スミイ企画「日常茶飯事」

◎すれ違うことで出会い直す
柳沢望

今回上演された『日常茶飯事』に限らず、佐々木透によるテクストが2010年の日本における劇作のひとつのエッジであることは紛れも無い。リクウズルームを主宰する佐々木透は、既に堤広志氏が注目し(注1)、川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場のクリエイション・サポート事業に抜擢されたことさえあるものの、まだ評価が固まっているとは言えず、未だに「無名」であると言っても誇張ではないだろう。

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連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」 第1回

松井憲太郎さん(キラリ☆ふじみ館長 )
◎芸術創造の理念とポリシーをいまこそ

昨年の政権交代後に始まった一連の政策・事業の見直しによって、舞台芸術の創造環境にもあらためて光が当たり、劇場法案(仮称)の進行が話題に上っています。公立文化施設の活動をどのように組み替えるか、地域から舞台芸術を作り上げる理念と方法、さらに人的・財政的な裏付けをどう盛り込むか、民間劇場の位置づけ、などなど課題は山積しているようです。
その折、特色ある活動を続けている各地の公立・民間の小劇場を訪ね、現場から舞台芸術環境の実態を聞き、そのあり方を考えたいと思いました。毎月1-2回、ワンダーランド支援会員の方々とともにインタビューします。(編集部)

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シアターKASSAIオープン企画「ON THE WAY HOME」(久間勝彦作、黒澤世莉演出)

◎人が月に行く時代に《共振》する
プルサーマル・フジコ
「ON THE WAY HOME」公演チラシ
池袋の繁華街の果てに小さな劇場・シアターKASSAIが誕生した。こけら落とし公演は、久間勝彦氏の戯曲『ON THE WAY HOME』を4人の演出家が順繰りに演出する連続企画公演である。そのトップバッターを務めたのが、今回取り上げる黒澤世莉(時間堂)だ。

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鳥の劇場「白雪姫」

◎ 子供だって残酷の意味は分かるのに
 芦沢みどり

 「白雪姫」と聞けばたいていの人はグリム童話よりディズニー・アニメか子供向けにリライトされたお話の方を思い浮かべるのではないだろうか。かく言う筆者もその一人だったので、グリム童話をほぼ忠実に再現したという鳥の劇場の『白雪姫』を観て大いに驚き、かつ誤解してしまった。まずは原作と、一般に膾炙されていると思われるお話との違いをいくつか挙げてみたい。

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手塚夏子「私的解剖実験5-関わりの捏造」

◎不完全な肉体に宿る不完全な精神と、その救い
小畑克典
私的解剖実験5-関わりの捏造」公演チラシ
3人のパフォーマーたちは240cm×270cmの狭い舞台に乗り、”Zero” のコールとともに、各々のペースで脱力を開始する。自らの身体についてブツブツとつぶやいて実況しながら、ゆっくり時間をかけて身体を整える。”One” のコールで椅子に腰掛け、雑談を始める。服のこと、音楽のこと、食べ物のこと、その他諸々の、たわいのないリラックスした会話。そのうちに “Two”、”Three”、とカウントが進み、その度に少しずつシーンが中断される。ラウンドの間にほんの何秒かだけインターバルの入るボクサーのようだ。”Four”、”Five”、と進むにつれて、パフォーマーたちの身体が徐々にこわばるのが見て取れる。おそらく、カウントが一つ進むとともに、何らかの身体的制約、もしくは条件・ルールのようなものを課せられるのだろう。腕がプルプルと震え、土踏まずに力が入る。それに連動して、3人の関係にもこわばりが生じてくる、ように見える。

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手塚夏子「私的解剖実験5-関わりの捏造」

◎振付家がつくり出したもの
都留由子

私的解剖実験5-関わりの捏造」公演チラシ「カタルシス」という言葉がある。学生時代、習ったのによくわからなかったこの言葉の意味を、あ、これか、と思ったのは、ミュージカル『コーラスライン』を見たときだった。まぶしいステージのダンスナンバーを見終わって席を立ったとき、やっぱりダンスにはカタルシスがあるね、と後ろの席から声が聞こえた。ああ、この快感がカタルシスなんだ! 本当にそれが正しいのかどうか、実は今でもわからないのだが、しかし、筆者の中では、ダンスを見る快楽とカタルシスという言葉はこのとき結びついてしまった。生身の人間の身体が動く。シンプルなそのことの、ぐいと心をつかむこの力の強さはどうだろう。それ以来、筆者にとってダンサーや振付家は、カタルシスをもたらすという特別な力を持った、神様に祝福された人になった。

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手塚夏子「私的解剖実験5-関わりの捏造」

◎プライベートから漏れ出てくるもの
米山淳一

私的解剖実験5-関わりの捏造」公演チラシ以前から気にはなっていたのだが、まだ見たことのなかった手塚夏子作品を、今回ようやく見ることができた。その舞台は、一瞬も目を離せないほどに、見入ってしまうものだった。それがどんな作品だったのか、また何がそれほどまでに面白かったのかについて、少し考えてみたい。

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【レクチャー三昧】平和

 毎年8月には、平和を考える催しや舞台が増えます。わたしは舞台作品を観てゆくうちに、平和や戦争や国家や暴力についてあれこれ考えるようになった口です。  以前友人に「かえでさんお勉強フェチ」と言われたことがあり笑ってしまっ … “【レクチャー三昧】平和” の続きを読む

 毎年8月には、平和を考える催しや舞台が増えます。わたしは舞台作品を観てゆくうちに、平和や戦争や国家や暴力についてあれこれ考えるようになった口です。
 以前友人に「かえでさんお勉強フェチ」と言われたことがあり笑ってしまったのですがそのとおり、勉強のためのお勉強で終わらないよう、自戒したいと思っています。
(高橋楓)

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劇団唐ゼミ☆「蛇姫様-わが心の奈蛇」

◎劇の厳密なる作動(後編)  清末浩平 5-散文性の優位  山口猛は『同時代人としての唐十郎』(三一書房、1980年)の中で、70年代の唐十郎戯曲に共通する構成を「一幕においての登場人物の紹介、及び事件の発端、二幕におけ … “劇団唐ゼミ☆「蛇姫様-わが心の奈蛇」” の続きを読む

◎劇の厳密なる作動(後編)
 清末浩平

5-散文性の優位

 山口猛は『同時代人としての唐十郎』(三一書房、1980年)の中で、70年代の唐十郎戯曲に共通する構成を「一幕においての登場人物の紹介、及び事件の発端、二幕における展開(この場合、ほとんどヒロイン、あるいはヒーローが傷つく)、そして三幕におけるヒロインの再生と後日譚」というふうに明快に整理し、唐がこの戯曲構造を「崩すことなく守っている」ことを批判的に重要視している。扇田昭彦もまた、唐十郎全作品集第4巻(冬樹社、1979年)の解題において「唐十郎の戯曲は、一編一編が独立しながらも、しかし結局のところ、同心円状に渦まくいつも共通のドラマを読んでいるのではないかという印象を私たちに与える。[……]唐十郎のドラマの原型を探ることは、つねに唐十郎読解の基本作業であろう」と述べる。

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劇団唐ゼミ☆「蛇姫様-わが心の奈蛇」

◎劇の厳密なる作動(前編)
清末浩平

1-前提……状況の中で

「蛇姫様-わが心の奈蛇」公演チラシ唐十郎の劇について今日何事かが語られるとき、かつて唐の提示した「特権的肉体」を初めとする術語群が用いられることほど、陳腐で心そがれる光景はない。唐の『特権的肉体論』が仰々しいマニュフェストとして読まれざるをえない時代のあったことを否認する必要もあるまいが、しかし、同書の中に並ぶ文章がすべてエッセイにすぎぬことは明白であり、ある状況下に置かれたある書き手の瞬発的な反応以上のものを『特権的肉体論』から読み取ろうとする試みは、すべて否応なく誤読となる。実際、書き手であるところの劇作家も、40年も前に書き捨てた例のエッセイを、もはや一顧だにしていないではないか。
彼が戯曲を書く際の驚嘆すべき速筆に象徴されるように、唐十郎の特質のひとつは、文字を書き捨ててゆくその異様なまでの速度である。状況に対する直観的感応力と言い換えてもよい。時が過ぎ状況が変化したいま、40年前のエッセイを参照せねばならぬ理由はどこにもなく、我々は赤い表紙のあの書物を本棚の隅にしまって、身ひとつで劇場へ出かければよいのだ。唐作品の上演される劇場へ。

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