さいたまネクスト・シアター 「2012年・蒼白の少年少女たちによる『ハムレット』」

◎世代を超えた普遍性映す
 木俣冬

「2012年・蒼白の少年少女たちによる『ハムレット』」 公演チラシ
公演チラシ

 役者というものは、時代の縮図、ちょっとした年代記だ。

 ハムレットの台詞にこういうものがある(訳:河合祥一郎)。
 とすれば、蒼白の少年少女俳優が、2012年という時代を映し出す鏡だ。今回、『ハムレット』を上演するにあたり蜷川幸雄は、蒼白い顔をして表情に乏しく、何を考えているのかわからないとされる現代の若者たちだけで『ハムレット』をやることにした。
 これまでのさいたまネクスト・シアター公演では、キャリアの長い俳優の客演によって大人の役をまかなっていたが、今回は1979年-92年生まれ、十代から三十代前半の劇団員のみで、年配者の役までやることに。

 開演のアナウンスと同時に、舞台上を覆っていた黒布が外される。そこには全面透明アクリルで作られた四角い舞台があり、透けて見える奈落では普段着の俳優たちが語り合っている。彼らは徐々に着替え、見えないところへはけていく。ふいに、残った甲冑に着替えた俳優が「誰だ!」と叫び槍を構えると、その拍子にペットボトルやティッシュケースが飛び散って、舞台はたちまち真夜中のデンマークの城へと激変した。

 この国の情勢は今、不安定だ。先王が死んで間もなく、その弟クローディアス(松田慎也)と王妃ガートルード(土井睦月子)が再婚したことにより、王子であるハムレット(川口覚)は絶望の淵を彷徨っている。やがて、叔父が父を殺した事実を知り復讐を誓う。恋人オフィーリア(深谷美歩)とも哀しい決別をし、復讐に邁進するハムレットの周囲には多くの死が待ち受けていた。

 シェイクスピアの代表作のひとつ、あまりにも有名なこの芝居は、決して若者だけの芝居ではない、クローディアス、ガートルード、オフィーリアの父・ポローニアス、王国に集う貴族たち、滋味深き旅芸人の座長や墓堀など、大人の芝居が必要だ。

 しかし今回、唯一の年配者は、特別出演、38年生まれ、74歳のこまどり姉妹のみ。最初、この話を聞いた時、彼女達は旅芸人の役でも演じるのだろうか? それとも2人の名コンビというところからローゼンクランツとギルデンスターン? と想像してみた。が、全く予想外の登場だった。

「ハムレット」公演の舞台写真1「ハムレット」公演の舞台写真2
【写真は、「ハムレット」公演から。 撮影=宮川舞子 提供=彩の国さいたま芸術劇場 禁無断転載】

 「尼寺へ行け」。
 ハムレットがオフィーリアを苛む名シーン、そこにまさかまさかの展開が待っていた。
 自分を拒絶するハムレットにすがっていくオフィーリア。あんなに優しかった恋人の変貌ぶりを信じられず錯乱するオフィーリアにハムレットはひたすらきつく当たる。

 感情が高まっていくところで、突如、芝居が止まる。そして舞台奥の幕が開き、ポカリと広がった何もない空間からこまどり姉妹が「幸せになりたい」を歌いながら歩いてくる。
 唖然とし、なすすべもなく、泣き崩れる若い恋人たちのまわりを、双子の姉妹はゆっくりと一周し3番まで歌い上げて去っていく。
 圧巻である。
 再び、ハムレットとふたりきりになった時、オフィーリアが天に両腕を伸ばして叫ぶ。

 「神様、この方をもとに戻して。」

 今、突然現れたビジョンは、オフィーリアから見た理解しがたいハムレットの狂気か? また、ふたりの感情の激昂が生んだイメージなのか? いやいや、こまどり姉妹の歌「幸せになりたい」という切実な希求のこもった歌詞には、ハムレットとオフィーリアの心の声にも思えてくる。そして、幸せになりたいだけなのになれない、悲しみにも。

 地に足をしっかりつけて、三方の客席の上から下までしっかり見つめながら、指先にまで神経を使って歌を伝えるこまどり姉妹の芸の確かさに、若者が打ちのめされた印象も受ける。双子姉妹の連携プレーは見事で、互いに必ず別の方向を見ているのだ。これによって観客は必ず、こまどり姉妹のどちらかの顔を拝むことができる。長年の鍛錬による技に圧倒されるばかり。手ずから着物に縫い付けているというスパンコールの輝きも強烈に心を射抜く。

 なんという集中力であろう。そこから生まれた磁場に身も心も震えてくる。こまどり姉妹の小さな指先から悲しみや希望の感情が漏れる時、カラダの奥から溜まっていた自分の感情がグイグイと誘い出されて溢れ出した。
 至福の体験だった。
 蜷川はかねてより、自分の芝居にこまどり姉妹を出演させることで彼女たちの歌に自分たちがやっている芝居が拮抗できるのか試してみたいと思っていたという。『泣かないのか? 泣かないのか? 一九七三年のために?』(73年)を上演する際、「上演中に突然、三味線を持ったこまどり姉妹が歌いながら来る。この時ぼくらの舞台は拮抗できるのか?」と考えた。「我々の演劇はあの3分間の歌に勝てるのか」「民衆の魂を歌っているお2人の歌に、借り物の翻訳劇をやっている僕らの芝居は拮抗できるのか」と。

 戦後、北海道から東京に出稼ぎに来て、ふたりで肩寄せあい、歌と三味線で生き抜いてきた双子の姉妹は、敗戦から必死に立ち直っていく日本人を映し出す、まさに鏡のような存在ではなかったか。

「ハムレット」公演の舞台写真3「ハムレット」公演の舞台写真4
【写真は、「ハムレット」公演から。 撮影=宮川舞子 提供=彩の国さいたま芸術劇場 禁無断転載】

 今回、このキャスティングによって「役者というものは、時代の縮図、ちょっとした年代記だ。」というハムレットの言葉がいっそう生きる。2012年の時代を映す、ネクスト・シアターという鏡と、戦後の日本の鏡、このふたつを蜷川は合わせて見せた。

 ふたつの鏡は、その後、二回出会う(合計三回)。
 二度目は、ハムレットが叔父の父殺し疑惑を明確にし復讐を決意するモノローグを語るところ。今度は、舞台から透けて見える奈落から現れ、ハムレットを心配そうに見上げる。そっと胸元に手をやって祈るように見ているこまどり姉妹。父を殺して王位についた叔父への復讐を誓うハムレットを見守る、天使のようにも、ハムレットの良心のようにも思えてくる。

 川口覚のハムレットはとても現代的な雰囲気をもっていて、古典の台詞を話している感じがしないので、ハムレットの苦悩が身近なものになっていた。復讐という思考に支配され、育っていく感情の芽は、誰もの中にも宿り得るのもので、それとどうつきあっていくのか、こまどり姉妹の視線が問いかけているようだ。

 三度目は、ラスト。復讐が終わってハムレットも命を落とす。次世代を代表するノルウェー王子フォーティンブラス(中西晶)は、ハムレットに口づけし、さっきまで彼が着ていた上着を羽織る。居合わせた貴族たちと、ハムレットに自分のことを語り継いでほしいと託されたホレイシオ(小久保寿人)までをも射殺して、フォーティンブラスはハムレットの亡骸と共に舞台奥へと去っていく。そこへすれ違うようにして、こまどり姉妹が歌いながら舞台上へとやってくる。

 『ハムレット』の世界では新たな時代が到来したが、これを上演している日本では、戦後は未だ終っていないのだ、という厳しい視線にも思えてくる。蜷川は2001年の『ハムレット』でも9.11爆破テロが起こったことによってフォーティンブラスにデンマークの人たちを皆殺しにさせている。今回、この演出を選択させた今の時代を思うと苦い気持ちになった。
 時代が変わっていくのは止めることはできない。マンガやゲームやネットが進化していくことによって、人間の思考や身体性は確実に変化している。
 だからと言って、新しいことが正しくて、古いことが忘れられ滅びさるべきものなのだろうか。少なくとも、こまどり姉妹と若い俳優の合わせ鏡には、世代を超えた普遍性が映っていた。

 フォーティンブラス軍がハムレットの前に現れる場面は、兵士たちは小椋桂のフォークソングにのってスローモーションで荒野を駆けてきた。今回フォーティンブラスに抜擢された劇団最年少の中西や女性ながら隊長役を射止めた長内映里香がおろしたてのシャツのように清々しい。その姿に優しくかぶる歌に出て来る秋の七草や昆虫の名前などが、後に狂ったオフィーリアがいろいろな花の名前と花言葉を言うシーンとオーバーラップするようだ。

 人間は私欲のために自分を飾りつけ他人を欺き生き延びていく。劇中にも、着るものに気を配るべしという教えや取り巻きの上辺の社交術への批判などたびたび登場する。が、自然や動植物は時代や文明に左右されず、ありのままに生きている。自然の潔い美しさと、邪念のない、若くて希望に満ちた集団と、こまどり姉妹の芸に身を捧げた姿には似た、美しい精神性を感じてならない。

 全面アクリルの巨大な水槽のような舞台装置(装置:中西紀恵)、奈落に仕掛けられたたくさんの蛍光灯は俳優たちをいっそう青白く照らし出す。天井からは四方からスポットライトが強い光を照射して(照明:藤田隆広)、舞台上の美しい精神をいっそう気高く見せていた。

 上下に人間を分つ装置がふんだんに生かされている。長らく階段を使うことで階層差を表現してきた蜷川の、巨大水槽による新しい階層差表現。奈落に入った貴族たちは王と王妃の足下にかしづき、王達の争いを下方からのぞき見たり、民衆たちは反旗を翻し地下活動する。常に誰かが見つめているし、彼らの支えで世界が出来ているという構造が見えてくる。オープニング、奈落から衣裳をつけた俳優が舞台上に上がってくることで、現実と芝居の差も明確になっていた。

 それから、ハムレットとレアーティーズ(堀源起)との決闘で、レアーティーズ、ガートルード、クローディアスも死んでしまうが、「殺戮の嵐が吹いたか」とフォーティンブラスを驚愕させる血なまぐさいこの場面では、下でわらわらと蠢く貴族たちの赤い衣裳とベール(衣裳:紅林美帆、田邉千尋)がおびただしい血のようだった。

 また、「尼寺へ行け」のシーンで、こまどり姉妹が去った後、明るい照明で彩られたステージが一転して、ハムレットとオフィーリアを真上から照らすスポットライトだけになったところも印象的だ。再び、感情をぶつけうあう恋人たちのもつれあう姿が、透明のアクリル板を通して、舞台の下にシルエットとなって映る。舞台の上のふたり、その下のからみあう黒い影。それを交互に見る。まっ黒な影にふたりの心の中をのぞき見る。
 時代を映す鏡たちは逆にまた、あらゆる角度から見つめられていた。

 堀のレアーティーズは野性味があって、川口ハムレットと対称的になっていたし、ガートルードの土居には華やかな色気が漂う。深谷のオフィーリアは確かな演技で見せたが、特に狂気のシーンで床に空いた四つの穴の上を全力でピョンピョン飛び越えるなど、若いからできる無茶な身体の使い方をしていたところがたくましい。ポローニアスと墓堀というふたりの年配者を演じ分けた手打隆盛にも研鑽の跡が見えた。

 『ハムレット』という巨大な物語に、蜷川幸雄の指揮のもと、2012年のリトルピープルたちが立ち向かう物語は、ひとまずハッピーエンドだ。


【筆者略歴】
木俣 冬(きまた・ふゆ)
フリーライター。著書に「挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ」(キネマ旬報社)、共著に「蜷川幸雄の稽古場から」(ポプラ社)、ノベライズに「シュアリー・サムデイ」「ジョーカー許されざる捜査官」などがある。個人ブログ「紙と波」。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kimata-fuyu/

【上演記録】
さいたまネクスト・シアター第3回公演「2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」
彩の国さいたま芸術劇場 インサイド・シアター(大ホール内)(2012年2月20日-3月1日)
作◇W.シェイクスピア
演出◇蜷川幸雄
翻訳◇河合祥一郎
出演◇さいたまネクスト・シアター
浅場万矢、浦野真介、大橋一輝、川口覚、熊澤さえか、小久保寿人、佐々木美奈、周本えりか、 鈴木彰紀、朕紗友、手打隆盛、土井睦月子、隼太、深谷美歩、堀源起、松田慎也、茂手木桜子、 露敏、内田健司、内田真莉奈、岡部恭子、長内映里香、河内耕史、白川美波、高橋クレア、 高山皓伍、平山遼、何嘉晃、吉武遥、中西晶

こまどり姉妹(特別出演)

〈料金〉4000円(全席自由)


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  1. ピンバック: 木俣冬
  2. ピンバック: えみこ / Emiko
  3. ピンバック: 高野しのぶ
  4. ピンバック: はうる
  5. ピンバック: yukinko9116
  6. ピンバック: 薙野信喜
  7. ピンバック: 木俣冬
  8. ピンバック: 水野ノブヨシ
  9. ピンバック: れい

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