「記憶に残る3本」には舞台公演のほかシリーズ、プロジェクトなどを含めています。貴重なレビューを掲載しているサイトでも連絡先が記載されていないため、残念ながらお願いできないケースが少なくありませんでした。また目が行き届かず、声をかけぞびれたかたがいらっしゃると思います。ご容赦願う次第です。掲載は到着順、敬称略。リンクは2005年12月25日現在。該当ページが削除されたりしてリンク切れになる場合があるかもしれません。ご了承ください。 (北嶋孝@ノースアイランド舎)
タイニイアリスの西村博子さんとデザイナーの鈴木雅巳さん、舞踊批評家の志賀信夫さんから原稿が届きました。急ぎ追加します。執筆者は計23人になりました。(2006.1.05)
■藤原央登 (「現在形の批評」サイト主宰)
[関西小劇場風景から] 今年の関西演劇界は、人間力の叡智が存分に楽しめる劇団維新派の公演がなかったため、いささか層の薄さを感じた。それでも優れた成果を挙げた三作品を選んだ。それぞれ「テロ」「戦争」「JR脱線事故」を下敷きにしているが、それらを啓蒙やテーマの押し付けではなく、演劇という枠を最大限に利用しながら劇的創造力を創生している作品である。
現実世界では信じ難い出来事がまるで「商品」のように届けられている中、演劇が採るべき唯一の方策は、1つの事件.事故を突き詰め、今何が起こっていて、何が問題なのかを制作者側の意思として塾考し、新たな「現実」を対置させるしかない。私の挙げた作品はいずれもその思考の痕跡を開示してくれた。
■小畑明日香 (「おはしょり稽古」サイト主宰、wonderland 執筆者)
[目に色彩美・心に孤独]
個人的にポップアートが好きなので、いきおい色鮮やかな作品が並んだ。簡素な舞台装置は「森の奥へ」のみで、他の二作は大道具ゼロ。どれも衣装や小道具、照明に神経を払い、役者の力量で世界観を作っている。それだけレベルの高い劇団ということだろう。 作品の傾向は全く違うが、絶望的な孤独を描いているという点は同じだ。「Death Of a Samurai」ではラストに取り残される斬人(キリヒト)がそうだし、「旅がはてしない」は、全てを忘れるカサの隣で全てを記憶するキューがそうだ。「森の奥へ」は主人公のKを始め、理不尽な社会の中で皆が孤立している。三傑を並べて、自分の嗜好がモロに出たな、と思う。一人で赤面。
■角田博英 (「えんげきのページ 一行レビュー」執筆)
瓜生良介『小劇場運動全史』をざっと読んで、高野竜さんや「どくんご」のどいのさんのネットワークをたどり、バラバラに飛び散ったオシリスの遺骸を探し集めるイシスのような旅を、ちょっとした。全国に分散してアンダーグラウンドな劇団があって、テントで旅してまわる所もある。こういう状況は渇望されていたものらしい。
時は今…でも、来年でもいい。あとは観客だ。…ではでは誰も挙げそうにない所を、もう少し。月丘雪乃引退興行“昭和懐古シリーズ全集 最終公演”▽素パンク団『うたのはた』▽AND『睡眠する泥棒』▽イキウメ『関数ドミノ』『散歩する侵略者』▽未知座小劇場『大阪物語』▽錦鯉タッタ『NIP ON YEN』などなど。
■玉山悟 (王子小劇場)
[静かな演劇の次はノイズの演劇だ] 舞台に収録される日本語が大きな転換点をむかえた1年だと思います。TVのニュース番組のインタビューで「まあ、わたしは今回の法案はいろいろ問題が多いと思いますね、やはり」と識者が答えたとします。そのとき画面には「わたしは今回の法案は問題が多いと思います」と字幕が出るのですが、日本人は字幕のような日本語を話していないわけです。「『ノイズの演劇』っていうのは、なんていうのかな、えーと、まあ、あの」のように、いいよどむ「なんていうのかな、えーと、まあ、あの」までがセリフとして書かれたもの。日本人が会話に入れてしまう「あ」「あの」「なんか」「とか」のような会話ノイズまでが文字化された作品が同時多発的に現れたと感じます。
■今井克佳(「Something So Right 東京舞台巡礼記」サイト主宰、wonderland 執筆者)
[演劇の深さ・楽しさを満喫した1年] 今年は125の舞台に足を運び、うち現代演劇は96公演。来日演劇の印象が強い。1のほか、ベルリンのシャウビューネ(「ノラ」「火の顔」)、フォルクス ビューネ(「終着駅アメリカ」)、チュニジアのファミリア・プロダクション 「ジュヌン―狂気」も心に残る。2、3はいずれも再演だが、エンターテイメ ント性とメッセージ性を合わせ持つ充実した最高レベルの舞台。ほか、蜷川幸 雄・井上ひさし「天保十二年のシェイクスピア」には驚き、永井愛「歌わせた い男たち」には考えさせられた。長塚圭史も力を発揮(「悪魔の唄」「ラスト ショウ」)。「ニセS高原から」連続上演は若手のショーケース。チェル フィッチュ「目的地」の方法も新鮮。新国立劇場では、「城」「その河をこえて、五月」「屋上庭園・動員挿 話」がよかった。さらに、唐十郎、白井晃の活躍、ギンギラ太陽’s東京公演、 「ラディガンまつり」、鐘下辰男「死の棘」、三谷幸喜「12人の優しい日本 人」。ダンスではイスラエルの「インパルピント・カンパニー」、「Noizm05」 など。
■藤田一樹 (「藤田一樹の観劇レポート」サイト主宰)
テレンス・ラティガンという素晴らしい作家の作品に触れ、3作すべてが上質な演劇作品だった「ラティガンまつり」。 今年岸田戯曲賞を受賞したことでも話題になったチェルフィッチュでは、新しい刺激的な舞台を体感して衝撃を受けました。はじめて観劇した唐組では、紅テントで元祖・アングラの世界を十二分に体験することが出来ました。以上3作品とも、今年初めて拝見した劇団であり作家です。新たな世界観を知って、また少し視野が広がった気がした充実の一年でした。
■中西理 (「中西理の大阪日記」サイト主宰)
- 3年2組(矢内原美邦プロジェクト)
- 短い声で(ポかリン記憶舎)
- 愛の渦(ポツドール)
ニブロールを主宰するコンテンポラリーダンスの旗手的存在、矢内原美邦が叩きつけた演劇への挑戦状が「3年2組」だ。会話体としての台詞を温存しながら、その台詞を速射砲のように俳優が発話できる限界に近い速さ、場合によっては限界を超えた速さでしゃべらせることで、言語テキストにまるでダンスのようなドライブ感を持たせ、それが音楽や映像とシンクロしていくことで、高揚感が持続する舞台を作りあげた。
一方、「短い声で」は明神慈のひさびさのホームラン級の舞台。ある現代美術作家の不慮の死と残されたものたちに去来したさまざまな思いを描きながら、作品そのものがある種の美術展示にもなっている。これは本当に脱帽ものだった。昨年、「ANIMAL」「激情」と2本の傑作をものした三浦大輔は今年も「愛の渦」で健在ぶりを見せてくれた。
■ウメヤマ (「*S子の部屋」サイト主宰)
[Wish You Were Here] 「あなたがここにいてほしい(でももういない)」とか「(でもいたらいたでつらい)」っていう受験英語の仮定法みたいな命題の周りをぐるぐる回り続けてきた前田司郎が、回りすぎて三半規管のおかしくなった頭で生み出した白昼夢「キャベツの類」が最高。天井からサキイカを降らす神様が忘れられない。「愛の渦」は終幕直前の朝の光がすべて。まぶしかった。なお、五反田団・ポツドールともに主宰者が関わった「ニセS高原から」も堪能。快楽亭ブラックのSMバー落語は鎖やムチが垂れさがる高座といい、笑いすぎて半べそをかくホステスといい、ポツドールや毛皮族がかわいく思えるほど猥雑でいかがわしい劇的空間を創出していた。落語つながりではないが、最後にこの欄を借りて桂吉朝師のご冥福をお祈りします。演劇を見始めたきっかけはリリパでした。らもさんに続き吉朝師も逝ってしまった。ちくわっ!