◎ありきたりのダンスなんて、どこにもなかった
原田広美
「一般社団法人 現代舞踊協会」の制作協力を得て、3月7~8日に、新国立劇場が「ダンス・アーカイヴ in JAPAN 2015」を中劇場で開催した。昨年6月に、大きな反響を得た「ダンス・アーカイヴ in JAPAN」の続編で、日本の洋舞100年の歴史を蘇らせることを意図した催しである。ところで、「現代舞踊協会」の英語表記は「CDAJ(=コンテンポラリ-・ダンス・アソシエ-ション・ジャパン)」。前回に次いで今回も、やはり「現代舞踊は、その時々のコンテンポラリ-なダンスであった」ことを実感した。このたび再演したのは、石井漠(1886~1962)、執行正俊(1908~1989)、檜健次(1908~1983)、江口隆哉(1900~1977)、石井みどり(1913~2008)の作品である。
*
「ワンダ-・ランド」の読者は、ダンスを見慣れた観客ばかりではないと考え、また「ダンス・アーカイヴ」での上演作は、ダンスのファンにとっても、日本のダンス史を振り返る上で大変に貴重な公演である。よって歴史的な解説も入れつつ、批評を進めたい。
*
日本の洋舞は、1911年(明治44年)に建立された帝国劇場でのバレエ教授に始まった。その一期生で、イタリア人教師のロ-シ-に学んだ石井漠が反旗を翻し、独自の研究に基づき、〈舞踊詩〉と命名して始めた公演が、日本のモダン・ダンスの始発となる。1922年には、石井小浪と共に渡欧した(米国も回り、1925年に帰国)。
石井(漠)の作品で、今回上演されたのは『マスク』(1923年/ベルリン初演)と『機械は生きている』(1948年)で、後者から上演した。これは、男女28人による群舞である。全員が黒い衣装で、6人が中央に縦に並び、他の者達は左右に2列ずつの配列。衣装の体側に銀色のラインが入り、全員で一つの大きな機械の動きを表現する。最後の弟子の石井かほると、孫の石井登が振り写し(以下、作品責任者としての仕事をこのように記す)、登は出演もした。
各ダンサ-の動きは、機械の各部位の動きである。身や手足を力強く直線的に伸縮させ、様々なポ-ズで機械の諸相を表わす。石井には、そもそも機械文明への批判もあったが、本作は、戦後復興期の人々の気持ちを明るく力強く支えようと意図したと言う。
パ-カッションの加藤訓子が、大太鼓とシンバルで伴奏。大きな振動がダンサ-の「身体」に突き刺さるような刺激を与え、反射的な反応を引き出した。このような打楽器伴奏は、20世紀初頭に始まったドイツ表現主義舞踊でも行なわれていた。
『マスク』は、一間(約1.8m)四方の低い台を中央に配し、その上で踊るソロ。石井かほるが踊った。歓喜と悲哀を表現した作品(使用曲=スクリャ-ビン作「2つのダンスop.73-1」「練習曲 op.08-2」)と言われ、表現主義舞踊風の歪んだ手指を用いた、上半身や腕の表現が多い。身を伏せ、腕を台上の左右に伸ばした時の表現は、特に際立った。台の枠が、手指の表現を引き立てる。台の使用によって、空間に区切りをつけ、観客の視線を集めるのは、現代にも通じるテクニックである。
後半には、オリエンタル・ダンス風の腕の運びも見えた。『マスク』とは、「顔を無表情にして、身体に語らせる」という意味であろう。石井(漠)が、上半身を曝した袴のような衣装で力強く踊ったのに対し、かほるは、袖のない自然体の黒いドレス。自ずと、しっとりした質感がダンスに加わる。
*
前半は5演目で、前半を終えた休憩後に、実行委員会の片岡康子(お茶の水大学名誉教授)と森山開次の対談をはさみ、その後に、石井みどりがストラヴィンスキ-の『春の祭典』に振り付けた大作『体(たい)』を上演するというのが、この日のプログラムだった。
*
さて前半の3作目も、ベルリンで初演した執行正俊の『恐怖の踊り』(1923年)。執行は渡欧し、バレエ、スペイン舞踊、表現主義舞踊を学んだ。子息で創作バレエも手がける執行伸宜が振り写し、東京シティバレエ団団員で、やはり創作も行なう小林洋壱が踊った。
本作は、肩をハンガ-のように怒らせた姿態など、抽象的で分割的な大野一雄の舞踏の上半身のような身体性も含みつつ、全体では表現主義舞踊の妖艶さが濃厚だった。加えて男性バレエ・ダンサ-らしい高いジャンプもあり、新舞踊の創造を志した気概を感じた。
音楽は、バレエ音楽『恋は魔術師』から「恐怖の踊り」。衣装のデザインも、執行正俊。人間と社会の無意識的な闇を浮上させるべく、異界的な印象の袖の飾りなど、当時のファッション最前線の感も得た。小林の踊りは、振り付けを新鮮さをもって再現した。この体験をさらに自らの豊かな内面世界と結ぶ方向で、今後の創作に生かされることを願う。
*
次は、檜健次の『釣り人』(1939年)/使用楽曲の作曲者=宇賀神味津男)で、北斎漫画から抜け出て来たような庶民的な日本情緒には、大いに驚かされた。菅笠、単の上衣にモンペを着け、背を丸めて微笑むような、一昔前の日本人の身体性を長い竿を手にしたユ-モラスな仕種を交えて描く。広い舞台をあまねく用いて踊ったソロなのに、舞踊という概念を思い出させない滑らかさに、独自のセンスを感じた。また座り込んで、逃がした魚をアタフタと前後左右に忙しく追う振り付けは、滑稽にして真に敏捷である!
踊ったのは、片岡通人。舞踊に加えてヨガや気功・武道の経験を培った上での、軽みと剽軽さを満喫させた踊りは、さすがであった。振り写したのは、石川須姝子。
檜は、石川のみならず、ケイ・タケイの師である。1936年に渡米して、日本の身体文化を生かした作品で興業し、ル-ス・セント・デニス舞踊研究所にて交換教授を行なった。
*
前半の最後は、江口隆哉の『スカラ座のまり使い』(1935年)。ダンディ-な魅力を振りまいた江口が、伴侶になった宮操子とドイツに留学してマリ-・ウィグマン研究所に学び、帰国後、シュ-ベルトの軽快な「スケルツォ」D593に乗せて踊った、江口のソロ代表作。〈ピエロがまりを扱う所作〉を作品化しているが、実際には存在しない架空のまりをマイムを取り入れて扱う。振り写したのは、金井芙三枝。
今回は特別に、〈Ⅰ再現版〉〈Ⅱ日本舞踊家版〉〈Ⅲデュエット版〉の3バ-ジョンで上演。各々をコンテンポラリ-・ダンスで幅広く活躍する木原浩太、両洋の身体性と文化に精通する日舞の西川箕乃助、かつてベジャ-ルの「20世紀バレエ団」でも踊った佐藤一哉と多くのバレエやモダン・ダンス公演で活躍して来た堀登が、踊った。各バ-ジョンとも、江口の道化師風の元の衣装に倣った。下手奥でのピアノ生演奏は、河内春香。
木原は、心やさしく、少しシリアスな表情も混じるピエロ。まりをジャグリングしながら首を柔軟にリズミカルに左右に振り、身も一緒に揺れる。まりを目で追い、走り、身を翻し、首の後ろや横、後ろ手でも、まりを受け止める。最後の笑いも、鮮やかに決まった。
西川は和装だが、キャップの代わりに頭巾、えんじの上衣、黄色の派手な縦縞のもんぺ袴も、江口の元の衣装にそっくりだ。これだけでも笑いたくなるが、全体にも笑いの大風呂敷を広げ、それを実際にやり遂げてしまった感があった。まりを首の後ろや横で受け止める際の、頬や目の表情も可笑しい。和の身体表現(芸)の豊かさに、驚かされる。
デュエット版は、始めに佐藤が中央でソロを踊り、堀は下手奥のピアノに寄りかかって見ている。おっとりと演じる佐藤に、軽やかに絡みを入れた堀。2人が背合わせになる、距離を離れてまりを投げ合う、などの場面を得て、堀が舞台の上手奥へ投げやられてしまう。「あれ!」となった所へ堀が戻って来て大団円へ。ベテランの味を堪能した。
*
後半は、石井みどりがストラィヴィンスキ-の『春の祭典』に振り付けた『体(たい)』(1961年)。多くの振付家がチャレンジする演目だが、ニジンスキ-版(1913年)が本家本元で、バウシュ版(1975年)も有名。だが、『体』の創作時にみどりが意識したのはベジャ-ル版(1959年)かと思われ、その2年後に『体』が生まれている。
ところで、ベジャ-ルのモダン・バレエは、胸よりも、太陽神経叢(腹)に意識を集めるために、ダンスに近い。そして、みどりの師であった石井漠も、ロ-シ-には反旗を翻したが、足かけ5年はバレエを学んだ。みどりは23才で、7年間師事した漠から独立したが、ベジャ-ルのダンスに近いバレエと、下地にはバレエもあった漠ゆずりの、みどりのダンスは、確かに近いのかもしれない。
日本の私の、女性振付家の、ダンスの『春の祭典』をという、意欲であったか。当日のパンフレットに「《体》は、言葉にとらわれる事なく、自由に私の生命賛歌として生まれました。宇宙・自然・人間は全ての流れの中に生きる命です」と、みどりの文があった。『体』は、本来の〈犠牲の乙女を捧げる〉型のバ-ジョンではなく、ベジャ-ルと同じく〈生命賛歌〉型の、いわば春の祭典だが、つまりは楽曲名(言葉)を返上し、身体の生命力と宇宙・自然との繋がりを強調したために、独自のタイトルになったのだろうか。
ライトがつくと、舞台中央の遠景に、白いチュ-ルの大きな布を蜉蝣のように肩から纏い、肌色のレオタ-ドの上を透けたタイツで覆った女性達の姿が浮かび上がる。そのダンサ-達が、スルスルと奥から前景へ移動して一筋のラインを成す…。それらは、何と美的であったか。それには、理由があるようだ。
振り写したのは、みどりの娘で、自身も今まさに輝く振付家およびダンサ-の一人である折田克子。今回は、自身の方法論とはほぼ真逆だが、母みどりの「みどりイズム」に挑んだ。それは克子によれば、音楽のリズムよりも、微妙に遅れて動くという方法である。それにより、音楽との調和が滑らかになる。
叩き付けるような曲調の『春の祭典』に対峙するために、稽古で体感を磨く。全編にわたって、動きは激しく、複雑に立て込んで行くが、見る者の気持ちの中に、違和感なく滑り込んで来るように感じた原点には、「みどりイズム」があったのか、と思う。
冒頭の女性達の場面が一息つくと、男性ダンサ-達が上半身を曝し、肌色のスパッツ型のタイツで現れる。女性よりも、格闘的である。ただ女性もそうだが、エロティシズムを秘めた身体に、強靱かつ大らかなオ-ラが漂う。ただ『体』には、〈鹿の交尾に想を得た〉というベジャ-ル版のような、直接的な表現はない。身体が生命力の源と宇宙に開いても、慎ましく心地よい緊張を保持した男女の関わりが、半抽象的な舞踊身体で描かれる。
足先を伸ばさずに、直角的に立てたまま脚を差し出すのは、東洋的な精神・身体性を重んじた、後のベジャ-ルとも似ている。ただし折田によれば、バレエとの大きな違いは、「ふ~」と脱力ができるかどうかだと言う。また、それが曲線的な動きに繋がると言う。
上半身を捻る、傾ける、肩・首・腰・手足などの関節をあらゆる方向に用いた動き。作品全体で、それらの組み合せにより、見たこともない独創的なポ-ズが次々と現れ、また緩慢および静止的な「間」も取り入れて、群舞の場面が流動的に運ばれるのは、まったくに素晴らしかった。床に身を接触させての動きも多様で、全身的な有機性を放つ。
舞台中盤で、前田哲彦(衣装デザインも)作の巨大な壁型の舞台美術が現れる。装飾の模様が透けた中は3階建てで、酒井はなが、上階に現れる。いわば〈稲妻のように恵みを与える女神〉である。男達に掲げられて舞台上に登場し、佐々木大が、パ-トナ-で踊るが、群舞も同時に展開を見せる。その内に巨大な壁は2枚になり、舞台奥に並び立つ。
そして闇が訪れた。いくつもの黄緑色の〈目のデザイン〉が奥の壁上に映って揺れ、「目に伏す闇」という場面になる。ここが、山場でもあった。遠景で、木許恵介と能見広伸が、男同士のデュエットを踊る。前景の暗闇では、舞台の両側から頭を中心に向け、長い髪を床上に投げ出した藤田恭子と佐々木が、鮮烈な葛藤の火花を飛ばして這い寄る。中景は、女性4名(初日=米沢麻佑子、北島栄、西園美彌、幅田彩加/2日目=関口淳子、北島、船木こころ、土屋麻美)だった。
前景が暗いのは印象を深め、近・中・遠景があった上での、別々の展開は贅沢さを加え、その上、やがて女性4名が遠景の男性2人と合わさり、男女カップル2つと、女性同士のペアになる。ここに、その前の場面からの強いエロティシズムと、男同士のデュエットの残象が重なり、ジェンダ-のボ-ダ-に触れ得る現代的な印象を得た。1961年には男女別学が主流で、同性カップルは闇にあり、現在はその証明書の発行を区議会が論議する時代だが、身体に付随するテ-マである。
そして、前述のようなさまざまな独創的なポ-ズが展開するパ-ト、ベジャ-ル版のように皆が集結する輪舞的なパ-トも入り、最後には再び酒井が、男性達とアダジオを踊った後に、佐々木に飛びついての3パタ-ンの素早い鮮やかなポ-ズを決め、天空ともいうべき舞台装置の上階へ駆け登る。踊る以前の身体の現前から開かれた作品であると共に、女性性尊重の色彩を見せる作品であったと思う。
*
冒頭のテ-マに戻るが、これらの作品は、今見ても色あせない濃厚な魅力をたたえるほどに、その時々のコンテンポラリ-な感覚に満ちており、「ありきたりのダンスなんて、どこにもなかった」ことを実証している。そして、今を生きるダンサ-や観客が、これら先人達の多彩な才能と努力の軌跡をたどることは、現代舞踊に蓄積された資源を今後に広く生かすためにも有意義であるに違いない。
日本のコンテンポラリー・ダンスの一部は、「何でもあり」と言いながら、「何でもない」ダンスに陥って活気を失った感がある。ベルリンの壁が開いて東側が回復され、その変化が新たな流れを熟成させる時期を迎えた昨今の欧州でも、「踊りに力がなければ物足らない」と感じる傾向が強くなった、と私は感じている。中欧こそがかつてのダンスの宝庫であり、日本の現代舞踊がその流れを汲んで始発したことも、アーカイヴの継続に私が期待を寄せる理由である。今こそ「踊りの力(身体)/ダンスを創る力」を回復するべき時ではないか。
私は、石井漠の『人間釈迦』や、江口隆哉の『プロメテの火』なども見てみたい。予算や消防法などの知識がないままに書いているが、LEDライトを用いた21世紀の青い『プロメテの火』は、実現しないのだろうか。私は、この秀作シリ-ズの続きが見たいのである。
*注/『体(たい)』における〈稲妻のように恵みを与える女神〉とは、筆者の解釈だが、「創作時には『古事記』を意識した」と折田から聞き、古代からの「雷が雨を呼び、稲の育成に不可欠なために、それを稲妻と呼んだ」という民俗伝承を生かして解釈した。
*参考文献:『日本の現代舞踊のパイオニア-創造の自由がもたらした革新性を照射する-』(監修)=片岡康子/2015年、新国立劇場・情報センタ-刊/発売所=丸善出版
【筆者略歴】
原田広美(はらだ・ひろみ)
舞踊評論家。「朝日新聞」「東京新聞」ほか、専門紙誌に執筆多数。著書に、ハルプリンが影響を得たゲシュタルト療法の『やさしさの夢療法』(日本教文社)、『舞踏大全~暗黒と光の王国』(現代書館)。2015年に『欧州コンテンポラリ-・ダンス~身体、ジェンダ-、ポスト・モダン、表現主義と抽象主義のゆくえ』を現代書館より刊行予定。
【上演記録】
新国立劇場「ダンス・アーカイヴ in JAPAN 2015」
新国立劇場(2015年3月7日-8日)
第一部
「機械は生きている」(1948年)
【振付・音楽】石井 漠
【演奏】加藤訓子(打楽器)
【出演】石井 登 ほか
「マスク」(1923年)
【振付】石井 漠
【音楽】アレクサンドル・スクリャービン
【出演】石井かほる
「恐怖の踊り」(1932年)
【振付】執行正俊
【音楽】マヌエル・デ・ファリャ『恋は魔術師』より
【出演】小林洋壱
「釣り人」(1939年)
【振付】檜 健次
【音楽】宇賀神味津男
【演奏】河内春香(ピアノ)
【出演】片岡通人
「スカラ座のまり使い」(1935年)(3つのバージョンでの上演)
【振付】江口隆哉
【音楽】フランツ・シューベルト『スケルツォ』D593
【演奏】河内春香(ピアノ)
【出演】Ⅰ 木原浩太
Ⅱ 西川箕乃助
Ⅲ 佐藤一哉 堀 登
第二部 「体(たい)」(1961年)
【振付】石井みどり
【音楽】イーゴリ・ストラヴィンスキー『春の祭典』
【装置・衣裳】前田哲彦
【出演】酒井はな 佐々木 大 ほか
制作=新国立劇場
協力=一般社団法人現代舞踊協会