猥雑な『天保十二年のシェイクスピア』

舞台の途中で拍手が起こり、休憩前にも拍手があって、と観客席が沸(わ)いた『天保十二年のシェイクスピア』。文字通り、シェイクスピアの作品を江戸期のバクチ打ちの日常に移し換え、ことば遊びも巧妙に盛り込んだ井上ひさしの妙味と、 … “猥雑な『天保十二年のシェイクスピア』” の続きを読む

舞台の途中で拍手が起こり、休憩前にも拍手があって、と観客席が沸(わ)いた『天保十二年のシェイクスピア』。文字通り、シェイクスピアの作品を江戸期のバクチ打ちの日常に移し換え、ことば遊びも巧妙に盛り込んだ井上ひさしの妙味と、華美な演出から一転して今回は猥雑(わいざつ)さを前面に打ち出した蜷川の手腕が、エンターテイメント性の高い喜劇を生んだ。もしもシェイクスピアがいなかったら、で始まる歌を聴きながら、『ロミオとジュリエット』で商業演劇に転身することになった蜷川は、もし歌詞通りだったら今ごろどうなっていただろうか、という想像も働いて、奇縁を不思議がり、偶然の「産物」を享受した。

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世田谷パブリックシアター「敦 ー山月記・名人伝ー」

はじめまして。このたび執筆陣に加えていただきました、今井克佳と申します。若々しい才能に混じって稚拙なレビューをご紹介するのに忸怩たる思いもありますが、せっかくのお誘いを光栄に思い、参加させていただきました。私が足を運んで … “世田谷パブリックシアター「敦 ー山月記・名人伝ー」” の続きを読む

はじめまして。このたび執筆陣に加えていただきました、今井克佳と申します。若々しい才能に混じって稚拙なレビューをご紹介するのに忸怩たる思いもありますが、せっかくのお誘いを光栄に思い、参加させていただきました。私が足を運んでいる演劇は、いわゆる「小劇場」とは若干ずれており、公共劇場の演目などが多くなると思いますが、もちろん「小劇場」にも時には足を運んでおります。基本的にレビュー掲載は自前のブログ「Somethig So Right 東京舞台巡礼記」の記事へのリンクとしたいと思います。私の作法として、リードの後に観劇日と上演時間を大まかに記し、そこから後はいわゆる「ネタバレ」の記述となっております。その点、ご了解のうえ、ご覧いただければと思います。

まずは、世田谷パブリックシアター「敦 ー山月記・名人伝ー」 について書きましたので、お読みいただければ幸いです。

ポツドール「ニセS高原から」

こちらにアップするのが遅くなってしまいました。 今回初めて見たポツドールの芝居、三条会とは対照的に 「平田オリザの『S高原から』を見てから見たかった」 と思わせる舞台でした。 評判通りのセンスを感じましたが、あまりに評判 … “ポツドール「ニセS高原から」” の続きを読む

こちらにアップするのが遅くなってしまいました。
今回初めて見たポツドールの芝居、三条会とは対照的に
「平田オリザの『S高原から』を見てから見たかった」
と思わせる舞台でした。
評判通りのセンスを感じましたが、あまりに評判どおり過ぎてありがちな評になってしまったのが個人的には悔やまれます。見た人には伝わるだろうけど、それだけじゃなんだか。

 おはしょり稽古より「世界はせまい 世界は同じ」

tpt「道成寺一幕」

 「没後35年、世界につながる三島」-。こんなキャッチコピーでtpt が三島由紀夫の「道成寺」を取り上げました。Webサイトには「ヨーロッパの都市で挑発的な演劇活動を続けている気鋭のドイツ人演出家が、三島由紀夫没後35年 … “tpt「道成寺一幕」” の続きを読む

 「没後35年、世界につながる三島」-。こんなキャッチコピーでtpt が三島由紀夫の「道成寺」を取り上げました。Webサイトには「ヨーロッパの都市で挑発的な演劇活動を続けている気鋭のドイツ人演出家が、三島由紀夫没後35年の2005年東京で“末世の意識をひそめた”この戯曲の変幻自在性を探る」と書かれています。その「気鋭のドイツ人」はトーマス・オリヴァー・ニ-ハウス。2003年、ボート・シュトラウスの「時間ト部屋」でtpt に初登場した演出家です。

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再見 『戯曲 赤い月』

『赤い月』にこだわっているわけではない。観劇したのが初日であったのと、座席が舞台から離れていたのが、しばらく気になっていた。主演の平淑恵の演技を評価しなかった、というのも頭から離れず、もう一度、観劇することにした。自らの … “再見 『戯曲 赤い月』” の続きを読む

『赤い月』にこだわっているわけではない。観劇したのが初日であったのと、座席が舞台から離れていたのが、しばらく気になっていた。主演の平淑恵の演技を評価しなかった、というのも頭から離れず、もう一度、観劇することにした。自らの観劇姿勢を問う、という試みでもある。

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蜻蛉玉「ニセS高原から」

わたしの『ニセS高原から』観劇一発目は蜻蛉玉。 本家の「S高原から」をみていない私にとっては、この作品をベースとして 他の作品をみていくことになるわけだが、実はフルで男女キャストを 書き換えていたことに終演まで気付かなか … “蜻蛉玉「ニセS高原から」” の続きを読む

わたしの『ニセS高原から』観劇一発目は蜻蛉玉。
本家の「S高原から」をみていない私にとっては、この作品をベースとして
他の作品をみていくことになるわけだが、実はフルで男女キャストを
書き換えていたことに終演まで気付かなかった。

違和感を感じないままに、恋人たちの会話のやりとりに見入っていた、
これは演出家の方にとっては 「してやったり!」という感じだろうか。
蜻蛉玉の演出の島林さんは、わたしとそんなに歳のかわらない女性の方だ。

瞬時に「これは!」と目が冴えるような演出ではないけれど、
じわじわと歪みが空気ににじんで広がるような舞台に翻弄された1時間50分。

以下「女子大生カンゲキノススメ」をご覧ください。

三条会『ニセS高原から』

 三条会の舞台から伝わってくるものは、身体の力強さと言葉の重量感、そして何よりも演出という意図が持つ意味の権力だ。それらが舞台空間の中に満遍なく、拡張しようとする意思と共に埋め込まれている。その彼らがこの度対峙した作品は … “三条会『ニセS高原から』” の続きを読む

 三条会の舞台から伝わってくるものは、身体の力強さと言葉の重量感、そして何よりも演出という意図が持つ意味の権力だ。それらが舞台空間の中に満遍なく、拡張しようとする意思と共に埋め込まれている。その彼らがこの度対峙した作品は、敢えてプラマイゼロの地点に佇もうとする平田オリザの作品「S高原から」である。この本の演出に際して三条会は、徐に反旗を翻すと、1時間弱という時間を懸けて盛大に戦いを挑んでいったのだ。
 その時間は私には大変に心地の良いものであった。何故なら、そこには「S高原から」という脚本への愛と平田オリザという演出家への尊敬の念が満ちていたからだ。さもなくば、このような大胆不敵な二次創作は不可能であっただろうし、演出という意図が齎す表現の創造性に酔いしれる瞬間も訪れなかっただろう。
 最後の一瞬で「ニセS高原から」は原版「S高原から」へと浸透していく。その光景は、2つの意図が生む結晶であり、暗闇の中に表現の楽園を見る思いだった。私は裏返る舞台という演出家の意図に感じるべき感情を見失ったのだった。

草稿は「デジログからあなろぐ」をご覧ください。

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ヒンドゥー五千回「メキシコの犬」

 ヒンドゥー五千回第14回公演「メキシコの犬」が東京・下北沢のOFFOFFシアターで開かれました(8月18日-28日)。いつも遅れ遅れの紹介ですが、どんな芝居かと言われてもストーリーを明確に示すことがこの劇団のねらいでは … “ヒンドゥー五千回「メキシコの犬」” の続きを読む

 ヒンドゥー五千回第14回公演「メキシコの犬」が東京・下北沢のOFFOFFシアターで開かれました(8月18日-28日)。いつも遅れ遅れの紹介ですが、どんな芝居かと言われてもストーリーを明確に示すことがこの劇団のねらいではないようなので、まともに筋書きは追いにくいのではないでしょうか。

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シス・カンパニー『エドモンド』

青山円形劇場で長塚圭史演出の『エドモンド』が上演されています。シカゴでの初演では賛否両論を巻き起こしたという台本の内容もさることながら、八名の個性豊かな役者によって重みのある舞台となっています。以下「女子大生カンゲキノス … “シス・カンパニー『エドモンド』” の続きを読む

青山円形劇場で長塚圭史演出の『エドモンド』が上演されています。シカゴでの初演では賛否両論を巻き起こしたという台本の内容もさることながら、八名の個性豊かな役者によって重みのある舞台となっています。以下「女子大生カンゲキノススメ」サイトにレビューをUPします。

劇団健康「トーキョーあたり」

 12年前に第14回公演を最後に解散した劇団が久方ぶりに第15回公演を開く-と聞けば、ナンでやーとなって当然ですが、ケラリーノ・サンドロヴィッチは小うるさいことが嫌いらしい。公演ページの冒頭に「注意(観に来ないでいい人リ … “劇団健康「トーキョーあたり」” の続きを読む

 12年前に第14回公演を最後に解散した劇団が久方ぶりに第15回公演を開く-と聞けば、ナンでやーとなって当然ですが、ケラリーノ・サンドロヴィッチは小うるさいことが嫌いらしい。公演ページの冒頭に「注意(観に来ないでいい人リスト)」を掲げ、最初に「12年振りに第15回公演をやることについて、異論がある者は観に来ないでよろしい」と言い切っています。以下「テーマとかなきゃやだとか、泣けなきゃやだとか、お話がわからないと具合が悪くなるそして具合が悪くなるのはやだとか、そんな文句を言う人はやだ。来ないでよろしい」などと続きます。ニヤリと笑って済ますのが流儀でしょうか。

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