べドラム・シアター「聖ジョーン」

◎1+3=1+23
 辻佐保子

 資料調査のためにマサチューセッツ州ケンブリッジに一週間滞在することが決まった時、真っ先に “Cambridge theater” とキーワードを打ち込んで検索をかけた。当地の演劇事情には明るくないものの、行くからには何かしら演劇作品を見たかった。結局2作品のチケットを予約した。

 ひとつは、スーザン=ロリ・パークスの新作『父が戦争から帰還する』 (Father Comes Home from the Wars)で、ハーバード大学敷地内にあるアメリカン・レパートリー・シアターにて2015年3月1日まで上演されている (註1)。もうひとつは、ケンブリッジ中心街に位置する小劇場セントラル・スクエア・シアターで2015年2月8日まで上演されるジョージ・バーナード・ショー作『聖ジョーン』(Saint Joan)である(註2)。短い滞在期間中に猛吹雪に見舞われて、あわやキャンセルかと危ぶんだものの、幸運にも観劇日には吹雪は去っていった。どちらの作品も、天候に恵まれて観劇できたことへの感謝が湧き上がる良作だった。特に『聖ジョーン』は、ニューヨークを拠点に活動する気鋭の劇団ベドラム・シアターによる戯曲と演劇形式に対する知的かつひたむきな探求を目の当たりにした点で、とても喜ばしい観劇体験となった。

■ Bedlam’s “Saint Joan”

 ベドラム・シアターは2012年にエリック・タッカーとアンドラス・ニコルスによって立ち上げられた劇団である(註3)。この劇団での『聖ジョーン』初演はニューヨークの小劇場アクセス・シアターで2012年5月に行われ、同時上演された『ハムレット』(Hamlet) と共に評判を集めた。2013年9月にはワシントンDCのムリッツ・ザデルスキー・シアターラボで、そして2014年1月にニューヨークのレッドグレイヴ・シアターで再演されるなど、早くも『聖ジョーン』はベドラム・シアターの代表作という位置づけを獲得している。今回のケンブリッジでの上演は『聖ジョーン』のみで、セントラル・スクエア・シアターを拠点に演劇制作を行う団体アンダーグラウンド・レイルウェイ・シアターの招聘によるものである(註4)。

 ベドラム版『聖ジョーン』の特徴は、なんといってもそのミニマルさにある。『聖ジョーン』はジャンヌ・ダルクの挙兵から魔女裁判を経ての処刑、そして死から25年後の列聖までが6つの場面とエピローグで綴られる長大な作品で、登場人物は24人にものぼる。ところが、本プロダクションは凝った演出を極力排していた。上演スペースは3ブロックに分かれた客席に囲まれ、床にはペンキで“1429”と書かれている。小道具は銀色の椅子が二脚置かれている程度で、その内のひとつは座面に黒いペンキで “France” と書かれていた。舞台奥の壁面は大半が白いペンキで塗りつぶされ、場面転換時に“Chinon” とペンキで書かれ“Orleans” と映像が投射される(どちらもフランスの地名である)。このような空間で『聖ジョーン』全6場+エピローグを演じるのは、たった4人の俳優である。4人の中で唯一の女性であるアンドラス・ニコルスがジャンヌを担当し、残る3人の男性(エドマンド・ルイス、トム・オキーフ、エリック・タッカー)はシャルル王太子を始めとする23ものキャラクターを演じる(註6)。加えて、ニューヨーク・タイムズの劇評家ベン・ブラントリーが「演者はひとつの場面の中で複数のキャラクターを演じるだけでなく、互いに役を交換する」(註5)と述べている通り、演じる俳優が固定されていないキャラクターもあった。観客の混乱を招きそうに思われるが、実際に上演を見ると驚くほどスムースで、俳優の技量の高さが窺えた(註7)。演出を務めたタッカーによると、役の切り替えは「劇団を始めた時には十分なお金がなくて、大勢を雇えなかった」(註8) という懐事情に基づいている。だが、経済的な制約から生まれた手法が結果として『聖ジョーン』の上演を活気づけたという見解を多くの劇評が示しており、筆者もこの点に同意している(註9)。

 しかしながら、上演だけでなく戯曲にも目を配った上で、ベドラム・シアターのスタイルが『聖ジョーン』の上演においてどのように機能していたかについては十分に語られていないと思われる。ニコルスのみが一貫してひとつのキャラクターを演じるのに対して、残る3人で複数のキャラクターを演じるという相違があるのはなぜか。そして、ひとつの役を複数の俳優で共有するという仕掛けによって何が表されているのか。本稿ではまず、戯曲の中で度々言及される「声」“voices”とキャラクターたちとの関係性に着目しながら、ニコルスと他の俳優たちとの相違を考えていく。

■ 「声」を表象=代理する – 俳優としてのジャンヌ

 すでに述べた通り、ベドラム版『聖ジョーン』ではニコルスは他のキャラクターを演じず、ジャンヌは他の俳優によって演じられない。女性キャラクターが少ない上に、主人公として台詞量が多いというプラクティカルな理由は当然あるだろう。しかしショーの戯曲に目を向けると、戯曲に書かれる「声」“voices” とジャンヌの関係性および他のキャラクターたちに対するジャンヌの異質さは、ニコルスとジャンヌの対応関係によって鮮やかに示されていることがわかる (註10)。

『聖ジョーン』の中で、ジャンヌは神および聖人たちの「声」を聞く。ところが、具体的な音声として「声」が発話される機会はないため、他のキャラクターのみならず観客の耳にも「声」は届かない。それでも「私が何をすべきか伝える声が聞こえる」というジャンヌは主張し、「声」の指示に従って挙兵し、祖国フランスを救済し、シャルル7世の擁立までやってのける。ここから、ジャンヌの行動は神および聖人たちの「声」を表象=代理したものであると言えるだろう。
 このように「声」とジャンヌの関係性を捉えた時、ジャンヌの姿は戯曲という「声」を聞いて表象=代理する俳優の姿と重なってくる。神および聖人たちの「声」は、ジャンヌの発言や行動、ふるまいを通じて間接的に表される。まるで戯曲に書き込まれた言葉や演出の指示が、俳優の発話や行為を通じて観客に差し出されるように。

 また、魔女裁判での異性装を巡る尋問は「俳優としてのジャンヌ」が端的に表された場面である。兵士の格好で裁判に現れたジャンヌに、審問官は「その厚かましい服を脱ぎ去り、己の性にならないのか?」と問い詰める。しかしジャンヌは「でも、声は兵士の格好をしなさいと言うのです」と述べる。教会の権威者はジャンヌの装いを規範からの逸脱として咎め糾弾するのに対して、「声」から課される役割を全うするために、ジャンヌはためらわずに兵士の服を纏う。そして「声」の指示について、ジャンヌは以下のとおり明確な理由を見出している。

「私は兵士たちの上に立つ兵士です。私は兵士に監視された囚人です。もし女の格好をしなければならないとしたら、彼らは私を女と思うでしょう。そうしたら私はどうなります? もし私が兵士の格好をしていたら、彼らは私を兵士と思います。そして故郷で兄弟たちと暮らしていたように、彼らと共に生きることができます。聖カタリナが解放まで女の格好をしてはならないと告げたのは、そういうことなのです」

 ジャンヌの異性装は、祖国救済を成し遂げるため、そして自らの身を守るためという合理的な理由に基づいている。だが、第5場で「まず声がやってきて、それから理屈が見つかる」とジャンヌが述べていたことを踏まえると、異性装の理由自体は「声」から授けられたものでないと考えられる。ジャンヌは「声」の指示を鵜呑みにしているのではない。「声」の意図を解釈した上で発話や構想、ふるまい、衣装を通して「声」を表象=代理しているのである。ジャンヌはまさしく、百年戦争という舞台で祖国救済の兵士として振る舞う俳優なのである。

 改めて上演に視点を戻すと、ニコルスとジャンヌの対応関係はショーの戯曲に書かれた「俳優としてのジャンヌ」の姿を強調するものと考えられる。特に、複数のキャラクターを演じ分ける共演者たちとの対比があることで、ニコルスとジャンヌの重なり合いは一層際立つ。「声」を聞き、解釈し、表象=代理するジャンヌと、ショーの戯曲を聞き、解釈し、表象=代理するニコルスは相似の関係となっているのである。

■ 浮遊する声たち

 それでは、いくつものキャラクターを演じるルイス、オキーフ、タッカーはどのような役割を担うのか。まず、彼らの演技スタイルを整理したい。最初にキャラクターの切り替えが見られるのは第2場で、主な登場人物はシャルル王太子(後のシャルル7世)、シャンベラン公、大司教、青髭公、ラ・イール大将、小姓、王太子妃、そしてジャンヌである。冒頭、シャルル王太子の登場に待ちくたびれるシャンベラン公はタッカーが、大司教はオキーフが演じている。ルイス演じる小姓が登場して青髭公の到着を告げると、オキーフは大司教から青髭公へと演技を切り替える。さらに、オキーフが当初演じていた大司教と青髭公の対話に差し掛かると、タッカーが大司教を演じ始める。また第6場の魔女裁判でも、裁判長を務めるボーヴェ司教ピエール・コーション、イングランド摂政ベッドフォード公ジョン、英仏間の仲介役を務めるウォリック伯、審問官、修道会士、平修道士、裁判補佐人らが3人で演じられる。

 タッカーら3人が演じ分けるためにとった手段はシンプルなもので、僧服や眼鏡といった最低限の衣装替えでキャラクターの階級差を示していた。加えて、大げさな仕草や声のピッチおよび訛りによって個々のキャラクターの区別が図られていたことにも着目したい。たとえば青髭公は上ずった声でフランス語訛りの英語を話し、終始あご髭を撫でる仕草をしていた。仕草と声のピッチ、訛りという3つの特徴が踏まえられることで、オキーフが演じようとタッカーが演じようと青髭公というキャラクターの表象が可能となる。要するに、タッカーらの演技は身体動作や声、衣装といった表層的な部分を手掛かりにしたもので、ジャンヌのみを演じるニコルスのスタイルとは大きく異なる。テンポよく役の切り替えが行われるため、大道芸を見ているような軽やかさと賑やかさがある。しかし、声のピッチや訛りを共有するという手法は、コミカルな味付けを施すだけにとどまらないことが第6場とエピローグで明らかとなる。

 第6場でジャンヌは上演スペース中央のひな壇に置かれた椅子に座り、ルイスとオキーフ、タッカーは客席の通路に立つ。裁判の開始とともに照明が落とされ、ジャンヌのみが床に置かれたパーライトで照らし出される。ジャンヌを尋問する声は暗がりから発せられ、ジャンヌは暗闇に向かって応答するという構図が生まれる。従って、オキーフが演じる審問官の声が上手から聞こえてきたかと思えば、タッカーにバトンタッチされて下手から聞こえてくるといった状況が発生するのである。さらに、3人は足早に通路を歩き回り客席内を移動しながら台詞を発する。照明が落とされることで声のみが際立ち、裁判が進行していくにつれて、誰がどのキャラクターの声をどこで発しているのか不明瞭になっていく。ピッチや訛りを誇張しジャグリングをするように役を交換していくというスタイルは、第6場ではジャンヌを詰問し、糾弾し、疲弊させる顔なき声を表すために機能しているのである。

 また、タッカーら3人の演技スタイルの妙は、シャルル7世の夢枕にジャンヌや司教、ウォリック伯らが集い、百年戦争を懐古し語り合うエピローグでも発揮される。本プロダクションでは、客席と上演スペースに腰掛けた俳優たちが昔語りをするという演出で、アフター・トークのような親密さを伴った場面に仕上がっていた。引き続きニコルス以外の3人は複数のキャラクターを演じ、時にスイッチする。しかし目立った衣装の着脱はなく(眼鏡の着脱程度である)、大げさな仕草は影を潜めているため、声のピッチと訛りがキャラクターの転換を示す主な指標となる。新たなキャラクターが加わるたびに、ジャンヌが「あら、ピーター・クーションじゃない!」などと呼びかけて、対話の進行は整理される。しかし、キャラクターが出揃って対話が進む内に、どのキャラクターの声が誰の口から発せられているかが徐々に掴みづらくなっていく。それでも、第6場でジャンヌを混乱させ追い詰める攻撃性は、エピローグの声からは感じられない。声の切り替えや役の転換によって、死者たちの声が俳優の身体を媒介にして訪れては去っていく様子が描き出され、ジャンヌの死から25年後の夢というエピローグの設定が生きてくる。従来の上演では、エピローグは削られる傾向にあったという(註11)。しかしながら、本プロダクションでは俳優たちの演技スタイルを駆使することで、歴史の流れの中で泡沫のように浮かんでは消えていった人々を見事に舞台化したのである。

 以上見てきたように、ニコルスとジャンヌの対応関係は、「声」を表象=代理する「俳優としてのジャンヌ」の姿を強調するものであり、タッカーら3人の演技スタイルは遊び心に溢れていながらも、浮遊する声、苛む声、そして死者たちの声を表すために、第6場とエピローグで絶大な効果を発揮していた。「狂乱」の意を劇団名に冠しながらも、ベドラム・シアターの戦略は戯曲を丁寧に読み込んだ上で演劇としての仕掛けを施すという知的かつ真摯なものであると言える。3月からはシェイクスピアの『十二夜』(Twelfth Night) が『十二夜』(Twelfth Night) と『御意のままに』(What You Will) というふたつのバージョンで上演される(註12)。最低限の俳優で古典とされる戯曲に取り組むベドラム・シアターの探求は、今後どのような形で実を結んでいくのか、期待をこめて稿を締めたい。
(2015年1月30日観劇)

註1. 『父が戦争から帰還する』アメリカン・レパートリー・シアター公演公式HP
http://americanrepertorytheater.org/events/show/father-comes-home-wars-parts-1-2-3
註2. 『聖ジョーン』セントラル・スクエア・シアター公演公式HP
https://www.centralsquaretheater.org/shows/bedlams-saint-joan/
註3. ベドラム・シアター公式HP (http://www.theatrebedlam.org/
註4. セントラル・スクエア・シアター公式HP内のアンダーグラウンド・レイルウェイ・シアターの紹介ページ(https://www.centralsquaretheater.org/about/underground-railway-theater/
註5. Ben Brantley. “Two Plays, Four Actors, and One Company: Bedlam Theater’s ‘Saint Joan’ and ‘Hamlet’,” New York Times. Jan 10, 2014(http://www.nytimes.com/2014/01/11/theater/bedlam-theaters-saint-joan-and-hamlet.html?_r=2)2015年2月5日閲覧。
註6. ショーの戯曲のタイトルの『聖ジョーン』あるいは『聖女ジョーン』と表記されることが多いが、主人公の名前は「ジョーン」ではなく「ジャンヌ」表記が人口に膾炙している。従って、本稿では作品タイトルを『聖ジョーン』とし、主人公の名前は「ジャンヌ」と表記する。
註7. この点は劇評でも賞賛されており、たとえば2012年の初演時にニューヨーク・タイムズの劇評家エリック・グロードは「ベドラムの四人組は多くの役を巧みにこなすために要求される論理の柔軟体操を、達成するどころか大いに楽しんでいる」と評価している。Eric Grode. “Shaw’s View of a Woman Headed to a Burning Stake: Shaw’s ‘Saint Joan’ at the Access Theater,” New York Times. May 4, 2012. (http://www.nytimes.com/2012/05/05/theater/reviews/shaws-saint-joan-at-the-access-theater.html)2015年2月5日閲覧。
註8. Jeremy D. Goodwin. “In Bedlam’s ‘Saint Joan,’ One Actress Surrounded by Three Jugglers,” The Boston Globe. (http://www.bostonglobe.com/arts/theater-art/2015/01/15/bedlam-saint-joan-one-actress-surrounded-three-jugglers/ylOzzEofbRhIrc50feWQWI/story.html)2015年2月5日閲覧。
註9. たとえばボストン・グローブの劇評家ジェレミー・D・グッドウィンは、「観客と批評家は、果敢なまでにそぎ落としたキャスティングは濃密で冗長な芝居の明瞭さを拡大し、舞台の並外れたエネルギーが注ぎ込まれたことを知った」と述べている。Jeremy D. Goodwin 前傾記事。2015年2月5日閲覧。
註10. 本稿を執筆するにあたって、戯曲は以下を参照した。
http://www.amazon.co.jp/Saint-Joan-English-George-Bernard-ebook/dp/B00QQTT78U/ref=sr_1_1?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1423513219&sr=1-1&keywords=george+bernard+shaw+saint+joan
また、本稿内での引用は全て拙訳によるものである。
註11. ベドラム版『聖ジョーン』のプレイビルに掲載されたタッカーのインタビューを参照した。
註12. 言うまでもなく、『御意のままに』は『十二夜』の副題である。『十二夜』あるいは『御意のままに』公演公式HP. (http://www.theatrebedlam.org/#!stage/c8ui

【筆者略歴】
辻佐保子(つじ・さほこ)
1987年生。日本学術振興会特別研究員。早稲田大学文学研究科博士後期課程在籍(表象・メディア論コース)。研究対象はアメリカン・ミュージカルとミュージカル映画。ニューヨーク市立大学マーティン・E・セーガル演劇センターにて客員研究員。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tsuji-sahoko/

【上演記録】
Bedlam’s Saint Joan
Central Square Theatre (January 15 – February 8, 2015)

Writer:George Bernard Shaw
Director:Eric Tucker
Cast:Andrus Nichols  Edmund Lewis  Tom O’Keefe  Eric Tucker

Production
stage manager:L. Arkansas Light
assistant stage manager:Renato Luna Dezonne
lighting designer:John R Malinowski

 

 


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