忘れられない1冊、伝えたい1冊 第8回

◎「死せる『芸術』=『新劇』に寄す」(菅孝行著、書肆深夜叢書、1967)
 西川泰功

「死せる『芸術』=『新劇』に寄す」表紙 宮崎駿監督(1941~)のアニメ映画『もののけ姫』(1997)に、タタラ場という製鉄を産業とした村が出てきます。村を治める頭はエボシという女です。宮崎はエボシについて、あるインタビューで「もの凄く深い傷を負いながら、それに負けない人間がいるとしたら、彼女のようになるだろうと思った」と語っています(ⅰ)。彼女は、理想の国を築くため、その地域を支配するシシ神と呼ばれる神を、自らの手で殺そうとするのです。他の登場人物たちは怖じ気づいて逃げ出してしまうのに。ぼくはここに、理想を実現する人物の根源にある苦悩を感じます。いきなりこんな話をするのは、この苦悩が、理想を芸術として実現するときにも生じるものだと考えるからです。
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サンプル「自慢の息子」

◎移動する主体が<まなざし>の変容を照らす
 西川泰功

「自慢の息子」 公演チラシ
「自慢の息子」 公演チラシ


 なぜ人は自慢するのでしょう。対象に愛情があり、そこに誇りを感じる属性を発見したとき、自慢したくなるとしましょう。自慢したい気持ちを心にとどめて、人に伝えないという選択肢だってあるのですが、そうせずに、人に言葉で自慢する。このとき何が起こっていると言えるでしょうか。自慢をすれば自慢の対象が他人のまなざしに晒されることになるでしょう。それは自慢が真に自慢に値するかを判定されることにもなるはずです。誰に対しても一笑にふされない自慢であるならば、なるほど自慢するだけの何かであり、それは思いきって自慢に値すると言ってもいいかもしれません。
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パルコ・プロデュース公演「90ミニッツ」

◎葛藤と沈黙と、揺さぶられる心
 永岡幸子

「90ミニッツ」 公演チラシ
「90ミニッツ」 公演チラシ

 あれは砂?
 砂時計?
 いや、違う。水だ。

 芝居が始まると、舞台前方中央から、ひとすじの糸のようなものが落ちてきた。途切れそうで途切れない、か細い糸が舞台上の床へと落ち続ける。
 照明がつく直前に鳴っていた効果音が時計の秒針音だったところから咄嗟に砂時計を連想し、これから90分間という時を刻む砂が降っているのかなと思ったのだが、役者二人が台詞を発せず沈黙がうまれた瞬間、水の流れる冷ややかな音が耳に飛び込んできた。舞台装置の一環として本物の水を使用すること自体は珍しくはない。池や水路に見立てて水を張る、大雨が降り注ぐといった使われ方はしばしば見かける。しかし、このように流れ落ちる水を見たのは恐らく初めてだ。そして、この水が生む効果に、終盤わたしは吃驚することになる。
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ジェローム・ベル 「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」

◎劇評を書くセミナーF/T編 第5回 課題劇評 その2

 「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」公演チラシ
公演チラシ(表)

劇評を書くセミナーF/T編 第5回(最終回)は11月19日(土)午後、にしすがも創造舎で開かれました。取り上げた公演は2本。F/T主催公演の掉尾を飾ったジェローム・ベル 「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」と、ほぼ1ヵ月間、東京近隣だけでなく福島県内を会場にしたPort B 「Referendum – 国民投票プロジェクト」でした。早稲田大演劇博物館研究助手の堀切克洋さんを講師に迎えた当日のセミナーは、名前を隠して事前配布された劇評を読んで意見交換し、最後に筆者から感想を聴くというスタイルで進みました。属人的な要素をとりあえず外し、書かれた原稿だけを基に合評するのはちょっとスリリングでもありました。ここでは「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」を対象にした5本を掲載します。

【課題劇評】(到着順に掲載)
1.イヴはなぜ楽園を追放されたのか(山崎健太)
2.ポピュラー音楽の/による親しみやすさ(中山大輔)
3.なぜ舞台は続けられなければならないのか(クリハラユミエ)
4.ポップスターの悲劇(堀切克洋)
5.イエス、ヒズ・ショー・ゴーズ・オン(都留由子)
>> Port B 「Referendum – 国民投票プロジェクト」課題劇評ページ
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維新派「風景画-東京・池袋」

◎劇評を書くセミナーF/T編 第3回 課題劇評

「風景画-東京・池袋」公演チラシ
「風景画-東京・池袋」公演チラシ

 ワンダーランドの「劇評を書くセミナーF/T編」第3回は10月22日(土)、にしすがも創造舎で開かれました。取り上げた公演は、維新派「風景画-東京・池袋」(2011年10月7日-16日)です。9月末の瀬戸内・犬島公演をへて、東京のデパート屋上(西武百貨店池袋本店4階まつりの広場)に登場したパフォーマンスはどのように変貌し、都会のど真ん中にどのように出現したのか-。提出された課題作を基に、講師の岡野宏文さん(元「新劇」編集長)のコメントを挟みながら、駅に隣接したデパート屋上という立地の特質、維新派の活動形態や俳優の特徴など活発な話し合いが続きました。
 以下の8本の劇評は、セミナーでの話し合いを基に加筆、修正されました。掲載は到着順です。
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山下残「庭みたいなもの」

◎庭よりも広い「庭」
 中野三希子

「庭みたいなもの」公演チラシ
「庭みたいなもの」公演チラシ

 チケットを提示し、案内の矢印に従って進む。どうも既になんだかおかしい。観客が通るにしては、ここは暗いし雑然としている。無頓着に舞台裏を通らされているような気がしつつ、スタジオに入る。目に入ったものは、「庭みたいなもの 営業中」と書かれた、古ぼけて汚れた看板…はまだいいとして、板張りの、ステージと思しきばかでかい箱である。足元に気をつけて進んでください、といわれても正直意味が分からない。私はどこに行くんだろう。促されるままに数段の階段を踏み、入口をくぐって箱の中に入った先に広がっていたのは、…なんなんだろう。錆と埃の匂いがするような、作業小屋の廃墟、だろうか。
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「宮澤賢治/夢の島から」(ロメオ・カステルッチ構成・演出「わたくしという現象」、飴屋法水構成・演出「じ め ん」)
「無防備映画都市-ルール地方三部作・第二部」(作・演出:ルネ・ポレシュ)

◎劇評を書くセミナー2011 F/T編 第2回 課題劇評

F/T2011 ワンダーランドが毎年開いてきた「劇評を書くセミナー」は今年、フェスティバル/トーキョーと提携して始まりました。
 第1回のトークセッション(9月25日)は入門編でしたが、第2回以降は劇評を書く実践編。公演をみて劇評を書き、受講者と公演や劇評の中身を話し合う機会になります。
 第2回(10月1日)で取り上げたのは、F/Tの委嘱作「宮澤賢治/夢の島から」(ロメオ・カステルッチ構成・演出「わたくしという現象」、飴屋法水構成・演出「じ め ん」)と「無防備映画都市-ルール地方三部作・第二部」(作・演出:ルネ・ポレシュ)でした。
 字数は2000字から4000字前後。いずれの公演も野外で開かれ、既成の枠組みから逸脱するような手法と展開だったせいか、セミナー受講者は原稿執筆に苦しんだようです。
 講師は新野守広さん(立教大教授、シアターアーツ編集委員)でした 。新野さんが執筆した2本を含めて提出された計8本の劇評が取り上げられ、ゼミ形式で2時間半余りしっかり討論されました。セミナー終了後の喫茶店で、講師の新野さんを交えてさらに話が尽きませんでした。
 以下、受講者執筆の6本を提出順に掲載します。原稿はセミナーでの議論を踏まえて再提出されました。すでに掲載されている新野さんの劇評と併せてご覧ください。
“「宮澤賢治/夢の島から」(ロメオ・カステルッチ構成・演出「わたくしという現象」、飴屋法水構成・演出「じ め ん」)
「無防備映画都市-ルール地方三部作・第二部」(作・演出:ルネ・ポレシュ)” の
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フェスティバル/トーキョー「宮澤賢治/夢の島から」
(ロメオ・カステルッチ構成・演出「わたくしという現象」、飴屋法水構成・演出「じ め ん」)

◎君は旗を振ったか?
 新野守広

「宮澤賢治/夢の島から」公演チラシ 『宮澤賢治/夢の島から』は、2011年秋のフェスティバル/トーキョーのオープニング委嘱作品として9月16日と17日の二日間、東京都立夢の島公園内の多目的コロシアムで上演された。戦前の岩手県に生まれた詩人宮澤賢治の作品からの連想をもとに、前半部はイタリアの演出家ロメオ・カステルッチが、後半部は飴屋法水が構成・演出した。フェスティバルのホームページによれば、カステルッチはイタリア語に翻訳された多数の童話や詩の中から『春と修羅・序』を選んだという。そのためか前半部のタイトル『わたくしという現象』は賢治の詩集『春と修羅』第一集序の冒頭からとられている。同ホームページによると、『じ め ん』と題された後半部を演出した飴屋は、小さい頃から賢治の作品に親しんできたという。おそらく多くの観客は、東北と東京の隔たりや戦前と現在の時代の違い、地震、津波、原発事故、さらには生者と死者の割り切れない境界について舞台が何を語るのか、さまざまに思いをはせながら開場を待ったことと思う。
“フェスティバル/トーキョー「宮澤賢治/夢の島から」
(ロメオ・カステルッチ構成・演出「わたくしという現象」、飴屋法水構成・演出「じ め ん」)” の
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「無防備映画都市-ルール地方三部作・第二部」(作・演出:ルネ・ポレシュ)

◎演劇が先か、映画が先か。
 新野守広

「無防備映画都市」公演チラシ
「無防備映画都市」公演チラシ

 ルネ・ポレシュの舞台をはじめて見たときの印象は、今でも鮮やかに思い出すことができる。それは2002年5月のベルリンだった。会場はプラーターという小学校の体育館ほどの大きさの古いホールで、旧東ドイツ時代はダンスホールとして使われており、そのせいか建物全体は東ドイツ時代を思わせ、かなり傷んでいた。このホールはフォルクスビューネ劇場の付属施設で、その前年にポレシュはホールのアート・ディレクターに就任したところだった。ここで『餌食としての都市』、『マイホーム・イン・ホテル』、『SEX』の三部作が上演された。どの舞台もまず俳優たちが激しい資本主義批判を機関銃のように喋り出す。俳優たちがひとしきり語ると、ダンスをまじえたショータイムになる(ポレシュはこれをクリップと呼んでいた)。議論とショータイムがセットになり、何回も繰り返される。作品によっては俳優たちが語る内容はとんでもない方向に脱線する。映画や小説、テレビ番組、現代思想を自在に引用しながら語って語って語り止まない俳優たちは、いつの間にかクスリ中毒のソープオペラの話に熱中し、それを聞いている観客全員が唖然としつつ笑いこけることもあった。さまざまなジャンルからの引用と社会批判が切れ目なく続く独特の台本は、ポレシュが稽古中に俳優の意見も取り入れながら作ったという。語りが滞らないようにプロンプターが俳優を助けていたことも印象に残った。ポレシュの舞台では裏方も観客の前に登場する。
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青山円形劇場プロデュース「CLOUD-クラウド-」

◎透明なゴミ袋のような雲のなかで
 中尾祐子

「CLOUD-クラウド-」公演チラシ
「CLOUD」公演チラシ

 役者が台本を越えて、複雑で厚みのある物語世界を構築していく過程を目の当たりにするのは気持ちがいい。その役者の演技が巧みであるならば、なおさら爽快だ。ステージ上に演出家と役者の信頼と挑戦が満ち溢れているならば、もう言うことは何もない。
 そんな舞台に出会えたのかもしれない。表題の舞台で構成・演出を手がけた鈴木勝秀氏が公演終了後、台本を公式ホームページ上で公開した。その台本を読み、いくつか得るところがあって心地よかったのだ。
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