#2 関美能留(三条会)

鈴木演出のすごさ

松本 利賀村に通っていたというのは、端的に鈴木忠志さんの舞台をみるということだと思いますが、最初にご覧になったのはいつですか。

大学で演劇活動していて、なんかあまりおもしろくないなと思いかけていたときに埼玉で「リア王」などをみて、鈴木さんの舞台に出会った。これはすごいんじゃないかと思って興味を引かれ、それで利賀村に行き、感動し……という流れですね。

松本 もちろん、90年代にも東京では数多くの演劇が上演されていたのですが、乱暴な質問になりますが、そういった舞台と鈴木さんの舞台はどこが決定的に違うんですか、あるいは違っていたんですか。というのも、ぼくらは鈴木さんの芝居を評価するには難しい世代だと思うんです。つまり60年代、70年代の芝居をみていない。それでもぼくも90年代に鈴木さんの舞台を埼玉でみて非常に面白く感じた記憶があります。というようなことも含めつつ、関さんは具体的にどこにひかれたのでしょう。

あの当時は単純に、俳優の演技の問題だったと思います。例えばシェークスピア作品を扱うに当たって、俳優の演技はどうしたらいいかなあとか…。東京の小劇場の芝居をみて、ぼくの中には演技について違和感があったんです。俳優の演技について言及してない、ただ台本を書いて、俳優がテンション高く演じているという感じがしてました。違うんじゃないかと否定はできるけれど、じゃあどうすればいいかがなかなかつかめない時期だった。そこで鈴木さんの舞台をみて、これはすごいなあという感じでしたね。

松本 決定的な違いは俳優、単なるテンション頼みではないかたちでの俳優の演技だった。鈴木さんの芝居がその点で、演出家としての関さんにとって手掛かりになったということですか。

はい。

「ひかりごけ」で最優秀演出家賞

松本 関さんは第2回の利賀演出家コンクールで「ひかりごけ」を取り上げて最優秀賞を受賞する(注1)のですが、その前に三島由紀夫の「卒塔婆小町」を上演してますよね。

鈴木さんとは第1回の演出家コンクールで顔を覚えてもらって、「卒塔婆小町」を静岡でやらせてもらいました。

松本 そこでうかがいたいのですが、受賞した第2回の課題戯曲には「卒塔婆小町」もあります。三条会は当初、三島作品を上演する集団として旗揚げしていた。にもかかわらず、「卒塔婆小町」ではなく「ひかりごけ」(武田泰淳作)を取り上げた。まずその戯曲の選定理由をお聞かせ下さい。

三島由紀夫の作品は勉強していたし、好きだったんですよ。でもコンクールで好きなものばかりやっていると距離も取れなくなるし、武田泰淳はあまり読んでいなかったし、これを機会に勉強してみようかと思って「ひかりごけ」を選んだんです。

松本 「ひかりごけ」は関さん自身にとっても三条会にとっても、ある種運命的な出会いだったと思います。舞台の完成度、俳優の身体、芝居の構成などいろんな意味で三条会らしい重要な作品にみえます。そこで、武田泰淳の「ひかりごけ」を、まず関さんが読むんでしょうし、俳優さんも読んで、その上でどのように向き合っていったんでしょうか。

それまで三島作品はだいたい取り上げていて、三島さんの場合は物語もおもしろいし、ことばも単純にきれいですし、俳優もしゃべっていて気持ちいいですし、すごくおもしろくみせるのは大変ですが、それなりにみせることはできるなあという感じなんです。ただ「ひかりごけ」と出会って、人肉食の話、しかも戦時中の話ですし、何も考えずに演技されたら、それは見るに堪えないんですよ(笑)。それでどうしようと考えているうちに、そうは言っても、ごまかしではなくて、表面的には人の肉を食うか食わないかということを話しているんですけど、置き換えているわけではなくて、同じような感覚が俳優にあるんじゃないかと探ってみたんです。とりあえず舞台の格好にして、男と女の話というサブテキストを流しながら、人肉食と同じ俳優の感覚を探していく。こういうやり方をしたのは「ひかりごけ」が最初です。

松本 というと、原作のエッセンスを、俳優の身体を使って考えていくということですね。この作品についてはまた後でお聞きしたいと思います。一つ確認しておきたいのは、選評を読む限り、コンクールで関演出の「ひかりごけ」への評価が高かった、圧倒的に高かったということです。今、「ひかりごけ」で初めてのやり方に挑んだとおっしゃっていましたが、舞台づくりを模索している段階で、完成度の高いものが生み出されたということでしょうか。

演出家コンクールの「ひかりごけ」は、それまで10年ぐらいの演劇活動があってできたのかもしれませんが、基本的に計算して作ったわけではないし、自分の作品をこうして作ろうと理論化できていたわけでもない。出来上がってみて結構自分でもびっくりしたんです(笑)。あれ?!
みたいな感じ。いろんな偶然が積み重なってできたというのが正直なところです。もちろんその偶然が生まれるための作業はやって来たと思いますけどね。「ひかりごけ」では、自分が考えている以上のものが、俳優の身体を通して舞台上に生まれる瞬間があったということですね。

本番の雰囲気をつかみながら

松本 その後の大きなトピックスとしては、「ひかりごけ」を持っての海外公演があります。異言語、異文化の観客との出会いの中で、ある意味で偶然にできた「ひかりごけ」が仕上げられていく段階ということができるんじゃないかと思います。そのあたりからお話し願えませんか。

海外公演ですが、もともと千葉で活動してますので、仲間が少なくて寂しい思いもしますが、その反面、出会いに感動できる部分もあります。海外に出て、ことばが通じないなかで、なんとかいい芝居を作っていこうとする。海外公演は、ちょっと無理があるからこそおもしろいと思います。そういうことを考える契機になりました。

松本 再演というか、レパートリー制というか、海外でも国内でも何度か「ひかりごけ」を上演してますが、かなり作り変えたりするわけですか。

もともとそういうものだと思いますよ。1回やそこらで舞台作品は完成なんかしないし、お客さんの違いもある。「ひかりごけ」を中国や韓国や台湾で上演して、また東京で上演するんですが、まったく同じものをみせているわけではありません。なんでかというと、それぞれに発見があったからです。例えば北京公演の本番中に、客席で向こうのお客さんをみながら舞台をみていると、ここをこうすればよかったなあ、というようなことはあるんですよ。何度かそういうことがあって、次にはそうしようかなあと稽古すると、やっぱりそれは違うとか、まあ、いろいろあるんですよ(笑)。本番の雰囲気をつかみながら何ができるのかを考えるのはとても大切ですね。「ひかりごけ」はとても優れた戯曲だと思うので、1回で終わらせちゃあもったいないという気持ちもあって、何回も公演を重ねていくうちに、どんどんいい作品になっていくという実感はあります。

松本 演出家である関さんが、稽古中に発見することと、本番というか実際の上演を通して発見するものとは、やはり違いがあるんですか。

ぜんぜん違います。それはぜんぜん違いますね。

松本 やはり上演という契機を通してでないと得られないことがあるということですね。それは具体的にどうのような点ですか。

単純に観客を含めた舞台空間づくりという点ですね。 >>


(注1) 利賀演出家コンクール ~新しい才能の発見~(財団法人舞台芸術財団演劇人会議Webサイト)