◎善良な人たちの陥った運命
水牛健太郎
民家の居間でちゃぶ台を囲み、朝食を食べている二十代から三十代の男女五人。うち何人かはきょうだいのようだが、はっきりとは分からない。活発に会話を交わし、表情も明るく、いわゆる「和気あいあい」の範囲に納まる雰囲気のはずなのだが、見ているうちに何となく落ち着かない気持ちになってくる。
それは会話のペースのせいだろう。前の人のセリフを食わんばかりの勢いで次から次へと口にされる言葉たち。まるで沈黙を作るのを恐れるかのよう。そうして徐々にわかってくるのは、この人たちは二十二年前に行方を絶った、当時三歳の女の子「ゆうちゃん」を探し続けている兄姉三人と幼馴染の女性二人のグループであり、今日はチラシ配布など、恒例の捜索活動をする日だということだ。
見るからに善良な人たちではあるのだが、「ゆうちゃんを必ず見つけ出す」という信念を共有するがゆえの閉鎖性と危うさをはらんだグループ。そうこうするうち次男の宏(長瀬良嗣)が若い女性・優(平田裕香)の手を縛り、紙袋をかぶせて連れてきてしまう。宏は町で見かけた優についてかねてから密かに調査を進めており、幼児期に身元がはっきりしないまま引き取られ、養子として育てられたと突き止めていた。それでも「ゆうちゃん」であるという証拠はない。そんな人をいきなり拉致・監禁してしまう彼ら。しかし、観客である私はそれまでに彼らにシンパシーを感じているので、そんな行動も狂気の沙汰に見えず、理解できてしまうのが怖いことだ。
この五人のグループに、外から思惑を持って近づいてくる人たちもいる。面白いネタの匂いを嗅ぎつける新聞記者の久保雅美(岡田美子)、そして長男の篤(尾方宜久)に好意を寄せる同僚の青木明日香(遠藤友美賀)の二人。久保は無責任で残酷な世間の代表としてグループを外から脅かす。一方、エネルギッシュで本音で生きる女性・青木は、鋭い勘を働かせて、グループのメンバーの間の思惑の違いを暴いていく。
宏と幼馴染のあい(小林さやか)は「ゆうちゃんが見つかるまでは恋愛をしない」というグループの約束に背いて密かに愛を育み、あいは妊娠していた。宏が十分な証拠もなく優を連れてきてしまったのも、二人の幸せのために、「ゆうちゃん」の件に早く決着を付けたいという焦りからだった。
一方、長女淑子(岩瀬ゆき映)は、「ゆうちゃん」探しに明け暮れた取り戻しようもない年月の重みに押しつぶされかかっている。内心疑ってはいるが、二十二年の年月を無駄にしないためにも、優は「ゆうちゃん」でなければならないのだった。そして幼馴染の千鶴子(菊池美里)はエキセントリックな情熱で優が「ゆうちゃん」だと信じ込み、それ以外の意見を受け入れようとしない。淑子と千鶴子はお互いに信念を高め合う関係にあって、それがほかのメンバーの脱落を許さない圧力にもなっている。
そして篤は、内心「ゆうちゃん」が見つかるはずもないと思っているが、ただ誰をも傷つけないことだけを願っている。ところが、監禁された優は、それまで自分が養子だと知らなかったこともあり、自分にふさわしい居場所を見つけたと感じ、「ゆうちゃん」になろうとする。その一方で、篤への秘めた思いを募らせる。それに対し、絶対に許さないと決意を固める淑子。こうして、「ゆうちゃんが戻ってきた」と表面では明るいムードが漂うのと裏腹に、グループ内には爆発寸前の危険な圧力が高まっていくのだった。
この舞台で何より印象的だったのは、脚本の完成度の高さと面白さだった。二時間の上演時間のうち三分の一が経過したところで優が登場し、そのサスペンスが薄れないうちに事態がどんどん展開していく。笑いも多く極めて見やすい舞台なのだが、同時に戦慄をも感じさせる。
クライマックスを経て、ラストは再び朝食の場面。宏とあいはいなくなり、ちゃぶ台には篤、淑子と千鶴子の三人だけがいる。「今年こそ見つけなきゃ」「今年こそ絶対見つけような」と声をかけあっている。そのまま暗転する。あっさりした、それだけに余韻の深い怖いラストだった。おそらく、もはや誰も「ゆうちゃん」が見つかるとは信じていない。それでも探し続けなければならない。グループの結束を維持すること、抜け駆けで幸せになることを誰にも許さないことが自己目的化し、この人たちにとっては、「ゆうちゃん」が見つからない方がいいのではとすら思わせた。
ヒロセエリの脚本はバランスがいい。突き抜けた異常な人物は登場しないし、目を覆う暴力や流血もない。どこにでもいるというのではなく、十分個性的なのだが、実在しても不思議ではない人々の、理解できる範囲の行動が描かれているが、この作品ではそれこそが怖さにつながっている。お互いへの思いやりと共に費やした年月にがんじがらめになり、追いつめられて逃げ場を失っていく善良な人たちの運命が淡々と描かれていた。
脚本に加え、キャスティングと演技の的確さも特筆すべきものがあった。青木を演じた遠藤友美賀、千鶴子を演じた菊池美里の二人が強い存在感を示した。青木は常に篤に近づこうとしたたかな計算を張り巡らせ、トリックスターとして場をかき混ぜる一方、優の拉致・監禁を「これ、犯罪ですよ」とずばり指摘もする。愛嬌と大らかな安定感を感じさせるセロリの会所属俳優・遠藤の個性を生かした役だった。それに対し、菊池はエキセントリックな役柄に人間味を添え、舞台に奥行きを与えていた。また、篤役の尾方宜久は諦念のにじむ物静かな受けの演技に説得力があった。
作・演出のヒロセエリは2000年にplay unit-fullfullを立ち上げ、2011年からは「セロリの会」として年一回ペースで公演を続けている。今回の「遠くへ行くことは許されない」は2003年のplay unit-fullfull公演の再演の形だが、ほぼ全面的に書き直されているという。2003年の公演は見ていないのでやや無責任に推測するに、二十代のヒロセが作品に込めた暗い抒情性が、その後の経験によって説得力と深みを増した作品としてよみがえったのではないか。
ヒロセエリの作品を2010年ごろから見て、これで六本目になる。これまで見てきたものも一定の魅力を持っていたが、今回の作品は群を抜いて素晴らしかった。今後の活動の弾みになることを期待したい。
【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
ワンダーランド編集長。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。東京大学法学部卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。
・ワンダーランド寄稿一覧:
http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/
【上演記録】
セロリの会第三回公演「遠くへ行くことは許されない」
下北沢「劇」小劇場(2013年7月25日-28日)
作・演出/ヒロセエリ
出演/
遠藤友美賀(セロリの会) 平田裕香 菊池美里 岩瀬ゆき映 長瀬良嗣 小林さやか(青年座) 岡田美子 尾方宣久(MONO)
舞台監督/金安凌平
舞台美術/西廣奏
照明/長尾裕介(LEPUS)
音響/松丸恵美
宣伝美術・WEB/広瀬喜実子
写真(WEB)/横尾宏美
当日制作/西村なおこ
企画・製作/セロリの会/fullfull
前売 3500円 当日3700円
学割 前売・当日共2900円(当日受付に学生証提示)
★平日昼割 25日(木)15:00の回 前売・当日共 3000円