遊園地再生事業団「ニュータウン入口」<クロスレビュー>

「ニュータウン入口」クロスレビューがスタートします。毎月1回をめどに考えていますが、どんな公演を選ぶかは機械的に決められません。時期的なズレが生じたときはご容赦ください。できるだけ演劇やダンスの幅と深みが期待できそうな公演、パフォーマンスの枠組みに触れる試みを見逃さないようにしたいと考えています。
最初に取り上げるのが遊園地再生事業団公演「ニュータウン入口 または私はいかにして心配するのをやめニュータウンを愛し土地の購入を決めたか」です。主宰の宮沢章夫さんは小説やエッセーも発表するなど幅広く活躍していますが、新たな公演を開くたびに注目される劇作家であり演出家です。これまで本メディアは長文の劇評を公演終了1ヵ月ほど後に掲載してきましたが、短文でもいち早く複数の執筆者の見方考え方を知りたいという声も聞いています。そこでこの企画を始めました。本文は400字。執筆者の5段階評価が付き、五つ星が満点です。
今回は急な企画になりました。これから走りながら追々、形を整えていくつもりです。不備があったらご容赦ください。クロスレビューは今後、原則として週刊マガジン・ワンダーランド臨時増刊号として発行し、その後webサイトwonderlandにも掲載します。執筆者のwonderland寄稿一覧ページへのリンクも付け加えました。掲載レビューは到着順です。

高木登(脚本家)
★★★★
『トーキョー・ボディ』で復活以降の遊園地再生事業団、すなわち宮沢章夫の作品を論じることはむずかしい。「語れない」ものばかりだからだ。物語は拡散し、意味は無意味化し、俳優の身体は映像化されてただの意味と化す。語ることも語られることも、およそ言葉というものを拒否しているかのような劇風に、いずれの作品を観ても途方に暮れるほかはない。けれどこれらの試みがつまらないかといえばそうではなく、わたしはむしろこの「どこへ行こうとしているのかわからない居心地の悪さ」をこそたのしんできた。本作もそれは変わらない。作中に情報は氾濫し、情報を伝達する手段も混在し、登場する人々の背景も関係も錯雑をきわめる。だがこの隘路の向こうには奇妙な開放感がある。その快楽の正体を突き止めるまでは宮沢章夫の次なる試みを待望しないわけにはいかない。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/takagi-noboru/

藤原央登(劇評ブログ『現在形の批評』主宰)
★★★★★
情報過多な都市にあっては差異なるもの、異質なるもの皆全て均質的に漂白され流通される。ニュータウンとは表層的な意匠を取り替えたもう一つの都市なるものに他ならない。プロジェクターに投影されるビデオカメラの映像は、人間力を総動員する演劇に均質的な視点を創るために必要となった。我々はフレームで切り取られた俳優のアップの顔を見、微妙に機械化された声を均質的に聞く。残像を残しながら回る映像トリックに想像力をも喚起される。ドキュメンタリーニュースのように事態を遠景に追いやってしまう映像と、今そこで話しながら撮影される生身の俳優との間には奇妙な浮遊感が生じることになる。少しの作為で簡単に観客を惹きつける映像と演劇はいかに拮抗し得るか。
内野儀と行ったアフタートークで、宮沢章夫は「東京」で演劇することの苦悩を正直に吐露していた。作品は、都市の気分に抗い演劇の独自性を獲得しようとする宮沢の苦悩と見合う。(9月26日観劇)
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/fujiwara-hisato/

片山幹生(早稲田大学非常勤講師)
★★
舞台美術や映像の使い方などの表現方法は洗練された独創があり、完成されたインスタレーション・アートを眺めているような舞台だった。俳優のせりふの口調や間の取り方、滑らかな動きと計算された立ち位置、使用する音楽の選択にも、長い期間をかけてじっくりと作品を作り上げた経過が反映されているように思えた。しかし作品全体の印象は、その外観の洗煉に反して、私にとってはきわめて退屈なものであり、劇場での時間の経過が実に長く感じられた公演だった。作品を構成する各エピソードの発するメッセージに深みが感じられず、しかもこうした各エピソードが連関してさらに大きなイメージを形成することに成功しているように思えなかった。断片的なイメージを統合し、説得力のある世界を形作る知的な体力を欠いた一人よがりの連想ゲームのような舞台であった。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katayama-mikio/

「ニュータウン入口」公演

「ニュータウン入口」公演
【写真は「ニュータウン入口」公演から。撮影=有賀傑 提供=遊園地再生事業団 禁無断転載】

森山直人(京都造形芸術大准教授)
★★★★★
少し立ち止まって考えれば、日本の各所に点在するニュータウンと、パレスチナ人を排除しつついまなお建設が進むイスラエルのユダヤ人入植地が、表面的によく似ていることくらいは誰でも思いつく。だが、そんな思いつきを鬼の首でもとったようにひけらかすような表面的なスペクタクルとは一線を画そうとする『ニュータウン入口』は、その類似を、「宮沢章夫」という視点=場所(locality)から、ある種の原理にまで遡り、反=演劇的なヴァイブレーションを誘発させることに成功している。おそらく今年度の日本の現代演劇作品におけるもっとも重要な一本であることは間違いないだろう。増殖する日本ダンス普及会の会員やカナン不動産の営業マンたちが、舞台やライブ映像のなかで露呈する「ねじれた弱い身体」や、若松武や杉浦千鶴子のような往年のアングラの名優たちが見せる「強い身体の空転」が、更地のままの分譲地を、観客の〈いま、ここ〉を、ここではないどこかへと接続する。そのどこかとは、おそらく戦場のようなどこかである。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/moriyama-naoto/

伊藤亜紗(ダンス批評)
★★
新しく分譲されたニュータウンを舞台に平気でウソをつく人たちがぞくぞくと出てくる話、として見た。(自分は住みたくない家を勧める不動産屋、出自を偽るレンタルビデオショップの店員イスメネ、ゴッドハンドの考古学者、理論派=踊らないダンス愛好会員…)。騙し騙されあうことによって人々はニュータウンというユーフォリアを生きることができる。まさに「演技」することによって虚構を生きるのだ、と。
なるほど。でも二枚舌は使い分けてこそ二枚舌なわけで、だからカメラに向かって「私はウソをついています」と開き直られても困る。そんなエラそうに自己分析できてしまったら、人生も役柄ももはやほどほどにしか演じれまい。ウソをつかざるを得ない必死さも滑稽さもなく、台詞はあっても人間はいないという感じでつかみ損ねたまま二時間半がすぎた。乗れなかった最大の理由はおそらく言葉への過信。最大のウソ、つまりこれが虚構であるというウソが「芝居は終わりだ」というたったの一言→素明かりの点灯という形で暴かれたらしかったが、もともと捨てているように見えたものを改めて捨てられても二重に引いてしまうだけだった。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ito-asa/

小林重幸(放送エンジニア)
★★★
「ニュータウンに土地を買う」ストーリの中に既存の演劇的成果を断片化して織り込んだのは、技巧的には面白い。元ネタを探し当てるナゾかけ的要素もマニア心をくすぐる。だが「演劇大百科事典」を演劇で構築するという、ある種の入れ子構造が、演劇の更なる発展に寄与するのかという点は、この芝居の思想の深さ、高い志しと完成度をもってしてもなお、大いに疑問である。「博物誌」的に記録機能を持たせるのは、演劇の「繰り返し鑑賞が不可能」というメディア特性を不利な方向で増幅していたように感じた。
物語の主眼に関して、かつての遊園地再生事業団が「土地の磁場」的な、『土地→地表上の事象』というベクトルが強かったのに対し、この芝居では『社会での事象→土地への影響』という逆向きのベクトルが強くなったのは注目すべきだろう。人(を含む事象)が何によって存在するかというリアリティの変化と捉えることができるような気がする。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kobayashi-shigeyuki/

堤広志(編集者/演劇・舞踊ジャーナリスト)
・戯曲    ★★★
・演出    ★★★
・演技    ★★★
・スタッフ  ★★★
・制作    ★★★
●総合評価 ★★★★
宮沢さんは、求心的にテーマを物語るストーリーテラーではない。現代人の営みを表象しながら異化して見せる作家だろう。時代意識を本能的に嗅ぎ分け、感覚的に斬っていく手つきを楽しむべきで、そのセンスは風刺や諧謔、コントやアチャラカに近い。私が空飛ぶ雲の上団五郎一座の結成をファシリテートしていた頃、宮沢さんにもお声がけしたら「『ちょっとだけ王子』というネタなら…」と言われた。王子が国民の願いを叶えようと聞いて回るものの、みな畏れ多くて簡単な仕事しか言い出せない。しかたなく「ちょっとだけ」手伝っていくというネタで、配役のイメージは平幹二郎さん。さすがにそれは不可能だろうと話は途切れた。あるいは有薗芳記さんと朴本早紀子さんの顔が似ているので、兄妹役にして舞台をやりたいといわれたこともある。アチャラカという名の遊園地を、劇場文化の中に再生する実験を事業としている、と考えれば理解しやすいのかもしれない。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tsutsumi-hiroshi/

木村覚(美学/ダンス批評)
★★
中流生活、ギリシア悲劇、ダンス論、アダルトビデオ(性の問題)、不動産業界、フリーター、格差社会、、、と何でも取り出してきてはかなり乱暴にカット&ペースト。その際、個々のディテールにはフォロー僅少。時代設定不明。この手つきは90年代的でも00年代的でも(例えば、スーパーフラット的ハイ/ローの平等化でもマイクロポップ的マイナーな創造でも)なくあくまでも80年代的遊戯に映る。ずたずたになり混乱した筋、切れ切れな放物線からかすかに立ち 上ってくるのは、宮沢の社会派な身振り。終幕手前の「芝居はおしまい だ」なる叫びが仮にベケット的不在に繋がる表現だとして、気になった のは、その廃墟に手だてなしに立ちすくむ身振りに(また、最後に突然 とってつけたように中東の映像を流す身振りに)ある種のヒロイズムが 漂いだすところ。ポスト演劇的方法論を競い合ういまの日本演劇の状況 を鑑みるなら、そこに古さというか曖昧さを感じないわけにはいかない。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kimura-satoru/

小澤英実(東京学芸大学専任講師)
★★★
あらゆるものが外部からの引用で構築され、舞台上で何かが<生起する運動>がつねに、それを徹底的に<解体しようとする運動>と衝突する。過剰なまでの引用で成立する舞台はハイパーリアルというかシュミラークルのようでもあり、ひとつの演劇実験として刺激的だった。『トーキョー・ボディ』以降の宮沢作品には、混迷・模索の途上といった印象を受けてきたが、作品ごとにそれが徐々にクリアになり、明確な方向性を見せ始め、完成されているのがこの作品でも感じられた。
今回上演として提示されていた建築物と身体を対比する宮沢の演劇論(『演劇は道具だ』四章)は面白く、宮沢が日本において演劇と真摯に格闘する「考える演劇」の数少ない実践者であることを寿ぐと同時に、やはり観客のコミットメント(舞台が要求する同程度の知を、観客はいかにして所持するのかという点も含む)への配慮が今後の課題になると思えた。(11月16日評価修正)
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ozawa-hidemi/

北嶋孝(本誌編集長)
★★★
遊園地再生事業団「ヒネミ」公演は初演、再演とも記憶に残る舞台だった。地図を手がかりに消えた町を次第に掘り起こすスリル。最後にたどり着く一点を言わんがために、数多くのエピソードを散りばめて森の闇をさまよう物語手法。80年代の泡立ちの底に沈んでいた記憶の静謐なたたずまいはゾクッとするほど鮮やかで、構成は熟達の域に達していた。
しかしそこから放浪の旅が始まった。方法論へのこだわりと映像や身体への関心がクロスし、芝居は実験の陳列場となった。今回の作品はその旅の途上に現れた踊り場ではないだろうか。どこでもない建設予定地から具体的な地名を持った記憶の層が掘り出される。スクリーンによって時間と空間が分け隔てられ、映像によってシャッフルされる。それらが危うい均衡の上に配置されている。
宮沢は筋肉を鍛えるというより、関節を自在に脱臼するイメージがふさわしい。茶目っ気があってかつ勤勉である。鵺のような消費社会と対峙する知的資質だろうか。これからも目が離せない。評価は三つ星とした。ここが踊り場かつ里程標という意味である。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kitajima-takashi/
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド臨時増刊号、2007年10月11日発行。購読は登録ページから)

【上演記録】
遊園地再生事業団#16「ニュータウン入口 または私はいかにして心配するのをやめニュータウンを愛し土地の購入を決めたか
シアタートラム(2007年9月21日-30日)

作・演出:宮沢章夫
出演:
若松武史
齋藤庸介
佐藤拓道
鎮西猛
鄭亜美
時田光洋
南波典子
二反田幸平
橋本和加子
三科喜代
山縣太一
杉浦千鶴子
上村聡・田中夢(遊園地再生事業団)

スタッフ
舞台監督:海老沢栄
照明:斎藤茂男
音響:半田充(MMS)
舞台美術:大泉七奈子
衣装:岩倉めぐみ
映像:今野裕一郎・井上真喜・岸建太朗
舞監助手:鈴木拓
照明オペレーター:横原由祐
演出助手:斎藤久雄・大地泰仁
宣伝美術:斉藤いづみ
宣伝写真:有賀傑
web制作:相馬称
制作:永井有子
製作:(有)ウクレレ

★アフタートーク
[1]=内野儀氏 9月26日(水)
[2]=三浦大輔氏(ポツドール) 9月27日(木)
[3]=若松武史氏 9月28日(金)
[4]=鈴木慶一氏(ムーンライダース) 9月29日(土)

チケット料金:
全席指定席一般(前売・当日共)¥4,500 学割(前売・当日共)¥4,200

■ プレビュー (1)「リーディング公演」
会場:森下スタジオC(2007年4月20日-22日)
■ プレビュー (2)「準備公演」
会場:森下スタジオC(2007年6月29日-7月1日)


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