維新派「風景画-東京・池袋」

7.掌の上の世界-維新派『風景画‐東京・池袋‐』評-
  山崎健太

 そこにかつての維新派の姿はなかった。

 20年ぶりの維新派東京野外公演。期待に胸を踊らせて会場に足を踏み入れた私たちを待ち受けていたのは、ビルの谷間にぽっかりと空いた空間と夕暮れの空だった。池袋西武4階まつりの広場。私たちは黄昏どきに一歩を踏み出す。いつもの維新派の公演とは違い、大掛かりな舞台美術はない。大都会を借景とした舞台空間には、背景と相似をなすミニチュアセットが置かれているのみだ。そしてこの最小限の舞台美術と同じように、今回の作品ではパフォーマーの動きもまた、かなりの部分がミニマム/ミニマルなものであったと言える。これまでの維新派と同様の、スペクタクルに満ちた舞台を期待していた観客にとっては肩透かし、地味な舞台と映ったかもしれない。

 維新派の公演の多くは野外で行われる。彼らは公演期間に先立って現地入りし、舞台と客席の設営を行うという。彼らはただ単に野外で公演を行うのではない。その場所に、虚構の空間を立ち上げていくのだ。全ては物語世界というフィクションに奉仕する。例えば『呼吸機械』には次のようなストーリーが付されている。「物語りの舞台は第二次世界大戦中の東欧。戦災孤児の少年カイ、アベル、イサク、そして少女オルガの4人は戦火の中をあてどなく彷徨います。地雷を怖れ、野草を食み、時には盗みを働きながらひたすら彼らは歩き続けます。そして彼らの前に現れるは旅芸人の一座…。」『ROMANCE』以降の維新派の作品には全て物語があった。少年少女の冒険物語。維新派の作品を上演することはその作品の物語世界を現実空間に作り出すことであり、その中で、周囲の風景もまた、異空間の一部と化すのである。上演が空間を変容させ、ハレの場が現れると言ってもよい。もちろん、その場所の持つ特異性が作品の魅力の一端を担っていることは否定できない。しかしそれはあくまで、物語世界を構築する中で魅力を発しているのである。対して、今回の『風景画』にはストーリーはない。物語世界の放棄された上演空間。そこには何が現れていたのだろうか。

 今回の上演のトーンを決定づけているのがパフォーマーが格子状に並ぶシーンだろう。前半のかなりの部分とラスト近く、合わせると上演時間の三分の一ほどを占めるだろうか。パフォーマーたちは整然と並び、その場所から動くことはない。そこで行われるのは重心の移動と腕の動きを中心とした動作であり、その身振りは、抱きしめる、電話を取る、怒りに拳を振り上げるなど、日常のしぐさを模しているようにも見える。では、そこで描かれていたのは都会に生きる私たちの姿だったのだろうか。無数の点がスーラの絵画を構成していたように、私たちという無数の人間が織りなす都会の風景。たしかに、パフォーマーの姿は、大都会に生きる私たちの姿に重なって見える。等間隔に並んだパフォーマーたちが重心の移動によって体の傾きを変えていく姿は、満員電車の中、斜めに立ち、電車の揺れに身を任せる私たちだ。続く身振りは私たちの日常の風景。無関係の人間同士が互いに離れた場所で過ごす日常が、時に重なって見える。例えば、パフォーマーの配置と同様に、格子状に並ぶビルの窓。それぞれの窓の向こうでは、それがオフィスであれ家庭であれ、多少の差異はあれども似たような風景が、日々、繰り返されている。そしてそんな私たちの日常は、街の(あるいは世界の)スケールの中では小さな点に過ぎない。

「風景画」公演写真
【写真は、「風景画-東京・池袋」公演から。 撮影=井上嘉和 提供=維新派 禁無断転載】

 それぞれのシーンには点、線、図形、消失点などといった絵画と関連したタイトルが付されている。消失点とは遠近法における特異点であり、絵画の平面空間にどのように三次元空間を再現するかを決定する基準となる点だ。遠近法に則った絵画を描くために使われていた器具に、内部に格子状に糸を張ったフレームがある。画家はそのフレームを通して見ることで、現実世界を平面空間に変換する。パフォーマーたちの幾何学的な配置は、この、世界を把握するための格子を連想させる。自らを取り巻く世界を理解可能なものとして把握したいというのは、おそらく人類共通の欲望だろう。その答えの一つが遠近法だったわけだが、現代に生きる私たちが手に入れた「世界を把握するためのフレーム」は、世界をまさに掌中のものとしようとしているように見える。35.729297, 139.711841。これが会場となった西武池袋本店を示す数字だ。世界中のあらゆる場所が、緯度経度がなす格子上の点として表わされる。そしてGoogleマップとスマートフォンという道具を手に入れた私たちは、掌の上の小さな機械を覗きこむだけで、どのような場所にいても、地球上のあらゆる場所へアクセスすることができる。そしてもちろん、場所に限らず、あらゆる種類の情報がそこにはある。

 パフォーマーたちは様々なものの名前を発する。川の名、都市の名、香辛料の名。名前の羅列。名前を連ねることで「網」羅されていく世界。言葉に分解され、整理されていく世界。私たちが検索エンジンでアクセスできるのは、言葉によって整理された情報だけであり、そこでは、それが世界の全てだ。また別のシーンでは、パフォーマーたちの体のパーツが示される。「足首」「膝」「尻」といった具合に、名称とともに示される部分。ここでもまた、人間が、様々な部分=言葉へと分解されていく。私たちを分解するのは言葉だけではない。私たちは時間にも区切られながら生きている。時を告げるシグナルに合わせて様々な動作を行なうパフォーマー。一秒ごとにおじきをする。一秒ごとに呼吸する。時間という枠に規定され、一秒ごとに刻まれる私たちの生活/生命(ライフ)。そして「10秒後に呼吸が止まる」という宣言通り、動きを止めるパフォーマーたち。刻まれ続けたその果てに生命はない。あるいはその死の瞬間までもが心電図のシグナルによって計られるのか。照明も消え、薄暗い舞台空間に立ち尽くす彼らはまるで墓石のようだ。

 死のような静寂の中、三々五々退場するパフォーマーたち。しばしの空白ののち、駅の騒音とともに舞台は再び動きだす。薄闇と静寂から動きだす舞台は、早朝の都会の風景にも見える。早朝の、人気のない街の空気。駅の雑踏やアナウンス、電車の音を背景に、駅に到着する電車のように、パフォーマーたちは舞台空間に進入しては去っていく。次々に、複数の方向からやって来ては束の間の交錯。それはまさにターミナル駅たる池袋の風景だ。そして交差する無数の路線が織り成す網は、東京という都市を覆い尽くしている。線路と駅によって把握される東京という都市。

 続くシーンでもまた、グリッドがそのモチーフとなる。四人一組となり四角形を形作るパフォーマーたち。だが彼らの間でコミュニケーションは成立しない。差し出された手は見向きもされず、視線が交差することはない。やがて彼らの一人が四角形を離れさまようが、誰からも相手にされない。決められた場所を離れれば居場所はなく、諦めとともに元の場所に戻るしかない。白塗りの顔と統一された衣装に個性が埋没したパフォーマーたちのように、私たちはこの東京という都市に飲み込まれている。そこにいるのが「私」であることに必然はなく、それでも「私」はそこにいるしかないのかもしれない。インターネットと携帯電話が加速した「コミュニケーション」。多くのものを取りこぼしながら、それでもネットワークは私たちを絡め取る。

 上演のほぼラスト、対角線と題されたシーン。パフォーマーたちは横一列に並び、再び川に言及する。1、9、4、1、1、9、4、2、1、9、4、3とカウントされていく年号。泥の川、血の川であると歌われるその川は時の流れだ。ひとりひとりのパフォーマーが連なることで対角線を描いていたように、時の流れを紡ぐのは血の通った私たちという人間個人であり、その私たちが汗を流して行った行為である。しかしそのことを忘れ、年号が無機質な数字へと堕したとき、時の流れは私たちを彼方へと消し去る。一年ずつ時を刻んでいたはずの年号はいつしか歩みを速め、百年単位で進んでいく。2100年、2200年、2300年。百年単位の時間の流れに私たちは流されていく。

 これが『風景画』で描かれた風景だ。さて、それではこの風景画は、単に現実を模しただけの絵であり、私たちは箱庭を覗きこむように、舞台上に現実の戯画を見たのだろうか。殺伐とした、味気ない都会の空気。だからこそ、舞台に魅力が感じられなかったのか。しかし、そこにあったのは箱庭ではない。そもそも借景とは、閉じられた箱庭世界とは違い、むしろ空間を開くための技法である。床の間の盆栽‐庭の植栽‐借景と並べることで、自然を掌中に収めるのではなく、自らの生活空間から広大な世界へと回路を開くこと。それこそが借景の意味なのである。私たちは「発見」したはずだ。ビルの谷間にぽっかりと開いた空間を。舞台美術のミニチュアが実際のビルを模したものではないかと、その背後にある都会の風景と見比べたのではなかったか。会場に隣接したビルの窓から、「何が起きているのか」と覗きこむ人の姿を、刻々と移ろっていく夕暮れどきの光を見たではないか。冒頭の轟音が消えたとき、そこに響く本物の電車の音を聞いたではないか。手元の携帯電話に目を落としながら会場に着いた我々は、そこで顔を上げ、私たちを取り巻く風景を発見する。

 『風景画』は、私たちの生きる東京・池袋の描写であると同時に、都市の風景を再発見する試みであり、そのための額縁だったのだ。普段見過ごしている風景に、改めて視線を向けること。会場となった「まつりの広場」の名前とは裏腹に、私たちの日常=ケにこそ視線を開くことがそこでは求められていた。これは、従来の維新派の「ハレの場」を作り出す作品とは真逆の試みであると言える。思えば、2年前の『ろじ式』から既にその萌芽はあった。『ろじ式』にもストーリーは付されているが、その筋はあまりに淡泊である。「<路地>を、管理されることのない空間、不合理なるものの迷宮、過去への奥行き、そしてアジアへの通路として捉え、俳優たちが路地を構成し、路地を歩行します。」もちろん、『ろじ式』は野外公演ではなく、描かれている「路地」も虚構の空間である。その点で『風景画』との間には大きな隔たりがあるが、『ろじ式』という作品のねらいが、物語世界を立ち上げることではなく、「路地」という空間を描くことにあったのは明らかだ。これまでの維新派作品の系統を受け継ぐように見える『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』についても同様だ。そこにはかつての主人公たる少年少女の姿はない。「20世紀の海の道」が描かれるのみだ。「物語」から「風景」への重心の移動。それがさらに推し進められた先に、現実の風景を見せる『風景画』はある。

 ラストシーン、時の流れに消え去るかと思われた彼らは、私たちに背を向け、再び歩き出す。いや、そうではない。彼らは背後に広がる広大な世界と向き合いはじめたのだ。私たちと同じ方向を向いて。この場面に松本雄吉の希望が見える。顔を上げ、世界と向き合え。そして新たな一歩をともに。

 だが私たち観客は、そこに同調し、一歩をともに踏み出すことが出来ない。かすかな違和感がその一歩を躊躇わせる。『風景画』は東京・池袋という都市を「再発見」するための額縁を作り出す試みだ。そこには眺めるための距離が不可避的に生じている。都市の外部から都市への視線。東京という都市を風景画に仕立て上げて見せる試みは、どこか他人事だからこそ成立するのだ。維新派の作り出した『風景画』という額縁は私たちと風景=東京を隔ててしまう。私たちにとってそこは見るための場所ではなく生きる場所、関わる場所だ。だから、『風景画』を観終えた私たちは、彼らとは逆方向に一歩を踏み出す。東京という都市に帰り、そこで生きていくために。


「維新派「風景画-東京・池袋」」への5件のフィードバック

  1. ピンバック: 井上嘉和
  2. ピンバック: おとうた通信
  3. ピンバック: やまだ
  4. ピンバック: Imai Miho

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