連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」 第1回

||| 再び芸術創造の理念を

-複数年度にまたがる事業予算を可能にする仕掛けを作るとか、事業予算を補助金の紐付きをやめて額縁方式で一括助成して、あとは現場の裁量にある程度ゆだねるとか、いろんなやり方が検討されています。そういう予算や事業実施方式が変わっていくのと同時に劇場法が現実化すると、いますぐとは言なくても、徐々に地域で創造活動がやりやすい環境と条件ができていくような気がしますが、いかがでしょう。

松井 世田谷パブリックシアターを始めるときに考えていたのは、当時の演劇状況、芸術創造環境がまるでだめなわけではないけれども、いろいろ不備があって、それなら新しい環境を自分たちの手で作ろうと考えたわけです。
確かに世田谷の予算額は民間の劇団の額をはるかに超えていた。その予算の大きさによって実現していくことはもちろんあったと思いますよ。ただ予算と同時に、あるいはそれ以上に、もっと違った意味で、これまでになかった創造環境を作るんだという意識の方が強かった。
佐藤信さんやぼくは黒テントのメンバーでしたが、ほかの劇団のメンバーやフリーで活躍している俳優、小劇場以外の分野で活躍している演劇人、新劇も歌舞伎も海外の人たちも一緒に集まって、その新しいメンバーが新しい演劇を作るんだと考えたんです。そのことで、自分たちに本来は必要なんだけど、現実には生まれていない芝居を作ろうとした。それは意図的な仕掛けだった。そのときに生まれてくる作品が世田谷のレパートリーになっていく。新しい概念を伴った演劇が生まれる。そういう考えでした。
たとえばMODEの松本修さんと一緒にブレヒトも手がけ、カフカ作品に基づいた「アメリカ」を作ったのはその一つの表れです。海外の演出家を呼んで永井愛さんの作品を上演したのも、その一つです。そういうことはあまり外部の演劇関係者に伝わっていないのではないかと思います。世田谷に必要だからと言うだけでなく、日本の演劇にそういう場所、枠組みが必要だと思ったんです。風通しのいいなかで、信さんの言葉で言えば「広場」でみんなが出会い直してみるということが。

-確かに新劇の各団体はそれぞれの拠点劇場で公演を開き、アングラは場外で活動するといった非交流的な配置でしたね。あるいは「閉じこもりと対峙」と言っていいでしょうか。その壁を取り払い、一度ガラガラポンする必要があったかもしれません。世田谷があっさり実現したように見えて、あとはそれが当たり前になった…。

松井 国内だけでなく、海外の人たちとの共同作業も含めてですね。いま公立劇場が増えてそういう壁を取り払って一緒にやろうとしたとき、形の上では可能かもしれないけれど、そこで創造すべきレパートリーについての考えを共有しながら創造活動ができるどうかが問題だと思いますね。世田谷で最初にやろうとしたのは、単に壁を取り払おうとしただけではないんです。佐藤信さんやぼくらがやろうとしたのは、レパートリーの方向はこうだと設定した上で、そこに新しい人たちが入ったら何が起きるかを実験していくということだった。いまいくつか創造拠点的な劇場ができて、そこが連携して作品ができるかというと、レパートリー形成の思想が共有されていないと難しいのではないかと思います。
たとえば、もうひとつのあり方として、劇場同士がダイレクトにやるのではなく、劇場にむかって旗を振ってくれるアーチストがいて、その旗の下に集まるのなら、やりやすいと思いますけど。
文化庁や行政が仕掛けていく劇場作りが、そういう問題についての視点を持たないまま、ただ劇場を作ればいい、劇場法を作って予算を付ければいいという方向に流れているのだとしたら、それでは結局、短期的生命しか持たない作品しか出てこない危険がある。つまり予算を注ぎ込んだだけ作品の上演は続くにしても、予算が尽きて閉幕すればそれで作品の生命は終わる。そうした短いサイクルが繰り返されるだけではないかと危惧しますね。それでは積み上がっていく土台が生まれない。
それぞれの劇団が積み上げてきた演劇活動には長い歴史があり、そこが日本の演劇の基盤を作ってきた。しかしその劇団も、かつてのように芸術理念を共有した創造集団としては機能しなくなってきています。芸術的な創造理念は、極言すると、そこにはもうないかもしれない…。そういう劇団と劇場の、創造理念のないもの同士が二つ合わさっても、そう簡単に意味のある舞台作品が生まれてくるとも思えない。だからお金の仕組みも大事ですが、そこで何を作ろうとするのか、いろんな人が鮮明に声を上げて活動していかないと、おもしろいものは生まれないと思いますね。キラリでも、劇場のポリシーを明らかにして、来年のプログラムは、そのあたりが外部の人にも感じられるように持っていきたいですね。

-ぼくが若い演劇人に問いかけているのは、平田オリザさんが提唱、実現してきた現代口語演劇を無視しないで、あるいは当然視しないで、きちんと対象化してみよう、ということなんです。学生と話していると、現代口語演劇はもうデフォルトだと言いますね。大声を上げたりむやみに動き回ったりする芝居には、中身以前に違和感があるそうです。新劇、アングラ小劇場、現代口語演劇といくつかの特徴的な活動を振り返りたいと思っても、渦中にいる人たちがもう少し手がかりを残してくれないと先に進めない。もちろん主だった人たちの著書はありますが、演劇理念や創造のビジョンに関して議論や論争が最近はなりを潜めています。これは寂しい。
ということも含めて、これまでの議論をぼくなりに理解すると、芸術文化活動の根拠は何か、なぜ、どんな考え方で演劇活動を続けるのか、など創造のビジョンや理念に関わることにまず視線を向けていこう。そこを支点にすると、レパートリーの方向や共同制作の連携も自ずと形が見えてくるということだったと思います。
そういう中でこれから劇場法の話が進んで現実性を帯びてきます。全国100個所、200個所の公共ホール、公立劇場に芸術監督を置いてスタッフをそろえ、予算を配分することになるかもしれません。キラリ☆ふじみがそういう状況も折り込みつつ、地域の劇場として元気に活動してほしいと思います。長時間、ありがとうございました。
(2010年6月2日、キラリ☆ふじみ会議室)
(聞き手=北嶋孝、都留由子、竹村崇)

(注1)財団法人富士見市施設管理公社は昭和59年7月発足。職員30人。市民文化会館キラリ☆ふじみと市民体育館の管理運営を受託している。
(注2)平成22年度財団法人富士見市施設管理公社事業会計予算(PDF,35KB)

キラリ☆ふじみ全景
キラリ☆ふじみ全景。同館提供

【富士見市民文化会館 キラリ☆ふじみ
2002年(平成14年)11月1日開設。鉄骨鉄筋コンクリート造り、地下1階・地上3階建。メーンの劇場型多目的ホール(802席)と多機能型ホール(255席)を備える。地方の公共ホールとしては珍しく芸術監督制度を敷き、初代平田オリザ(青年団)2代目生田萬(ブリキの自発団)を経て2010年4月から3代目多田淳之介(東京デスロック)が就任。意欲的な自主企画と新しい才能を集める公演は演劇関係者の評価が高い。

【略歴】
松井憲太郎(まつい・けんたろう)
松井憲太郎さん 1956年東京都生まれ。早稲田大学在学中から演劇活動を展開。1981年から96年まで劇団黒テントに所属。90年から世田谷パブリックシアターの設立準備に携わり、97年の開館からプログラム・ディレクターなどを務め、舞台作品の企画制作やワークショップなどの学芸活動を統括する。ピーター・ブルック、ジョセフ・ナジを招聘。2008年4月に退職。2009年4月にアジア演劇創造研究センターを設立、アジアを中心に海外と日本の演劇の共同制作やネットワーク構築を手がける。2010年4月より富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ館長。主な論文に『公共の演劇への歩み-ドラマトゥルグの視点から』(世田谷パブリックシアター機関誌『PT』12号掲載)、『フランスの公共劇場』など。


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  2. ピンバック: いろは

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