◎「神聖喜劇」(大西巨人 光文社文庫)
危口統之
親譲りの天邪鬼で子供の時から損ばかりしている。小学校にいる時いじめを正当化する発言をして教師を動揺させたことがある。なぜそんなむやみをしたと聞く人があるかもしれぬ。別段深い理由でもない。私も若い頃は隣町の連中に石ころを投げつけたものだと教師が言うから、それに便乗しただけのことである。裏山の傍に住むYの家は汚らしいから虐められて然るべきだと言ったら、いま危口は重大な発言をしたと槍玉に挙げられたので、だって先生も石投げてたんでしょと答えた。
中学に上がっていつものように仲間と用水路沿いに下校していたら、話題は将来のことになった。一人が危口が一番平凡な結婚をして平凡なサラリーマンになりそうだと言った。その時は反論しなかったが、恨みは忘れていなかったので、長じて大学を卒業する頃になっても就職活動など一切やらずじまいだった。幸い声をかけてくれる友人がいて、運も少しばかりあったので、何とか演劇に携わって生きている。しかし嫁はいまだに来ぬ。
演劇部の稽古場から南に二百米ほど行き尽くすと二階建ての古びた建物があって、その中に部室があり、ここに漫画やら麻雀卓が置いてあった。稽古上がりに好き者が集まり、朝まで卓を囲う。俺の五つ下にKという、鳥取から来た椎名林檎好きの野郎がいた。Kは無論小生意気である。小生意気なので、先輩後輩の関係を乗り越えて、俺から上がりまくる。ある日の深夜とうとう役満を振り込んだ。そのとき局はまだ始まったばかりで、それにもかかわらずKがリーチを仕掛けてきた。向こうはまだ十代の小僧である。小生意気だがやはり幼い。へらへら笑いながらこっちを見てやがるので警戒したが先輩として退くわけにもいかない。邪魔になってこっちの手が進まないのだから、むやみに字牌を切ったら、Kの口が動いて大三元だと抜かしやがった。バイト代をそのままKに渡したのが三ヶ月後のことで、その十数年後の今は大道具好きが昂じて大工となり、いまでも俺の舞台を造ってくれている。
このほかくだらないことは大分やった。缶蹴りをやろうというので、せっかく大の大人がやるのだから子どもと同じでは詰らないとスクーターで缶に向かって突っ込んで友人を跳ね飛ばしたりした。無許可でストリップ小屋を立てて抗議を受けたこともある。件のKがへらへら笑いながらやろうというので、仮設足場を組み上げテントを建てた。現役女子大生がおっぱいを曝け出すというので満員御礼だったが、大学祭実行委員が真っ赤になって怒鳴りこんできた。たしか翌年以降参加停止となったようだが、この時のためだけに拵えた団体なので痛くも痒くもない。
親父は俺を溺愛していた。妹よりも弟よりも俺を贔屓にしていた。妹は生来快活で、何がどう転んだか猟師の男と結婚し二児を設け、弟は生真面目で頭が良く医者になったが、俺はこの通り浮草稼業で明日をも知れぬ身の上だ。それでもいつかおおきな仕事をすると親父は信じて疑わない。親に褒めそやされながら育ったジグムント・フロイトの伝記でも読んだかどうかは知らぬが、息子はせっかく買った全集も数頁拾い読みしたらあとは放ったらかしたままでいる。
大学を出ても職を得ず、食い詰めた挙句工事現場で下働きを始めたときはさすがの親父も大いに嘆きドロップアウトではないかと非難した。人生をなんと心得ると問われ、もうこれからは余生だと嘯くと、それまで黙っていた母親がそうかもしれないねと素直に頷いたので却ってこちらが吃驚し、それ以来俺は余生を生きていると思っている。
【筆者略歴】
危口統之(きぐち・のりゆき)
悪魔のしるし主宰、演出家。1975年倉敷市生。横浜国立大学工学部建築学科卒。2010年「悪魔のしるしのグレートハンティング」にてフェスティバル/トーキョー公募プログラム参加。翌年トーキョーワンダーサイトによる「国内クリエーター制作交流プログラム」に選出され、成果発表として「SAKURmA NO SONOhirushi」を上演。2012年よりセゾン文化財団ジュニアフェロー。その他、主な作品に「搬入プロジェクト」「禁煙の害について」「倒木図鑑」など。
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