◇墨田区在住アトレウス家 Part 1&2/豊島区在住アトレウス家/三宅島在住アトレウス家《山手篇》《三宅島篇》

◎アトレウス家の過ごし方 その3(座談会)
斉島明/中村みなみ/日夏ユタカ/廣澤梓

■わりと普通になってしまった

廣澤:10月にワンダーランドに掲載した「アトレウス家の過ごし方」その1、その2は、2010年より始まった「アトレウス家」シリーズについて、それらを体験した観客の側から、思い思いに過ごした時間を示し、また考えることはできないか、と企画したものです。

アトレウス家の過ごし方 その1
アトレウス家の過ごし方 その2

 今日はその執筆メンバーに集まっていただきました。この座談会について、まずは発案者の日夏さんよりお話いただけますか。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第34回

◎ハイラム・ビンガムがマチュ・ピチュを発見する話(タイトル/作者/出版社不明)
 杉山至

 秋口だったと思う。私が小学生だった35年くらい前の。

 小学校の2階の外れ、木漏れ日の入ってくる放課後の図書室でその一冊に出会った。
 インカ帝国? 南米ペルー? マチュ・ピチュ? 当時はまだ、名前も聞いた事のない単語が並んでいて、これが架空の冒険譚なのか実話なのかさえ知らず夢中で文字を追いかけたのを覚えている。
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悪魔のしるし「悪魔としるし/Fiend and Symptom」

◎「と」が示す距離
 柴田隆子

「悪魔としるし」公演チラシ
「悪魔としるし」公演チラシ

 パフォーマンス集団「悪魔のしるし」の新作タイトルは、集団名にある所有ないし所属を表す格助詞「の」を、並列接続詞「と」に置換えただけのタイトルである。だが、この「と」によって「悪魔」とその「しるし」は別々の存在となった。この「悪魔」を演出家、その「しるし」を演出作品と考えると興味深い。わずか一音節の違いではあるが、演出家である危口統之と作品との間に距離が生じる。本作では、この距離が作品の見え方を大きく変えたように思えたのだ。
 換言すれば、これまでの悪魔のしるし作品は、多かれ少なかれ演出家危口が舞台上に地縛霊のごとく張り付いた、「危口ワールド」的展開であったとも言える。作品の素材も世界観も「危口」ならば、舞台上にも「危口」が可視化されていた。もちろんそれは演出家の死と執着を示す記号としての人形であり「ゾンビ」なのだが、ともすると他者不在の自己充足的な世界観にも見えた。そしてそれを避けるためになされる「物語」や「意味」や「解釈」などの形象化を脱臼させる演出上の試みが、作品へのアプローチを困難にしていた。
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劇団HIT! STAGE「Case4 〜他人と自分〜」

◎他者性の欠落
 柴山麻妃

「Case4 〜他人と自分〜」公演チラシ」
「Case4 〜他人と自分〜」公演チラシ」
 私は逃亡者。/生まれるとすぐ/私は自分の中に閉じ込められた。/あぁ、でも私は逃げ出しました。

 同じ場所にいることに/人が飽きるのであれば/同じ存在でいることにだって/飽きるのではありませんか?

 わが魂は私を探している/だが私はあちこちを逃げ回る。/魂が私を/どうか見つけませんように。

 自分であることとは牢獄/私であるとは存在せぬこと。/逃げ回りつつ私は生きてゆこう。/それが本当に生きることです。
(フェルナンド・ペソアFernando Pessoa「私は逃亡者Sou um evadido」より)

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アートネットワーク・ジャパン×東京アートポイント計画「豊島区在住アトレウス家」
ミクストメディア・プロダクト×東京アートポイント計画「三宅島在住アトレウス家」

◎アトレウス家の過ごし方 その2
 廣澤梓/斉島明

toshima_dm2『墨田区在住アトレウス家』はPart 1,2ののち、2011年3月にPart 3×4が予定されていたが、折しも起こった震災によって中止となった。それまでの上演場所であった2階建ての木造家屋「旧アトレウス家」を離れ、作品は大きく変化する。住居ではなく公共施設に、さらには本土を離れ三宅島に住むことになった一家の物語は、「家やまちを見つめ、考える」プロジェクトとして、より一層その性格を際立たせていくこととなる。
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アロッタファジャイナ「被告人~裁判記録より~」

◎価値観の脆さ、危うさを指摘
 節丸雅矛

公演チラシ
公演チラシ(撮影=豊浦正明)

 人が人を裁く。それが裁判である。
 人が人を裁くためには理由がいる。その根拠が「罪」という概念であり、「罪」は償わねばならぬものである。
 「罪」を「罪」たらしめるのは「神」もしくは超越した存在であり、「神の法」「自然法」とも言うべきものである。
 『人を殺してはならない』『盗んではならない』…一見当たり前、あえて議題にするまでも無い自明のことのように見える。
 この「当たり前のこと」に対して大きく疑問を投げかけるのがこの作品「被告人~裁判記録より~」である。
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ミュンヘン・カンマーシュピーレ「浄化されて/渇望/4.48サイコシス」

◎ポストドラマ的テクストから作り上げられたドラマ
 關智子

【はじめに】
 イギリスの劇作家であるサラ・ケインの作品は、遺族の希望により、上演に際しての大幅な改変・削除が一切認められていない。特に後期の『渇望』(Crave)、『4.48 サイコシス』(4.48 Psychosis)は、いわゆる論理的なストーリー展開がなく、断片的な言葉によって織り上げられている、いわゆる「ポストドラマ的」なテクスト作品でありながら、テクストを解体して再構成するようなポストドラマ的演劇としての作り方は許可されていない。

 ミュンヘン・カンマーシュピーレでの上演はそのような制約を逆手に取り、『浄化されて』(Cleansed)、『渇望』、『4.48』を一回の公演で半ば連続して上演することで、個々の作品には描かれていない一つのドラマを作り出した。
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ふじのくに⇄せかい演劇祭2013「黄金の馬車」

◎演劇の祝祭性と政治性
 柴田隆子

ふじのくに⇄世界演劇祭2013公演チラシ
演劇祭チラシ © Ed TSUWAKI

 宮城聡演出の新作『黄金の馬車』は、静岡にある舞台芸術公園内の野外劇場「有度」で上演された。境界のない野外空間を有効に使った本作は、演劇祭の名にふさわしく祝祭性に富んでいた。

 舞台中央の白木で作られた簡素な社は、劇中劇を演じる舞台にも、「黄金の馬車」にもなる。登場人物を演じていた俳優は、コロスとして舞台を語り、楽団で演奏もする。演劇という虚構において、本当らしさは見せかけに過ぎず、確かなものは何もない。賑々しい音楽と共に劇場空間そのものも姿を変えていく。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第26回

◎「空気の底」(手塚治虫 秋田文庫・手塚治虫文庫全集)
  鈴木ユキオ

「空気の底」の表紙
「空気の底」表紙

 手塚治虫さんの短編集、「空気の底」を選びました。

 他にもいくつか好きな本がありますし、手塚治虫さんの作品でも他にも推薦したい本があるのですが、今回何を選ぼうかなと思いをめぐらした時に、ふっと頭に浮かんだのがこの本です。さっそく本棚をさがしたのですが、そういえば友達に貸したままになっていました。だからかな、よけいに心の中で印象が強くなっているのかもしれません。
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国際演劇協会「第三世代」(紛争地域から生まれた演劇4)

◎戸惑う者たち
  關智子

「第三世代」リーディング公演チラシ
「第三世代」リーディング公演チラシ

はじめに

 昨年行われたITI主催のリーディング&ラウンドテーブル『第三世代』(以下『第三世代』)の劇評を書きませんか、というご提案をいただいた時、かなり迷った。
 既にワンダーランドには、横堀応彦氏によるこの公演の劇評が掲載されている。横堀氏はドイツでの上演と比較し、作品のドラマツルギーを明らかにしており、さらに日本における「リーディング公演」という形式が持つ問題点を指摘している。興味深く、説得力のある劇評だった。
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