◎図らずも裏切る強度と悪意を 「町づくり」参加アーチストに望む
水牛健太郎(評論家)
電車の通路に、5人の人物がほぼ等間隔で立っている。電車が東急蒲田駅を出るや、5人は、揺れるような緩い動きをはじめる。体をねじったり、手を振ったりする。やがて、ある一人の動きが、隣の人に連動しているのが分かってくる。しかしそれは、連動しているかのような、していないかのような伝わり方だ。時には一人間を置いて連動したり、まったく連動しなかったりもする。緩やかな関係性。遊び続ける体。電車は矢口渡、武蔵新田、下丸子、と進んでいく。駅に停車すると、窓から見えるホームでは、親子連れやカップルが不思議そうな顔で見ている。しかし、扉は開かないので、彼らの世界とこちらの世界は通じ合うことがない。
一九六八年十二月、東京都府中市で白バイ警官を装った男に約三億円を運んでいた現金輸送車が奪取された三億円事件。七年後の公訴時効を経て今に至るまで事件の真相は明らかになっておらず、現在の数十億円に相当する被害金額の大きさ、手口の鮮やかさもあって、多くの人の想像力を刺激してきた。
「ふざけた社会派」を標榜するチャリT企画。「社会派」を大真面目に掲げる方が怪しい、どこか信用できないという時代が八〇年代この方、続いてきた。主宰の楢原拓はまさにその時代の子であり、開演前に八〇年代アイドル歌謡を大音響でかけるスタイル同様、「ふざけた社会派」の「ふざけた」という部分に、楢原が完全に真剣であることが逆説的に表現されていた。
「私はどこにでもいる他の誰かと変わらないありふれた存在だ」という感覚は、誰でも感じられることのように思える。これを仮に「交換可能性」と呼ぶ。また、「私はただ一人であり、他人もそれぞれ唯一の存在だ」という感覚も誰でも感じるであろう。これを「単独性」と呼ぶ。この二つは相反する概念のようでありながら、演劇においては実はあまり矛盾しないかもしれない。
「この人、痴漢です!」
「『玉勝間』という本の中にあるんですがね。「考える」の「か」は発語です。何も意味がない添えた言葉です。とすれば「考える」は「むかえる」だ、と言うんです。「むかえる」の「む」は「身」です。身はこの身体です、自分の体です。そして「かえる」の古語は「かう」です。「かう」って言葉は交わるって意味でしょ。だから「考える」とは、自分の身が何かと交わるってことなんです。」
Port Bの「ツアー・パフォーマンス」第3弾、『サンシャイン62』である。一昨年の『一方通行路 ~サルタヒコへの旅』では巣鴨地蔵通り商店街を、昨年の『東京/オリンピック』では「はとバス」で新旧東京の様々な “戦場”を旅した。今回は、メトロ東池袋駅の上にある劇場「あうるすぽっと」から5人一組で出発し、地図とタイムスケジュールに従って池袋サンシャイン60ビル周辺に散在するポイントを移動、再び出発点に戻ってくるという手筈である。
開幕前、舞台は白い布で覆われている。女性とスーツを着た男性がいて、どちらも客席案内のスタッフだと思っていたら、男性の様子が少し変である。不自然にからだを傾け、ゆらゆらと動く。これは登場人物の一人で、既にお芝居が始まっているらしい。
岡田利規は政治的な劇作家である。彼は、前作「エンジョイ」を「プロレタリアート演劇」と称して憚らなかったし(