演劇集団円「田中さんの青空」

◎青空よ、広がれ 一人芝居の功罪
因幡屋きよ子(因幡屋通信発行人)

「田中さんの青空」公演チラシ「この人、痴漢です!」
暗闇を引き裂くように女の声が響く。明かりがつくと、なぜかテーブルの上に若い女性(一人目の女/乙倉遥)がからだをねじ曲げて立っている。混雑した通勤電車の中で、誰かに触られたらしい。その犯人を逃がすまいと必死になっているのである。彼女以外は誰も登場しない。一人芝居である。土屋理敬の新作『田中さんの青空』は、冒頭から予想がつかなくなった。

土屋理敬の舞台を初めてみたのは、二〇〇二年ステージ円オープニング公演『栗原課長の秘密基地』(松井範雄演出)である。以前にNHK FM放送の芸術ジャーナルで演劇評論家の村井健氏が『そして、飯島君しかいなくなった』(松井範雄演出 二〇〇〇年沼袋のステージ円で上演)を絶賛していたことが記憶にあったので、新作の上演を知ってすぐにチケットを予約した。『栗原課長-』の上演とどちらが先かは記憶にないのだが、NHKテントシアターで上演の『飯島君-』がテレビ放送されたものをみることができ、いずれも強く心に残った。続いて二〇〇三年『光の中の小林くん』(森新太郎演出 ステージ円)、二〇〇五年『梅津さんの穴を埋める』(演出も土屋が担当 ステージ円)をみたのちの、今回の『田中さんの青空』となった。
「田中さんの青空」公演1 撮影=宮内勝どの舞台も少し特殊な設定である。主旨のよくわからない会合、超有名私立幼稚園の面接、受賞者がなかなか決まらない文学賞の表彰式、キッチンの床が崩落して身動きできなくなった家族など。そこで交わされるやりとりは、はじめこそ笑いの多い日常会話だが、何かの拍子に重く鋭い変化球になって、登場人物はもちろん、客席の自分にまで迫ってくる。ごく普通にみえていた人々が、想像もできないほどの複雑で重たい現実を背負っており、話が進むにつれて解決に向かうどころか、さらに辛い状況に追い込まれ、解決を見ずに終わってしまう。人々の日々はなおも続くのである。
そうか、こういう話だったのか!「どんでん返し」と括れず、「謎解き」を楽しむには内容が重すぎる。さらにこの現実を人々がどう受け入れ、折り合いをつけていくのかと考えると、少々大げさな言い方になるが、絶望的な気分になるのである。いったいあの人たちは、どうやって生きていくのだろう?

さて今回の『田中さんの青空』は、「五人の女優による一人芝居」と銘打ってあり、自分がこれまでみた土屋作品とは趣きが異なる。痴漢告発の一人目に始まり、スーパーの事務室で万引きの取り調べを受ける二人目(山乃廣美)、ファミリーレストランでおしゃべりの止まらない三人目(林真里花)、初めての出産を控えて不安におののく四人目(馬渡亜樹)と、四人の女性たちの生態が一人芝居形式で描かれる。一見それらはバラバラで何のつながりもないようだが、彼女たちの話にはいずれも「田中さん」という女性が登場し、それぞれ何かしらの影響を受けているらしいのである。そして五人目に登場する「田中さん」とおぼしき初老の女性(片岡静香)は、友人たちとカラオケルームに陣取り、マイクを離さない。いったい「田中さん」とは誰、彼女たちの関係は何?

舞台には大きなテーブルのみ、それが電車や産婦人科の診察台、ファミリーレストランや事務所のデスク、カラオケルームになる。空間がすべて異なるのである。しかも五人の女性たちの話は二十年近い年月の流れの中にあり、それが行ったり来たりする。
展開がたやすく読めないところはこれまでの作品と変らないが、本作の大きな特徴は一人芝居形式をとった点である。一人芝居の醍醐味は、一人が複数の人物を自在に演じ分けたり、その場にいない人物までも舞台上に生き生きと描き出すさまをみるところにある。演じる俳優の個性やそれまでの経験、俳優本人の人生までもすべてを注ぎ込むほどの気迫は、舞台でなければ味わえない。しかし俳優の存在が前面に出過ぎて、演技が巧みであればあるほど俳優の独壇場になって鼻につく場合もある。戯曲の書き手、演じての力量もさることながら、なぜこの話をこの俳優で一人芝居にするのかという必然性が伝わってこない舞台は、みるのが辛い。

「田中さんの青空」2
「田中さんの青空」3

「田中さんの青空」4
【写真は「田中さんの青空」公演から。撮影=宮内勝 提供=演劇集団円】

当日リーフレット掲載の森新太郎の挨拶文によれば、今回五人の女優さんたちは、一人芝居形式であることに非常に驚き、稽古では大変苦しんだそうである。少し不思議に思った。一人芝居をやれるということは、俳優として力量があると認められたからであり、共演者に左右されず演技できるのだから、もっと喜んでいいはずなのにと。
『田中さんの青空』の一人芝居のあいだじゅう、何とも言えない居心地の悪さがあったことを思い出す。万引き取り調べの山乃廣美には比較的余裕が感じられたが、皆いささか演技のテンションが高く、これまで自分がみてきたいわゆる一人芝居に比べると不自然で不自由でぎこちなく、場面によってはわざとらしいくらい嘘っぽく感じられるときもあった。あらま、一人芝居の短所ばかりではないか。客席からは笑いが起こっていたが、いつもの土屋作品に比べれば随分静かであったし、自分は先が読めない不安と、五人の女優さんたちのぎこちない一人芝居にいささか「引いて」しまって笑えなかった。
「田中さんの青空」公演5 撮影=宮内勝年齢や背景は違っても皆孤独で、自分の人生をみずから生きにくくしてしまっているような女性たちである。彼女たちの孤独や、周囲との違和感を表現するための一人芝居ではないだろうか。土屋自身、当日リーフレットの挨拶文に「舞台に一人しかいないという不自由さを逆手に取れば…」と書いている。これは一人目から四人目までの女性たちと、五人目の「田中さん」とは、同じ一人芝居でも様相が異なるところにも示されている。舞台にいるのは一人でも周囲に他の人がいて、会話をしていることがわかる作りは同じだが、カラオケボックスのパーティルームで賑やかに歌う田中さんは、実はたった一人で広い部屋を使っており、グループ客が来たために個室に追いやられる。田中さんは、まさに現実の日常生活で一人芝居を演じていたのである。
舞台の一人芝居は受け入れられても、現実の一人芝居は異様である。舞台形式としての一人芝居の功罪を、土屋はこのような形で鮮やかに示したと考える。女優さんたちの演技がぎこちなくみえたのは、演技が未熟なのではなく、『田中さんの青空』という作品が、まさにそのぎこちなさや不自然さ必要としていることと、女優さんたちがいずれも奥ゆかしい方々であるからだと察する。これが「一人芝居、待ってました!」と張り切るタイプであったら、本作は違うものになっていたかもしれない。

五人の女性たちが、パズルの最後の一ピースがパチリとはまったようにつながったとき、「わかったぞ!」という喜びよりも、ぞっとするような寂寥感に襲われた。女性たちの人生の、何という寂しさ。本作には男性も二人登場する(大竹周作 上杉陽一)。この二人は舞台上手と下手に分かれてはいるものの会話をする場面があり、同じ時空間に存在していると思われたが、終盤それすらも違うことが示され、自分の心はいよいよ暗くなった。

またしてもやりきれない気持ちでステージ円を後にした。土屋理敬はわかりやすい救いの道をみせてくれない。厳しく、冷徹ですらある。しかし自分はそこに惹かれるのだ。生きていれば誰にでも辛いことや嫌なことがある。日常生活からはそう簡単に抜け出せない。いっそ気が変になれば逃げられるかもしれないが、あんがい人のからだや心は図太いものだ。土屋理敬の作品は、即効の解決方法を示したり、慰めを与えるものではないが、現実を見つめる目を、ほんの少しだけ変える力がある。いっとき現実を忘れさせてくれる、夢のように華やかな舞台の魅力は棄てがたいが、自分は終演後のやりきれない気分や、それでもほのかに温かな心持ちになれたことを大事にしたい。
一年で三万人を越える人がみずから命を絶つこの国。
すべての人々の頭上に青空よ、広がれ。

*文中の台詞や舞台の状況は筆者の記憶によるものです。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第100号、2008年6月25日発行)

【著者略歴】
因幡屋きよ子(いなばや・きよこ)
1964年山口県生まれ 明治大学文学部演劇学専攻卒 1998年晩秋、劇評かわら版「因幡屋通信」を創刊、2005年初夏、「因幡屋ぶろぐ」を開設。

【上演記録】
演劇集団円公演「田中さんの青空
ステージ円(2008年5月15日-25日)
作 土屋理敬
演出 森新太郎

出演
一人目の女 乙倉遥
二人目の女 山乃廣美
三人目の女 林真里花
四人目の女 馬渡亜樹
五人目の女 片岡静香
一人目の男 大竹周作
二人目の男 上杉陽一

美術 奥村泰彦
照明 沢田祐二
音響 穴沢淳
衣裳 koco
舞台監督 田中伸幸
演出助手 林紗由香
宣伝美術 坂本志保
イラストレーション 木村タカヒロ
撮影 宮内勝
制作 桃井よし子 宮本良太
制作デスク 水野有実子
舞台監督助手 吉野知絵美
プロンプター 和田成正
照明操作 田中春佳 ㈱沢田オフィス
音響操作 栗原亜衣 ㈱東京演劇音響研究所
大道具 ㈲シー・コム舞台装置
小道具 高津映画装飾株式会社
衣裳 松竹衣裳株式会社
協力 吉田産婦人科医院
㈱アブアブ赤札堂田原町店
田原町ゴルフプラザ
料金 前売4500円 全国の田中さん特別割引3500円

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