維新派「風景画-東京・池袋」

◎劇評を書くセミナーF/T編 第3回 課題劇評

「風景画-東京・池袋」公演チラシ
「風景画-東京・池袋」公演チラシ

 ワンダーランドの「劇評を書くセミナーF/T編」第3回は10月22日(土)、にしすがも創造舎で開かれました。取り上げた公演は、維新派「風景画-東京・池袋」(2011年10月7日-16日)です。9月末の瀬戸内・犬島公演をへて、東京のデパート屋上(西武百貨店池袋本店4階まつりの広場)に登場したパフォーマンスはどのように変貌し、都会のど真ん中にどのように出現したのか-。提出された課題作を基に、講師の岡野宏文さん(元「新劇」編集長)のコメントを挟みながら、駅に隣接したデパート屋上という立地の特質、維新派の活動形態や俳優の特徴など活発な話し合いが続きました。
 以下の8本の劇評は、セミナーでの話し合いを基に加筆、修正されました。掲載は到着順です。
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「宮澤賢治/夢の島から」(ロメオ・カステルッチ構成・演出「わたくしという現象」、飴屋法水構成・演出「じ め ん」)
「無防備映画都市-ルール地方三部作・第二部」(作・演出:ルネ・ポレシュ)

◎劇評を書くセミナー2011 F/T編 第2回 課題劇評

F/T2011 ワンダーランドが毎年開いてきた「劇評を書くセミナー」は今年、フェスティバル/トーキョーと提携して始まりました。
 第1回のトークセッション(9月25日)は入門編でしたが、第2回以降は劇評を書く実践編。公演をみて劇評を書き、受講者と公演や劇評の中身を話し合う機会になります。
 第2回(10月1日)で取り上げたのは、F/Tの委嘱作「宮澤賢治/夢の島から」(ロメオ・カステルッチ構成・演出「わたくしという現象」、飴屋法水構成・演出「じ め ん」)と「無防備映画都市-ルール地方三部作・第二部」(作・演出:ルネ・ポレシュ)でした。
 字数は2000字から4000字前後。いずれの公演も野外で開かれ、既成の枠組みから逸脱するような手法と展開だったせいか、セミナー受講者は原稿執筆に苦しんだようです。
 講師は新野守広さん(立教大教授、シアターアーツ編集委員)でした 。新野さんが執筆した2本を含めて提出された計8本の劇評が取り上げられ、ゼミ形式で2時間半余りしっかり討論されました。セミナー終了後の喫茶店で、講師の新野さんを交えてさらに話が尽きませんでした。
 以下、受講者執筆の6本を提出順に掲載します。原稿はセミナーでの議論を踏まえて再提出されました。すでに掲載されている新野さんの劇評と併せてご覧ください。
“「宮澤賢治/夢の島から」(ロメオ・カステルッチ構成・演出「わたくしという現象」、飴屋法水構成・演出「じ め ん」)
「無防備映画都市-ルール地方三部作・第二部」(作・演出:ルネ・ポレシュ)” の
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雑貨団「.」←dot

◎シアトリカル・プラネタリウムはいかに演劇を拡張するか
 柳沢望

雑貨団「.」←dot公演チラシ 長野市立博物館のプラネタリウムでおこなわれた雑貨団の公演を見に行った。タイトルは「.」(ドット)という。
 雑貨団のことを知ったのは、最近たまたまプラネタリウムでの仕事を始めたからなのだが、長野市立博物館は、雑貨団がプラネタリウムを活用する演劇公演を始めた場所だったそうだ。活動の原点となる場所で、新作の初演がどのように披露されるのか、興味を抱きつつ出かけた。
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台湾国立中正文化中心、SCOT「椿姫-何日君再来」(流行音楽悲恋花劇)

◎見えないものを見えるようにする
 よこたたかお

ふじのくに⇔せかい演劇祭(1) 論点
 2011年6月11-12日にかけて、静岡舞台芸術劇場で鈴木忠志演出の『椿姫―何日君再来』が上演された。
 この作品は『椿姫』(デュマ・フィス)から原作を取っている。とはいえ、小説版・戯曲版の『椿姫』の上演ではない。むしろ『椿姫』と言えばヴェルディ作曲のオペラ版が人口に膾炙しており、演劇よりもオペラ愛好家の中によく知られている作品だろう。鈴木忠志は既に2009年に『オペラ 椿姫』を上演している。従って、今回の『椿姫―何日君再来』は『オペラ 椿姫』(2009)への応答であったといえよう。
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トライフル「タバコトーク×ドーナツトーク」

◎不条理演劇と口語演劇、そして、演劇の歴史を背負って活動すること。あるいは作家の表現衝動について
  矢野靖人

「タバコトーク×ドーナツトーク」公演チラシ NEVER LOSE(活動休止中)の片山雄一が名古屋で旗揚げしたカンパニー・トライフルの第二回公演、『タバコトーク×ドーナツトーク』二本立て公演を観に行って来た。
 トライフルは2010年2月にちくさ座で旗揚げした名古屋のカンパニー。東京在住の劇作家、演出家、そして俳優でもある片山雄一が、製作時にのみ名古屋に長期滞在(レジデンス)して、名古屋の俳優、スタッフと共同制作を行うという、久しぶりに自らが主宰として旗揚げしたカンパニー。東京と名古屋のみならず、演劇東京一極集中に異を唱え、ゆくゆくは東京とそれ以外の全国とを結ぶためのカンパニーを目指しているという。
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パスカル・ランベール作・演出「世界は踊る~ちいさな経済のものがたり~」(SPAC版)

◎踊る世界の足元を示す
 柳沢望

「世界は踊る~ちいさな経済のものがたり~」公演チラシ パスカル・ランベール作・演出の「世界は踊る~ちいさな経済のものがたり~」は、2010年1月にフランスで初演された時にも一般市民多数が参加して上演されたということだが、富士見市、静岡市、宮崎市の三ヶ所で行なわれた日本での上演は、それぞれの地域から多数の一般市民が舞台に参加、さらに、多田淳之介(富士見)、大岡淳(静岡)、吉田小夏(宮崎)の三人が、それぞれの地で共同演出者として参加し、別々のバージョンを上演するという意欲的な企画だった。
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スミイ企画「日常茶飯事」

◎すれ違うことで出会い直す
柳沢望

今回上演された『日常茶飯事』に限らず、佐々木透によるテクストが2010年の日本における劇作のひとつのエッジであることは紛れも無い。リクウズルームを主宰する佐々木透は、既に堤広志氏が注目し(注1)、川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場のクリエイション・サポート事業に抜擢されたことさえあるものの、まだ評価が固まっているとは言えず、未だに「無名」であると言っても誇張ではないだろう。

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手塚夏子「私的解剖実験5-関わりの捏造」

◎プライベートから漏れ出てくるもの
米山淳一

私的解剖実験5-関わりの捏造」公演チラシ以前から気にはなっていたのだが、まだ見たことのなかった手塚夏子作品を、今回ようやく見ることができた。その舞台は、一瞬も目を離せないほどに、見入ってしまうものだった。それがどんな作品だったのか、また何がそれほどまでに面白かったのかについて、少し考えてみたい。

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快快「SHIBAHAMA」

◎酷薄な皮肉さを肯定すること  柳沢望  快快の『SHIBAHAMA』は、古典落語の『芝浜』をモチーフにしながら、天井と四つの壁すべてにせわしなく映像を上映しつつ、断続的に多様な場面が入れ替わる、極めて同時代的な舞台作品 … “快快「SHIBAHAMA」” の続きを読む

◎酷薄な皮肉さを肯定すること
 柳沢望

 快快の『SHIBAHAMA』は、古典落語の『芝浜』をモチーフにしながら、天井と四つの壁すべてにせわしなく映像を上映しつつ、断続的に多様な場面が入れ替わる、極めて同時代的な舞台作品に仕上げられた上演だったと思う。

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チェルフィッチュ「わたしたちは無傷な別人であるのか?」、中野成樹+フランケンズ「スピードの中身」、Nadegata Inst

◎政治と劇場の間 ミュージアムで公開された3つの劇作品をめぐる時評的断章
柳沢望

「わたしたちは無傷な別人であるのか?」
チェルフィッチュ公演チラシ

『私たちは無傷な別人であるのか?』の公演を横浜美術館に見に行ったのは3月8日で、これはブレヒト的と言って良い舞台なのだろうな、と見ながら考えた。少なくとも、観客に問いを投げかける上演だった点でそう言えると思う。
ただ、その問いかけのなされ方についてはいろいろ考えてみる余地はあるだろう。それこそ、十分に思考を貫いた上での問いなのかどこかで思考停止した問いに過ぎないのかによって、問いかけの意味も違ってくる。そこに立ち返って考えたいのだけど、その上でこの記事では、中野成樹+フランケンズと、そしてNadegata Instant Party(ナデガタインスタントパーティー)の近作についても言及していく。

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