◎若さと、かく乱のエネルギーと、真っ当さと
芦沢みどり(戯曲翻訳家)
劇団サーカス劇場・・・どこか郷愁を感じさせる蠱惑的な名前に惹かれて、雨の夕方、下高井戸の「不思議地底窟 青の奇蹟」へ出かけて行った。「隕石」は2001年に東京大学のキャンパスで旗揚げされたグループの14回目の公演だが、筆者はこれが初遭遇。
急な階段を地階へ降りて行くと、え、え、えー!これが劇場なの?何とも狭い空間だ。奥に畳が6枚敷かれた舞台があり、その手前には1列5、6人ほどの座布団席が2列とベンチが1脚。これで全てだ。早速ベンチ席を確保して左右に目をやると、ビリジアン色に塗られたテーブルらしきものが壁いっぱいに畳み込まれていて、見ていると海の底に迷い込んだ気分になる。たぶんこれを壁から外して広げれば、あら不思議。劇場がバーに、バーが劇場に早変わりする仕掛けなのだろう。超矮小空間を二通りに使い分ける悪魔的頭脳に感心してしまった。この壁が狭い空間に不思議な雰囲気を与えていた。
初見は第十一回公演『蠅男』(2001年10月)である。チラシが素敵だったのと、遊園地再生事業団の制作者だった永井有子が同ユニット活動休止中に制作をしていると聞いた劇団だったので、これはまちがいなかろうとスズナリに足を運んだのだ。結果は当たりで、正気と紙一重の狂気、現実と紙一重の虚無をシニックな笑いで包んだ傑作だった。虚無の深淵を垣間見せることのできる才能は少ない。それはたとえば作家でいうと深沢七郎とか色川武大らのことであり、才能というよりはむしろその実存に拠るところが大きい。赤堀雅秋はその種のひとなのだった。
流山児★事務所を特に追いかけているわけではない。が、批評を求められても何も出てこない再生産性ゼロの舞台も少なくない中、流山児★事務所の作品は企画自体が興味深く、こういう次第の作品を流山児がやる、と聞くと「見たい」と思うことが多い。「流山児★ザ新劇」と銘打たれた今回の作品もそんな調子で見に行った。
クロスレビューがスタートします。毎月1回をめどに考えていますが、どんな公演を選ぶかは機械的に決められません。時期的なズレが生じたときはご容赦ください。できるだけ演劇やダンスの幅と深みが期待できそうな公演、パフォーマンスの枠組みに触れる試みを見逃さないようにしたいと考えています。
MIKUNI YANAIHARA PROJECT*1「青ノ鳥」*2(吉祥寺シアター=9月24日マチネ)を観劇した。インターメディア・パフォーマンス集団、ニブロールを率いる振付家・ダンサーである矢内原美邦はそれ以外にも最近はoff nibrollなど別働隊的な公演を行うことでその活動範囲を広げている。そのうち「演劇を上演しよう」というプロジェクトがMIKUNI YANAIHARA PROJECT(ミクニヤナイハラプロジェクト)である。
観劇を終えて最初の感慨は、めんどうな作品を観てしまった、というものであった。
『the real thing』は、『ハムレット』の登場人物による不条理劇『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(1967年)の作者として知られるトム・ストッパードが1982年にロンドンで発表した作品である。日本では1986年に文学座で『リアルシング』のタイトルで上演されている。活発なことばのやりとりの中で虚実があいまいになっていく、いかにも一筋縄ではいかなそうな演劇的仕掛けに満ちた刺激的な作品だった。ことばによって幻惑されるスリリングな展開に観客も気を抜くことができない。
剣を交える2匹の鬼の姿に、ぎゅっと心をつかまれた。生まれつきの容姿によって、人間からつまはじきにされ、ひとりぼっちになった弟の唯一の支えは、兄だった。その兄に剣を向けなければならない自分との葛藤が、表情を涙でゆがませたのだろう。人間を忌み嫌う鬼と、共存を望む鬼。どちらにしても、悲劇をつくりだす背景には、差別に気づかず日々の生活を営む人間がいるのだ。舞台を観ながら、そんなことを思った。