サンプル「永い遠足」

◎奔放な想像力、「オイディプス王」の物語が背骨
 水牛健太郎

 にしすがも創造舎の劇場は、もともと中学校の体育館だ。がらんとした広さをそのままに、左奥の隅には白いプラスチックの大きな植木鉢がいくつも置かれ、そこから緑のツルが周り回廊の柵にまで伸びていた。持ち主に捨てられたかのような寂しさと、裏腹のたくましさ。右奥の隅にはブルーシートが何枚も、床から周り回廊の上あたりまで覆い、その中にはたぶん足場が組まれている。周囲には立ち入りを阻む黄色いテープとレッドコーン。これもセットなのだろうが、実際に補修工事か何かをしていても違和感はない感じ。全体の印象は、よく計算された雑然さ。
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ロラ・アリアス「憂鬱とデモ」
劇団しようよ「SHIYOUYO EXPERIMENT 2013 使われないプログラム」(番外編)

◎淡い憂愁を帯びたユーモア―KYOTO EXPERIMENT 2013報告(最終回)
 水牛健太郎

 ダブル台風の襲来に、高速道路でバスが立ち往生といった最悪のシナリオが頭に浮かばないこともなかったが、えいままよと出かけてみれば、バスは少しの遅れもなく早朝6時半に京都に到着した。
 京都時代の友人と湯葉など食べて自転車で京都芸術劇場春秋座に駆けつけ、プログラムの1つ池田亮司の「superposition」を見たが、ハイブロウ過ぎて歯が立たない。電子音の猛烈な連打に、深夜バスの疲れもあり、意識が飛ぶことも再三。「映像作品なのでカバー範囲外」ということにして評は遠慮させていただく。
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Baobab「家庭的 1.2.3」
She She Pop「シュプラーデン(引き出し)」
集団:歩行訓練「ゲームの終わり」

◎ごつごつした異文化の手触り―KYOTO EXPERIMENT 2013報告(第4回)
 水牛健太郎

 20日の京都は雨。朝から小雨が降りしきり、時に強くなったり、ふいに止んだり。京都らしい湿った情緒を感じさせる1日だった。自転車には乗れなかったが、この日の会場はすべて三条と五条の間。十分歩いて回ることができた。京都ならではのこんなコンパクトさは嬉しい。
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She She Pop「シュプラーデン(引き出し)」
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木ノ下歌舞伎「木ノ下歌舞伎ミュージアム”SAMBASO”〜バババッとわかる三番叟〜」
笑の内閣「高間響国際舞台芸術祭(Dブロック)」

◎めでたさの感じ—KYOTO EXPERIMENT 2013報告(第3回)
 水牛健太郎

 10月13日の京都はからっと晴れ、まさに観光日和となった。日本全国、いや世界からの家族連れや若者たちが行き交う古都。そこかしこに漂う浮き浮きとした空気に「ちっ」と舌打ちして、ただひとり観劇へと急ぐ偏屈そうな中年男の姿があった。誰あろう私である。
 忘れていた。この時期のバスは死ぬほど遅い。歩くよりは速いが、自転車よりはずっと時間がかかる。渋滞の上に、乗り降りの度に一騒動。「ピーピーピー」「一歩奥へ詰めてくださあい。ドアが閉まりません」「運転手さん、PASMOは使えるの?」……。
 バス移動を選んだのは間違いだった。私は深夜高速バスのサービスでただでもらった市バス一日乗車券を握りしめて後悔に震えた。来週と再来週は絶対に自転車に乗る。そう心に誓った。
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劇団うりんこ「罪と罰」
庭劇団ペニノ「大きなトランクの中の箱」

◎妄想と寓意—KYOTO EXPERIMENT 2013報告(第2回)
 水牛健太郎

 KYOTO EXPERIMENT 2013は例年同様、正式プログラム以外にフリンジ企画がある。今年のフリンジ企画はワークショップとか批評なども含まれるが、演劇・ダンス等の上演に特化したものとしては「オープンエントリー作品」というカテゴリーがある。去年までのフリンジ企画は主催者側がセレクトしており、東京の旬な若手劇団が多かった。今年は「オープン」だけに、「条件を満たせば、ジャンル不問、審査なしで登録可能」だという。そこで地元劇団が多く参加することになった。
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チェルフィッチュ「地面と床」
マルセロ・エヴェリン/デモリッション Inc. 「突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる」

◎死者の権利と生者の自由―KYOTO EXPERIMENT 2013報告(第1回)
 水牛健太郎

 今年の3月末、2年住んだ京都を引き払い、東京に戻ってきた。しかし、KYOTO EXPERIMENT報告はせっかく2年やったので、今年も(できれば来年以降も)続ける。平日は東京で仕事、予算の都合もあり週末ごとに深夜バスで5回往復という強行軍になるが、それだけの価値はあるだろう。
 半年ぶりの京都は全く変わっていなかった。いや、変わっているところもあるはずなのだが、バスを降りたその瞬間から何の違和感もなく、この町に住んでいるように感じては「あ、違った。今は東京だ」と思い出すことを何度か繰り返した。
 これからひと月は私の怪しい京都弁も復活である。ひときわ美しい10月の京都を、演劇との出会いを求めて自転車で駆け回りたい。
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遊戯ヱペチカトランデ「マドモアゼル・ギロティーヌ」

◎ギロチンの見る夢
 水牛健太郎

「マドモアゼル・ギロティーヌ」公演チラシ
「マドモアゼル・ギロティーヌ」
公演チラシ

 遊戯ヱペチカトランデの「マドモアゼル・ギロティーヌ」はフランス革命を舞台にしたミュージカル劇である。というと宝塚歌劇の代名詞的な存在「ベルサイユのばら」を連想する。だが、似たところはほとんどない。むしろ「ベルサイユのばら」の「裏」バージョンとして作られているのではないかと思うほどだ。
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三木美智代 in 風蝕異人街「桜の園」

◎「変な金持ち」に教えられたこと
  水牛健太郎

 私はこれまでの人生のほとんどをカネがない人間として過ごしてきたため、「金持ちはちょっと変」という気持ちが強い。そんな私にとって、「桜の園」のラネーフスカヤ夫人は「変な金持ち」の代表みたいなものである。恋にうつつを抜かし、乱脈な生活の結果、先祖からの領地を失いかけているのに、現実を見ようともしない。

 特に不思議なところは、幼い頃夫人に可愛がられ、今や立派な商人となったロパーヒンが、領地の中の桜の園を別荘地に貸しだしさえすれば、十分な収入が得られ、全く安泰である、と至極真っ当な話を何度も持ちかけているのに、耳を傾けさえしないことだ。私はいつもロパーヒンがかわいそうでならず、最後にロパーヒンが、魔が差したように領地を落札してしまい、それでもなおラネーフスカヤ夫人を「どうして私の言うことを聞かなかったんですか」と責めながら泣いてしまう場面では、もらい泣きをしそうになるぐらいである。
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ふじのくに⇄せかい演劇祭2013

◎宮城体制の完成へ向けて、或いはお別れの始まり
 柾木博行

ふじのくに⇄世界演劇祭2013公演チラシ
演劇祭チラシ © Ed TSUWAKI

 今年もまた6月の週末は静岡に通った。静岡県舞台芸術センター(以下SPACと表記)が開催する「ふじのくに⇄せかい演劇祭」を観るためである。今年は演劇祭本編で9作品、そして番外編として開催された「ふじのくに野外芸術フェスタ」は4企画6作品が上演された。前身の「静岡春の演劇祭」からリニューアルした一昨年から比べると徐々にだがプログラムの方向性が変わってきているように思う。過去2年はのれんの架け替えを周知してきたのに対して今回は内容そのものを変えたと言えるだろう。
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セロリの会「遠くへ行くことは許されない」

◎善良な人たちの陥った運命
 水牛健太郎

「遠くへ行くことは許されない」公演チラシ
「遠くへ行くことは許されない」公演チラシ

 民家の居間でちゃぶ台を囲み、朝食を食べている二十代から三十代の男女五人。うち何人かはきょうだいのようだが、はっきりとは分からない。活発に会話を交わし、表情も明るく、いわゆる「和気あいあい」の範囲に納まる雰囲気のはずなのだが、見ているうちに何となく落ち着かない気持ちになってくる。
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