連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」 第1回

-キラリのスタッフは何人ぐらいですか。

松井 事業担当が4人、総務管理担当が6人、技術担当の常駐者が3名です。ホールが二つあるので、両方に貸出の催しがあって忙しい場合や、こちらの事業があったりするときは、技術スタッフは増員されます。受付などの庶務を担ってくれるパートの方々がいます。あと、レセプショニストという名前で、劇場内でお客さんの応接をしてくれる方々もいて、市民がたくさん登録しています。あとは館長のぼくと、事務局長を兼務する常務理事がいます。
展示スペースや、音楽やダンスで利用できるスタジオも四つあり、貸出や日常的な管理業務は多岐にわたります。そこに公演や教育普及、市民参加の事業が加わるので、スタッフ全員がかなりフル回転の状態です。

-先ほど改善すべき点と言われましたが、それはどういうことしょう。

松井 事業の中身というより、まずその組み立てかたが良い例だと思います。たとえば昨年度末に作られた今年の事業の一覧表を見ると、様々なプログラムがズラッと時系列で並んでいます。そこには公演もあればワークショップもありという具合に種類の異なるものが混在している。公演タイプのなかにも、この一帯の親子劇場と共催する公演や、レジデントカンパニーの公演、こんにゃく座の人が指導する市民のオペラ団の公演とか、いろんなタイプがあって、過去8年の間に様々な理由で積み上がってきたものが、アトランダムに並べられている。これが3月までの状態だとすると、ぼくが来て4月からスタッフと話したのは、ひとつひとつのプログラムが何のためにあるのか、キラリのアイデンティティやポリシーと照らしあわせながら、それを評価し、位置づけ直してみるということです。そういうことを経た上で、公演、教育普及、市民参加という三つのカテゴリーを再設定して、すべての事業を振り分けました。
もっと言えば、その前にキラリのアイデンティティ自体を再確認するプロセスがあるわけで、まずキラリの大テーマを考えて、次にその三つのカテゴリーが大テーマとどういう風に関係するか考えてみる。三つのカテゴリーのそれぞれがどういう特性を持っていて、どこに比重を置いているのか、あるいは置くべきかが分かってくると、事業の内容や方向性だけでなく、予算配分が適正かどうかが見えてくる。他にも事業それぞれに職員をどれくらい投入するか、どのように作業量を配分するかも見えてくる。その上で一つずつの事業の質を高めていく努力をするという順番になります。

-創造発信事業、市民参加事業、アウトリーチ教育普及事業の三つの予算配分を変えていこうという趣旨ですか。

松井 予算の点で言えば、創造発信事業、つまり公演事業にもっとも費用がかかる。その次に市民参加、教育普及になります。ただし公演事業は支出も大きいですが、収入もある程度見込めます。だから単に支出だけで予算を考えるんじゃなくて、公演の収入を増やす方法、あるいは収入を上げられるような事業の内容を考えて、公演事業の収支のバランスを適正化していく。逆に市民参加や教育普及は収入を得られない事業としてどの程度支出するのがバランスが良いか、また参加料以外で、どう収入を図るか考えないといけません。

-とすると、館長はプロデューサーとしての役割も果たすおつもりなんですか。

松井 そうですね。多分、芸術監督がトップのヨーロッパ型の劇場は、芸術監督がプロデューサーなんです。経営者と言ってもいい。運営管理の細かい点を担うアドミニストレーター(事務局長)はいますが、演出家が芸術監督であっても実質はプロデューサーを兼ねていると思います。その方面に才能のある人とない人はもちろんいますが、いずれにしろ経営責任者です。経営責任という意味は、集客が極端に悪いなどの問題が起きた場合、芸術監督はその責任が問われるということです。日本の劇場の場合、芸術監督がトップだとしても、プログラムだけ考える役割になりがちで、劇場全体の運営のトップの方はいないのではないかと思うんです。唯一の例外は、SPACでの鈴木忠志さんで、文化施設の芸術上のトップで、かつ経営能力のある方でした。しかしヨーロッパの芸術監督が持っている経営者としての責任を鈴木さんがすべて引き受けていたのかどうか、ぼくには少し分からない部分があります。

||| 市民に還元できる舞台芸術とは

-世田谷では海外の劇団を招聘したり共同制作したり、助成金・補助金を活用するほか企業の協力を得て運営面も充実していたように思います。キラリでもそういう活動に力を入れるのでしょうか。

松井 そうですねえ。世田谷パブリックシアターと違うのは、やはり富士見市という立地ですね。世田谷も地域という言い方はできますが、東京の中にあるという点は大きい。東京という巨大な演劇マーケットの一角ですから。

-おまけに、というと語弊がありますが、世田谷パブリックシアターは区の施設でありながら、演劇拠点としてナショナルセンターの機能を部分的にではあれ果たしてきた印象が強い。地方の組織化、情報の共有、人材の育成などの面でホントは国立、都立がするべき分野まで担ってしまったのではないでしょうか。

松井 ある側面ではね。別にそうしたくてやったわけではありませんが、必要なことをやっているうちに結果的にそうなっていった面はあるかもしれません。でもここは、富士見市という、東京の演劇マーケットからは隔絶した場所にあって、地域に立脚した公立文化施設です。創造発信するという方針にしても、地域に根付くという状態があって、はじめて可能になるのだと思います。じつはそれは、世田谷ではあまりきちんとやれなかったことだと、反対に考えているんです。

多機能型ホール
【写真はキラリ☆ふじみの多機能型ホール(255席)。提供=キラリ☆ふじみ 禁無断転載】

-具体的にはどういうことをされるのでしょう。キラリンク☆カンパニーという名前のレジデントが3団体ありますね。

松井 そちらも一方の軸ですね。つまりキラリンクというレジデントの三つのカンパニーは、もともとは東京で立ち上げられた劇団やダンスカンパニーで、そういう東京で活動する人たちの創造の拠点にキラリがなっていく。東京から通える距離にはありますから。でも、レジデントカンパニーの活動も、最終的には市民に還元するためのものなんです。世田谷パブリックシアターも区立の文化施設として、最初から中央の演劇界に直結して何らかの役割を果たすというロジックは持っていませんでした。でもここは中央に直結できるようなロジックも実態もないので、あくまで市民が舞台芸術に触れて、生活を潤いあるものにしていくのが最終目標です。
そのために実際にやることは、まず優れた舞台作品を創造し、かつ招聘することです。つまり、これからは、いままで以上に創造的な舞台芸術活動に力を入れるという方向に持っていこうと思っています。
もうひとつの世田谷パブリックシアターにない面は、キラリ☆ふじみはホールを市民に貸し出さなければいけないことでしょう。世田谷の場合も貸し出のルールはあったのですが、一般貸出はゼロで良いという認知を得ていった。しかしここの場合は、市民に場を提供していくことが大事な役割なんです。では、それがプロの優れた舞台作品を増やしていくことと、どう整合性がとれるのか? それは、これから答えを出していくしかない部分ですが、ぼくにとっては、そこにキラリ☆ふじみの運営のおもしろさがある。

-世田谷の芸術監督だった佐藤信さんが昨年、座・高円寺(杉並区芸術文化会館)の芸術監督になりました。そこでの活動の重点の一つとして、子供たちに舞台芸術を意識的に見てもらう仕掛けを考えています。親子が楽しめる舞台を海外からも呼んでプログラムに組み込み、昨年も今年も「旅とあいつとお姫さま」という魅力的な舞台を杉並区の小学4年生全員に見せました。これはちょっと毒のある、とても想像力を刺激される公演です。見過ごしがちですが、じつは区の小学生全員がこういう観劇体験を持つということは意外に深い、広い影響力を持っているのではないでしょうか。生活環境も多様になっているなかで、同じ地域の同じ年代層の何百人何千人が舞台芸術を介して共通の記憶を持つということですよね。テレビでも映画でもなくて、地域の劇場の創造活動によってそれが実現する意味は決して小さくない。おそらくそれが地域の芸術創造活動をはぐくむ核になっていくような気がします。そういう方面へのアプローチは検討されるのですか。

松井 子供たちの芸術体験をどう実現するかということですか。

-それもありますが、地域に住む人たちが同じような文化体験を享受する機会をどう作っていくか。問題を一般化すると、そう設定可能ではないでしょうか。

松井 高円寺の取り組みは、とても意義があると思いますよ。世田谷でも野村萬斎さんの狂言公演を全校に見てもらったり、学校に出掛けてワークショップを体験してもらったりした。そのことで具体的に変化があるんです。子供たちだけではなく、親たちや先生たちも、演劇を通じて人間への見方、理解が変わることがある。
公立文化施設の運営を任されたとき、長期の展望も大切ですが、いま、どう対応するかが迫られている。施設が生き残れるかどうかという目先のことだけでなく、劇場は〈現在性〉が重要だと思うんです。いま起き起きていることを、いま生きている人たちと一緒に舞台に乗せていく。何かを考え、ともに発見していく作業はとても大事だと思います。子供向けの活動はここでもやっているし、これからも考えていきます。ですが、何十年も先のことを見通してやれるのかというと、そういうゆとりやリアリティはじつは持てないでしょう。演劇や社会についての歴史的な展望は方針作りには絶対に要りますが、いまここで起きていることを受け止めて、それにどう取り組むかという方を、現場では優先したいです。大人も子供も重要性において差はない。どちらかというと、子供は演劇を優しく受け入れてくれる(笑)。学校でやると喜んで楽しんでくれる。でも大人はそうはいきません。>>

「連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」 第1回」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: 練馬新聞☆非公式
  2. ピンバック: いろは

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください