杉山剛志氏(演出家)、蔡恵美(チェヘミ)氏(女優)

◎状況を信じることのできる演劇:海外戯曲を自然にダイナミックに 演劇集団《ア・ラ・プラス》

 2011年の6月に、アトリエセンティオで見たダリオ・フォー作の一人芝居、「女がひとり」の上演は鮮烈だった。濃密な饒舌体で書かれたせりふを、70分のあいだ、しっかりとコントロールし、堂々たる演技で舞台空間を支配するチェヘミさんの演技が印象的だった。この公演で私はア・ラ・プラスという演劇ユニットに関心を持ったのだが、この後、チェヘミさんの出産、育児のため、ア・ラ・プラスの公演は行われなかった。

 ア・ラ・プラスに再会するのは、「女がひとり」上演から3年以上経過した昨年11月だった。ア・ラ・プラスの二人は、日本・セルビア演劇交流プロジェクトという枠組みで、セルビアの演劇作品の上演をブレヒトの芝居小屋で行った。東欧、それも日本にはおそらくこれまでほとんど紹介されていていないセルビアの現代戯曲の上演ということに好奇心をそそられた。私にとって二回目となる杉山剛志演出、チェヘミ出演の芝居、「バルカンのスパイ」は、3年の公演ブランクを感じさせない密度の高い充実した公演で、私は大いに満足した。その公演チラシで、演出の杉山剛志さんとチェヘミさんをはじめ、すべての出演者がスタニスラフスキー・システムの教育を受けていることが強調されていることに、私は関心を持った。心理的写実主義に基づくスタニスラフスキーの演劇理論は、少なくとも今の東京の小劇場シーンでは時代遅れといった雰囲気がある。しかしア・ラ・プラスは、敢えてスタニスラフスキー・システムを標榜し、その舞台表現は東京の他の小劇場劇団とは異質の雰囲気を持っている。海外現代戯曲を中心とした上演作品の選択にも独自の傾向がある。いったい彼らはどこからやってきて、何を目指しているのだろうか? その来歴と演劇美学について話を聞いた。
[聞き手・構成:片山幹生(ワンダーランド編集部)]

【演劇集団《ア・ラ・プラス》略歴】

 演出家の杉山剛志と、女優の蔡恵美(チェヘミ)、松田崇の三人による演劇ユニット。三人はパリにあるフランス国立高等演劇学校の教授だったワダユタカ氏が1994年に東京で開講した《ほんとに役立つ演劇教室》で5年間にわたってスタニスラフスキー・システムを土台とする体系的な演劇教育を受けた。1999年にワダ氏は、この演劇学校を発展させるかたちで劇団《CAT21(21世紀演劇行動社)》を結成し、三人もこの劇団に参加する。CAT21ではロシア、ベルギー、フランスなど欧米各地で活躍する演出家たちを日本に招聘し、5年間にわたって年間約4本の公演活動を行った。2004年にCAT21が解散後、三人は演劇集団《ア・ラ・プラス》を立ち上げる。現在までに「出口なし」(サルトル)、「動物園物語」(オールビー)、「ただ世界の終わり」(ラガルス)、「ベンチ」(ゲーリマン)、「女がひとり」(フォー)など海外戯曲を中心に10作品以上の公演を行っている。昨年(2014年)11月21日から23日には、日本・セルビア演劇交流プロジェクトで、セルビアの劇作家ドゥシャン・コバチェビッチの「バルカンのスパイ」をブレヒトの芝居小屋で上演し、好評を博した。《ア・ラ・プラス》とはフランス語で« à la place »「その代わりに」を意味する。

ア・ラ・プラス(チェヘミ氏と杉山剛志氏)
【ア・ラ・プラス(チェヘミ氏と杉山剛志氏)撮影=ワンダーランド 禁無断転載】

 

ア・ラ・プラスの来歴 ワダユタカ氏《ほんとに役立つ演劇教室》

ワンダーランド:演劇集団ア・ラ・プラスについてまず紹介をお願いします。

チェヘミ(以下ヘミ):今から10年前、2004年に杉山剛志、チェヘミ、松田祟の三人で結成しました。片山さんとはアトリエセンティオでダリオ・フォーの「女がひとり」を公演した際に観劇に来ていただいて出会いましたね(2012年6月)。センティオでは、もともとはロシアの現代作家のアレクサンドル・ゲーリマンの二人芝居を上演する予定でした。その稽古期間中に松田が身体をこわし、それで急きょ一人芝居の台本を探し、「女がひとり」を上演することになったのです。

ワンダーランド:ダリオ・フォーの作品を選んだのはなぜですか?

杉山剛志(以下杉山):一人芝居を読みあさっていたなかで、偶然ダリオ・フォーの作品に出会ったのです。チェーホフやゴーゴリといった選択肢もあったのですが、新しいものに挑戦してみたいなと思いました。フォーはそれまで全く知らない作家だったのですが、強く興味を惹かれました。

ワンダーランド:三人全員が1994年に開校したワダ氏の《ほんとに役立つ演劇教室》で5年間、スタニスラフスキー・システムを学ばれたのですね。なぜワダ氏の演劇教室を選ばれたのですか?

ヘミ:わたしは「徹子の部屋」がきっかけです(笑)。ワダさんと黒柳徹子さんは旧友で、彼がそれまでには日本になかった体系的な俳優教育を5年間で行うプロフェッショナルな学校を開くということで、黒柳さんがそれに興味を持たれたんです。私たちの教室にも授業の見学にいらっしゃっていました。「徹子の部屋」の前に「朝日新聞」の文化欄に、フランスから帰国したばかりのワダさんの紹介記事が載っていて、それも読んでいました。フランスの有名な学校で演劇の先生をやっていた、こんなにすごい人がいるんだなと思って興味をひかれました。

 私は当時、高校生で佐賀県の田舎に住んでいたのですが、その頃からお芝居をすることは決めていました。ただ田舎だったので、どうやったら女優になれるのかわからなくて。それに親からは反対されていました。でも、母がたまたま「徹子の部屋」を見ていて「ここだったら受けてもいい」と言われたのです。受かったらこの学校に行っていい、受からなかったら演劇をあきらめてと言われました。

ワンダーランド:佐賀のような地方都市では演劇に触れる機会はそんなになかったと思うのですが、高校演劇をやっていたのですか?

ヘミ:いいえ。田舎で見られる演劇と言えば宝塚か劇団四季しかなかったので、私にとってはそれが演劇でした。何度か見たのですが、舞台ってすごいなと思って。中学、高校には演劇部がなかったので、自分たちで友達を集めて演劇を遊びみたいにやっていました。即興でやっていくうちに芝居にしていくみたいな感じで。いまだに中高の友達はそれが面白かったって言ってますね。

ワンダーランド:杉山さんが演劇をやるきっかけって何だったのですか?

杉山:高校は進学校だったので周りの友達のほとんどは大学に進学で、私もそのつもりでいました。演劇の体験もほとんどなくて、小学校の頃に学校に回ってくる演劇を無理矢理見せられたぐらいです。どちらかというと演劇に抵抗感を持っていて、自分の人生にはまったくかかわりのないものだと思っていました。
 大学浪人で予備校に通っていたのですが、同じ予備校に通っていた高校の同級生の親友がいきなり「大学に行くのをやめた」と言い出したのですよ。「美容師になる」と言うのです。それは衝撃的な驚きでした。大学進学以外の進路があるなんてそれまでまったく考えたことがなかったので。
 それで自分も受験を間近に控えながらも、本当に大学に行く意味があるのだろうか、と考え始めてしまったのです。家に帰って将来なりたいものを子供みたいにリストアップしてみました。チェスプレイヤーとか色々リストアップしたのだけれど、その中になぜか俳優という選択肢もあった。俳優になれたら自分がやりたものを全部体験できるのではないかと思ったのです。それで俳優を将来の道として選択しようと思ったわけです。
 その頃は松田優作さんが好きでしたが、テレビドラマを見ていると、なぜこんな下手な人たちが演じているのだろうとか思って(笑)。自分がやったほうがうまいんじゃないかとか(笑)。  それと、この年ごろには誰しもが思うことかも知れませんが、このまま特に学びたいこともないのに大学へ行き、そしてさしたる目的もなく会社に就職するということを想像した時、一度きりの人生の過ごし方として自分は本当に後悔しないだろうか? いや必ず後悔するだろうと。この世に生まれて生きたという証というか実感を得たいと思ったのです。

 最初はどこに飛び込んでいいのか全く分からなかったのだけど、自分が興味を持った俳優が舞台出身の人が多かったのです。魅力的な俳優というのは舞台をやっている、劇団というものに入っているらしいということがわかった(笑)。「テアトロ」みたいな演劇雑誌に養成所の広告が出ていて、文学座、俳優座、青年座といった名前を見つけました。ここに行けば俳優になれるのかと思い、それで応募用紙を取り寄せて送ってみました。そのなかにひとつだけその名称から「ここだけには絶対行きたくない」と思ったうさんくさそうな学校がありました。それがワダユタカ氏の《ほんとに役立つ演劇教室》でした(笑)。しかし何故かずっと何かひっかかるものがあり、そこにも応募用紙を送りました。

 最初に入学テストがあったのが《ほんとに役立つ演劇教室》でした。最初に個人面談があり、それからグループ面接がありました。その面接試験は、これまで自分が経験したことのないような衝撃的な体験でした。まず自分より年上の人とゆっくり真面目に話をする機会というのがなかったし、ワダさんというのがとても魅力的な人だったのです。試験を受けた後、自分はここでしかやりたくないと強く思いました。その日に共に面接を受けたメンバーと遅くまで演劇について話をしていたせいで終電に乗り遅れて自分の最寄り駅の二つ前ぐらいから歩くことになりました。気分が高揚していたので、道路ではなく線路をそのまま歩いて帰ったのですが、そしたらちょうど大きな橋を渡っている時に後ろから列車がやってきて、飛び降りたら骨折をしてしまいまして。骨折のため、結局他の研修所の試験を受けることができなかったのです。幸い無事に合格できたので良かったのですが。

ワンダーランド:今はもうこの学校はないのですか?

ヘミ:ないんです。先生はワダさん一人でした。生徒が入った時期の前後はありましたが、私たちがこの学校の5年の全課程を終えた最初で最後の生徒になりました。

ワンダーランド:2000年に劇団《CAT21(21世紀演劇行動社)がワダユタカ氏とこの学校の卒業生によって結成されたのですが、この劇団には何人ぐらいいたのですか?

杉山:25人程度だったと思います。ワダさんを除き、メンバーは全員俳優でした。学校は1クラス20人でだいたい5、6クラスありましたので、100人以上の俳優がいました。学年が上がる毎に選抜されていき劇団を作るころには、かなりの人数が絞られたことになります。実際に公演に出ていたのは15、6人ぐらいだったと思います。

ワンダーランド:年間に4、5本というかなりのペースで約5年間にわたって公演を行っていたとのことですが、どのような作品を上演されていたのですか?

杉山:CAT21の創作過程の基盤は、海外から現役で活躍する演出家を招聘して創作するということにありました。海外から演出家を招聘して、二ヶ月くらいで一つの作品を作るというやり方でした。もちろんワダさんも何本か演出されました。さまざまな時代、国、ジャンルの作品を上演しました。ロシアの演出家はロシアの作品を持ってくることが多かったです。チェーホフやゴーリキ、ツルゲーネフあとはテネシー・ウィリアムス、ジロドゥ、マリヴォーなどをやりましたね。古典作品を上演することが多かったのですが、演出スタイルは演出家によって千差万別でした。現代的な演出をされる方もいましたし、写実的で古典的な演出をされる方もいました。

ヘミ:ロシア人演出家たちのなかにはまだ日本語に翻訳されていない作品を持って来られる方もいました。ロシアのヴォードヴィルとか。なのでワダさんが翻訳して日本初演した作品がいくつかありました。

杉山:5年間にわたって学校で体系的な俳優訓練を受けたあと、CAT21での演出家を共にした公演活動を通して、実際の創作過程の現場で必要となる俳優としての技術、能力、演出家との相互創造のプロセス、芸術的表現にしていく方法などを学んでいきました。

ワンダーランド:このCAT21は五年間活動した後、2005年にワダさんの都合で解散してしまったのですか?

ヘミ:そうです。

ワンダーランド:ワダさんはフランスに帰国されてしまったのですか?

杉山:はい。帰国してしばらくのあいだは、フランス国立高等演劇学校に戻り、非常勤講師をしていたそうです。最近は連絡を取っていないので、今はどうされているか分かりません。

ヘミさん
【撮影=ワンダーランド 禁無断転載】

ヘミ:当時からワダさんは「日本では芝居では食べていけません」と仰っていました。当時、自分は若くて夢を持っていたので、「30歳くらいになるころには自分は芝居で生活をしているんだ」と思っていたのでショックでした(笑)。「そんなものは夢なので捨てなさい」とずっと私たちは言われ続けていました。「それを覚悟して、それでもそこに人生をかけるだけの価値があると思える人だけが残るのです」と。日本では国の助成もあってないようなものですし、フランスとは演劇をやる環境が全く異なっていたので、ワダさんのなかでもジレンマがあったようです。そういったジレンマのなかで、続けられなくなったということだったと思います。

ワンダーランド:CAT21の活動が終了した時点で、15名くらいの仲間はいたのですよね? そのなかの3人で、ア・ラ・プラスを結成することにしたのですね?

杉山:はい。CAT21の解散で演劇を辞めてしまう人もいましたし、私たち以外にもグループを作って演劇活動を続ける人もいました。ただCAT21は俳優だけの集団だったので、そのなかでグループを作って活動を継続するのはかなり難しいことでした。私とヘミさん、松田君は互いの演劇に対する情熱を信頼し合っていましたので共にやっていくことにしました。

ヘミ:私たちはいくつか結成された劇団の中でも若いチームだったんですよ。ただやはり俳優だけでは公演はできないので、私が杉山君に、「演出に向いているから演出家になって」ってずーっとしつこく言い続けて(笑)。

杉山:私はまったく演出家になるつもりはなかったのです。しかしいざグループを立ち上げるとなると演出家がいなくては話が進まなかったので。やりたくなかったのだけれど、俳優として自分を成長させるためには、演出家の経験も積んでおいたほうがいいかなと思い、やってみることにしました。それとCAT21での活動中に海外から招聘した演出家の方から「あなたは演出家としての素質がある」と言われたことがあったのも一つの要因でした。最初の演出作品はサルトルの「出口なし」でした。この初演出は本当に大変な体験だったのでもうやりたくないと思ったのですが、観客の人たちには思いのほか好評でした。自分自身としてはうまくいかなかったところが非常に多く、悔いが残りました。それで次はもっとうまくやってやろう、もう少し頑張ってみようと、欲が出たというか、発憤しまして。それで二作目、三作目、四作目と続けていくうちに、演出という仕事に徐々に魅了されていきました。

ワンダーランド:なぜア・ラ・プラスという劇団名にしたのですか?

ヘミ:なかなか劇団名が決まらなかったので、とりあえず、という事で「そのかわり」という意味のフランス語にしました。私達は自分達とお客さんのかわりに舞台上で別の人生を生きるので、丁度良い名前なんじゃないか、と。フランス語にしたのは日本語だとあまりにも変なので。

ア・ラ・プラスの演劇美学:「状況を信じること」

ワンダーランド:2008年から杉山さんはロシアにわたり、モスクワの国立劇場で研修演出家兼演出助手をされるわけですが、これはどういう経緯があったのでしょうか?

杉山:ワダさんのところでは俳優としての教育を受けましたが、演出の勉強は全くしたことがありませんでした。何作品か創った後に、演出家としてもっと先に進むにあたってやはり本場で勉強したいと思いました。CAT21の公演で、海外のいろいろな演出家と作品を作ったのですが、私はロシアの演出家に特にひかれるものがありましたし、ロシアで見た舞台に好きなものが多かったのです。それで「もしよければあなたのところで学びたいという」手紙を添えて、自分が演出したこれまでの作品のビデオを《ロシア国立モスソヴィエト記念劇場》の芸術副監督演出家ユーリー・エリョーミン氏に送ったところ、受け入れましょうとの返事をいただきました。

ヘミ:エリョーミンさんはCAT21のときに二回来日して、「どん底」と「ワーニャ伯父さん」を演出した人でした。

ワンダーランド:写実的な舞台を作る演出家だったのですか?

杉山:彼の演出作品は、根本では登場人物の生のありようがリアルに表現されているのですが、作風は現代的で抽象的なスタイルで、いわゆる写実的なロシア演劇というイメージとは異なるタイプの演出家でした。

ワンダーランド:モスクワにはどれくらい滞在されていたのですか?

杉山:約二年間です。

ワンダーランド:ワダさんの演劇学校はスタニフラフスキー・システム(以下スタシス)に基づくプログラムだったようですが、あの「俳優の仕事」に書かれている膨大な内容を五年間で一つずつこなしていくという感じだったのでしょうか?

ヘミ:ワダ先生は、あの著作は読む必要は全くないと仰っていました。

杉山剛志さん
【撮影=ワンダーランド 禁無断転載】

杉山:スタシスについては、スタニスラフスキーの「俳優の仕事」を読んだところでわかるものじゃない、と言っていましたね。それは弟子から弟子への口伝、そして実際に身体と心を使った継続的な訓練を通してでのみ正確に伝えられることだと。そして「スタニスラフスキー自身も自分の方法論を日々更新していたので、あそこで書かれていることが完成形ではなかったし、あれを頭で理解しようとしても理解できるものではない」と仰ってましたね。
 実際のところ、ワダさんの教室で、スタニスラフスキーという名前を耳にすることはほとんどありませんでした。四年目、五年目になって「実はこれは」とスタニスラフスキーの名前がようやく出てきた感じです。  私たちはワダさんについては、フランス国立高等演劇学校でジュリエット・ビノシュやヴァンサン・ペレーズを教えていた、ピーター・ブルックと仕事をしていた人だという認識しかなくて、彼とロシア演劇の結び付きについては殆んど知りませんでした。教育プログラムの最後になって、先生がロシアで演劇を学び、彼の先生がスタニスラフスキーの最後の弟子であり実際にシステムを纏めあげたマリア・クネーベルであること、彼女から教えられたことをピーター・ブルックに伝えたこと、自分がこの学校で教えたことも実はロシアのスタニスラフスキーにルーツがあることを先生から聞きました。
 5年間の俳優訓練が終わって、スタニスラフスキーの著作を読んでみたのですが、実際私たちがやっていた稽古風景でも似ているものはありましたね。知覚、聴覚、嗅覚などを育てていくやり方とか。一貫性のある人物造形を作っていくプロセスであるとか。

ワンダーランド:知的で主体的な俳優の育成がスタニスラフスキー・システムの根幹だと思うのですが、上演作品の作り方も演出家主導というよりは、自立した俳優が中心になるのでしょうか?

杉山:ワダさんは俳優の持っている個性を育てることを重視していました。ロシア人も言っていたことなのですが、スタシスは凡庸な俳優を天才にすることはできません。スタシスはもともと才能ある俳優にとって必要なものであり、役にたつシステムです。俳優の才能を引き出し、輝かすために必要なものです。でも本当の天才には必要なものではない。天才は考えなくてもできてしまうので。
 ワダさんは基本的には、才能がある俳優たちが自立した一人前の芸術家になるために、自分で考え、自分で芸術的な表現を演出家に提示することができるような、言われたことだけができるのではなくて、独り立ちできる俳優を育てることを目標としていました。

ワンダーランド:演出家の役割はどのようなものなのですか?

杉山:制作活動の実際においては、演出家が的確に方向付けを行わないと芝居がまとまりません。最終的な決断は演出家が行います。でもかといって俳優が演出家に動かされるコマであるかというとそうではありません。俳優は舞台創造において非常に大きな役割を占めています。演出家はすべてを伝えることはできません。演出家から、例えば上手から下手にこういう具合に移動しろという指示があったときに、凡庸な俳優なら単にその指示とおり動くことしかできないわけですが、優れた俳優はなぜそういった動きをするのか、その目的や理由を想像できる。役柄の内面の動機、理由を自分で見つけることができます。演出家は感覚的なことも含めいろいろな指示を俳優に伝えるのですが、それを埋めていく作業を俳優が自分でできるようにならなくてはなりません。スタシスはこうした自主的な判断ができる俳優の育成を目指しています。

ワンダーランド:となるとこのシステムに基づく舞台創造の現場では、演出家は必ずしも絶対的存在ではなくて、文字通りの意味のミザンセーヌ(mise en scène)、俳優の立ち位置や動きを指定したり、美術とかを決める役割に過ぎないのですか? 俳優が中心で、演出家はその調整役というか。

ヘミ:いいえ、そうでありません。演出家は自分のビジョンを稽古初日にきっちり決めてきますね。演出家は舞台全体についてのビジョンはもちろんのこと、すべての役の人物の内的な行動などについても明確な分析を通した意見を持っている存在です。もちろん俳優もそれぞれ自分の役柄についての意見は持っていますので、それを合致させていくことが私たちの稽古です。

杉山:ロシアでは、演出家になるにせよ、劇作家になるにせよ、俳優としての訓練が演劇人としての教育の根幹にあります。ロシアの国立演劇学校では5年間の体系的教育を受けるわけですが、そこでは演出家志望者も劇作家志望者も俳優の勉強をします。演出家も劇作家も俳優も最初の数年間はまったく同じプログラムで学ぶのです。その勉強の課程で演劇人としてどの道を進むのか決めていくのです。自分の創作の方法論はスタニスラフスキー・システムですと言う劇作家は多いのです。  実際の創作の過程では、ミザンセーヌを決定するのは最後の段階ですね。

ヘミ:今までに一緒に舞台を作ったロシア人は皆そうでしたし、もちろん杉山君もですが、創作活動では俳優の仕事を演出家と一緒に作業するという感じですね。

ワンダーランド:以前に青年団の太田宏さんに「フランス人俳優は演出家ととにかくよく議論をする。そして議論をして納得した上でないと、動かない傾向が強い」といった話を伺ったことがあります。「日本だと演出家に言われたら、俳優はたとえ納得できなくてもとにかくその通りやってみて、その結果で芝居を作っていくということがあるのだけれど、フランスではそういったことはなかった」と言っていました。このように俳優と演出家が議論しながら芝居を作っていくのは、ディベートの習慣がない日本人にとっては難しいように思うのですが。

ヘミ:演出家との議論を躊躇するというのはないですね。私たちはこうした場で学んできたので、そういう遠慮がなかった。俳優は演出家にどんどん意見を言います(笑)。稽古中はほとんど議論ですね。

杉山:もちろん解釈の違いはあるのですが、対立して喧嘩しているわけではないんです。舞台創造については演出家が主導権を握っているのだけれど、俳優もまた芸術家であり、相互的創造活動を行うためには、議論、検証、探求が必要不可欠です。解釈については徹底的に議論します。最終的にはもちろん演出家が決断するのですが。

ヘミ:ディベートを繰り返しながら、最適な表現を一緒に探していくみたいな感じですね。

ワンダーランド:逆に言えば演出家に言われた通りにしかできない俳優は必要ないということですか?

杉山:内的な正当化を見つけ、言われたことをその通りできるのが最低条件で、その上で演出家が伝えた以上のことも提示できる、新しいアイディアを提示できる、議論を通して弁証法的に表現を探求できる能力を俳優に求めます。

ワンダーランド:なるほど。

杉山:先月(2014年11月)に公演があった「バルカンのスパイ」では、加藤ちかさんに美術を担当していただきました。加藤さんはこれまでいろいろな方と仕事をされていますが、私たちの稽古を見に来られたときに「とても驚いた」と仰っていました。何に驚いたのか尋ねてみると、他の劇団だと9割9分は先に外面的に固まっている。稽古初日にはせりふが入っているし、その完成されたイメージに向かって稽古を進めていく。公演に近づくにしたがって固いところから徐々に壊していく、調整していく感じ。ところが私たちは、最初に形は何も決まっていない。議論・仮説・即興を通しての検証を繰り返し、それぞれの意見を戦わせたりしながら、徐々に形を作っていく。その過程にせりふが自然に入っていき、最後に形になる。始まり方と終わり方が、彼女がこれまでかかわった劇団の作り方とまったく逆なんだそうです。

ヘミ:私たちは稽古を始めたときには、誰もせりふが入っていないんですよ。稽古中に自然にせりふが入っていき、最後の一週間とかで戯曲に書かれている通り一語一句覚えます。友人の俳優から他の劇団の作り方を聞くのですが、せりふが入っていない稽古というのは他のところではありえないみたいですね。

杉山:俳優は逆に言えば始める段階では縛られるものがない。真っ白の状態から一緒に芝居を作っていくことができます。このやり方こそ俳優それぞれの持っている真の個性を生かしやすいのです。

ヘミ:しかし、俳優に主体性がないとこうした状況で芝居を作っていくのはとても難しいと思います。俳優が自分自身でプロセスを作っていけないというか。

杉山:俳優育成の勉強のほとんどはこうしたことに費やされていました。つまり、俳優は即興で何かをその場で生み出す能力・才能がないと作品作りができない、創作活動についてこられないのです。ピアニストが楽譜を見てすぐ音符を理解し弾き始めることができるのと同じように、俳優には台本を読んだらすぐにその場で何が起こっているのか、そこからどんな行動が発生するのか、作者が与えた状況を正確に読み取る能力が必要不可欠です。そして頭でそれを理解するだけではなく、その状況のなかでの目的を見つけて「もしも私がその状況に立たされたとしたら」と想像し信じてすぐに即興で表現していく能力が必要です。俳優にとって常に即興が創作の出発点でありベースです。

ヘミ:台本によって与えられた状況を信じる力がないと、役柄を演じることはできません。いくらテキストを読み取る力があり、その状況にふさわしい素晴らしい行動を見つけたとしても、与えられた状況を本当に信じて行動できないと、そこに説得力は生まれません。
杉山:虚構の状況を信じるためには豊かな想像力が必要不可欠です。俳優の仕事に求められる想像力を鍛えるために、注意力、集中力、知覚、五感を具体的な訓練で継続的に向上させ鋭敏にして、いろんな情報を普通の人よりも正確・敏感にキャッチできる能力を高めていく。こうした訓練によって総合的に伸ばされた想像力が、虚構の状況を信じるという力につながります。台本に書かれていない人物の物語を想像力で作ることができるようになることが重要なのです。

ワンダーランド:「状況を信じて行動する」というのが、ア・ラ・プラスの演劇のキーワードのようですね。どんなに荒唐無稽な状況が提示されていても、俳優がそれを信じて再現する。そのことが説得力のある表現を作り出すということですね。

日本・セルビア演劇交流プロジェクト「バルカンのスパイ」の公演について

ワンダーランド:前回の公演「バルカンのスパイ」に話題を移しましょう。セルビアの劇作家であり、映画「アンダーグラウンド」の脚本家であるコバチェビッチ氏の作品だったのですが、どういう経緯でセルビアの作品の上演を手がけることになったのでしょうか?

杉山:在セルビアの日本大使館で外交官として勤務されていた亀田和明さんが、外交官時代に作者のコバチェビッチさんと親しい交流がありました。亀田さんは演劇関係の人ではなかったのですが、コバチェビッチさんの作品がいたく気に入り、日本に紹介したいと考えたのです。それで日本語に翻訳していたのを黒テントの宗重博之さんと出逢った折に、これを上演できないかと相談したところ、そこから私に演出の依頼が回ってきたのです。

ワンダーランド:亀田さんはもともと演劇がお好きな方だったのですか?

杉山:はい。そしてコバチェビッチさんの映画のファンでした。現地でよく見に行ったと仰ってました。私は二十歳のときに「アンダーグラウンド」を見て衝撃を受けた、すごく好きな映画だったので、二十年もたってこの映画の脚本家の作品を演出できるのは面白い巡り合わせだなと思いました。

ワンダーランド:加藤ちかさんの美術は素晴らしかったですね。古ぼけてくすんだダイニング・ルームのセットで、それが最後に崩壊していく場面が印象的でした。あの崩壊は台本のト書きにはなく、杉山さんのアイディアだったそうですね?

杉山:はい。加藤さんとは細かいディスカションを重ね、何を実現させたいのかその内容と意図を伝え、いろいろとご提案を頂きました。

ワンダーランド:休憩時間を含んで2時間40分のかなり長い、しかも濃密でエネルギッシュな作品でした。脚本がスラブ的といいますか、同じ主題を執拗に何回も繰り返し提示するのが、多少重くてしんどいなと感じましたが、劇の進行に従って狂気も進行する主人公のイリヤを演じられた田中徹さんは驚異的な熱演でした。さすがに最後は多少息切れという感じがありました。とにかく壮絶な演技でしたから(笑)。観客の私もかなり疲労してしまいましたが、役者が自信を持って役を演じているなという感じがしました。演技の輪郭線がはっきりしていて、ぶれを感じない。日本の俳優っぽくないというか、西洋の戯曲を日本人俳優が演じるときのぎごちなさを感じなかったです。

杉山:今後、ア・ラ・プラスが目指す方向ともつながるのですが、俳優の個々の美しさとアンサンブル芸術をさらに成長させていきたいと思っています。そしてそのなかで現代の問題意識、美学にリンクするような表現形式を発見・確立させていきたいと考えています。

ワンダーランド:展開と役柄の一貫性が意識されていて、非常に説得力の高い作品だと思いました。しかしアンサンブルが緊密で、ソリッドな演技ですき間がなく展開を埋めていったために、芝居が必然的に重くなってしまっているようにも感じました。脚本自体がかなり重厚なものだったわけですが。笑いがあってもいい芝居なのですが、重さで観客が笑えなくなってしまっていました。すきがないと観客が乗っかって笑うことができませんからね。

杉山:ユーモアの部分をもう少し発展させることは、来年予定されているセルビア公演に向けての課題の一つだと考えています。

ア・ラ・プラス
【ア・ラ・プラス(チェヘミ氏と杉山剛志氏)撮影=ワンダーランド 禁無断転載】

現在の小劇場シーンのなかでの演劇集団ア・ラ・プラスの位置づけ

ワンダーランド: ア・ラ・プラスから見て、日本の小劇場の雰囲気をどういう風にとらえていますか?

杉山:表現方法は多彩で、興味をひかれることもありますが、俳優の演技のあり方には違和感を覚えることがあります。俳優がその瞬間に起こっていることを本当に信じているのかなと疑問に思うことがしばしばあります。つまり演出と演技に溝があるのですね。海外にいるときはジャンルを問わずいろいろな芝居を見に行くのですが、どんな芝居であっても、たとえば不条理劇のような現実にあり得ない状況や表現様式であっても、人間が正に今ここで生きていることを信じられるというのが良い芝居であるという風に私は考えています。

ワンダーランド:東京の小劇場では一つは青年団の平田系、もう一つはSCOTの鈴木系が二つの大きな流れに思えるのですけれど、ア・ラ・プラスのスタイルはそのどちらとも距離がありますね。スタニスラフスキー・システムといっても、新劇系の劇団とも雰囲気が違います。ア・ラ・プラスは東京の小劇場シーンとはちょっと外れた場所で活動をしているような印象があります。現在の日本の小劇場の世界のなかで、ア・ラ・プラスがどこに居場所を見つけることができるのかなというのが気になるのですが。

ヘミ:平田系、鈴木系の方々ともども親しくお付き合いはさせていただいております(笑)。

杉山:鈴木さんの稽古を拝見したことがあります。演劇のスタイルは私たちとはかなり違いますが、鈴木さんの演劇観と私たちが学んだスタシスには共通する部分は少なくないように思いました。鈴木さんの芝居ははっきりとした様式がありますが、単に型をなぞるのではなくて、それを演じる俳優の内面に真実があるのかどうかについて、俳優に厳しく問い詰めていました。形は違いますが、私たちも求めていることは同じです。

 スタシスというとすぐに写実的な演技を画一的に思い浮かべるかたが多いのですが、これは全く間違っています。実際には彼の最も優秀な弟子であるメイエルホリドやヴァフタンゴフも、表現形態としては必ずしも写実的ではありません。しかしそのルーツはスタシスです。ブレヒトもスタニスラフスキーが演出した作品を見て「正にこれが私がやりたかったことだ」と言いました。グロトフスキの発見やフランスのアルトーもそこから生み出されている。たとえ作品の外観はアヴァンギャルドであってもシュールレアリズムであっても、内面の自然を重視するという点でスタニスラフスキー・システムは時代とともに変化・発展をしながらどんどん豊かになり現在まで受け継がれてきたのです。私の作りたい芝居も実は写実的というよりはもっと抽象的で象徴的な作品が好みなのです。

ワンダーランド:現在の日本演劇状況のなかで、ア・ラ・プラスはどのようなところを目指していますか?

杉山:ア・ラ・プラスでやっている俳優育成プロジェクトを通して、自立した俳優を育てていきたいです。そして彼らと一緒に芝居を作っていく。俳優のアンサンブル芸術を要にして時代を問わず古今東西の戯曲を取り上げ、現代の観客が共感できるような普遍的なものを見つけていきたいと考えています。日常とは異なる世界で展開する物語をあえて取り上げることで、自分たちの世界を見つめ直す契機を与えることができるような作品創りを行いたいです。

ワンダーランド:今後の予定は?

杉山:来年(2015年)は東欧ツアーで、セルビアのベオグラードにあるコバチェビッチさんの劇場で「バルカンのスパイ」を公演します。セルビア第二の都市であるノヴィ・サドでの国際舞台芸術フェスティバルにも参加します。あとはクロアチアのザグレブとスロバニアのリュブリャナで上演する予定です。この東欧ツアーに向けて作品をブラッシュアップさせなくてはなりません。キャストや美術などを変更しようと考えています。

ヘミ:近くの予定では、これは演劇の公演ではないのですが、国際交流基金から助成を頂き、1月10日からタイのチェンライに行きます。タイの山岳地帯の貧しい子供たちに演劇を使った教育プログラムを提供するというものです。子供向きの芝居やワークショップなどの活動は、日本でもできれば今後、やっていきたいですね。

杉山:また古民家を利用したア・ラ・プラスのスタジオを持つ計画があります。何年も前から考えていたことなのですが、協力してくれる方も見つかったので、一年半後の実現を目処に。そこでワークショップをやって俳優を育成したり、公演を行ったり、地域と子供を対象にしたプログラムを組んだりしたいと考えています。

ワンダーランド:ありがとうございました。
(2014年12月25日、下北沢 kate coffee(ケイト・コーヒー)にて。聞き手:片山幹生、写真:大泉尚子(ワンダーランド))


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