松井憲太郎さん(キラリ☆ふじみ館長 )
◎芸術創造の理念とポリシーをいまこそ
その折、特色ある活動を続けている各地の公立・民間の小劇場を訪ね、現場から舞台芸術環境の実態を聞き、そのあり方を考えたいと思いました。毎月1-2回、ワンダーランド支援会員の方々とともにインタビューします。(編集部)
||| ひとまず想定の範囲内
-東京デスロックの多田淳之介さんが2010年4月からキラリ☆ふじみ(埼玉県富士見市民文化会館)の芸術監督になるという情報はわりに早く伝わったのですが、松井さんが館長になると知ったのは公表されてからでした。早い段階から打診があったのですか。
松井 去年の8月に多田さんが芸術監督に選ばれた前後だったと思います。富士見市とキラリ☆ふじみの指定管理者の財団法人富士見市施設管理公社(注1)との間では、新しい館長は民間人から選ぶという方針が、その以前から話し合われていたようです。
-財団側から、どういう劇場にしたいという要望、構想をお聞きになったと思いますが。
松井 財団側からそれほど細かな話はありませんでした。ぼくもあれこれ聞きませんでしたし、具体的な話は、初代の芸術監督で、現在、キラリ☆ふじみのマネージャーという立場で関わっている平田オリザさんから話を聞いてくださいということでした。それで平田さんと会って、キラリ☆ふじみのスタートからのいきさつ、現在や今後についての意見をうかがいました。ですが、そのときも、そんなに細かな話を聞いたわけではないですよ。
-就任してから2ヵ月あまり経ちました。現場から感じたことは当初抱いていたことと食い違ったりしてますか。
松井 去年の年末から3月まで財団の人からいろいろレクチャーを受けて、どのように運営されてきたかを学びましたが、4月から働き出してあらためて見えてきたことは当然ですがあります。と言っても、こういう仕事の経験は長いので、だいたいどんな感じなのかは、外側から見ていても推測できました。世田谷パブリックシアターも、芸術監督がいて館長がいて、高萩宏さん(現・東京芸術劇場副館長)やぼくらがいるという体制でした。鈴木忠志さんが芸術監督だった静岡芸術劇場をのぞくと、日本の公共劇場の芸術監督は組織の中で、ふさわしい権限を持つ正規のポジションとして位置づけられていなかった。そういう劇場の問題点は以前から知っていたし、逆にそういう劇場だからこその可能性も体験してきました。キラリの組織については、世田谷の規模を縮小した形でまずはとらえることができた。創造活動については、逆に世田谷パブリックシアターにもあったような限界や課題を思い起こしてみると、ここで働いているスタッフが直面していることは想像がつきました。
-想像の範囲内でしたか。
松井 そうですね。特別に予想外のことがあった、起きたということはまだありません。
||| 館長はプロデューサーの役割も
-富士見市のホール運営を財団が指定管理者団体として引き受け、計画に沿って活動するということでしょうが、指定管理者団体の契約は3年ですか5年ですか。もちろん、また同じ財団が指定管理者としての契約を更新するのでしょうが…。
松井 5年です。今年が5年目、最後の年になります。そこでぼくに、キラリ☆ふじみの指定管理者としての、次の5年の運営方針を出すという課題が与えられたのだと、自分ではとらえています。
-先ほど芸術監督の責任範囲が曖昧だというお話がありました。松井さんがいま就いている館長というポストはどういう職務なんでしょうか。明文化されているんでしょうか。芸術監督との役割分担を含めて話してもらえますか。
松井 館長の責任範囲は財団の規程で、決裁できる金額はここまで、人事もどこまで決められるという範囲があります。でもそういう意味では、館長の権限はそう大きくない。財団組織なので、理事長、常務理事などの方々が大きな決定権を持っています。しかし、キラリ☆ふじみという文化施設の単位で考えると、実際の運営や事業は、一切合切ぼくが責任を持たなければいけないという面はありますね。
-館長職は市の内部ではどんな職階になるんですか。課長職とか部長職とか同等とか待遇とかいろいろありますね。
松井 課長職だと思います。
-お役所の世界ではその辺に敏感になるかもしれませんね。芸術監督の仕事ははっきりしてますか。
松井 まだ細かなことは把握していませんが、非常勤の1年契約で3年は継続することになっています。芸術監督は公演プログラムの選定やプロデュース、ワークショップなどの企画やアドバイスが主な仕事です。でもはっきりこれこれと逐条的に決まっているわけではありません。平田さん、そして生田萬さんの時代と、それぞれの考え方や重点の置き方で変わってきたのだと思います。平田さんは当初、立場としては開館記念事業の演劇祭のプロデューサーとして関わりました。そのなかで、キラリでは創造活動とそれを発信していくことが大事だと考え、新たなコンセプトとしてそれを付け加える形で再スタートをした。そしてこんどは芸術監督になって、という具合に現在に至る流れを作り出した方です。外からやってきて、あらかじめできがっていた体制に収まったわけではありません。それなので、平田さん自身が芸術監督の仕事や役割を考えだし、それをご自身で果たしていった。生田萬さんは、平田さんが作った基礎の上でご自身の個性を出して活動されたと思います。具体的にはキラリンク・カンパニーという若い劇団のレジデントによる創作活動や、市民がここで行っている文化活動を充実させることを重視されたのだと思います。平田さんの場合は、東京でのご自身の活動をキラリに持ち込んでくる面があったと思いますが、生田さんはより富士見市の地域に立脚した活動を構想されたのではないでしょうか。そのあとに就任した多田さんがどういうことをしようとしているか、館長のぼくもどういう方向をとるのか、まだ相談しはじめた段階です。
-自主事業を含めて、今年度の予定はすでにできあがっているんじゃないですか。
松井 そうですね。昨年、多田さんが芸術監督に決まってプログラムしていったものがあり、私が就任した4月には90%以上決まっていました。館長としてなにかプログラムするのは来年の4月以降についてですね。とはいえ、今年度の事業でも、もう少し検討の余地があるものは手を入れるだろうし、必要があれば新しいものをプラスしていきます。
すでに本格的に始めているのは、事業や組織の運営方法の改善です。組織については、館長、芸術監督のほか、事業担当と総務管理担当、委託ですが技術担当もいます。それぞれ役割はいちおうは決められていますが、たとえば事業担当ならプログラムを作ったり、それを実行していくための専門的なノウハウもあるので、日々仕事の中で、どのような仕事の進め方が良いのか話し合ったりしながら、改善できる部分についてはすでに取りかかっています。 >>
「連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」 第1回」への3件のフィードバック