国際演劇協会「第三世代」(紛争地域から生まれた演劇4)

◎戸惑う者たち
  關智子

「第三世代」リーディング公演チラシ
「第三世代」リーディング公演チラシ

はじめに

 昨年行われたITI主催のリーディング&ラウンドテーブル『第三世代』(以下『第三世代』)の劇評を書きませんか、というご提案をいただいた時、かなり迷った。
 既にワンダーランドには、横堀応彦氏によるこの公演の劇評が掲載されている。横堀氏はドイツでの上演と比較し、作品のドラマツルギーを明らかにしており、さらに日本における「リーディング公演」という形式が持つ問題点を指摘している。興味深く、説得力のある劇評だった。

 もちろん一作品に対する劇評は一本でなければならないと思っているわけではない、むしろ数は多い方が良いだろう。迷ったのはただ単純に、面白い劇評が出た後で自分が書くことに対する気後れがあったのと、筆者の中での公演の位置づけが(上演から半年近く経っているにも関わらず)いまだに定まっていないからである。後者の方が理由として大きい。
 あの公演にははっきりと説明し難い戸惑いを感じた。したがって筆者は、その戸惑いを明らかにすることを第一の目的として劇評を書くことを決めた。

 なお、本稿ではいわゆるイスラエル=パレスチナ問題やユダヤ人の虐殺に言及することがあるが、これはあくまで劇評であり、筆者の政治的意見を表明することを目的とするものではないことをあらかじめお断りさせていただく。

作品概要

 『第三世代』とは、ベルリン・シャウビューネ劇場とイスラエル国立ハビマ劇場の共同企画で制作された演劇作品である。4人のドイツ人、イスラエルに住む3人のパレスチナ人(註1)、同じくイスラエルに住む3人のユダヤ人の計10人が、本名で登場している。作者のヤエル・ロネン氏は彼らと1ヶ月共に生活し、グループ・セラビーのような形で話し合いを行い、その中で生まれた対話やアイデアを作品として再構成した。つまり創作過程は集団制作に近いと考えられる。
 公演が始まった後も話し合いは続き、それが作品にも影響を及ぼしたために「ワーク・イン・プログレス」となっている。初演はシャウビューネ劇場だが、その後イスラエルやアラブの学校などでもしばしば上演されたらしい(註2)。

 タイトルの「第三世代」とは、ユダヤ人の大量虐殺やナクバを経験した世代から三代目に当たる出演者=登場人物たちのことである。彼らは自分たちが背負っている国民のレッテルとアイデンティティの問題を、アイロニカルなジョークを混ぜながら互いに交わしていく。
 台詞のやりとりはドイツ語、ヘブライ語、アラブ語などの個々が母語として持つ言語と英語で、あくまでナチュラルな形で行われるよう指示が出され、途中に劇中劇なども挟まれ、現実/虚構、偏見/実情の境界が曖昧になっている。

 ロネン氏は最初、現在のドイツ人とユダヤ人の関係について作品を創らないかと提案されたが、そこにパレスチナ人がいなければ現在の構造が見えなくなると感じたらしい。大雑把に言ってしまえば、作品の最初の方では三つ巴が描かれていると言える。
 しかし次第にその三つ巴も崩壊し、出演者=登場人物たちの個人が浮き立ってくる。例えば、ドイツ人のグループの中でも西ドイツ/東ドイツ出身という違いがあり、パレスチナ人でも自分をイスラエルの二級市民だと感じている者もいれば、俳優としてセレブであるという意識を持つ者もいる。

 「何が問題なのかを明らかにするために、演劇の場における衝突という仕掛けを用いた」とロネン氏は語る。彼らの衝突は人種や国家間のものだけでは収まらず、次第に個人同士の考え方の違いによるものとなっていく。
 いわゆるストーリーと呼び得るような論理的な展開もなく、最後はユダヤ人の俳優=出演者がややヒステリックに「ドイツ人なんか、どこでも、いつまでも、どこまでもナチスだ!本物のアートを見せてやる」とわめき、どうしようもなくなったドイツ人が「すみません」と言って唐突に終わる。衝突がエスカレートし、何の解決もカタルシスも見出せない様は、正に現在のイスラエル=パレスチナ問題の状況を表しているようにも思われる。

リーディング&レクチャー『第三世代』

 これを日本では、約2時間のリーディングと1時間のレクチャーで上演した。
 このレクチャーには、来日したロネン氏、演出の中津留章仁氏、ドイツ演劇研究者の新野守広氏、ITIの林英樹氏のポスト・パフォーマンス・トークに加え、イスラエルの文化・文学研究者である細田和江氏によるイスラエルの演劇事情や背景説明などの解説も含まれていた。つまりイスラエルとパレスチナ(そしてドイツ)に関する問題に詳しくない人でもそれらをより身近に感じ、知ることができる企画として提示されていたのである。確かにリーディングが行われている最中でも、用語解説が後ろの壁に映されており、とても参考になった。

 では、リーディングの方はどうであったか。実はもはや「リーディング公演」とは呼び得ない程、俳優たちは(5日間という短い稽古期間にも関わらず)ほとんど台詞を覚え、台本に目をやることも少なく、まるで通常の演劇作品のように演技を行っていた。

 演出の中津留氏はポストトークで、今回の作品を日本人である自分たちが上演することに対してどのようにアプローチをするべきか悩み、結果として俳優に、登場人物に感情移入し、同化することを求めたと述べていた。
 彼らは出演者=登場人物としてそこに現れており、すなわち元々のプロダクションの場合には出演者が彼ら自身として登場していたのとは逆に、俳優は登場人物を(つまりドイツ人、パレスチナ人、ユダヤ人を)「演じて」いたのである。

 また中津留氏は、日本での上演であることに対するアプローチとして様々な工夫を盛り込んでいた。
 例えば、作中にあるドイツ人には分かりやすいジョークは日本ではなかなか通じないため、その代わりに「ここは売れない俳優が頑張る劇場だ!」「その発言はこの上演の主催に怒られるぞ…」というような冗談を盛り込んだり、過去の出来事に根ざした国民の間での軋轢を日本の観客に実感させるために、日本にとって重要な問題となっている中国や韓国との関係を示唆するような台詞を入れたりしていた。

「第三世代」公演から
「第三世代」公演から2
【写真は、上が『第三世代』リーディング公演から。撮影=奥秋圭 下はラウンドテーブル。撮影=庭山由佳 
いずれも提供=(社)国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター 禁無断転載】

戸惑う者たち

 このような上演に対して、筆者は戸惑いばかりを感じた。それは決して上演に対して不満だとか、企画の意図が分からないとかいうネガティヴな意味ではない。

 当惑したのは作品冒頭からである。ドイツ人のニールスが現れ、この作品について少々の説明をした後、突然謝罪を始める「この場を利用して、ドイツ国民の名のもとに、ドイツ連邦共和国の名のもとに、ドイツ人を代表して、ユダヤ人の皆さんに謝罪します。大変申し訳ありませんでした…」。ユダヤ人に対してだけではなく、トルコ人や東ドイツ出身の人、パレスチナ人に対しても謝罪する。
 横堀氏の劇評によれば、ベルリンでは東ドイツの件でユーモラスな笑いが起きたらしいが、筆者にはその感覚が分からない。ただ据わりの悪い思いが残った。それは恐らく、筆者がドイツ人ではないからというだけの理由でないだろう。自分とはもはや直接的な関係を持つことができなくなった時代の出来事に対して、自分の責任として謝罪する彼の態度に当惑したのである。

 作中には何度か謝罪の話が登場する。ユダヤ人であるイシャイに対してニールスが謝ると、イシャイは「忘れな!」と答えるが、実際には忘れることなど彼自身にもできず、作品の最後までユダヤ人の大量虐殺に対する言及はなされる。他方で、作品の後半になるとドイツ人のカルステンは「僕は第三世代だ、世界中を旅行しても、ドイツ人だというだけで謝らなければならないなんて思わない」と語る。
 第三世代とは出来事に対して微妙な立場である。自分をその出来事の当事者であると言うこともできず、だからと言って無関係だとは言い切れない。「忘れな!」とイシャイに言われたニールスは「忘れるなんて本当に簡単だから…」と言うが、実際には逆だろう。彼らは作中において、「今」の話をしようと言うが、しかし過去の話は亡霊のように彼らの間を彷徨っている。
 さらにユダヤ人とパレスチナ人は、第二次世界大戦時の大量虐殺やナクバから数えて第三世代であると同時に、現在の紛争の第一世代でもあることから、話はさらに複雑になる。彼らにとって過去の出来事とは、現在まで問題が継続されている出来事である。

 作品全体を通して彼らは、過去と向き合うということがどういうことなのか、どうすればそれが可能なのか、そしてその過去の出来事が大きく影響している現在の出来事をどう受け止めれば良いのかということを模索し続ける。これはいわば、出来事との関係性の模索である。

 その方法の一つに、金銭的問題が挙げられる。本作品にはしょっちゅう、お金の話が持ち上がる。ドイツ人は記念碑にかかったお金や賠償金の話をし、パレスチナ人は援助金の話をする。その身振りは、金銭のやり取りによって、出来事との関係を目に見えて分かる形でなんとか把握しようとしているかのようでもある。
 作品の最後で大きな問題になるのは、「誰がこのプロジェクトにお金を出しているのか?」という問いである。ユダヤ人もパレスチナ人も、イスラエルやパレスチナはこんなプロジェクトにお金は出さないと言う。ドイツ人であるニールスは全員ボランティアで参加していると思っており、お金の出所は明らかにされない。
 ここでは金銭的やり取りの不透明さを通じて、プロジェクトと彼らの関係もまた不透明で捉えがたいものであることが表されている。

 何の解決もないまま、作品は混乱の内に終わってしまう。そこで浮き彫りになるのは、過去との、そして現在の出来事との関係を把握しようとして、しかしそれがどうしてもうまくいかずに戸惑う人物たちであり、恐らくそれこそが作品を通して考えられる第三世代のあり方なのだろう。
 ユダヤ人はドイツ人に対して、「ナチスの第三世代」として「家族の恥を告白して、ちょっと泣くぐらいしてもよかったんじゃない」と言う。そして謝罪を求められてもそれを許すこともできず、どうしようもないことに対して「一緒に泣きましょう、抱き合いましょう、つながりましょう」と提案する。
 この提案はいわば、関係性を綺麗にまとめ把握するための妥協案であり、戸惑いに対する打開策である。だが、そうはならない。彼らは最後までうまく折り合いを付けることができずに戸惑い続ける。

 当惑しているのは出演者=登場人物だけではない。冒頭から述べているように、筆者もまた当惑し続けている。
 先に述べたようにこのリーディング公演においては日本人の俳優が出演者=登場人物を「演じて」いたために、劇中劇とそうではない部分の判別がより困難なものとなっていた。すなわち、何がどこまで「本当」のこととして提示されているのかが一層分からなくなっていたのである。
 メタシアター的な構造は、虚構に現実味を持たせることができると同時にすべてが虚構であることもまた明示してしまう。本公演では、どんなにイリュージョンの力を借りても彼らは日本人であるという事実が突きつけられていた。

 これが恐らく、筆者が感じた戸惑いのもっとも大きな原因だろう。彼らは日本人であるという事実が目の前で表されることによって、日本人である筆者がこの作品のテーマをどのように受容すべきか、その態度が常に問われ続け、当惑したのである。
 中津留氏が日本人の観客の為に仕掛けた工夫は、その戸惑いをより強くするものとなった。中国や韓国と日本との関係を連想させられても、作中では出演者=登場人物が「比べるな」と言う。「比べるってどういうこと?」と聞かれてもそれに答えることなく、彼らは出来事が並べられるのを拒否する。

 共感の糸口を見つけるために比較的身近な出来事を横に並べることもできず、しかし直接的な関係を持つことも当事者になることもできない。一体どうしたら良いのだろうか。
 考えてみると、この戸惑いは出演者=登場人物である第三世代が抱えていた戸惑いとよく似ている(これも「比べる」ことになるだろうか)。すなわち本公演は作品のテーマとは一見遠いように思われる日本人が上演することによって、むしろ作品の主題である、関係性をうまくとれないことに対する戸惑いと焦燥を浮き彫りにしていたと言えるのではないだろうか。

 以上が、『第三世代』のリーディング公演からずっと抱えている戸惑いに対する考察である。演劇作品としては「すみません」という一言だけを言って舞台上から去ることができたニールスも(そして彼を演じた日本人俳優も)、きっといまだに戸惑いや焦燥を抱えているのではないだろうか。
(2012年12月29日観劇)

(註1)イスラエル政府は彼らをイスラエル・アラブ人と呼び、イスラエル在住のユダヤ人と区別している。本稿では作品にならい、「パレスチナ人」と呼ぶものとする。
(註2)ポスト・パフォーマンス・トークより。以下、関係者の発言に関しては2012年12月29日・30日に行われたポストトークを参照したものである。なお、本稿執筆にあたり、ITIより上演台本とポスト・パフォーマンス・トークの録音をご提供いただいたことを、ここに記して謝辞とする。

【上演記録】
国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター「第三世代」(紛争地域から生まれた演劇4、リーディング&ラウンドテーブル)
上野ストアハウス(2012年12月29日・30日)

構成・台本:ヤエル・ロネン
訳:新野守広
演出:中津留章仁

出演:赤澤セリ、阿部薫、天乃舞衣子、枝元萌、木下智恵、金成均、田島優成、坂東工、吹上タツヒロ、屋良学

ラウンドテーブル:ヤエル・ロネン、中津留章仁、新野守広(ドイツ演劇、立教大学)、細田和江(イスラエル文学、中央大学)

入場料1,500円(ラウンドテーブル込み、ITI協会員は1,000円)

主催:文化庁「平成24年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」/社団法人国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター(会長:永井多恵子)
制作:社団法人国際演劇協会
事業委員長:高萩宏
プロデュース:林英樹
企画委員:小田切ようこ、七字英輔、宗重博之
制作統括:曽田修司
技術協力:レイヨンヴェール
制作協力:シアタープランニングネットワーク、Real Heaven
協力:(株)RUNSFIRST、(有)スターダス・21、(株)スペースクラフト、(株)ディケイド、(株)トップコート、FUKUDA PROJECT

【筆者略歴】
關智子(せき・ともこ)
 1987年生。早稲田大学大学院文学研究科博士課程在籍(演劇映像学コース西洋演劇専攻)。国際演劇評論家協会(AICT)会員。第17回シアターアーツ賞佳作受賞(「部外者であるということ―ハビマ劇場『ヴェニスの商人』劇評―」)。研究対象は20世紀末-21世紀のヨーロッパにおける戯曲。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/seki-tomoko/


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