ロラ・アリアス「憂鬱とデモ」
劇団しようよ「SHIYOUYO EXPERIMENT 2013 使われないプログラム」(番外編)

◎淡い憂愁を帯びたユーモア―KYOTO EXPERIMENT 2013報告(最終回)
 水牛健太郎

 ダブル台風の襲来に、高速道路でバスが立ち往生といった最悪のシナリオが頭に浮かばないこともなかったが、えいままよと出かけてみれば、バスは少しの遅れもなく早朝6時半に京都に到着した。
 京都時代の友人と湯葉など食べて自転車で京都芸術劇場春秋座に駆けつけ、プログラムの1つ池田亮司の「superposition」を見たが、ハイブロウ過ぎて歯が立たない。電子音の猛烈な連打に、深夜バスの疲れもあり、意識が飛ぶことも再三。「映像作品なのでカバー範囲外」ということにして評は遠慮させていただく。

◆「憂鬱とデモ」

 京都芸術センター講堂には大きな箱状のものが置かれていた。高さ2.5メートル、幅5メートルほどで奥行きも高さと同じぐらい。ベニヤ板製で白く塗られており、前面はブラインドカーテンが下がっている。箱の上にぶら下がる白い板、これは翻訳の字幕が映されるスペース。箱の手前、斜め左にはマイクと楽譜台のようなもの。歌でも歌うのかと思わせる。斜め右には黒いエレキギターが。箱の背後には劇中に使われるであろうショッピングカートやテーブル、椅子などがラフな感じで置かれている。

 手前左のマイクのところに若い女性が立つ。これがアーティストのロラ・アリアス。黒白の横縞のワンピースを着て、茶色いストッキング、黒いエナメル靴。妊娠しているようだ。右手前にはもじゃもじゃひげのギタリスト(ウリセス・コンティ)が座る。ほぼ全編にBGMとしてギターの生演奏が付く。曲調はブルースっぽい感じだった。

 冒頭、ブラインドカーテンがスクリーンになり、そこに字が映る。「これは母の鬱病を理解しようとする娘についての劇である」から始まる簡単な解説。それに続いて、母親らしき年輩の女性の映像が映る。「歯がすごく痛い時にそれ以外のことが考えられないように、鬱の時にはそのこと以外考えられなくなる。ずっと自分の死のことを考える」。青い柄の壁紙を前に話している。と思いきや、ブラインドカーテンが開いて、映像に映っていた女性がマットレスのようなものを背負って立っており、その様子をビデオで撮影している。口が動いている。腰のところでガムテープでマットレスをくくり付けている。本物の母親の映像と思ったのはこの俳優の生映像、壁紙と思ったのはマットレスの柄だった。声の方は実際のインタビューの音声らしく、俳優は口パクをしていたのである。かつがれたという思いとともに、マットレスを背負った俳優の姿が唐突かつユーモラスで、軽いショックを受ける。

 作品は、ロラの解説に合わせて箱の中で寸劇が演じられる形で進む。箱は、中には何もないがらんどうである。そこに母親を演じる女性(エルヴィラ・ネオト)を含め5人の70代の俳優が出入りする。ネオト以外の4人(男女2人ずつ)は素人っぽく、動きもぎこちない。ポストトークによれば、プロの俳優であるエルヴィラ・オネトが教える演技のクラスの生徒さんたちなのだそうだ。セリフというほどのセリフもなく、ロラの父や、母の友人などの役として舞台に立ったり、机や椅子を運ぶ手伝いをしたりしている。この人たちのゆったりした動き、ゆるんだ体型が作品のオフ・ビートな感じを強めている。

 トーンは緩いのだが、中身は鬱病を巡るあれこれだから、深刻ではある。ロラの母親は日常的に自殺への誘惑にさらされている。そんな母親を巡るエピソードはしかし、突き詰められることなく、淡いユーモアを帯びて淡々と語られていく。

 ロラの母親はいわゆる躁鬱病(双極性障害)で、躁の時にはやたらと万引きをしてしまうという。熊のぬいぐるみ、モーツアルトのCD、ホテルのお皿、ネクタイ、日本旅行の時に盗んだというキモノ(と呼ばれたが実際は旅館の浴衣)まで、これまで万引きした品の数々が壁につるされて紹介される。「この『インターナショナル』の入ったオルゴールはマルキストの友人のために」といった解説がおかしい。

 鬱病患者にとって、深刻に物事を考えることは禁物である。それは症状の1つですらある。だから、生き延びるために「深刻な現実」と距離を取っていく。そこにユーモアが生じる。箱の中で演じられる寸劇は、確信犯的に安っぽい赤や青の照明にさらされ、ドラマティックな盛り上がりは回避される。常に薄い被膜を通して現実を眺めるような非現実感がある。

 たとえば、タイトルの「憂鬱とデモ」は、母親の鬱病と「政治」の関係を示唆している。母親が鬱を発症した(またロラを生んだ)1976年はアルゼンチンで軍事クーデターが起きた年であり、左翼の大学教員だった母親は大きな衝撃を受けた。ロラはこれが鬱病の背後にあるのでは、と語るが、作品の核であるそのアイディアを突き詰めることはしない。たださらっと言うだけ。そのとき母親役のネオトは、手に持った本を床に飛び石状に置いて、その上を歩き始める。おぼつかない足元が母親の感じた頼りなさを伝えて、不思議なほど揺さぶられた。

 そして画面に映し出されるのは最近行われた、老人たちの年金を巡るデモ。カーテンが開くと、老人たちが手書きのプラカードを手に、デモの音声に口パクする。ゆるい。「母はこのデモを見れば元気になるのでは。デモが起きる広場の近くに引っ越させようか」とロラのコメント。表現は問題の核心に迫る代わりに、ふわふわとその周りを浮遊していく。だから隔靴掻痒といった感じもあるのだが、淡い憂愁を帯びたユーモアの繊細さは印象深い。

 エピソードの中で印象に残ったのは、ある分析医での家族セラピーの場面だ。その分析医の部屋は森の風景のポスターが貼られ、植木鉢が所せましと置かれ、床には人工芝が敷き詰められ、小さなメリーゴーランドがあるという現実離れした空間。その部屋の写真がブラインドカーテンのスクリーンに映し出されたあと、カーテンが開かれると、緑の照明に照らされた箱の中で、首に赤い縄を巻いた母親が天井からつるした輪に縄を通す。それを椅子に座ったロラが見つめている。縄は十分に長いので、首は締まらない。母親は椅子に座り、ロラと顔を見合わせる。

 ロラはアルバムを発表する歌手でもある。この作品でも1曲歌う。地声は女性にしては低く落ち着いた声なのだが、歌は地声よりもやや高めの声域で、ふわっと空気に声を乗せるような不思議な歌い方をする。歌い上げたりシャウトしたりはしない。歌詞は寓話めいた愛の追憶(サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」を思い出した)で、作品全体のうっすらとした非現実感に対応するものだった。

 最後に、ロラは母親役の服(薄いピンクのブラウスと茶色のスカート)を脱がせ、キモノ(例の浴衣)を着せ、その上に天使の羽を背負わせる。母親の服を自分が着込み、母親のメガネをかける。最初に登場したマットレスを自ら背負い、ガムテープで括り付ける。箱の床に散らばった薬箱の山を押しのけながら、箱の手前に出てくる。そこにリアルの母親の声が流れる。それはロラが幼いころ、自分の抗鬱剤を飲んでしまい、医者に連れて行くなど大騒ぎになったというエピソード。コーラを飲ませて吐かせたが、ロラはふだん親に禁止されているコーラがたっぷり飲めてうれしそうだったという。

【プログラム公式写真。photo: Lorena Fernandez、提供=KYOTO EXPERIMENT 禁無断転載】
【プログラム公式写真。photo: Lorena Fernandez、提供=KYOTO EXPERIMENT 禁無断転載】

 ロラはこの話の途中から母親の声を口パクする。母親の語りが終わったあと、ロラは言う。鬱病は遺伝する病だ。自分もいつか発症する可能性がある。それが自分にとってはアキレス(弱点という意味だろう)になるかもしれない、と。

 はっと胸を突かれるように感じたが、しかし全く意外なことではなかった。これまで論じてきたこの作品の性格自体が、ロラが母親の鬱傾向を引き継いでいることを表していたからだ。

 作品はリアルの母親の映像で終わる。母親は緑色のベンチに斜めに腰かけ、視線を下げて静かに歌を歌っていた。子守唄のような懐かしい調子の歌。その声はやはりロラに似ていた。
(26日午後5時の回)

◆「SHIYOUYO EXPERIMENT 2013 使われないプログラム」(番外編)

 最後に番外編として、公式プログラムどころかフリンジ参加企画でさえない劇団しようよの「SHOYOUYO EXPERIMENT 2013 使われないプログラム」を紹介して、私の報告を終えたい。

 劇団しようよは作家・演出家・俳優の大原渉平を中心とする団体。今回のSHIYOUYO EXPERIMENTはKYOTO EXPERIMENTとは公式の関係はないが、KYOTO EXPERIMENT の開催期間中ほぼ毎日、公演終了後に徒歩で見に行ける場所で路上パフォーマンスを敢行するというものだった。

 主要な演目である「希望的観測隊」を2回見た。2人の男の子が剣で戦っているのに女性2人が「夜明けのスキャット」で伴奏を着ける。そうかと思うと4人で電車みたいにつながって揺れながら「そうだったらいいのにな」と節をつけて歌う。大原が先頭の男の子に「最近いやらしいこと何かありましたか」と聞くと、男の子は「自転車に乗って、後ろに女の子が乗って……」と他愛のないことを言う。最後に大原がファンタの缶を思いっきり振って男の子に渡し、男の子が缶を開けて「ファンタ飲もう!」という。だいたいこんな話だった。

 路上なのでセリフが半分以上聞き取れないし、そもそも支離滅裂なようだ。が、ともかく大声で叫び、動く。一生懸命であることは伝わる。逆に言えばそれ以外は何も伝わらない。しかし、誰かが一生懸命に何かをしているところを見るのはそれだけでも楽しいので、最終日27日の夜などは四条烏丸の交差点に約20人もの人が集まって、暖かく見守っていた。

 パフォーマンスとして見れば課題は山積というところだろうが、それはさておき、毎日愚直にパフォーマンスを続け、KYOTO EXPERIMENTに絡もうとする。そんな人たちの存在は、KYOTO EXPERIMENT本体の盛り上げにもプラスだったのではないか。

 KYOTO EXPERIMENT 2013関係各位のご尽力に敬意を表し、しめくくりとします。今年も興味深い演目をありがとうございました。

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランドスタッフ。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。東京大学法学部卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。
・ワンダーランド寄稿一覧:
http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/

【上演記録】
KYOTO EXPERIMENT 2013

ロラ・アリアス「憂鬱とデモ」
京都芸術センター講堂(2013年10月25日‐27日)

脚本・演出:ロラ・アリアス
振付・共同演出:ルティアナ・アクーニャ
出演:エルヴィラ・オネト、ロラ・アリアス、マリオ・アイテル、ヴィンセンテ・フィロリッヨ、エルネスティナ・ルッジェロ、ノエリア・シクスト
ドラマトゥルク・制作:ソフィア・メディチ
制作協力:ルス・アルグランティ
音楽:ウリセス・コンティ
映像:ネレ・ウォーラッツ
ライブ映像:マルコス・メディチ
舞台美術:マリアナ・ティランッテ
衣裳:ソフィア・ベルアカ
照明・デザイン:マティアス・センドン
舞台監督・照明操作:グスタボ・コティク
共同製作:HAU Hebbel am Ufer、ウィーン芸術週間、Centro Cultural General San Martín主催:KYOTO EXPERIMENT
チケット料金
一般:前売 ¥3,500/当日 ¥4,000
ユース・学生:前売 ¥3,000/当日 ¥3,500
シニア:前売 ¥3,000/当日 ¥3,500
高校生以下:前売 ¥1,000/当日 ¥1,000

劇団しようよ「SHIYOUYO EXPERIMENT 2013 使われないプログラム」
市内各所(2013年9月27日‐10月27日)
プログラム一覧
◆メインプログラム
・『希望的観測隊』*新作
・『ガールズ、遠く』*2011年度作品
・『魔笛』*2012年度作品
すべて構成・演出:大原 渉平
◆フリンジ「期間劇団員の路上教習」
・『あなたに捧ぐレクイエム→REDRUM』構成・演出:西端 千晴
・『中央で分離したい』『中央で分離隊』構成・演出:立花 葛彦
◆オープンエントリー作品
・テルやん(from 大阪)
・虹色結社(from 京都)
・吉見拓哉(from 大阪)

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