◎君は旗を振ったか?
新野守広
『宮澤賢治/夢の島から』は、2011年秋のフェスティバル/トーキョーのオープニング委嘱作品として9月16日と17日の二日間、東京都立夢の島公園内の多目的コロシアムで上演された。戦前の岩手県に生まれた詩人宮澤賢治の作品からの連想をもとに、前半部はイタリアの演出家ロメオ・カステルッチが、後半部は飴屋法水が構成・演出した。フェスティバルのホームページによれば、カステルッチはイタリア語に翻訳された多数の童話や詩の中から『春と修羅・序』を選んだという。そのためか前半部のタイトル『わたくしという現象』は賢治の詩集『春と修羅』第一集序の冒頭からとられている。同ホームページによると、『じ め ん』と題された後半部を演出した飴屋は、小さい頃から賢治の作品に親しんできたという。おそらく多くの観客は、東北と東京の隔たりや戦前と現在の時代の違い、地震、津波、原発事故、さらには生者と死者の割り切れない境界について舞台が何を語るのか、さまざまに思いをはせながら開場を待ったことと思う。
夜間の屋外公演である。会場となった都立夢の島公園多目的コロシアムの中央アリーナは陸上競技の400mトラックほどの大きさがあり、周囲はやや小高いスロープに囲まれている。公演開始は19時半。すでに陽は落ち、あたりは暗い。会場への誘導がはじまると、観客ひとりずつに大きめの白いビニルの旗が手渡される。係員の指示にしたがって観客はアリーナの周囲を整然と歩かされたのだが、多くの人々が白い旗を携えて入場行進する様子は、どこか宗教団体の集会にも思えた。周囲の木々は照明の関係で季節外れの桜が満開に咲いているように見える。アリーナには白いプラスチック製の椅子が大量に並べられており、不在の主を待つ大量の椅子は非現実感を巧みに醸し出していた。ただ一観客としては、やや気の滅入る入場だった。指示通りに歩かされることに嫌悪を感じたからである。結局観客はアリーナの周囲を一周歩かされた後、これも係員の指示にしたがい、椅子の集合体と向かい合う位置のスロープに腰を下ろした。椅子の並んだアリーナが舞台である。
●前半部:ロメオ・カステルッチ構成・演出『わたくしという現象』
前半部の特徴はスペクタクル性にあった。台詞はないが、途中からスピーカーを通して流れてくる宗教的な合唱曲が効果的に使われ、見る者の驚きを視覚的に誘う工夫がなされていた。
飴屋法水と思われる男が現れ、下手隅の白い椅子に座った少年に白いビニルをかぶせる。すると、一脚、二脚と椅子が倒れ始める。不思議に思って見ていると、徐々に倒れる椅子の数が増えるばかりか、倒れた椅子が観客から向かって右手後方にずるずると引っ張られていく。その中で少年の座る椅子だけが倒れずに残っている。荘厳な曲想の合唱曲が流れはじめ、多数の椅子がひとつの方向に向かって引きずられていく様子は、津波や地滑りを引き起こす自然の力を連想させた。観客と反対側のスロープから白煙が上がり、煙をくぐって白い服の男女がゆっくりとスロープを転がり落ちてくる。白い服の人々がアリーナに立ち、いわば一つの固まりになると、その中からひとりの男が歩み出て少年を迎え入れる。人々は少年の上半身に青い色を塗り、青い服を着せると、散らばって観客の方にゆっくり移動してくる。観客と向かい合う遠くの方で白い旗が振られ、かなりの数の観客が白い旗を振ってこれに応えた。エール交換を思わせるこの儀式は、おそらく死者たちとの対話を意図しているのだろう。観客と反対側のスロープから夜空に向けて発せられた青いレーザー光は、『春と修羅』第一集序に書かれている「青い照明」を思い出させた。結局白い服の人々は観客の間を通り抜けて去り、青い服に着替えた少年も観客と反対側の方向に去る。ここで合唱曲が終わり、前半部が終了。休憩となった。
【写真はいずれも「わたくしという現象」公演から 撮影=片岡陽太©
提供=フェスティバル/トーキョー 禁無断転載】
以上の演出には宗教的な儀式の枠組みを借用して人知を超えた自然の力を表象し、生者を死者と向き合わせて対話させる意図があったように思う。もちろん公演自体は宗教的な儀式ではない。観客の心の中で死者がよみがえることもないし、死者の声が聞こえてくることもない。これは公演であり、夜間の屋外に集まった観客の視覚と聴覚に特定の刺激を与えて、壮麗かつ荘厳な雰囲気を感得させることをねらったパフォーマンスである。この意味において、多数の椅子を一方向に引きずる演出は見事なスペクタクルだった。
その一方で、この演出は震災の当事者をとくに意識していないという印象を受けた。もし私が実際に津波の被害を受けた当事者だったら、あるいは3月11日の災害で家族や親しい友人を失くしていたら、椅子の群れが引きずられていくあのように直接的な場面を正視できただろうか。きっと観客の中にいたかもしれない震災の当事者、あるいは家族、親族、友人、知人が被災した人は、津波や地滑りそのものを思わせる直接的な場面を見て、どのような感情を抱いただろう。白い旗を振っただろうか。あるパフォーマンスが荘厳な宗教的儀式として感受できることと、そのパフォーマンスが当事者の苦しみを慰めることとは異なる。もちろん両者が一致する幸運なケースもあるだろうし、一致しないケースもあるだろう。さらに、同じパフォーマンスでも、当事者との出合い方によって癒しの効果は異なるに違いない。しかしひょっとして、もし芸術が当事者の苦しみを癒そうと志すとしたら、それは不遜なことではないか。
このようなことを考えていた私は、旗を振る気にはなれなかった。
●後半部:飴屋法水構成・演出『じ め ん』
カステルッチの演出が完結した儀式性の印象を与えるとすれば、飴屋の演出は継ぎはぎを寄せ集める強引さを感じさせた。つまり、引用を羅列して、力づくで作品を成り立たせる荒技である。そのためスペクタクル性はよりも、さまざまな素材の引用に刺激された観客の連想が広がるように構想されている。言い換えれば、矢継ぎ早にテーマが提示され、観客はそれを追いかけることになる。どこに宮澤賢治の世界があるのか、不明なまま終わる。
開演すると、御前会議で自分の意見を主張して終戦を決定したと語る男性の声がスピーカーから流れる。これ以上戦争を続けると国民を苦しめるだけなので決断したというのである。これはおそらく昭和天皇のパロディーか何かだろうが、公演の流れから言うと、後ほど登場する原爆に似た大きな風船と関連がある。続いてスコップを手にした少年が現れ、観客に向かって右手の土を掘る。少年は、ゴミ処理のために埋め立てられた夢の島の成り立ちを語る。さらに少年は猿のマスクに向かって「君の名はコーネリアス」と語りかけるが、コーネリアスは映画『猿の惑星』に登場するチンパンジーの考古学者の名前であり、同時に、ミュージシャンである少年本人の父親の音楽活動上の名前でもある。ここには出演者の私生活も引用する飴屋演出の特徴が現れているが、前半のカステルッチ演出の荘厳な雰囲気との落差を感じた観客がいても不思議ではない。逆に、映画の引用を通して敗戦、過去、未来といった大きなテーマを次々に投げかけようとする演出家の姿勢に共感を覚えた観客も多かったのではないだろうか。
数人の子供たちの一団が入場し、少年の背後を横切り、客席左手のガムランの楽器が置かれた席に座る。そこへひとりの女性が現れ、マリー・キュリーと名乗り、少年と対話をはじめる。放射能の研究で有名なキュリー夫人である。一方、演出家の飴屋本人も登場し、観客に向かって左手椅子に座り、電力会社の鉄塔の設営を仕事にしていたという父親について語る(飴屋の実際の父親の話かどうかはわからない)。猿のマスクをかぶり、放射能防御服に似た白い服を着た数名の人々が現れ、アリーナ中央に大きな黒い箱を立てる。これは映画『2001年宇宙の旅』の冒頭に登場する巨大な黒い石(モノリス)を思わせる。この黒い箱の前にカステルッチが現れ、少年と対話する。対話は進展し、飴屋は冒頭で少年が掘った穴に腰を落として座り、カステルッチに日本とイタリアの墓の違いを問いかける。カステルッチは、イタリアの墓は日本のカプセルホテル風になっており、死後20年間は開けてはならないきまりであることなどを語る。
【写真はいずれも「じ め ん」公演から 撮影=片岡陽太©
提供=フェスティバル/トーキョー 禁無断転載】
対話は続く。少年が飴屋に語りかけ、2051年に自分は50歳になったと言うと、飴屋は自分は50歳になったと答える。そして少年はアジアの地図を黒いボードに映して観客に見せるのだが、その地図には日本列島の姿がない。日本列島という夢の島は消失したというのである。この間、長崎型の原爆に似た風船が現れ、自称キュリー夫人が気球を地上につなぐロープを手にして客席の方へ歩んでくる。マレーシアに移住を考えているという友人から飴屋に電話があり、友人の話す声がスピーカーから流れる。飴屋は柔道の受け身のように前方に回転しながらアリーナの地面の上を移動して、黒い箱の前に立つ。すると箱は前方に倒れ、飴屋はその下敷きになって観客の視界から消えてしまう。子供たちの一団が立ち上がり、アリーナの中央を横切り、倒れた箱の上を通って、客席向かって左手に去る。列の最後を覚束ない足取りで歩く女の子。彼女を励まし、手をひっぱって支えて歩く男の子。子供たちの姿は印象的だった。
このように飴屋演出は、映画(『猿の惑星』『2001年宇宙の旅』『日本沈没』)や歴史上の登場人物(キュリー夫人)のキッチュな引用、実在の人物(飴屋本人と娘や友人、カステルッチ)、パロディー(昭和天皇、原爆)などの多様な引用で満ち、敗戦、科学、放射能、世界の終りといった大きいテーマが次々に投げかけられる。ただそれらはいわば映画セットのようなもので、ひとつひとつの素材は軽い。観客は3月11日を体験した自分自身と舞台との距離感をはかりながら、投げ込まれたさまざまな図像を確認していったはずである。たとえば放射能の発見、原爆、敗戦、日本からの脱出、死者との対話といったテーマを確認した観客もいただろう。『2001年宇宙の旅』と宮澤賢治の詩の宇宙的な時間観の交差に思いをはせた観客もいただろう。
これらの図像は交換可能である。昭和天皇のパロディーは坂口安吾でも三島由紀夫でもよく、キュリー夫人はアインシュタイン、黒い石(モノリス)はバットマンの洞穴でも構わないかもしれない。引用元を代えても、映画セットのようなテーマ羅列に差しさわりが生ずるとは思われない。この意味では飴屋演出はいつまでも完結しない未完性を特徴としている。前半部に飴屋が登場し、後半部に飴屋とカステルッチが登場する構成は、前半の完結性と後半の未完性を入れ子のように組み合わせ、お互いがお互いを鏡とする興味深い構成だったことは間違いない。
その中で飴屋自身は交換できない。飴屋はアリーナの地面にあいた穴に尻を落として座り、ことさら地面に触れようとするかのように地べたで何度も前方回転する。実際3月に放射能を帯びた空気層が東京都を通過したことを思えば、このアリーナの地面も微量とはいえ汚染されていることは明らかだろう。その地面にわざわざ接触し続ける飴屋は、アリーナにさまざまな図像を登場させる軽やかさとは対照的だった。最低限の水と流動食を持参して1.8メートル四方の白い箱の中に24日間閉じこもったという『バ ング ン ト』展と同様、『じ め ん』は飴屋自身の身体への強い執着が作品の核にあることが示されていた。
おそらく敏感な観客は、ビニル製の白い旗を尻に敷くことができたとはいえ、地べたに座らせられたことに抵抗感を覚えただろう。地面にじかに座る姿勢を飴屋と共有しながら、ここがもはや安全な大地ではなくなったことを自分の身体を通して実感した。
【筆者略歴】
新野守広(にいの・もりひろ)
1958年神奈川県生まれ。東京大学文学部卒。立教大学教授。現代ドイツ演劇専攻。「シアターアーツ」編集委員。主な著書「演劇都市ベルリン」、主な訳書「ポストドラマ演劇」「火の顔」「餌食としての都市」「崩れたバランス」「最後の炎」など。
【上演記録、リンク】
『宮澤賢治/夢の島から』 F/T2011 オープニング委嘱作品
東京都立夢の島公園内多目的コロシアム(2011年9月16日-17日)
▽わたくしという現象(宮澤賢治『春と修羅・序』より)
構成/演出ロメオ・カステルッチ
■出演
エキストラたち、飴屋法水、小山田米呂
■スタッフ
音楽:スコット・ギボンズ
演出助手:シルヴィア・コスタ
照明:高田政義(株式会社リュウ)
技術監督:寅川英司+鴉屋
舞台監督:中原和彦
サウンドシステムデザイン:zAk
小道具:栗山佳代子
美術コーディネート:乗峯雅寛
音響コーディネート:相川 晶(サウンドウィーズ)
照明助手:川崎 渉(株式会社リュウ)
通訳:本谷麻子
▽じ め ん
構成/演出飴屋法水
■出演
ロメオ・カステルッチ、飴屋法水、小山田米呂、ブリジッド・コナー、村田麗薫、新川美鈴/関口旬子/小峰星花/村山竜規/徳永和奏/木間衣里(さくら町子どもガムラン)、松村空弥、くるみ
■スタッフ
サウンドデザイン:zAk
照明コーディネート・照明デザイン:髙田政義(株式会社リュウ)
衣裳デザイン:北村道子
衣裳製作:冬頭信一
ガムラン演奏・指導:川村亘平斎
技術監督:寅川英司+鴉屋
舞台監督:田中 翼
美術コーディネート:乗峯雅寛
音響コーディネート:相川 晶(サウンドウィーズ)
音響助手:田鹿 充、西島亜紀
音響プログラミング:澤井妙治
照明デザイン補佐:川崎 渉(株式会社リュウ)
進行助手:コロスケ
演出助手:村田麗薫
制作プロデューサー:前田圭蔵
後援:イタリア大使館
協力:夢の島熱帯植物館
広報協力:イタリア文化会館
主催・製作:フェスティバル/トーキョー
入場料:一般 4,500円/学生 3,000円
「フェスティバル/トーキョー「宮澤賢治/夢の島から」
(ロメオ・カステルッチ構成・演出「わたくしという現象」、飴屋法水構成・演出「じ め ん」)」への5件のフィードバック