ナント三大陸映画祭(2012年11月)のコンペティション部門で、「若い審査員賞」を受賞しました。この映画祭での上映について、フランスの映画批評サイトに掲載された映画評を、片山幹生さんが翻訳、提供してくださいました。
 ワンダーランドでも昨年10月に、想田和弘監督のインタビューを掲載しています。>>
(編集部)
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岡崎藝術座「隣人ジミーの不在」

◎描かずに、しかし切実に立ち上がる、舞台背後の情景
 小林重幸

 そもそも、この芝居がどういう文法で成り立っているのかを言い表すことは難しい。冒頭から、その所作は「ダンス」の領域そのもの。舞台上部に吊り下げられたオブジェ以外は何もない舞台に、登場人物が一人前方中央へ出てきてしばらく佇み、その後もう一人が出てきて、ふと目を合わせて台詞が始まる。露骨な性描写の台詞を語りながら、二人の所作は、手を上げたり、体を傾けたり、およそ不自然な、しかし、どこかぶらぶらとした、何となく力の抜けた感じもする動作である。
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忘れられない1冊、伝えたい1冊 第16回

◎「神聖喜劇」(大西巨人 光文社文庫)
 危口統之

「神聖喜劇」(第1巻)光文社文庫表紙

 親譲りの天邪鬼で子供の時から損ばかりしている。小学校にいる時いじめを正当化する発言をして教師を動揺させたことがある。なぜそんなむやみをしたと聞く人があるかもしれぬ。別段深い理由でもない。私も若い頃は隣町の連中に石ころを投げつけたものだと教師が言うから、それに便乗しただけのことである。裏山の傍に住むYの家は汚らしいから虐められて然るべきだと言ったら、いま危口は重大な発言をしたと槍玉に挙げられたので、だって先生も石投げてたんでしょと答えた。
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青年団+大阪大学ロボット演劇プロジェクト「アンドロイド版『三人姉妹』」

◎カレー礼讃
 川光俊哉

「アンドロイド版『三人姉妹』」公演チラシ
アンドロイド版「三人姉妹」公演チラシ
 チェーホフの『三人姉妹』は、『かもめ』や『桜の園』に比べても、読みにくい戯曲のように思う。私がそう感じるだけかもしれないが。
 いったい何が書いてあるのか、よく分からない。いや、大ざっぱには分かるのだけれど、一人ひとりの発話が、大きなテーマと結びついているのかいないのか、よく分からない。はっきりしない。ただ、巨大な寂しさだけが、そこに残る。十九世紀末、あるいは、二十世紀初頭のロシア帝国の地方都市という、とてつもなく特殊な背景を題材としているのに、この作品が大きな普遍性を獲得しているのは、たぶん、この曖昧さにある。たとえば聖書に書かれたこと、あるいはイエスの発言自体が、いかようにも解釈できるために、のちに、いくつもの偽書が生まれてきたように。
 アンドロイドを使った本格的な演劇を作るにあたって、すぐに思いついたのは『三人姉妹』の翻案だった。
 アンドロイド、あるいはロボットが根源的に持つ寂しさを描きたいと思った。いや、厳密に言えば、ロボットは寂しがらないので、寂しく感じるのは私たち人間なのだが…。

 『アンドロイド版 三人姉妹』の当日パンフレットで、作・演出の平田オリザはこのように書いているが、平田の翻案に対して、よくも悪くも、「分からない」という印象(全体的な、腑に落ちないという感じ)はない。
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