◎「そこに人がいる」魅力
高野しのぶ
蓄積できるブログ形式
-高野さんはブログとメールマガジンの「しのぶの演劇レビュー」、それにツイッター、フェイスブックなどネットで発信しています。始まりは2004年でしたか。
高野 ブログは2004年からですが、友人が2000年に、誰でも書き込める「しのぶの観劇掲示板」というサイトを作ってくれたのが始まりです。掲示板は投稿が増えると過去ログが消えてしまう。それはもったいないから蓄積できる形式にしたらと勧める人がいて、ブログになりました。
-当時はブログが盛んになったころでしたね。
高野 あのころは“ウェブログ”と言われていました。それが“ブログ”になって、今はブログを書く人が“ブロガー”と呼ばれるようになった。
-ニフティは…。
高野 やってませんでした。
-えんげきのページ、略称「えんぺ」は小劇場ファンの間では知られていましたが…。
高野 たまに書き込んでいました。おもしろい公演に出会った時ぐらいでしょうか。
-高野さんのメールマガジンの第1号は167部、それが今年の最新号は2146部になりました。ワンダーランドは数人で編集しているのに、高野さんはたった1人で編集、発行している。そのメルマガの方がずっと部数が多い。頭が下がります。ご覧になった舞台は欠かさずレビューを書いているのですか。
高野 いえ、残念ながら書けてないです。昨年秋から特に忙しくなって、10年間欠かさず毎月発行していたメルマガも、2011年の震災の時に1度お休みして以来、初めて休みました。今年も元旦号は出せましたけど、2月はダメでした。3月も分かりません。
-個人発行だと、自由が利くのでしょうか。
高野 自由…? 自由って何なんでしょうね…。個人発行だからというより、私が出すと決めて出しているだけなので、止めなきゃいけない時は止めます。無料だし、外部からの拘束はありません。それはブログも同じです。いわば趣味ですから。
-趣味にしてはスケールが大きい。
高野 趣味と言うと語弊があるかもしれませんね。私がしていることは仕事ではないということです。お金をもらっていませんから。決まった対価がある営為ではないのです。
この幸せを伝えたい
-大阪の生まれ、東京育ちだそうですが、中学高校時代は演劇と関係がなかったのですか。
高野 中学時代に学芸会用の脚本を書いたことがあります。でも、コンペで負けて、それきり。演劇体験は大学に入ってからです。
-見る芝居は年間220-230本ぐらいですか。
高野 だいたいそれぐらいですね。2000年台の初めはもっと少なかったと思いますけど、
2003年から年250本ペースになり、2006年に300本を超え、2008年に200本台に戻って今に至る感じです。
-年に200本を超える舞台を見続けるのはとてつもないことだと思います。その原動力はなんでしょう。
高野 最初は知らないことを知るおもしろさというか、好奇心もあって、手あたり次第に見ていたと思います。商業演劇、伝統芸能、ミュージカル、ダンス、実験的小劇場作品など、いろんな舞台を見続けた末に、もともと好きだったストレート・プレイに戻ってきた。今はとにかく上質のストレート・プレイを見たいと思っています。この3ヵ月はほとんど舞台を見ていないので、「ずっと欠かさず見続けている」とは言えないんですが、見続けることができた理由は二つあると思います。
一つは、純粋にお芝居が好きだから。もう一つは、観劇体験が私を変えたから。演劇のおかげで自分が変わったから、その恩返しをしたいという気持ちです。
すぐに思い浮かぶのは、ジェニー・シーレイさんという英国の演出家との出会いです。あれは…衝撃的でした。彼女はろう者で、障害のある人とない人(=健常者)が一緒に演劇を作るワークショップの指導をされていました。「障害は個性」とよく言われますよね。なんだか美談っぽいというか、きれいごとなんじゃないかと思った時もありました。でもそのワークショップを見学した時に、障害は個性なんだと実感できたんです。目が不自由な人、脳性麻痺で車いすに座っている人、健常者の舞台俳優など、いろんな人が参加していて、それぞれに個性が際立っていて、魅力的で、可愛いらしい。その場に立ち会って、本当に人生が変わりました。
-いつころの、どんなイベントですか。
高野 2006年11月の日英共同企画・飛び石プロジェクトです。朝から夕方まで続くワークショップでした。午前中から見ていてあまりに感動して、夕方までいたらこの感覚を書き残せなくなると思い、お昼休みに退出しました。その後、約2時間の体験をこと細かく書いて、当時の私としてはかなり頑張ってレポートに仕上げました。「しのぶの演劇レビュー」に載っています。
作ることだけじゃなく見ることも、つまり観客もクリエイティブだと気付かされたのが、1999年にシアターコクーンで見た草彅剛さん主演の「蒲田行進曲」(つかこうへい作・演出)。そしてこまつ座の「花よりタンゴ」(2004年に紀伊国屋サザンシアターで上演)も私を変えてくれた忘れられない公演です。井上ひさしさんの戯曲はこの作品に限らず、新作でも旧作でも、毎回教わること、気付かされることが多い。歴史を教えていただいたと思っています。
-「花よりタンゴ」は銀座が舞台でしたね。
高野 元華族の四姉妹が小さなダンスホールを奪われそうになるお話です。戦争になったら兵隊は大勢死んで、爆弾が落ちたら庶民の命も奪われる。私も死ぬだろう。怖いけど、それが戦争というものなんだから仕方ない、と思ってきた。しかし、それは違う、そうではないと、井上さんのお芝居が教えてくれました。
団塊の世代ジュニアの私は、公立の学校の義務教育で妙な教育を受けてきたんだと思います。母と一緒に井上さんのお芝居を見に行ったら、母が受けた教育と、私の受けた教育が違うと分かった。30代になって初めて知りました。井上作品だったからでもあるでしょうけど、観劇することで分かること、学ぶことは途方もなく沢山あります。
演劇を見に行ったら楽しい上に、勉強にもなる。いいことがいっぱい。この思いを伝えたいからレビューを書いて、ブログを更新して、メルマガを発行している。そう、原動力は、これが大きいかな。それが恩返しにつながるんじゃないかと思います。井上さんの言葉だと「ご恩送り」ですね。自分があまりに幸せだから、それを他の人に伝えたいという気持ちです。
演劇は言祝ぐ営み…
-芸術的な感興は演劇に限らないと思いますが、高野さんにとって小説ではなく、音楽でも美術でもなく、演劇にこだわる理由は何でしょう。たまたま演劇だったのか、それとも別に演劇固有のわけがあるのでしょうか。
高野 「演劇ではなくて、映画でもいいじゃないか」と言う人はいます。でも、その人に言うんです。「そこ(画面)に人はいないよね」って(笑)。
演劇だと、生身の人間が目の前で話したり動いたりしますよね。演出家の栗山民也さんが「演劇は歴史の記憶装置だ」とおっしゃったように、演劇では、ある物語が、今そこで起きていることとして、俳優によって演じられます。舞台で起こる出来事、生きる時間を観客も共有するから、昔話を聞いて「過去にそういうことがあったのね」と確認するだけで終わりにはならない。大切なダンスホールがなぜか当然のごとく取り上げられてしまう(「花よりタンゴ」)。目の前でそういうことが起きて初めて、理不尽だと分かる。「なんだかおかしなことが起きてるみたいだね」と傍観者のまま眺めているんじゃなくて、私自身が理不尽だと身をもって感じる。自分の体験として、おかしいと感じる。それが演劇ならではの効果じゃないでしょうか。
-あるインタビューで高野さんは観客の役割について話した箇所が目を引きました。劇場に舞台装置があり、役者もいて、作家や演出家などと一緒に舞台を作ります。でも、それだけじゃない。劇場には観客がいて初めて劇場になり、演劇になる、という趣旨だと受け止めました。
高野 そうですね。作り手と観客は対等かつ独立した関係で、両者がともに演劇を形作るのだと思います。2013年に青木豪さんが演出・上演台本を担当したシェイクスピア原作の舞台「十二夜」を紀伊國屋ホールで見ました。舞台美術が神社になっていた。おそらく“紀伊國屋神社”という設定だったんだと思います。最初に俳優がその神社に向かって(観客に背を向けて)、二礼二拍手一礼してからお芝居が始まりました。その時、客席の私も一緒に神社にお参りしているような気持ちになれたんです。
お金を媒介にしたギブ・アンド・テイクの関係は現代に広く成立しています。でも演劇の関係はそうではない。お金を払った人に対して、作り手がお芝居という商品を提供するだけの関係ではないと思います。いわば演劇は奉納で、舞台にいる人も客席にいる人も、ともにその作品を言祝ぐ営みだと考える方が、私にはしっくり来る。ギブ・アンド・テイクのように、作る人と見る人、舞台と客席が、別々にはならないんです。
もう何年も前ですが、ある舞台制作者と話をした時に、「演劇は人と人の間にあるものだ」とお互いに確認できました。演劇はステージ上にあるのではなくて、作る人と見る人との間にある。「間にある」けれど、私はたぶん「上にある(上に生まれる)」のではないかとも思っています。だから「言祝ぐ」「仰ぎ見ている」気がするんです。
SPAC静岡県舞台芸術センターの芸術総監督の宮城聰さんが、昨年夏のアヴィニョン演劇祭で発表したステートメントにあるように、「演劇の上演は、単に観客に向けて行われる行為にとどまるものではない」のだと思います。
-機会があるごとに話していますが、ピーター・ブルックの著作(『なにもない空間』)の冒頭で、演劇行為が成り立つための条件を検討しています。まず空間がある。そこを人が歩く。それを見る人がいる。それで十分だと言い切っています。それと通じることなんでしょうか。
高野 「西洋の神は信じるものだけれど、日本の神は感じるものだ」と語った日本人の神主さんがいます。演劇で大切なのは感じることなんです。観客が舞台側から具体的な何かを受け取るような、点と点が線でつながるような関係というより、全身で浴びるというか、その中にズボッと入ってしまうものではないかと思います。
-奉納するという感覚は、ちょっとオカルトっぽく聞こえなくもないと思いますが…。
高野 うーん。話の階層が違う気がします。
-演劇の現在は、入場料を支払って芝居を見る、劇場に入るという形式で成立しています。奉納するということは、それとは異質の世界になりませんか。私たちの世界は一応、商業的な約束事に従って、チケットを何千円、ときには何万円で購入する仕組みの下に成り立っていますよね。
高野 日本人の私たちは今、資本主義のルールに則った社会に暮らしています。でも演劇はそもそも、資本主義より歴史が古いですから。今の時代がたまたまそういうルールだから、演劇の興行形態もそうなっているだけ。そう考えればいいのでは。今のルールに当てはまらない演劇も存在します。
チケットに多様化の動き
-このシリーズで毎度質問している入場料の問題を取り上げましょうか。いま映画は大人で1800円から2000円ぐらい。演劇だと、小劇場でもいまは3000円が普通です。大劇場だと、高いところは1万円を超えますね。
高野 高すぎますよねぇ~!制作会社がやっていけないから高くするんでしょうか?申し訳ないんですが事情は全く分かりません。私には高くて手が出ない公演、多いです。チケット代が1万円を超える大規模公演を見るより、3000円の小劇場公演を3本見ようと思っちゃうのが首都圏の小劇場ファンの感覚じゃないでしょうか。でも今はインターネットがインフラになったから、定価でチケットを買う人は少なくなってるかも?安いチケットが出回ることを見越して行動している観客も多いでしょうし。
これからはチケット価格が多様化すると思います。というか、既に多様化してますよね。作り手側も腹をくくって、特等席は2万円に値上げするけれど、それ以外はかなり安い席を出すとか、新しい方法を打ち出してもいいんじゃないでしょうか。チケットを早く買うと安くなるのとか、個人的にはありがたいです(笑)。人気の公演は次第に高くなるとか? ファンは高くても買いますしね。
-恐ろしいことを言ってませんか(笑)。
高野 興行側はビジネスだから、いろいろシビアに考えていると思います。生き残るために必死にならざるを得ない。私自身も含め、観客は基本的に貪るばかりになりがちですからね、残念ながら。
-ひところ五反田団にチケットは1000円か1500円でした。最近はそうでもないけど、画期的でしたね。
高野 舞台装置にお金をかける劇団もあれば、衣装に凝る会社もある。作り手それぞれのポリシーではないでしょうか。五反田団はたとえば先ほどおっしゃったピーター・ブルックのように、素舞台に俳優がいて観客がいたら演劇になるというスタンスだったのかもしれません。
私はわがままな観客なので、今はとにかく下手な俳優が出ている舞台は見たくない…。おもしろい戯曲、力のある演出家の舞台でも、出演者の名前次第で行くかどうかを決めることも多くなりました。少し前は注目されている新作をよく見るようにしてたんですけどね。例えば、岸田國士戯曲賞にノミネートされるような公演はよく見ていた方だと思います。でも今は、技術のある俳優によるストレート・プレイを見たい。そうなると結構、既製戯曲や有名古典を見ることになるんですよ。小劇場の新作公演には以前ほど足が向かなくなりました。
-最近、芝居を見ていないのは、そういう事情に関係があるのですか。
高野 いいえ、全然関係ありません。それはまた別の理由、家庭の事情です。
感想文と言うわけ
-高野さんにはワンダーランドにたびたび寄稿していただきました。そのときの遣り取りで、感想文は書くけれど、劇評は書きません、という言葉をよく聞きました。どうしてそうなのか、いままで突っ込んで聞いていません。この機会に、そのわけを聞かせて欲しいのですが。
高野 情けないというか、バカみたいな話なんですけど…ただの消去法と言うか…。あるアイドルが出ている公演がおもしろくなかったので、そのようにレビューに書いたら、炎上状態になったんです。そのアイドルのファンであろう匿名の人が、「どんな新聞評でも褒めているのにあなたは批判している。分かっていない」とか、「あなたに劇評を書く資格はない」とか、次々に掲示板に書き込んで来るんですよ(笑)。それで各紙を調べてみたら、東京新聞の劇評が批判的に書いていた。そのことをレビューに加筆したら、私への批判がパタっとなくなったんです(笑)。レベルの低い匿名の書き込みには関わり合いたくないと思いました。
なぜ新聞劇評をそんなに信奉するのかわからないし、劇評家じゃなければ劇評を書いてはいけないという考えも理解できません。だから「私は劇評家じゃないし、書いた文章ももちろん劇評じゃないですよ」とはっきり明言しておこうと思ったんです。…くだらないですよね(笑)。
私は批評がしたいわけではないし、自己表現をしたいわけでもない。自分にそれができるとも思っていない。ただ「演劇はおもしろいですよ!!」と伝えたいだけなんです。でも、おもしろい舞台はおもしろい、つまらなかった時はつまらないと正直に言わないと、信じてもらえないでしょう。だからとにかく正直に書くことを心掛けています。私の観劇歴をわかってもらえれば信用度が増すだろうし、私の性格や好みを知っておいてもらえれば、読者はいろいろ取捨選択できると思います。レビューを書き続けているのは、そういう動機からです。
だから劇評を書きたい人の気持ちはよくわからないですね…。仕事で執筆依頼をいただいた時は、必死にがんばって書き上げています。でも、書くことが好きなわけではないんです。演劇は素晴らしいってことを伝えたい。文章はそのためのツールです。
-長年の観劇経験で、観客として高野さんがストレート・プレイに関心が回帰してきたという変化はうかがいました。では、同じ劇場にいるほかのお客さんを含めて、客席がその間、変わってきたでしょうか。あらためて振り返ってどうでしょう。
高野 公演によって客層が違いますよね。ストレート・プレイがメインの老舗劇団の客席は、とても高齢化している気がします。4000~5000円を超えるお芝居は、私の年齢より上の人が多くて…。起承転結のあるきっちりしたお芝居を上演している中劇場の客席では、10~20代の若者の姿はあまり見かけません。
アニメや漫画、ゲームを舞台化する公演が増えてますよね。「2.5次元ミュージカル」というくくりで大いに宣伝されています。そこに集まるのは全く別の客層でしょう。
舞台芸術制作者の環境整備を
-見るときはチケット購入ですか。招待ですか。
高野 おかげさまで最近は招待が多くなりました。でも全部ではありません。
-こりっち(CoRich)サイトは高野さんの発案だと聞きましたが。できてからもう9年ぐらい経ちます。すっかり小劇場の世界に定着していますね。
高野 はい、立ち上げにかかわっています。とにかく検索がしたかったんです。今日どんな舞台があるか、今週末は何が見られるのかを検索できるサイトがなかったので。毎日のように検索しますし、CoRich舞台芸術!がなかったら、現在の精度でメルマガは出せません。問い合わせフォームから公演登録をお願いしたりもしています。作り手の皆さんはぜひ自分で公演登録して欲しいです!
-高野さんのメルマガは、これから観劇しようとする人たちの有力な手掛かりになっていると思います。反応はいかがですか。
高野 それが全くと言っていいほど聞こえてこない…。
-読者が2000人を超えていてもですか。
高野 メルマガで読者が2000人台というと、少なすぎて笑われてしまいますよ。
-それは笑う人の勘違いでしょう。アニメやゲームから作り上げた舞台の観客を相手にするなら万単位が当然でしょうが、高野さんのメルマガはストレート・プレイを中心にした公演をセレクトしています。その観客層を相手にこの数字だから、とてつもない出来事ではないですか。
高野 そうなのかなあ…。数字が苦手なんですよ。足し算も引き算もダメ。算数さえできません(笑)。
-最後に、公的助成についてうかがいたい。
高野 一観客としては、いい作品を安く見たいので助成金はガンガン増えて欲しいです(笑)。
公的助成は舞台芸術団体に法人格がないと受けられなくなってきたようです。制作者がキーになってくるでしょうね。優れた劇作家や演出家がいても、制作者がいないと継続的な活動は出来なくなると思います。昔からそうなのかもしれませんが。
私は舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)の正会員で、制作者の方々が疲弊しないで創作を続けていけるよう、何らかのお役に立てたらと思っています。それも演劇への恩返しになるのかな。もっとも、「おもしろい作品を見たい(おもしろい作品しか見たくない)」という、ただのわがままな気持ちの表れでもありますが(笑)。やはり労働環境を改善して、制作者の皆さんが明るい将来像を描けるようにしないといけないと思います。
-高野さんの文章には、♪マークがたくさん付いています。なにか、わけがありそうですね(笑)。
高野 顔文字はすっかり普及してますしSNSではスタンプで遣り取りされるようですが、私はそういった絵図の読み取り方を間違えるようで…「がんばります!」という意味だったのに、「ばか!」と言われたと勘違いしたことがあったり(苦笑)。顔文字を使えない代わりに♪マークを使ってるというか。あと、紙に印刷された文章とインターネット上の文章では意味も影響も異なる傾向があります。ネットの文章だとなぜだか厳しく受け取られることが多いんですよね。だから♪マークはレビュー全体の印象を和らげる意図もあって使っています。語尾に付いた♪マークは「るん!」か「ルン!」と読んでください(笑)。
-平仮名か片仮名かは、読者に任せましょう。微妙に違うかもしれませんね(笑)。本日はありがとうございました。
(2015年1月27日、渋谷の喫茶店)
(聞き手・構成=北嶋孝、廣澤梓)
【略歴】
高野しのぶ(たかの・しのぶ)
大阪府出身、東京都在住。現代演劇ウォッチャー/「しのぶの演劇レビュー」主宰。Webサイト「しのぶの演劇レビュー」で、レビュー(観劇感想文)、ワークショップ、オーディションなど演劇情報を発信。また、無料メルマガ「今、面白い演劇はコレ!年200本観劇人のお薦め舞台」を毎月発行。
・「しのぶの演劇レビュー」 http://www.shinobu-review.jp