渡辺美帆子企画展「点にまつわるあらゆる線」(青年団若手自主企画)

◎彼女のすべてを見尽くすことはできない-展示空間を食い破る演劇のトリガー
 藤原ちから/プルサーマル・フジコ

「点にまつわるあらゆる線」チラシ
企画展チラシ

■「記憶/記録」の罠

 今この瞬間にもたくさんの作品が生み出されているが、たとえ優れたものであっても、たまたま良き理解者に恵まれなかったがゆえに埋もれてしまうことはある。タイムラインは今や、消費と忘却のストリームを形成している。それが果たして、作り手たちの渾身の作品の味方をしてくれるのかどうか、定かではない。だがそれでも「それ」は確かにあったのだ!、と思うからこそ、その存在証明をアーカイブとして書き残すこと。それが劇評の主たる使命だと考えてきた。
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五反田団「びんぼう君」

「びんぼう君」公演チラシ
「びんぼう君」公演チラシ

 世田谷パブリックシアターの舞台批評講座の受講生3名で結成された「劇評の会」。今年で7年目を迎え、毎月「世田谷劇報」という会報も発行しています。そのメンバーである藤倉秀彦さんの五反田団「びんぼう君」評を、了解を得て会報の2012年 2月13日号(通巻121号)から転載します(編集部)。

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劇団鹿殺し「青春漂流記」

◎振り返るな、青春を走り続けろ
 福原 幹之

「青春漂流」公演チラシ
「青春漂流」公演チラシ
(写真:江森康之)

 東京千秋楽。開演の14時ぴったり。上手から劇団員が走り出て一列に並んだ。様子がおかしい。菜月チョビが口を開いた。
 「機械トラブルで音が出なくなりました。台詞が聞こえないような大音量でやっているので、機材を取り換えるために開演時間を1時間遅らせて下さい」

 そういえば、10分程前に流れていた徳永英明の歌が途中でプツっと切れたままだ。20年前にヒットした曲だ。会場は観客の話し声だけが響いていた。菜月さんも相当焦っていたはずなのに、時間がなくて観られなくなってしまう人にお詫びを言ったあと、「もう体はあったまって準備は万全ですが、さらにアップしてキレの良い演技をしたいと思います(笑)」と場を和ませた。紀伊國屋書店の中にあるので、時間つぶしには困らないが、毎回配られる劇中曲の歌詞カードを見るのもいいだろう。この歌詞カードは、鴻上尚史が毎回手書きの「ごあいさつ」のコピーを配るようなもので、観客の楽しみのひとつになっている。
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青年団「ソウル市民 五部作」

◎耽溺と覚醒? 〈唄〉をめぐるアンビヴァレンス
 プルサーマル・フジコ/藤原ちから

 生まれる土地を選ぶことはできないけども、生きていく土地を選ぶことならできる。そう思いつつも、実際はそう簡単に移住できるものではないけどねー、とゆう実感は今では広く共有されつつあるのではないだろか。仮にえいやっと思いきって新天地を求めたところで、いろんな摩擦に晒されるのは避けられない。ぬぐえない。泥まみれの人生だ。おまけにそこに放射能まで加わっている。

 2011年、移民とゆう選択肢はわたし(たち)にもそれなりにリアルなものとして突きつけられた。その壊滅的な年の秋に、〈ソウル市民五部作〉は2本の新作を含む一挙上演とゆう形で東京・吉祥寺シアターでお披露目となった。ある意味、移民の話である。日本列島本土を離れてソウルに移り住んだ豪商・篠崎家を数世代にわたって描いた歴史クロニクル。いつもの青年団の芝居と同じくただ日常が進行し、特に大事件が起きるわけでもないのだが、手品師や臆病な相撲取り、はたまた偽・看護婦や偽・ヒトラーユーゲントまでもが次々やってくるので、篠崎家の女中たちはお茶を出すのに大忙し、てんやわんやとなっている。
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ITI/UNESCO日本センター「紛争地域から生まれた演劇シリーズ」

◎視界に入らないものの世界
 林英樹

「動乱と演劇」公演チラシ 2011年12月2日から4日まで東京神楽坂のイワト劇場で、3大陸3戯曲のリーディングとシンポジウム、トークによる「動乱と演劇」が開催された。

 この企画はITI(国際演劇協会)日本センターが制作する「紛争地域から生まれた演劇」のシリーズ3回目となるものである。ユネスコ傘下の国際NGOであるITIは、近年のユネスコの大テーマ「芸術と平和構築」を受ける形で、ITI各国センターが「紛争地域の演劇」をテーマに活発な活動を行っているが、日本センターもこれに呼応する形で本企画を開始したというものである。シリーズ第1回(2009年)は「バルカン半島」、第2回は「中東-パレスチナ・トルコ」を取り上げ、第3回は、それまでの流れを継承しつつ、特定の地域に限定せず、時代とそのときどきの社会体制とが引き起こす軋轢や個人に与える過酷な現実を扱った作品を取り上げることとなった。
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オーストラ・マコンドー「トーキョービッチ,アイラブユー」

◎初子の未来
 福田夏樹

「トーキョービッチ,アイラブユー」公演チラシ 僕は2度、東亜優という女優に出会っている。1度目は、タナダユキ監督の映画「赤い文化住宅の初子」の初子として。2度目が、今回の「トーキョービッチ,アイラブユー」のお初として。つまり、僕は東亜優に初子としてしか出会っていない。以下は、「トーキョービッチ,アイラブユー」を「赤い文化住宅の初子」の初子の未来の物語として捉えようという試みである。
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Port B 「Referendum – 国民投票プロジェクト」

◎いつか、トーキョーを離れるために
 堀切克洋

 2011年3月11日。この日を境にして、原発問題をめぐる膨大な発言が蓄積され、今日に至っている。けっして数は多くないが、演劇もまたさまざまなかたちでこの現実に応答しようと試みている。

 「非戦を選ぶ演劇人の会」による朗読劇『核・ヒバク・人間』(8月27-28日、全労済ホール)、劇団ミナモザ(主宰=瀬戸山美咲)の原発をめぐる私小説的なメタ演劇『ホットパーティクル』(9月21日-27日、Space雑遊)、F/T「公募プログラム」に参加しているピーチャム・カンパニーの『復活』(10月29日-11月4日、都立芝公園集会広場)、12月にはドイツの劇作家エルフリーデ・イェリネクが福島第一原発事故について描いた『光のない。』(9月初演)のリーディングが行われる予定である(12月16日-18日、イワト劇場)。

 これらの作品がすでに書かれたテクストの舞台上演を前提としているのに対して、高山明が主宰するPort Bの公演『Referendum-国民投票プロジェクト』(2011年10月11日-11月11日、都内各所および福島県内各所)には、通常の意味におけるテクスト(戯曲)、役者(俳優)、そして舞台(劇場)は存在しない。この公演は、端的に言えば、映像インスタレーションを内蔵したキャラバンカーで各所を巡るというプロジェクトであるが、主軸をなしているのは、「インタビュー」、「フォーラム」、そして「トラベローグ」という三つの要素である。
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COLLOL「フリキル」

◎COLLOL田口アヤコのミッション
 羊屋白玉

 久しぶりにCOLLOLを観劇した。満ち充ちとした観劇体験の余韻に浸っていたら、ワンダーランド編集部から劇評執筆の依頼をいただいた。三行なら書けますと答えたら、それはいくらなんでも…ということで、彼女を我が家に招いて、甘いものや温かいものを食べつつのインタビューに至った。劇評というものを書く立場ではないのだけど、インタビューの会話の中からわたしの感じた演劇ユニットCOLLOL主宰、演出家、劇作家、女優、田口アヤコの今や過去や未来の断片が少しでも伝わればと思う。
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維新派「風景画-東京・池袋」

◎劇評を書くセミナーF/T編 第3回 課題劇評

「風景画-東京・池袋」公演チラシ
「風景画-東京・池袋」公演チラシ

 ワンダーランドの「劇評を書くセミナーF/T編」第3回は10月22日(土)、にしすがも創造舎で開かれました。取り上げた公演は、維新派「風景画-東京・池袋」(2011年10月7日-16日)です。9月末の瀬戸内・犬島公演をへて、東京のデパート屋上(西武百貨店池袋本店4階まつりの広場)に登場したパフォーマンスはどのように変貌し、都会のど真ん中にどのように出現したのか-。提出された課題作を基に、講師の岡野宏文さん(元「新劇」編集長)のコメントを挟みながら、駅に隣接したデパート屋上という立地の特質、維新派の活動形態や俳優の特徴など活発な話し合いが続きました。
 以下の8本の劇評は、セミナーでの話し合いを基に加筆、修正されました。掲載は到着順です。
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中井浩之ひとり芝居「猫の事務所」「オツベルと象」

◎これもまた「本道」なのだ
 堀切和雅

中途半端な郊外で

 演劇をやりたい若者は、まあ若者でなくてもいいのだが、とりあえず東京や京阪神や名古屋やせいぜい北九州など、大きめの都市に出て来るほかに、選択肢はあまりない。地方では、機能している常設の劇場空間もまずないし、演劇仲間も集まりにくいし、なによりも、演劇が成り立つ根拠そのものである、まとまった観客層がない。いや、後ほど述べるようにそれは実は存在しうるのだが、未だ潜在的なものに押しとどめられてしまっている。
 もちろん、弘前劇場など、地方を基盤に演劇を成立させて行こうという努力はなされてきたし、いまもされている。
 ただ、演劇界全体のあり方の問題として、地方で舞台を成立させるための組織的努力は、片隅に追いやられてきた。
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