オーストラ・マコンドー「トーキョービッチ,アイラブユー」

◎初子の未来
 福田夏樹

「トーキョービッチ,アイラブユー」公演チラシ 僕は2度、東亜優という女優に出会っている。1度目は、タナダユキ監督の映画「赤い文化住宅の初子」の初子として。2度目が、今回の「トーキョービッチ,アイラブユー」のお初として。つまり、僕は東亜優に初子としてしか出会っていない。以下は、「トーキョービッチ,アイラブユー」を「赤い文化住宅の初子」の初子の未来の物語として捉えようという試みである。

 初子は広島に生まれる。父親は借金を作って逃げだし、母親は、初子とその兄を女手一つで育てたために、過労で倒れ死んでしまった。初子は中学生でありながらバイトで生活費を稼ぎ、生活にいら立つ兄や世間にいびられながらも、同級生との淡い恋や母親が好きだった『赤毛のアン』のアンのように、妄想の中に希望を見出しながら毎日をどうにか過ごしていく。

 映画の終盤、死んだと思っていた父親は、浮浪者として生きながらえていたことが明らかになる。父親と初子は再開するが、父親は息子であるところの初子の兄に無下に扱われたことで、希望を失い、不在中に一人忍び込んだ初子と兄の住む文化住宅に火をつけ自害する。家を失った初子と兄は、兄の友人を頼り、広島から大阪へと旅立つ。ここまでが映画のあらすじである。

 それから数年、広島で赤い半纏を羽織り、あるいは彼氏にもらった赤いマフラーを身に着けていた初子は、東京で赤いワンピースを着て「お初」という源氏名の風俗嬢として客を迎えていた。客のしたを“お掃除”し、「さあ早くおいで」と迎え入れる。そんな所作を無表情で何度も繰り返す。劇中において、客との行為中の初子(※1)の声は表現されず、薄い壁を隔てて聞こえてくる隣部屋の同僚桜子(神戸アキ子)の声が響き渡る。仕事中の初子は自我を消しているのである。中学生当時、彼氏と同じ高校に行くという夢を諦め、ビスケット工場に就職することを選んだのと同様、現実に食べていくための選択肢として(この選択肢は、中学生当時風俗街をさまよい歩いた際にも頭をよぎっている)、風俗嬢という仕事をただただ受け入れている。言い換えれば、初子は純粋さを失ってはいない。それは、整形し、客の性癖にも対応し、積極的に声を上げ、内心いやいやながらも、ビジネスライクに笑顔を浮かべる同僚桜子との対比においてより明白である。

 そんな仕事を続けるうち、初子は客としてやってきた徳次郎(須貝英)と出会う。徳次郎は一方で幸せな家庭を築きつつ、初子と恋仲に落ちる。劇中明示はされないが、初子はおそらくは、徳次郎が背景にもつ幸せな家庭生活へのあこがれもあって、徳次郎を愛すようになった。父母のいない貧しい生活を送ってきた初子は、幸せで豊かな家庭生活に憧れていた。中学生時代にやさしく声をかけられるがままについて行ってしまった新興宗教家のおばさんの家のような、豊かな生活。初恋の相手と誓った、恋愛ドラマではなく、ホームドラマのような生活。しかし、皮肉にも、初子が徳次郎と恋仲に落ちることは、徳次郎がその生活を手放すということでもある。徳次郎に関係を絶たれた初子は「汚い私じゃだめですか」と自答する。初子は徳次郎の子を身ごもるが、自答の結果、その境遇を飲み込み、おろすことを決断する。

 人のいい徳次郎は、友人の借金の肩代わりをするため、闇金から大金を借りる。それは初子の働く店の店長(後藤剛範)の知るところとなり、初子を自分の女としようとしていた店長は、借金を帳消しにする代わり、自分と関係を持つように迫る。徳次郎を思う初子はいやいやそれを受け入れ、店長は初子に対し、全身を蹴りあげるような暴力的な行為に及ぶ(この場面は舞台の床をドンドンと蹴る音で表現される)。

 一方、店長は借金の請求がてら徳次郎の家に押しかけ、徳次郎の妻にことの全てを打ち明ける。その後、妻に問い詰められる中で、徳次郎は初子が自らの子をおろしたことを知る。責任を感じた徳次郎は家を飛び出す。初子と徳次郎は再び出会い、心中するためビルの屋上へと向かう。

 しかしながら、屋上で二人になり、いよいよという段になって、徳次郎は引き返す選択をする。徳次郎には修羅場が待っていようとも帰る場所がある。残された初子には帰る場所などない。二つの選択肢が示される。一つはそのまま初子が飛び降りるという選択肢。もう一つは、飛び降りる直前、似た境遇にあり、自らを頼りにしてくれている同僚桜子の呼びかける声を聞き、自らの存在価値を思い直して風俗嬢としての生活に帰っていく選択肢。いずれが現実であるかは観客に委ねられる。

 幼いころ初子は『赤毛のアン』のアンを妬んでいた。『赤毛のアン』に展開されるストーリーは、病に冒されている中での妄想でないかと初子は考えていた。思うに、ラストの二つの選択肢は、どちらが現実でどちらが空想であったとしても絶望的だ。心中すらできないことを突き付けられた中で、自ら命を絶つ絶望もあれば、同僚に呼び止められたことで自死は免れるも、風俗嬢としての現実の自分を受け入れ、作り笑顔で客に応対して生きていく絶望もある。劇中何度も繰り返される客を迎え入れるシークエンスのうち、唯一最後のこのシークエンスだけ、初子は何とも言い難い妖艶な笑みを浮かべている。後者を、それでも生きていくことの希望とみるべきという考えもあろう。しかしそうではないと僕は考える。希望は妄想の中にある。だとすれば、後者を現実として捉えた時には、自死した妄想の世界の方がまだ幸せであったということになるのである。ただ、そうであるとしても、希望がないとしても、それでも生きていくことに、人間の強さ、不遇な環境にも負けず生き抜いていく初子の強さがそこにはある。

 お初、徳次郎という役名で明らかなように、この作品は近松門左衛門の『曽根崎心中』を下敷きにしている。不倫、借金、風俗、自殺などと展開する物語は、いかにもケータイ小説的だ。『曽根崎心中』を下敷きにすることで、日本人の大衆的な想像力など結局は数百年前から変わらず脈々と受け継がれているものである、という喝破を見え隠れさせながら、一方で、徳次郎の視点から紡がれている『曽根崎心中』をお初の側から展開し、新たな解釈を加えている点は巧みである。更には、偶然にも名前の重なる「赤い文化住宅の初子」における初子から発想し、その未来として「お初」を見出している(※2)のはしたたかとさえ思える。単なる客寄せパンダとして有名人を用いる芝居は少なからずあるが、今回、発想元の映画の主演女優を起用し、作品の強度を強化したように(※3)、有名人を起用することでこそ可能となる想像力の用い方もある。『曽根崎心中』「赤い文化住宅の初子」の二つを複雑に絡ませあいながら、ほつれることなく織り上げた想像力の用い方の巧みさは、演劇の間口を易きに流れず広げるあり方として僕は高く評価したい。加えて、東亜優は小劇場界きっての個性派俳優に囲まれながらも、決して客寄せパンダと言わせない卓越した演技を見せていた。一見けばけばしい恰好をしながらも、本質的には人をまっすぐ愛する純粋さを失っていない、かといってコスプレ的な滑稽にも流れないその在り様は、本来的な純粋さを持ち、かつて初子を演じ、初子としての身体を獲得している東亜優だからこそ可能であったと思う。

 また、物語以外の部分も本作はよく練られて作られていた。柴幸男、藤田貴大を想起させるような、音楽に合わせた演技、繰り返しのモチーフ、維新派を想起させるような機械的な動きなど、種々の演劇の手法を取り混ぜているように見えた。ただし、これらは表面的に想起させるというだけで、それらの優れた作品の至った地平には届いていないし、そもそも、それらの手法の肝を踏まえていない。例えば、柴、藤田は音楽のリズムにセリフをあわせるが、この作品は、生演奏のギターをセリフのリズムにあわせてセッションするような形で聴かせた。だが、そこに優れた作品の表面的なパッチワークのうすら寒さがあるかといえば必ずしもそうではなく、本作なりの一様の想像力の豊饒化に寄与していた。

 もう一点演出に触れれば、初子、徳次郎、徳次郎の妻の三者は劇中常に舞台上に複数置かれた木箱の上に居場所を与えられており、空間の移動は移動した木箱の上を渡り歩くことで表現されていた。これは、床面から三者を浮かせることで色恋沙汰の浮世離れを示すとともに、その木箱の上を渡り歩く不安定さや、最後、徳次郎が心中をやめる場面でその木箱を降りて俗世に帰る姿などを、抽象性を持たせつつ描くのに効果的であった。

 以上のように、様々な要素を組み上げ、複雑に技巧をこらして作られた本作は巧みではあるが、一方で感情の発露する場面が多い作品でありながらその感触が滑らかすぎるような気もした。それは、ケータイ小説的な作品に仕上げることを意識したことによるのかもわからない。単に僕の好みの問題かもしれないが、エチュード的要素を含んだ作品であるならば、もう少しざらつきやごつごつした感触が残るものがみたかった(※4)。とはいえ、この劇団がふんだんにまき散らした様々な種の多くは芽吹いているようにも感じられた。どの芽をどのように育て上げるかが重要だ。単なるウエルメイドを超えた、このもう一歩先の高みの世界で花開くことを心から期待している。

※1 劇中の役名、呼び名は「お初」で統一されているが、この文章における試みの性質上、あえて文中では「初子」として統一している。
※2 作中では、「お初」は「初子」の未来の姿であることは一切明示されていないため、「お初」と「初子」が無意識に重なってしまった可能性も否定はできないが、筆者の記憶によれば劇中で「お初」の親の死因は火事によることとされており、ここまでの偶然の一致はありえないことを考えれば、作り手側が全く意識していなかったとは考えられない。
   なお、聞くところによると、本作にはいわゆる台本はなく、プロットのみが、演者に伝えられており、細かなセリフは演者に任されていたとのことであり、東亜優が自身の発想として「お初」を演じるにあたって、「お初」を「初子」に重ねた可能性もある。
※3 本作は再演であり、初演には東亜優は出演していない。なお、筆者は初演を観ていないが、少なくとも試みとしては作品の強度を増すための東亜優の起用であったろう。
※4 これは、観劇日が千秋楽(12月11日11:30の回)であったことによるのかもしれない。

(参考)
 タナダユキ監督「赤い文化住宅の初子」
 松田洋子著『赤い文化住宅の初子』太田出版
 近松門左衛門著、諏訪春雄訳『曾根崎心中 冥途の飛脚 心中天の網島―現代語訳付き』角川ソフィア文庫

【筆者略歴】
 福田夏樹(ふくだ・なつき)
 1984年7月19日生、演劇ウォッチャー。学生時代に演劇論の授業を受けたことをきっかけに舞台をぽつぽつと見始め、社会人になってから観劇本数が激増。2011年はついに観劇本数が200本を超えた。

【上演記録】
オーストラ・マコンドー 「トーキョービッチ,アイラブユー」
サンモールスタジオ(2011年12月7日-11日)
原作:近松門左衛門「曽根崎心中」
演出:倉本朋幸
脚色・構成:上本聡

出演:
東亜優
渡邊安理(演劇集団キャラメルボックス)
須貝英(箱庭円舞曲)
神戸アキコ(ぬいぐるみハンター)
後藤剛範(国分寺大人倶楽部)
カトウシンスケ
兼多利明
(今回出演を予定していた松崎みゆきは、一身上の都合により降板)

ライブ演奏:MOGMOS & ALL STARS

チケット料金(全席自由・税込):
一般:前売2,800円/当日3,000円 ペア割引:5,000円(予約のみ)
平日昼割:2,500円
高校生以下(要証明):前売2,200円/当日2,500円


「オーストラ・マコンドー「トーキョービッチ,アイラブユー」」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: かいらくえんなつき

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