多摩川アートラインプロジエクト実行委員会「多摩川劇場」

◎図らずも裏切る強度と悪意を 「町づくり」参加アーチストに望む
水牛健太郎(評論家)

多摩川アートラインプロジエクトチラシ電車の通路に、5人の人物がほぼ等間隔で立っている。電車が東急蒲田駅を出るや、5人は、揺れるような緩い動きをはじめる。体をねじったり、手を振ったりする。やがて、ある一人の動きが、隣の人に連動しているのが分かってくる。しかしそれは、連動しているかのような、していないかのような伝わり方だ。時には一人間を置いて連動したり、まったく連動しなかったりもする。緩やかな関係性。遊び続ける体。電車は矢口渡、武蔵新田、下丸子、と進んでいく。駅に停車すると、窓から見えるホームでは、親子連れやカップルが不思議そうな顔で見ている。しかし、扉は開かないので、彼らの世界とこちらの世界は通じ合うことがない。

5人のパフォーマーたちはやがて通路に寝転んだり、飛び上がって回ったりする。駅が終点の多摩川駅に滑り込むと、パフォーマーたちはお互いに近づき、軽く触れ合い、肩に頭を預けあう。柔らかな空気が漂いだす。そこで「ここまでです。リハーサルですので」と声がして、ゲネプロは終わった(山下残・振付、演出「会話レス、電車音」)。

この「多摩川劇場」は蒲田発の電車の中で行われるので、多摩川から再び電車に乗り、蒲田に引き返さなければならない。その間、窓から沿線の景色を見る。

この日午前中に行った、多摩川駅の近くの「田園調布せせらぎ公園」には、この「多摩川アートラインプロジェクト」の一環としていくつかの屋外アートが展示されていた。ふんだんに木が植えられ、適度に起伏があり、休憩所なども完備した、居心地のいい公園だ。高いフェンスがあり、夕方には扉が閉められてしまうので、治安上も安心である。秋の休日、そこを歩く人たちは、みな豊かで洗練されているように見えた。

その多摩川から電車に乗ると、武蔵新田に近づくあたりで徐々に風景が変わってくる。青いトタンの壁。モルタルのアパートや町工場。駅前の小さな純喫茶やスナック。古めかしい看板を掲げた不動産屋。町なみの切れ目から、線路に平行して走っている、やたらと幅の広い工業道路が見え隠れする。下町の風景。やがて電車は蒲田駅に近づく。線路がきしみ、ゆっくりと入っていく。

柴幸男作・演出「川のある町に住んでいた」から
【写真は「多摩川劇場」公演(柴幸男作・演出「川のある町に住んでいた」)から。 撮影=ワンダーランド】

ゲネプロの前に、蒲田駅の東口に行ってみた。駅前ロータリーには、銀色に輝く巨大なオブジェがある。3つの流線型が、天へと伸びる勢いを象徴している、という。その合間に見えるのは、5階建ての薄汚れたビルの並びと、消費者金融、パチンコ店、マンガ喫茶の看板。

同じロータリーには、大きな歯車を担いだ、裸体の男性のブロンズ像がある。ソビエト風の意匠とこびりついた緑青が時代を物語る。台座に「躍進工業蒲田」と浮き彫りになっている。蒲田は京浜工業地帯の一角に位置し、町工場の集積地である。巨大なメーカーに部品を供給する、多くは従業員十人以下の町工場が、日本資本主義の足腰を支えている。その中には、世界でそこだけという独自技術を持つ会社もあるが、ほとんどの町工場は世界的な競争激化の中で、業績不振や後継者不足に悩む。そのためだろう、蒲田の町もくすんで元気がない。

蒲田駅近くの大田区役所に行く。アートラインプロジェクトの一環として、区役所で地域の音を題材にしたサウンドインスタレーションが行われていると書いてあった。大きなハコ型の庁舎の周囲を回る。人通りも少なく、寂しい場所。休日だから一層だ。インスタレーションがどこにあるのかは分からなかった。正面玄関のガラスには「ここは寝泊りする場所ではありません 庁舎管理者」という張り紙が張られていた。

この蒲田の町と、「多摩川アートラインプロジェクト」はどういう関係にあるのだろう。たぶん、何も関係がない。そんな催し物があることはほとんど誰も知らないし、知ったとしても、自分と何か関係があることだとは思わないだろう。ただ電車が発車するだけ。よそから来た演劇ファンが乗った電車が。終点まで扉が開かない、カプセルみたいな電車が。

本番では先ほどと違うパフォーマンスを見た(中野成樹・作、演出「欲望という名の電車をラップにしようとする男の害について」)。金髪のオバサンに扮した男性の役者が電車の通路でパンを食べ、ぶつぶつ何か言っている。町でたまに見かける危ない人のようす。そこに、フードの付いたジャージを来た若い男が絡み、やがてラップ合戦に発展していく。観客やスタッフの笑いが弾ける。多摩川駅に着くと、先ほど見たパフォーマンスの5人が、駅に着いてもまだパフォーマンスを続けている。やがて駅の階段をゆらゆら揺れながら上っていく。その姿を追いかけて、改札まで見送った。

この催し物の舞台である多摩川線を経営する東急、正式には東京急行電鉄株式会社は、2007年度の売上高が1兆3729億円、これはJR東日本、JR東海に次ぎ、いわゆる民鉄系では日本最大の事業規模を誇る鉄道会社である。しかしその営業キロ数は102.9キロに過ぎず、近鉄、名鉄、東武などの4~5分の1である。線路はごく短いにも関わらず、巨大な事業規模となっているのは、不動産や小売などの複合ビジネスを展開しているからだ。

中でも沿線開発の巧みさは他に例がない。高級住宅街の代名詞である田園調布の開発に端を発し、TVドラマの舞台として知られたたまプラーザ、最近では二子玉川など、東急はいつの時代も話題になる街を生み出すことに成功している。魅力的な町づくりで沿線の地価を高め、不動産事業で開発したマンションや宅地を売り出すことで収益を上げる。これが東急電鉄グループのビジネスモデルである。

今回「多摩川アートライン」が催された多摩川線は、東急の路線としては地味な方だと言える。路線も短いし、何よりも終点が蒲田である。しかし、東急電鉄の戦略を考えたとき、「アートライン」が持つ意味合いははっきりしてくる。

「アート」によって町のイメージが変わるということがある。際立った例はニューヨークのソーホー地区だろう。元々は寂れた倉庫街だったが、その巨大な空き倉庫をアトリエとして転用したアーティストが住み着き、徐々に最先端の刺激的な町と見られるようになる。レストランやカフェが開店し、やがてはブランドショップが進出。すっかりファッションタウンに生まれ変わる。このころになると若手アーティストは家賃の上昇を嫌って郊外に逃げ出し、そこに新たなアートタウンが生まれる。ニューヨークは、これまでにこのサイクルを2~3回繰り返している。

そこから誰か知恵モノが思いついたのだろうが、最近ではアートを意識的に導入することによって、町のイメージを変える試みが、あちこちの町の行政や資本によって試みられている。「多摩川アートライン」がその一つであることは間違いない。もちろん即効性を期待してはいない。多摩川線のどこが「アートライン」なのか、現時点ではちゃんちゃらおかしい。しかし、10年、20年と繰り返されればそれも真実になる。イメージが徐々に変わり、沿線の平均所得が上がる。結果として、沿線の再開発や商業施設の運営で大きな利益を東急にもたらすかもしれない。

もちろん、現時点では可能性に過ぎない。企業の社会貢献という意味合いを否定するつもりもない。しかし、沿線開発のプロである1兆円企業・東急電鉄が、ただの善意でアートに金を出していると考えるのは素朴すぎる。

演劇やパフォーマンスの作り手にとって、そんなことどうでもいいと思うかもしれない。経済的には恵まれない中で創作と上演を続けてきている、金が出るならどこにでも行きたいという現実もあるだろう。やがて地価が上がれば、行政は税収が上がり、企業も儲かる。その上、自分たちにまで仕事とお金が来る。誰も損しないじゃないか、そんな考え方もある。

しかし、演劇やパフォーマンスが「おしゃれな町」を演出するアクセサリーに過ぎないのなら、そんなものには何の意味もないし、少なくとも私は、わざわざ見る気もしない。もっと根本的なもの。もっと凄いもの。もっと大切なもの。そう思うからこそ、金も払えば時間も使っている。

呼ばれたところに行って、お金だって受け取ればいい。それが悪いとは言わない。ただ、アクセサリーにはなって欲しくない。自分たちのやっていることを否定することになるから。だから、主催者の意図を図らずも裏切ってしまうような、強度と悪意が欲しい。「町づくり」とやらに参加する作り手に願うのはそれだけだ。

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。そのほか村上龍主宰の「ジャパン・メール・メディア(JMM)」などで経済評論も手がけている。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/

【上演記録】
多摩川アートラインプロジエクト実行委員会「多摩川劇場」
・パフォーマンス「多摩川劇場」(11月2日-3日、14時蒲田発)
会場:多摩川線電車内、他
参加作家:山下残、中野成樹、柴幸男

山下残 『会話レス、電車音』
振付・演出:山下残
出演:赤木はるか、岡田智代、河村篤則、辻田 暁、山縣太一(五十音順)

中野成樹 『欲望という名の電車をラップにしようとする男の害について』
作:中野成樹、ゴウタケヒロ
出演:YOUNG MC、TAKE-5

柴幸男『川のある町に住んでいた』
作・演出:柴幸男
出演: 宇田川千珠子(青年団)、黒川深雪(InnocentSphere/toi)、鯉和鮎美、斎藤淳子、菅原直樹、武谷公雄、藤 一平(五十音順)

制作:佐藤泰紀(STスポット)
舞台監督:原口佳子
進行アシスタント:高須賀千江子、安田裕美、横内里穂

定員:各回150名
入場方法:当日11時より、多摩川駅インフォメーションブースで整理券を発行。
※定員になり次第閉め切り。
※乗車には必ず整理券及び乗車券(蒲田駅→多摩川駅)が必要。

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