◎ドラマとギャグの間のミディアムテンポ
柳澤望
先ごろ上演されたフランケンズの新作『暖かい氷河期』は、ゴルドーニの『二人の主人を一度に持つと』を取り上げた上演だった。フランケンズは、昨年『ラブコメ』と題して、モリエールの『女房学校』を上演していたが(注1)、この2作はコメディア・デラルテを起源としたヨーロッパ喜劇の歴史をたどる連作のようになっている(注2)。
小劇場レビューマガジン
◎「近所」のドラマを掘り起こす
柳澤望
「ポタライブ」というのは、岸井大輔さんが自身で生み出した演劇様式をあらわすためにあみだした造語で、ポタリングのポタとライブを組み合わせた言葉。観客は実際の街を散歩しながらそこで行われるパフォーマンスを見ていきます。
何者かが仰向けになって舞台の上を泳いでいく。シャクトリムシのように足で体を押し出して。ある者は両腕を体の脇にまっすぐつけたまま、ある者は両腕で交互に水をかきながら。やがて鳥類へと進化を遂げた彼らは、けたたましい怪音を発 … “ガラシ×ク・ナウカ「ムネモシュネの贈りもの」” の続きを読む
何者かが仰向けになって舞台の上を泳いでいく。シャクトリムシのように足で体を押し出して。ある者は両腕を体の脇にまっすぐつけたまま、ある者は両腕で交互に水をかきながら。やがて鳥類へと進化を遂げた彼らは、けたたましい怪音を発しながら縦横無尽に飛び回る。ある者はやがて立ち止まり、ある者は舞台の壁にぶち当たり。
インドネシアのテアトル・ガラシとク・ナウカのコラボレーションによる「ムネモシュネの贈りもの」は、記憶をめぐる奇想天外なパフォーマンスでした。
それにしても、まさかク・ナウカで、松崎しげる「愛のメモリー」とは!
たいていの劇場では、舞台の壁が黒く塗られていると思う。たとえば横浜のST Spotのように、壁が白く塗られた劇場もあるけれど、例外的なものだろう。 ARICAの公演『キャラバン』は、ギャラリー的なスペースで上演されて … “#4.ARICAの『キャラバン』/白い空間” の続きを読む
たいていの劇場では、舞台の壁が黒く塗られていると思う。たとえば横浜のST Spotのように、壁が白く塗られた劇場もあるけれど、例外的なものだろう。
ARICAの公演『キャラバン』は、ギャラリー的なスペースで上演されていて、真っ白な壁に囲まれた空間でパフォーマンスが展開していたのだけれど、この作品のテーマの核心は、この白い空間と密接な関連を持つものだったのではないだろうか。
東京国際芸術祭の公演、ヤスミン・ゴデール振付作品、『ストロベリークリームと火薬』を見てきた(最終日の公演)。邦題では省略されてしまっているが、英語での原題は、YASMEEN GODDER & The Blood … “#3.ストロベリークリームと火薬/空間と自由” の続きを読む
東京国際芸術祭の公演、ヤスミン・ゴデール振付作品、『ストロベリークリームと火薬』を見てきた(最終日の公演)。邦題では省略されてしまっているが、英語での原題は、YASMEEN GODDER & The Bloody Bench Players present: “STRAWBERRY CREAM & GUNPOWDER”となるそうだ。終演後のトークで、この The Bloody Bench Playersという言葉が重要な意味合いを帯びているものだったと知った。ベンチに座ったままで、プレイヤーとしてフィールドにたってプレイしているわけではない、Bench Players。その傍観者的性格は、イスラエルに関する報道写真をベースに創造されたこの舞台の性格を端的に語るものだったらしい。そのことを知って、自分が舞台を見ながら考えたことが全く的外れだったわけではないと思った。
東京国立博物館の特別第5展示室は、今年7月にク・ナウカが『王女メディア』を上演し、残響のせいで、台詞が聞き取りにくかった、ということがあった。 今回もク・ナウカほどではないが、早口や高音になった時に、特に聞こえづらかった … “『 サド侯爵夫人 』 (全3幕)” の続きを読む
東京国立博物館の特別第5展示室は、今年7月にク・ナウカが『王女メディア』を上演し、残響のせいで、台詞が聞き取りにくかった、ということがあった。
今回もク・ナウカほどではないが、早口や高音になった時に、特に聞こえづらかった。私の経験では、座席が舞台の近くでは問題ないが(この点は強調しておきたい)、遠くになる(高くなる)ほど、その傾向は強くなるようだった。
今回は、演出家の意図として「言葉の音楽性に徹底的にこだわるという方法をとりたい」(パンフレットより)ということなので、意味より音響を重視したのかもしれない。
平田オリザの『S高原から』という戯曲(とその上演)を原作として、4人の若手演劇作家がそれぞれに上演を行うという企画だった『ニセS高原から』について。 2005年の8/28から9/27の間連続上演された、というわけで、今更 … “#2.S高原(ニセ)ノート” の続きを読む
平田オリザの『S高原から』という戯曲(とその上演)を原作として、4人の若手演劇作家がそれぞれに上演を行うという企画だった『ニセS高原から』について。
2005年の8/28から9/27の間連続上演された、というわけで、今更書くのはずいぶん遅れてしまったのけど、個人的な覚書をここにちょっと書いておこうと思います。
『ニセS高原から』を見て改めて思ったのは、「脚色」と「演出」との微妙な関係です。
「脚色」と言うと、本来、事実や小説を戯曲化するといった意味ですが、既にある物語やドラマ、戯曲を、舞台にのせるため、つまり、演出されるものとして、加工する作業を、広い意味で脚色と言ってしまうことにします。
結論としては、三条会以外の劇団は、平田戯曲に様々に手を加えたものを上演テクストに用いていたわけですが、その「脚色」作業が「演出」作業と連続したものになっている。当たり前のことのようですが、それが当たり前になっている点に、日本の演劇の現状もまたあらわれているだろうな、と思います。
先月の14日から28日まで、二週間に渡ってのロングラン公演を敢行した劇団鹿殺し。 新宿はゴールデン街劇場というあまり名の知れぬ小さな劇場での彼らの公演。 「エデンの穴」という妄想掻き立てる表題によって、新宿は夜の街の熱気 … “鹿殺し『エデンの穴』” の続きを読む
最初に書き下ろした劇評からの脱皮を何度も試みた。くり返せばくり返すほど、戯曲に引きずられる運動から逃れられなくなった。今が潮時と妥協して、脱稿することにした。 ●〝もしも〟この劇評に興味を抱いたなら… 観劇前に読むこと … “二兎社 『 歌わせたい男たち 』” の続きを読む
最初に書き下ろした劇評からの脱皮を何度も試みた。くり返せばくり返すほど、戯曲に引きずられる運動から逃れられなくなった。今が潮時と妥協して、脱稿することにした。
●〝もしも〟この劇評に興味を抱いたなら…
観劇前に読むことは勧めません。観劇後に読んで、見方がどう違うのか、比較していただけると、幸いです。さらに、その結果を「コメント」していただけると、お互いにとって、批評眼を鍛えることになるかと想います。欲ばりではありますが。。。
●上演時間・・・約1時間50分 ●観客数・・・・・約150人 ●放水量・・・・・(推定)10トン超 ●可動面積・・・(推定)100平方メートル超 (以下、公演の舞台装置や演出手法について具体的に言及していますので、これか … “劇団桟敷童子「風来坊雷神屋敷」” の続きを読む
●上演時間・・・約1時間50分
●観客数・・・・・約150人
●放水量・・・・・(推定)10トン超
●可動面積・・・(推定)100平方メートル超
(以下、公演の舞台装置や演出手法について具体的に言及していますので、これから観劇予定のかたはご注意ください。)