忘れられない1冊、伝えたい1冊 第15回

◎「劇的言語」(対話:鈴木忠志・中村雄二郎 白水社 1977年)
  カトリヒデトシ

「劇的言語」表紙
「劇的言語」白水社版表紙

 元より偉大でもないのは自明だが、演劇に関してはロスジェネになりたくない。

 ガキのころから季節季節には母に歌舞伎座に連れていかれ、わけもわからずおうむ岩のように「つきもおぼろにしらうおの」とかいっていた。父には毎月寄席につれていかれ「なおしといてくんな」とか「抱いてるおれはいってえ、誰なんだ」とかいう、やな小学生だった。
そんななんで古典に関しては昭和後半の「名人」という人を随分生で見てきた。ありがたいことだったなぁ。今でも六世歌右衛門や先代の辰之助は夢にみるし、圓生や志ん生のくすぐりや「カラスかあと鳴いて夜が明けて」とかの口調がついてでる。ふと「昔はよかった」といってしまうこともある。
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さいたまゴールド・シアター「白鳥の歌」「楽屋」

◎劇場に根を張る巨木に
 木俣冬

さいたまゴールド・シアター公演チラシ

 劇場脇の通路を抜け階段を上がり、さいたま芸術劇場大ホールのステージ上に特設された劇空間に足を踏み入れると、左側の奥に複数の鏡とテーブルがあって、さいたまゴールド・シアターの俳優たちが座っている。そこがアクトスペースかと思ったら、違って、右側に階段上の客席が設置されていた。
 客席前のアクトスペースのつきあたりには、舞台裏を想像させる機材や小道具などの入った棚がいくつか並んでいた。
「こいつあしまった!」と老俳優ワシーリー・ワシーリイチ・スヴェトロヴィードフが上手からよろよろと登場し、チェーホフの短編戯曲「白鳥の歌」がはじまる。
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佐藤佐吉演劇祭2012

◎劇場の意欲と志が見える 佐藤佐吉演劇祭2012を振り返る(座談会)

 小林重幸(放送エンジニア)+齋藤理一郎(会社員)+都留由子(ワンダーランド)+大泉尚子(ワンダーランド)(発言順)

 王子小劇場が隔年で開催する佐藤佐吉演劇祭は9月で全10公演を終了しました。6月末からほぼ3ヵ月の長丁場。ワンダーランドは演劇祭の全公演をクロスレビューで取り上げました。劇評を書くセミナーで劇場提供の主な公演を取り上げたことはありますが、演劇祭の全演目を取り上げるのは初めての試みでした。その10公演をすべて見て、クロスレビューにも毎回欠かさず参加した4人に、今回の演劇祭の特徴や目立った公演、クロスレビューに参加した感想や意見などを話し合ってもらいました。進行役は、ワンダーランドの北嶋孝です。(編集部)

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SHIMADA STUDIO 「EYES もつれた視線の彼方の夢は?」

◎リアル過ぎるバックステージ群像劇
 木俣冬

「EYES もつれた視線の彼方の夢は?」公演チラシ
「EYES」公演チラシ

 開演時間、数分前に突如「稽古開始○分前です」という声が劇場に響く。この作品の演出家であり、劇中の演出家も演じる石丸さち子の声だ。本番じゃなくて稽古? 稽古を見にきちゃったの? なんてあせる人はワンダーランド読者にはいないだろうが、ふだん演劇を見ない人なら、油断してたら不意打ちされた気持ちだろう。ここから既に芝居ははじまっている。

 「EYS もつれた視線の彼方の夢は?」は、シェイクスピアの「夏の夜の夢」をミュージカルにして上演する、その舞台稽古のもようを描いたミュージカル。劇中劇ならぬミュージカル中ミュージカルが展開していく。
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あうるすぽっと「季節のない町」

◎貧困と退廃の牧歌
 片山幹生

「季節のない町」公演チラシ
「季節のない町」公演チラシ
宣伝美術:早田二郎

 都会の吹きだまりのようなスラムは、パステル調の色彩に塗り分けられた美術によってファンタジックに彩られている。戌井昭人は貧困の情景をある種の甘美なメルヘンとして提示し、そこに自堕落な生活がもたらす安逸を表現した。しかしその甘美さには、健康をむしばむ人工甘味料のような毒が含まれていた。

 『季節のない街』の原作は山本周五郎の連作短編小説である。原作の小説は昭和37年(1962)に執筆された。この原作を黒沢明が昭和45年(1970)に『どですかでん』の題名で映画化した。原作小説では各編でそれぞれ別の人物に焦点が当てられ、都市の片隅の貧民街に暮らす住民の生態が三人称体で綴られている。黒沢明の『どですかでん』では、原作からいくつかのエピソードを取り出し、それらのエピソードをさらに細分化して再構成したものになっていた。
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三宅島在住アトレウス家《山手篇》

◎転々とする感想
 川光俊哉

 朝の7時から、観劇に出かけました。自分で公演をやるときは、7時に劇場集合なんてよくやったと思うが、なかなかこの時間に公演はやらない。15時、19時の回もあったが、せっかくなので、という気持ちで7時の回に予約した。せっかくなので、と思った人がほかにもたくさんいたのでしょう、どの日も7時の回から予約が埋まっていったようです。
 鴬谷駅から、ラブホテル街をぬけて、会場の平櫛田中邸に到着した。おじいちゃんおばあちゃんの家を思い出すような、ただの民家です。
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玉造小劇店「ワンダーガーデン」

◎不思議の庭の四姉妹 新旧三種の「二十年間」を定点観測
 金塚さくら

「ワンダーガーデン」公演チラシ 時は明治の終わり。白いバラの咲き乱れる洋館の庭。
 とある良家の三姉妹が、長女の結婚によって四姉妹になるところから物語は始まる。長女・千草、次女・薫子、三女・葉月に、千草の夫の妹・桜が実の妹同然に親しく交わるようになり、さらにそれぞれの娘たちの恋人ないしは配偶者が加わって、二十年に渡る一家のささやかなドラマを紡いでいく。明治から大正、昭和と移り変わってゆく時代の中で、舞台上ではNHK朝の連続テレビ小説のようにクラシカルな物語が展開する。
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忘れられない1冊、伝えたい1冊 第4回

◎「芸術立国論」(平田オリザ著、集英社新書)
 北嶋孝

「芸術立国論」表紙 「芸術立国論」が刊行されたのは2001年10月だった。
 もともと平田演劇論は「演劇と市民社会」「参加する演劇」などの言葉をよく参照する。「現代口語演劇のために」(1995年)や「演劇入門」(1998年)では、「演劇世界のリアル」と「現実世界のリアル」が交差するには、作品と観客の出会いが重要だと繰り返し述べていた。社会にとって芸術は必要であり、芸術にとって社会の支持は不可欠だ、というのが平田理論の核心だった。そこから補助線を少し引けば、本書で展開される「芸術の公共性」や「国家の芸術文化政策」はすぐ間近に見えてくる。
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さいたまネクスト・シアター 「2012年・蒼白の少年少女たちによる『ハムレット』」

◎世代を超えた普遍性映す
 木俣冬

「2012年・蒼白の少年少女たちによる『ハムレット』」 公演チラシ
公演チラシ

 役者というものは、時代の縮図、ちょっとした年代記だ。

 ハムレットの台詞にこういうものがある(訳:河合祥一郎)。
 とすれば、蒼白の少年少女俳優が、2012年という時代を映し出す鏡だ。今回、『ハムレット』を上演するにあたり蜷川幸雄は、蒼白い顔をして表情に乏しく、何を考えているのかわからないとされる現代の若者たちだけで『ハムレット』をやることにした。
 これまでのさいたまネクスト・シアター公演では、キャリアの長い俳優の客演によって大人の役をまかなっていたが、今回は1979年-92年生まれ、十代から三十代前半の劇団員のみで、年配者の役までやることに。
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連載「百花夜行」 賞を選ぶ、賞を読む(上中下)

 「百花夜行」という連載始めたのは昨年秋だった。毎月掲載の予定が9月にスタートした後しばらく中断してしまった。申し訳なくて2月は2回、引き続き岸田國士戯曲賞にまつわる話をまとめた。ノイズの多いスタイルにしたいと思ったら案の定、話がずるずる長くなる。岸田賞選考を取り上げたといっても選考の実態にはトンと疎いから、賞選びに内在する問題を考えようと思った。マガジンワンダーランド掲載時のタイトルを「賞を選ぶ、賞を読む-評価と授賞の狭間で」に差し替え、3回目を追加補充してサイトに掲載することになった。
 連載タイトルはもちろん「百花繚乱」と「百鬼夜行」の掛け合わせ。鬼でもないし、繚乱というほどきらびやかでもない。要は、騒々しいほど賑やかで怪しいイメージが滲み出ればもっけの幸いというに過ぎない。ご寛容を。(北嶋)

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