連載・百花夜行第3回
賞を選ぶ、賞を読む(下)-評価と授賞の狭間で
今年も岸田國士戯曲賞の季節がやってきた。すでに決まっている最終候補8作品をめぐって第56回選考会が3月5日(月)午後6時から東京神保町の學士會館で開かれる。かつて選考委員だった佐藤信(座・高円寺芸術監督)の言葉を借りると、「頑固な異教徒同志(原文のママ)がとりあえずの妥協点を探す」(第43回選評)ひとときになるのだろうか。選考委員7人のうち4人が新任だから好奇心も湧いてくる。
しかしどの作品(劇作家)が受賞するかはひとまず置くとして、連載のきっかけは、前回の選評だった。受賞作に異論を唱えた委員は、最終的にどういう論理で自分の行動を決めるか、という切り口でネットに公表されている選評をざっと見てきた。しかし、真正面からその問いに取り組んだコメントは見つからなかった。最終的に態度変更した人のコメントを読んでも、その理由は説得力を持っているとは言いがたかった。最後まで反対したとも賛成に態度変更したと書かれていない選評も目についた。
前回、松井作品を強力に推したのは岩松了だった。その彼が、多数派とは違った立場に立ったことがある。前田司郎の「生きてるものはいないのか」が受賞した第52回(2008年)のことだった。そのとき岩松は選評でこう述べている。
ある大学周辺、それぞれの状況に生きる者たちが不意に、あっけなく、次々に死んでゆく。それはそれでいい。では、生きている間の状況はその後どうなってゆくのだろう。何のために、何ゆえに、彼らの生を閉ざす必要があるのか。死ぬことで閉ざされた命の線、その空しい線こそは、あっけなく次々に死んでゆく者たちの(さらにはそれを演じる俳優たちの)立つ瀬ではないのかと私は考える。その生に対する思いの低温ぶりが前田氏の味といえば味なのかもしれないが、結果、軽々と虚構へ邁進する。その虚構に私は現実以上のものを感じない。これは私の独断になるし、余計なお世話というところだろうが、前田氏には自分の中の敵が必要なのではないか。シニカルに笑う自分に満足している姿ばかりが思い描かれてならない。せっかくの才能が、と思うしだいだ。(「演劇的な試みのいくつか」)
この評を最初に読んだとき、その倫理的な厳しさに久しぶりに襟を正した記憶がある。受賞作の舞台を見たときの微妙な違和感が蘇り、そのいくつかを言い当てていると感じた。前田の才能を疑う人はいないだろう。しかし評価するなら前回の候補作「さよなら僕の小さな名声」だろうとも思った。
それはさておき、それでどうなったのだろうかと読み進んだが、選評はそこ止まり。岩松は授賞に賛成票を投じたとも最後まで反対したとも書いていない。岩松の倫理的な姿勢が鮮やかなだけに、最後の賛否を表明しない選評も同時に記憶に残っている。賛否を明らかにする義務が各選考委員にあるわけではない。しかし、評価と授賞の関連を考えるとき、最後の態度を明らかにしない選評が多いことが妙に気になった。
こういう傾向が目につくと、選考委員個々人の気質や性格に帰してみたくなるものだ。選考仲間への気遣い、岸田賞を傷つけない配慮などがあるのかどうか…。そういう俗なもつれに関心がないわけではないけれど、ここでは選考の流れを左右するような、無意識に依って立つ暗黙の前提を考えたい。つまりは選考システムに目を向け、岸田賞の仕組みと特質を考えてみたいと思う。
岸田賞の特徴1-戯曲と上演台本
岸田賞成立の経過は前回触れたが、言うまでもなく賞は「戯曲」を対象にしている。「原則として1年間に雑誌発表または単行本にて活字化された作品」だが、「ただし、画期的な上演成果を示したものに限って、選考委員等の推薦を受ければ、生原稿・台本の形であっても、例外的に選考の対象とすることがある」となっている。ところが最近は圧倒的に上演台本が多い。今年の8作品はすべて上演台本だ。記憶が定かでないが、この2,3年の最終候補作はすべて上演台本だったのではないか。
このところ戯曲を掲載する雑誌の不振が続き、休廃刊の動きが止まらない。毎号戯曲を掲載していた『せりふの時代』(小学館)が2010年夏号で休刊した。季刊の「戯曲雑誌」と謳っていただけに数少ない戯曲公開の機会を失うことになった。主催の白水社が発行していた『新劇』は、姿を消してからすでにほぼ20年経っている。いま戯曲を掲載する演劇誌は『悲劇喜劇』と『テアトロ』ぐらいではないか。文芸誌でも戯曲を掲載する例がないではない。しかし誌面を飾るのは有力劇作家の作品が圧倒的に多い。演劇雑誌でも新人作品が掲載される例はまれになっている。
そのため「ただし」書きの例外規定が常態化した。上演台本が候補作を占拠するようになった。2006年の50回を記念して作成された冊子をみると、第37回(1993年)以降、第47回(2003年、中島かずき『アテルイ』)を除くとすべて、上演台本が受賞している。
だが、戯曲と上演台本はともに舞台化されることを想定しているからといって、まったく同じとは言えない。上演台本は上演のための素材やノート、事後的には上演記録なのだろう。しかし戯曲は舞台化が想定されると同時に、読まれることが想定されている。これは決定的に違う。
戯曲が雑誌に掲載されるのは、舞台化するためのテキストを提供しているだけではない。作品として読まれること、多くの読者の目を通して咀嚼されることを前提としている。これを称して戯曲は文学作品だという人もいるかもしれないが、そこはまた別の問題になるのでここでは触れないでおこう。
とは言っても、上演台本も終演後によく会場で販売されているではないかという意見もある。しかしこれは、事後的に読んでほしいからであって、事前に台本だけ買って帰られたら困るのではないか。
再度確認しよう。戯曲はまず読者を想定する。それでも満足できずに、さらに観客を要求する。観客を求めてやまないところに戯曲のゆえんがあるだろう。何度でも繰り返すけれど、戯曲は読者と観客をともに求める。これは戯曲が生まれつき持っている生理なのである。
この戯曲の二重性ともいうべき性格は、岸田賞選考にも微妙な影響を与えているのではないだろうか。もし戯曲が正規の対象なら、例外として持ち込まれた上演台本も、戯曲の視線にさらされなければならない。つまり読んでなんぼ、というレベルで評価しなければならないだろう。そこが基本である。
もし戯曲と上演台本に区別がないと主張するなら、例外規定などはさっさと廃止して、戯曲・上演台本をともに正規の選考対象とするべきだろう。少なくともそういう見解が力を持ってきても不思議ではない。さらに進んで、そういう区別がないのなら、いっそのこと、受賞の対象を「上演作品」にしてはどうかという圧力もやがて高まるに違いない。そのときの基線は、戯曲選考とはかなり違ってこざるを得ない。
いや、議論を引き戻そう。現状は、戯曲も上演台本も同じテーブルに並んで選考を受けている。事実上、その区別はなきに等しい。しかしそうなると、選考会は相当厄介な問題を抱え込まざるを得ない。いやいまだってすでに抱え込んでいるはずだ。
というのは、上演台本が舞台化の素材や記録、貴重なツールであるとするなら、既成作品を引用・編集した上演台本の扱いを議論せざるを得ないからだ。いわゆるテキレジと呼ばれる演劇特有の作業の評価にもかかわってくる。
例えば鈴木忠志の舞台に使われるような上演台本は選考対象に含まれるかどうか、と問いを置き直してみると分かりやすい。チェーホフなどの古典や既成作品を引用、編集、構成した上演台本が選考対象になったことはあるのだろうか。
シェークスピアやチェーホフ、ブレヒトらの作品を再構成して舞台に載せた若い演劇人の名前を挙げていくだけで長い列ができるだろう。それぞれが「いま」演じることに関心を払って上演台本を練り上げているだけに気になるのである。
もっと身近な例で言うと、今回の岸田賞の最終候補になった藤田貴大(マームとジプシー)が昨年末に「作・演出」した「官能教育」シリーズ第4弾の上演台本はどうだろうか。中勘助の『犬』を基に、登場する3人がそれぞれ3態になって対峙する優れた舞台だったが、テキストは原作から明らかに「変態」している。これはそもそも岸田賞の選考対象になることができるのだろうか。
舞台の成立過程に着目すると、上演台本は稽古の段階で、俳優らとのやり取りの中で作られていくことが多い。劇作家が机に向かって書き上げる台本をそのまま上演するというイメージは、いまでは相当古風だと言わなければならないだろう。俳優のエチュードを基に構成することだって少なくない。そういう台本はどう扱われるのか。それも「劇作家の作品」としてすでに選考対象になってきたのだろうか。
少なくとも何を対象とするか、下読みと呼ばれる予備選考の場でどういう種類、形態の台本が検討されるのか明らかにされるなら、選考にまつわる霧も少しは晴れるだろう。戯曲や上演台本、テキストと実演の関係も含めて議論の余地はあるのではないだろうか。
この点に最も敏感だったのは宮沢章夫だった。前回の選評の字数はほかの選評の3倍から4倍、4000字になろうかという長文だった。その中で多くのスペースを割いていたのが「テキストを読む」ことへのこだわりだった。
戯曲賞選考委員が選評で、あらためてこういう基本線を確認し念押しするほどの切迫に駆られるのは異例ではないか。選考過程で候補作の上演の模様が取りざたされたのかどうかは知らない。しかし宮沢は戯曲/上演台本という枠組みの先に「演劇」を見ている。その上で、戯曲賞で「読む」ことの意味を述べる。
そして、演劇を冷静に「読む」ことは演劇を問い直すまたべつの「演劇的な行為」になる。
つまり「読む」ことでしかわからない「演劇の価値」だ。(同上)
ここまでくると、戯曲と台本の関係だけでなく、演劇とは何かという根幹にかかわる問題がせり上がってくる。そこにはもう「頑固な異教徒」の戦う姿が出現しているだろう。
岸田賞の特徴2-合議のアポリア
異教徒たちが「とりあえずの妥協点」を探さなかったら、選考会は知力、気力、体力勝負の決戦場になるはずである。しかし選考会は合議の場だった。そのため多数決ルールが採用されてきた。
白水社によると、最初に候補作に○△×を付けて投票し、点数化する。その後下位から順に候補作を取り上げて議論する。その上で、最後は多数決によって受賞作を決める。こういう手順は明文化されてはいないが、これまでの選考会で、いわば内規になっているという。岸田賞に限らず、多くの賞で採用されている多数決方式はおおかたの選考に共通するルールになっているから、特殊な方式を採用しているわけではない。
異教徒同士がとりあえずの着地点を決めるのに、多数決がもっとも有効だとみられ、採用されてきた。議論を尽くしたあとで作品を1本選ぶには、多数決に代わる方法は見つけにくい、そう思われてきた。なぜだろうか。乱暴に言うと多数決は、少数派が自分たちの意見、見解を断念できる簡潔な理由を与えてくれるからだ。数が足りなかった、だから多数に従う、従わざるを得ないのだ、と。
そうではあっても、戯曲に限らず音楽でも美術でも、定性的な芸術作品を、数(データ)に任せる定量評価が可能なのか-という問題はたえずつきまとっている。演劇観が違えば、選考委員の意見が分かれるのは当たり前。その決着を多数によって決めるのは、数ある方法の一つではあっても、唯一絶対の手段ではないはずだ。
スポーツの世界では、トーナメント方式だと勝負を必ず決めなければならない。そのためフェアプレーをモットーにするサッカーでも、ノーサイド精神をいまだに守ろうとするラグビーでも、勝負のために延長戦を設ける場合がある。それでも決着が付かなければ、サッカーならPK戦になる。これはよく見られる光景だ。ラグビーだと、勝ち上がりのチームを決める最後の手段は抽選である。今年の全国高校ラグビー大会準々決勝でも引き分けの試合があり抽選が行われた。
岸田賞を決めるのに、同数だったらどうするのか。7人のうち3対3、1人棄権という膠着状態が続いたら、サッカーのようにPK戦というわけにはいかないから、ラグビーのように抽選だってあり得るわけだ。抽選で受賞が決まる方がかえって選考の性格、その難しさを示す手段になるかもしれないとも思う。
話が飛んでしまうけれど、リストラの解雇者をジャンケンで決めるという小説があった。いまはルポルタージュ作家として著名な佐木隆三が若いころ、八幡製鐵(現・新日本製鐵)の現場労働者時代に書いた作品「ジャンケンポン協定」がそれである。リストラ解雇対象者をジャンケンで決めるなんて不合理、不謹慎だという考えもあるだろう。しかし、会社側が一方的に首切りを強行したら争議になって会社の存続が危ぶまれる。しかし人員削減しなければやはり存続が難しい。労使双方がそう判断して、会社の生き残りを賭けて結んだのがジャンケン方式による選別協定だった。なんだかんだ言っても人員は半分に減らせる。ジャンケンポンは、選択や選別に馴染まない事柄を、強引に決めるという究極の不合理であろう。
いやいや、合議による選考という行為が無理だというなら、もちろん議論を重ねて、最後は多数決でもいいけれど、それでも決まらなければ、サイコロでもあみだくじでもいいではないか。選考とはそれほど矛盾した行為ではないのだろうか。サイコロやあみだくじを勧めているわけではない。多数決だって、随分乱暴な方法なのだと言いたいのだ。
多数決の矛盾をそれなりに解決する方法はもちろん用意されている。選考委員「会」を作らなければいい。つまり選考委員を一人にすれば、芸術作品を多数決で決めるという行為は免れる。それが「合理的」なやり方かもしれない。
現にそういう制度は存在する。「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」(1990年創設)は、毎年「ひとりの選考委員」によって選ばれる。選考委員の任期は1年間。選考委員は自分の責任と判断で「単行本または雑誌等に発表された日本語の文学作品(小説、評論、戯曲、詩)」を選ぶ。選択に迷いや葛藤はあるかもしれないが、自分一人で決めるから、評価と授賞の間に亀裂はない。またそれ故に議論による流動化や対話による変化はない。選考をめぐるドラマは自分の内部に閉じ込められている。
作曲家の武満徹が企画・制作する「今日の音楽」(Music Today)という現代音楽祭がかつて開かれていて、若手の作品に与えられる作曲賞が設けられていた。当初、委員会方式で選考していたが、途中で武満単独の審査、選考に切り替わった。1980年代の初め、雑談のおりに武満に尋ねたら「大勢で選んでも平均的になっちゃうからね」という答えだった。合議の限界を知って、自分ですべての責任を引き受けて決めることにしたのだった。
岸田賞の特徴3-ベールの彼方
これまで見てきた岸田賞の対象形態と選考方法も重要だが、最終候補がせり上がってくるプロセスも見ておかなければならないだろう。この段階で網にかからなければ、最終選考の場に挙げてもらえないからだ。文字通り選外になってしまう。
毎年1月半ば、岸田賞の「最終候補作品」が白水社から発表される。関係者の間では不思議でも何でもないだろうが、一般の読者、観客にとっては年に一度の「突然」である。だって、初出の時がいきなり「最終候補作品」なのだから。どういう経過で「最終」になったかは、白水社のWebサイトでは分からない。そこで尋ねたところ、毎年編集者らが雑誌に掲載された戯曲を集めて読む。さらに選考委員、歴代受賞者、評論家、ジャーナリストら関係者に推薦作をアンケート調査する。そこで挙がった作品を、下読みを委嘱している人たちの意見も交えて絞り込み、社内の選定委員会で最終候補作を決めるという段取りだった。
芥川賞・直木賞の選考経過もWebサイトでは不明だが、選考事務局を長年担当した編集者が詳細な内幕を書き残している。それによると、下読み委員は事実上事務局を構成する文藝春秋社員が5名単位の4チームを編成。芥川賞・直木賞は半年に一度だから、12月号から翌年5月号までを上半期、6月号から11月号を下半期として、雑誌に掲載された小説を読んでいく。一人でもいいと思ったものは要回覧にする。その上で、これまでの受賞者、出版社、新聞社、有力同人誌にアンケート調査して推薦作を依頼。月1回-3回の全体会議で要回覧作品を討議、1ヵ月前に一人1票で予選通過作を選ぶという(高橋一清著『編集者魂』青志社)。岸田賞と芥川賞は同じようなやり方なのだろう。社内選考の経過は秘密にはなっていなくても、少なくともオープンにはされてこなかった。
また両賞とも選考会は非公開である。選評を読むまで選考委員会の様子は外部に伝えられない。選評が公開されても、だれがだれに1票を投じたかなどの全貌は明らかにされない。詳細はベールの彼方にある。芥川賞・直木賞は記者会見で選考経過を伝えるけれど、選考会自体は同じく非公開になっている。意地悪く言うと、ともに密室の協議である。
しかし選考経過をほぼ全面公開する戯曲賞も現れた。1995年度に設けられた「日本劇作家協会新人戯曲賞」(日本劇作家協会主催)である。この賞は岸田賞と同じく戯曲賞だが、公募方式である点が岸田賞と異なっている。応募作は一次、二次の選考の上、最終候補作が選ばれる。さらに同協会のWebサイトはこう続けている。
一次、二次選考の委員名も候補作もWebサイトに列挙されているから透明性は高い。岸田賞の特徴として取り上げた問題点を、それなりに解決しようという意図がうかがえる。ただ「原作のあるものの脚色は不可」という規定が設けられている。これはこれでまた、議論すべき課題になるが、いまは取り上げない。
もうひとつ、「かながわ戯曲賞」(主催:神奈川芸術文化財団・神奈川県)の最終選考会も公開だった。いま岸田賞の選考委員を務める宮沢章夫が選考委員長だったが、2006年の第6回を最後に休止してしまった。この賞が岸田賞と違っていたのは、選考委員が劇作家に限らないことだった。委員は3人。宮沢は劇作家、演出家だが、あとの二人、松本修(MODE主宰)は演出家、内野儀は表象文化、舞台芸術批評の研究者(東京大学)という三者三様の専門と立場から応募作を取り上げて論じた。岸田賞の選考委員はいうまでもなく、全員が同賞受賞の劇作家から構成されている。
公開か非公開かをここで問いたいわけではない。一昔前に「権威」の象徴であり、また「権威」を生み出す仕掛けでもあった「非公開」選考が、いまはかつてほどの効果を期待しにくくなっているのではないかと指摘したいのだ。最近誕生する「賞」が公開選考制を採用するケースが目立つだけに、非公開を続けていくことが及ぼす影響は意外に根深いかもしれないのである。
選考委員に関してさらに付け加えるなら、どういうメンバーによって選考会が構成されるかは、演劇を考える上で大事な問題を含んでいると思われる。
戯曲は読者とともに、観客を求めていると指摘した。また舞台は客席と対になって成立する。演劇は舞台だけで成立するわけでない。だれもが知っているように、役者と観客がいて初めて演劇の条件がとりあえずは満たされるのである。その「場」を、普通は「劇場」と呼んでいるけれど、もちろん物理的な建物を指しているわけではない。劇場とは見ている人々の関心が組織される磁場、というほどの意味に考えれば十分だろう。
とすると、劇作家(受賞者OB)だけで構成される戯曲選考委員会は、演劇の成立要素を十分に満たしたメンバー構成とは言い難いことが明らかになる。戯曲は劇作家が選考するという考えは、小説が対象の文学賞は、作家が審査すればいいという思考と同じように、観客や読者に問い返されるべき体質を濃厚に持っているかもしれないのである。その点で、「かながわ戯曲賞」の選考委員構成はいま思うと、きわめて含蓄が深かった。
岸田賞の特徴4-主催と趣旨
岸田賞の主催は白水社である。岸田賞に「権威」があるとするなら、主催の白水社には「権力」がある。いかつい言葉だからといって、ギョッとしないでほしい。「権力」の行使が岸田賞の歴史を支え、「権威」を高めてきたことを否定する人はいないだろう。
演劇の世界に通暁している編集者を中心に、演劇界関係者のさまざまな力を引き出し、協力を求めつつ岸田賞は育ってきた。その象徴が、選考委員の任命である。この人事権は主催の専権事項だろう。誰が決めるか、誰が委員になるに興味が集まるけれど、重要なのはどういうメンバー構成になるか、ということだ。いまの演劇状況に目配りしつつ、その中からせり上がる問題を見逃さない目とセンサーを備えていること。ぼくも会社勤めで会議編成や運営を繰り返してきた。その経験からも、これが委員を選ぶときの最後の指針になるはずだ。
歴代の受賞メンバーで構成される選考会が受賞作を決めてきた。その結果、才能豊かな劇作家が輩出し、優れた作品が取り上げられた。選考委員選びの権力行使が大役を果たしてきたことの何よりの証明であろう。
選考委員選びと下読みによる最終候補作の決定が、主催者の権力行使でなくてなんだろう。その管理調整を司ることこそ、「権力」の最大の仕事なのだ。
主催の白水社は出版社だから、受賞作を出版するのは社業そのものである。
岸田賞は受賞戯曲を出版する。芥川賞・直木賞は受賞作の小説を出版する。似ているように見えながら、この違いは実は決定的である。
戯曲と小説では読者数が違い、従って出版部数には文字通り桁違いの差が生じる。しかしそれが決定的なのではない。小説を出版すれば、事実上の主催であり版元である文藝春秋の仕事は完結する。小説は、読者に届けられることが目的だからである。作品を出版のルートに載せることが、作家を育てる役割なのだ。
しかし戯曲はそうはいかなかった。出版によって戯曲は確かに読者に届く。しかしそれは、戯曲の持つ半面を満たすだけである。戯曲が持つもう一つの側面、観客に対する欲求を、出版は満たすことができない。別の言い方をすると、小説を出版することは作家の「育成」に直結するけれど、戯曲を出版するだけでは、劇作家は「育成」されないのである。育成に欠かせない観客は不在のまま。戯曲も劇作家も、上演という最大の養分を出版では得ることができないのである。
これはどういうことなのか。戯曲選考という「評価」のなかに、劇作家「育成」という影が無意識のうちに入り込んでくることを意味している。特に岸田賞の目的は「新人劇作家の奨励と育成」だからなおさらだ。「評価」と「育成」が未分化のまま混同され、どちらも曖昧にならざるを得ないのである。
岸田賞を受賞するかどうかは、劇作家にとってきわめて重大な影響を持っている。作家生命の分かれ道になるかもしれない。そう実感している選考委員が、戯曲の傷をえぐるよりも、力のある作家だとこの際認めて世に出そうと考えるのはそう不自然ではないだろう。その機微と特徴を如実に表しているのが、前回の選評で紹介された井上ひさしの言葉だった。
「なるべく受賞作を。それが、作家を育てる力に」
そう、そうやって背中を押されて少なからぬ作家たちは育った。その事実によってまた、戯曲賞の評価と劇作家育成を同時に達成しようする矛盾が見えにくくなる。だからこそ戯曲評価と最後の賛否の間に亀裂が走ったのだ。おまけに非公開選考や多数決の呪縛が一層、事態を不透明にしたのではないか。
それでも演劇関係の賞が、受賞者の「育成」に力を貸している例がないわけではない。
例えば最終選考会を公開してきた日本劇作家協会(坂手洋二会長)主催の新人戯曲賞は、最終候補になった数本をまとめて出版する。『優秀新人戯曲集』シリーズが毎年刊行されてきた。劇作家集団なのでさまざまなプログラムに声がかかるとはいえ、出版による後押しのほか、特段の「育成」経路が設けられていないのは岸田賞と同じである。
日本演出者協会(和田喜夫理事長)主催の「若手演出家コンクール」は、公開審査で選ばれた最優秀賞受賞者に、翌年の上演機会を与えている。
舞台芸術財団演劇人会議(平田オリザ理事長)主催の「利賀演劇人コンクール」は「世界をめざす劇場芸術家養成事業」を掲げ、最優秀演劇人やすぐれた作品は海外上演の可能性も視野に入れ、海外研修の計画も生まれているという。
しかしあとの二つは「戯曲」賞ではない。「若手演出家コンクール」は演出賞、「利賀演劇人コンクール」は演出だけでなく、俳優、美術・装置、照明、音響、衣裳など「演劇人」育成を前面に押し出すプログラムになった。
こういう流れの中で、岸田國士戯曲賞がどのように進路を定めるのか、ぼくには分からない。個人的には、演劇雑誌の復刊やほかの演劇団体とのゆるやかな協力関係を模索して、受賞「戯曲」に「上演の場」を与えてほしいと願っている。それが「新人劇作家の奨励と育成」の最大の機会になることを疑わない。
しかしこれまで受賞者がほとんど劇団の作・演出を兼ねていたことが「育成」機能の不在を隠蔽してきた。受賞作は自分たちの劇団で再演すれば、宣伝効果もあって二重三重のメリットがあるからなおさらだった。劇団に所属していない劇作家など問題にならなかったとしか思えない。劇作家という職業が日本で育たなかったのは、こういうことにも一因があるのだろうか。
先に紹介した佐木隆三の小説「ジャンケンポン協定」は最後に、労使が結んだ解雇=首切り同盟を無化する奇策を用意している。しかし戯曲賞に同じような奇策があるかどうかは分からない。
「戯曲」回帰なのか、新人作家の「奨励と育成」なのか。それとも経験豊かな選考委員を擁して従来通り選考活動を続けていくのか。選考委員会が議論しても、舵取りは主催の白水社に委ねられている。(了)
(初出:マガジン・ワンダーランド第281号、2012年2月29日発行。後半を追加、補筆)
【補注】
・岸田賞の対象が戯曲から上演台本へ移ってきた経緯と問題点は、編集サイトPULL の動画対談でカトリヒデトシ、柳沢望の2人が2010年に指摘している。
カトリヒデトシ×柳沢望:「わが星」と戯曲賞(演劇サイトpull、2010年 2月 20日)
カトリヒデトシ×柳沢望:岸田賞の傾向と対策(演劇サイトpull、 2010年 4月 21日)
・芥川賞・直木賞の選考過程は、高橋一清著『編集者魂』(青志社)に詳しい。
・佐木隆三『ジャンケンポン協定』(講談社文庫)