5.飛び石を渡る足取り
大泉尚子
会場は、池袋西武4階屋上、赤レンガが敷き詰められたまつりの広場。借景は、三方にぐるりと聳え立つビル群、そして目の下には山手線が走り、上には空が広がる。舞台奥には、いぶしをかけたような風合いを持つ、木製のビルのミニチュアがずらりと並ぶ。17時の開演時、あたりはまだ明るい。駅ホームのアナウンスや電車の通貨音が、ごくごく間近に聞こえる。
突然、轟音が鳴り響くオープニング。顔や手足を白塗りをした2人が出てきて、腰をかがめて足を一歩引きもう一方の足を引きずるような格好を、何度も繰り返す。衣装は、学生服の夏服をアレンジしたような、白い半袖シャツに黒い五分丈ズボン。キーンという金属音。1人がもう1人をナイフで刺すような動作を、これまた何度か繰り返す。
次に同じように白塗りの同じ衣装を着た人物が現れて、総勢で20人以上。なぜか1人だけがハンチングをかぶっているのが“昭和の少年”のイメージ。マスゲームのようにきっかりと前後左右を等間隔にとって並ぶ人物たちは、足を一箇所につけたまま、かすかに揺れている。ずっと無言で。自分で自分の体を抱きしめたり、手を握り合わせたり、目の前に立っている棒を上へ上へと辿っていったり。そんなしぐさはどれも、からくり人形のようにぎくしゃくしている。
唐突に声が聞こえてくる。中国語か?とも思える外国語。そのうちに「トーヤ」「トーヤ」「トーヤ」という掛け声。そして「私はいくつもの川を知っている。…コロラド…アマゾン…ライン…ヨルダン…ガンジス…チグリス…ユーフラテス…」。
こんなふうに始まった劇は、その後も確たるストーリーを展開することもなく、登場人物たちのさまざまな“人形振り”と、セリフともつかない地名や物の名を延々と羅列する複数の声によって進行していく。
空はだんだんと暮れ始め、濃い茜色をバックにビルが黒々と浮かんだかと見ているうち、赤や黄色の明かりが灯り始める。舞台には、左右に立てられた櫓から照明が当たっているが、途中ライトが落ちても、当然真っ暗になるわけではない。白塗りの顔は、無表情のようでいて、周りが明るい時はのっぺりとお面のようだし、照明が当たれば蛍光塗料のように光を放ち、落ちればほの白くと、いくつかの面差しを湛えている。
この白塗りといい、まったく同じの衣装といい、揃ってなされる人形振りといい、単語やほんの短いフレーズ以外は1人で語るセリフが皆無なことといい、ここでは個性というものが捨象され、俳優は駒のように配置され動かされているように見える。彼らは、点描画の点のように存在して「風景画」を構成しているのかもしれない。
と同時に、矛盾した言い方だが、今回の公演では俳優が比較的間近にいることもあってか、個の匂いを消そうとすることがむしろ生身を感じさせるという逆転現象をも生じさせていた。制服のような衣装は個々の体型を浮き上がらせ、同じ動作は体の癖を露にする。その二重性が、眩暈を誘うような不思議な存在感を醸し出していたのだった。
そして、平板な節回し、関西弁のイントネーション、シンプルなリズムに乗せて流れてくる並列的な言葉の数々とリフレイン。それらに身をゆだねていると、耳元で呪文を囁かれているような、あるいは遠い日のあらぬ夢を見ているような気分になってくるのを禁じ得ない。
さて、終盤で耳に残ったのは「あ・か・り・の・か・た・ち」「あ・か・り・の・な・ら・び」「み・ん・な・で・ま・も・ろ・う・ち・い・さ・な・あ・か・り」のくだり。「白熱灯、蛍光灯、カラオケ灯、ネオン灯、LED、ナトリウム…」と灯りに関する言葉も並ぶし、「赤、青、黄、白…」という色の羅列は、灯りの色ともとれる。
そしてラスト、カウントダウンのように発せられた年号は「…2011、2012…2036、2037、2038…」と続いた。決して声高にではないけれど、果たして将来、私たちの灯りは守れるのだろうか?とでも言いたげに。
この公演に、私はフェスティバル/トーキョーのボランティア・クルーとしてかかわっていたので、何人かからは感想を聞けたし、ツイッターも読んだ。その中で複数あったのが「地面」と「空」が印象的だったという意見。「地面」というのは、私も一昨年のF/Tの『ろじ式』の時から強く感じていたことで、これは“地べたの劇だな”というイメージがあった。
今回、俳優たちが履いていたのは、黒くて底の薄い運動靴。スニーカーとは言い難く、ちょっと地下足袋的なニュアンスもあって、実際に足裏の感触がしっかりと伝わってくるものだったと思う。彼らの動作も、先にふれた、足を固定して上半身を微妙に揺らしたり、摺り足をしたりと、床面を強く意識させるものが少なくなかった。屋上という、中空に人工的に設えられた「地面」の赤レンガの床は、その色や質感的にも、また登場人物の動きとの関連性においても、強い存在感を放ち、それに対応して、広がる空の開放感が感得されたのだろう。
今回の『風景画』は、9月に犬島で上演された作品に手を加えて作られたもので、犬島では干潟を舞台にした野外公演だった。上演時間も潮の引く時間に合わせたのだそうだが、何らかの原因で潮が引かず、足を海水に浸らせるような状態で演じられたという。ちなみに、2008年の『呼吸機械』は琵琶湖畔の水上舞台で上演されている。
いずれにしても、この“地べた”感というのは維新派の作品の重要な要素であり、これらの野外劇では、こうした足元の質感をも大きな拠り所として、舞台全体の表情を作り出してきたのではないだろうか。
ところで、池袋西武での観劇はこれが私にとって二度目。最初の機会はというと、今を遡ること約40年前の1972年6月、西武にあったファウンテンホールで土方巽の『すさめ玉・前後篇』を見たのだった。
大学に入ってまもなくの頃で、それまでは演劇といえば、地方にまわって来る労演で新劇の舞台を何回か、ダンスといっても、テレビで歌手の後ろで踊っているものくらいしか見たことがなかった。もちろん「土方巽」も「暗黒舞踏」のこともまったく知らず、何の予備知識もなく、東京育ちのクラスメートの誘いにうかうかと乗ったのだ。
この時すでに、土方巽は自分で踊ることを止めて、芦川羊子らの弟子に振付をするだけだったが、その時の踊りの異様さ、異形さは凄まじかった。顔と全身を白塗りにし、女性は日本髪。目は寄り目、顔を極限まで歪め、腰を落とし、手足を内側に不自然に曲げ、痙攣のような動きをする。踊りといえば、美しく伸びやかな動きというのが前提だと信じていたところに、およそ、それとは宇宙の果てほどもかけ離れたものを見せられた印象は「気持ち悪い」以外にはなかった。それも、拭っても拭ってもまとわりついてくるような粘液質な不快さ。誘った友人の悪意すら感じて、その夜は高熱を出した(という最悪な出会いにもかかわらず、いや、だからこそと言うべきか、これを境に舞踏にどうしようもなく惹きつけられてしまったのだが…)。
この舞台、途中で土方が舞台に上がってきて、中断させるというハプニングがあり、当時はそれが“やらせ”なのかといぶかっていたのだが、その後、舞踏家の和栗由紀夫の書いたものを読んで事情が判明した。
と、長々と引用したわけはほかにもある。以前、演出の松本雄吉さんに、白塗りと人形振りについて、土方の暗黒舞踏の影響もあり、ただ、舞踏は特殊な動きで誰もができるものではないので、人形振りを取り入れたと聞いたのだ。
また、ここで語られている土方の壮絶なまでに暴君的なカリスマぶりに対して、松本さんのにこやかで飄々とした佇まい。一昨年もクルーとして少しだけ舞台裏を覗かせてもらった『ろじ式』では、稽古場兼会場のにしすがも創造舎で、松本さんは来る日も来る日も、大阪から持参したヌカ床で仕込んだ漬物を漬け、劇団員の食事に添えていたのだった。そんなかかわり方は、劇団の雰囲気にも舞台にも確実に反映して、あのどこかあっけらかーんとした空気を醸し出している気がする。
ある研究者が、舞踏は断絶を提示し、コンテンポラリーダンスはコミュニケーションを求めるというようなことを言われた時、非常に腑に落ちる想いがした。確かに、かつての暗黒舞踏は、切り立った崖が目の前にそそり立ち迫りくるかのような人間存在の断絶感をもたらし、そのことによって異常なまでの強靭さを保った瞬間があったのだと感じる。
そして維新派は、断絶の絶壁をこれでもかと見せつけるでも、安易にコミュニケーションを求めて手を伸ばすでもなく、そのあわいの飛び石を軽やかに渡っていこうとしているかのように、私には思えてならない。
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