急な坂スタジオプロデュース「Zoo Zoo Scene(ずうずうしい)」

◎虚実がバランスよく混在 動物園で「動物園物語」
藤田一樹(ウェブログ「The review of Kazuki Fujita」主宰)

「Zoo Zoo Scene」公演チラシ「動物園で動物園物語」-。そんな夢のような企画に多くの人が期待を抱いたのではないだろうか。舞台芸術の創作活動の場として使用される急な坂スタジオと、その目の前に位置する野毛山動物園とのタイアップとして発案された今回の公演。創作者として白羽の矢がたったのは、「誤意訳」というスタイルで翻訳劇の新たな可能性を広げている中野成樹氏。急な坂スタジオのレジデンシャル・アーティストを務めながら、「中野成樹+フランケンズ」という翻訳劇専門のカンパニーを主宰している注目の演出家だ。彼が上演戯曲に選んだのは、エドワード・オールビーの代表的な不条理劇「動物園物語」。今回は企画の話題性だけでなく、この戯曲の新しい方向性を明確に示したという意味で、非常に意義深い上演だった。

急な坂スタジオで受付を済ませると、コンパクトで可愛らしいパンフレットとパスを頂いた。パンフレットには今日のスケジュールが掲載されている。目を通してみると、もうじき動物園へ向けて出発し、園内ツアーを経て演劇鑑賞。その後急な坂スタジオまで戻り、中野氏と動物園関係者が公演の裏側に迫る「Monthly Art Cafe」に参加するという流れだった。15時30分。出発時間になるとAとB、2つのチームに分かれて動物園探索に出発した。天気にも恵まれ、しかも休日だったせいか、園内は多くの家族連れで賑わいをみせる。各チームにはアテンダントが付いており、動物の概要などを丁寧に解説してくれていた。童心に返ったというのは言い過ぎだろうか。午後のこぼれ日のなか、ちょっとした大人の遠足気分だ。

そうこうしている間に人気が少なくなってきた。16時30分。閉園の時間だ。間近に迫った開演のため、アテンダントの誘導に従って「ひだまり広場」という公演場所に足を進めた。人気のない動物園はどこか不気味で、水を打ったような静けさのなかで動物の鳴き声が共鳴している。そよ風がざわざわと木々を揺らすなか、私たち観客は広場に到着した。少しばかり高台に面した広い原っぱである。片隅には、仮設舞台と客席が組まれていた。木材で作られた正方形の舞台は非常に小さく、コの字を描くように3方向から客席が舞台を囲んでいる。天候は相変わらず清々しさを保っているが、西日がさんさんと照っていて少し眩しい。観客は広場を円く囲むスロープの辺りで立ち止まり、冒頭の5分強を見晴らしの良いこの場所から観劇する。

ZooZooScene
【写真は「Zoo Zoo Scene」公演から。撮影=飯田研紀(IIDA kenki)提供=急な坂スタジオ】

「動物園へ行って来たんだ」。舞台は動物園から程近い公園。ピーター(村上聡一)という男がベンチに腰掛けていると、見知らぬ男が突然声をかけてくる。ジェリー(佐久間文利)と名乗るその男は、ピーターの職業や家族構成などを執拗に聞き出す。いつしか私的なエピソードを延々と語りだすジェリーだったが、その言動は更にエスカレートの一途をたどる。公園のベンチをめぐる不毛な奪い合いの末、ジェリーは持参したナイフで自らの命を絶つのである。一般人が突如現れた異邦人により、不条理な世界に巻き込まれていく様を描く二人芝居。少々駆け足だったかもしれないが、これがオールビー作「動物園物語」の一部始終である。

どこにでも居そうな一般人が、突如として得体の知れない男に絡まれてしまう。後者の立場であるジェリーは、実情として異邦人に近いスタンスであるから、きっと肩入れするには難しい存在だろう。したがって、原作に忠実なオーソドックスな上演の場合、そしてこの戯曲に劇場で触れる場合、私たちは必然的にピーターの立場に立たされるのではないか。少なくとも支離滅裂なジェリーの言動より、常識的に思えるピーターの人物像のほうが共通点を多く見出されるからだ。しかし、今回の上演はひと味もふた味も違う。注目すべきなのは、彼が動物園に行って来たことを語るシークエンスではないだろうか。動物園での人間と動物の関係性や構図を通しながら、現代社会の考察とも読み取れる重要なやり取りが展開していく。
「Zoo Zoo Scene」公演。撮影=飯田研紀(IIDA kenki)提供=急な坂スタジオところが、今回の観客は紛れもなく動物園に行って来た立場である。ということは、必然的にジェリーの側からこの作品を洞察することになるのではないか。これは画期的である。相手を錯乱させ、自らのテリトリーに取り込もうとするジェリー。その姿は最初の狂気的で一面性の強い人物像ではなく、個人と社会との折り合いを必死に見つけ出そうとする物悲しい存在として私の目に映った。常に欠落した対話が成立することはないし、得体の知れない力に取り込まれてしまうという関係性は、現代社会との共通性の多さに驚いてしまう。今もなお多様な解釈を与えてくれる深い懐を持った戯曲であることを、改めて象徴していた。今回はジェリーの立場から考察するという明確で大胆な手法が、この著名戯曲に新たな光を当てていたと言っていいだろう。終盤でジェリーは原っぱの中央で息絶え、ピーターは彼の元から去って行く。今までの激しいバトルはどこへいってしまったのか戸惑うほど、そこには開演前同様に動物園の空虚な静けさが蘇っていた。

そもそも今回の上演を成功へ導いた「誤意訳」とはいったい何なのか。小劇場と翻訳劇の組み合わせ自体が私の知る限りでは少なく、今の演劇シーンにおいて新たな開拓が期待される分野だと感じていた。中野氏は既存の海外戯曲を専門的に取り上げており、「意訳の上に誤訳でもある」というスタイルを確立。それが「誤意訳」である。翻訳劇特有の台詞回しは現代口語に変換され、原作をご存知の方なら驚いてしまうであろう斬新な仕掛けも盛り込まれる。例えば原作には、「ジェリーと犬の物語」という長大なモノローグが存在している。これは本来ならば中盤のシークエンスに位置しているはずだが、今回の上演ではそれらを冒頭に移しているのだ。しかも、舞台にひとり佇むジェリーが、マイクを片手に観客に話しかけるという構造が取られている。他にもスタッフが突然乱入して小道具を転換したり、美術の使い方ひとつ取ってもコミカルなアイディアが光っていた。上演中に響いたけたたましい動物の鳴き声にしても、これさえも演出効果なのか?と勘ぐってしまうほどの絶妙さである。虚実が良いバランスで混在していて、この作品をより豊かなものにしていた。
「Zoo Zoo Scene」公演。撮影=飯田研紀(IIDA kenki)提供=急な坂スタジオ私が今まで勝手に思い描いていた「翻訳劇」の硬派なイメージとは対照的である。私は今までよっぽど上質な上演に出会わない限り、翻訳劇特有の台詞回しや語調、そして俳優の身体と台詞のギャップに戸惑うことがあった。しかし中野氏の作品では、そんな違和感を実に上手く逆手に取っている。聞き慣れない語調や固有名詞はシュールな可笑しさに変換され、日本の現代劇と同じような自然なアプローチで舞台を軽快に横断する。そんな小気味の良さが実に楽しい。意表を突く解釈や演出効果はもちろんだが、演技のバリエーションが豊富なことにも驚かされた。ナチュラルで自由度が高そうに思えるが、実は計算的でしたたかさが光っている。短い上演時間ながらも随所に遊び心溢れる演出が施されていて、客席から笑いが零れるシーンもしばしば。私が「動物園物語」に抱いていた難解な先入観は消え、むしろ現代日本を写す鏡のような作品だったのではないかと考えていた。それは翻訳劇や執筆年代のハードルを超え、この戯曲が「Zoo Zoo Scene」というまったく新しい「今」の演劇として、私たち観客の眼の前に立ち上がったことを意味していた。
【写真は「Zoo Zoo Scene」公演から。撮影=飯田研紀(IIDA kenki)提供=急な坂スタジオ 禁無断転載】
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第99号、2008年6月18日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
藤田一樹(ふじた・かずき)
1991年神奈川県生まれ。パフォーミング・アーツを中心に取り上げるウェブログ「The review of Kazuki Fujita」を主宰。2006年12月から現在に至るまで、幻冬舎の文芸誌「パピルス」にてコラム連載を受け持つ。

【上演記録】
急な坂スタジオプロデュース公演「Zoo Zoo Scene(ずうずうしい)
原作:エドワード・オールビー「動物園物語」より
誤意訳・演出:中野成樹
出演:佐久間文利(A.C.O.A)、村上聡一(中野成樹+フランケンズ)
日時・会場:2008年5月17日(土)、18日(日)
15:30 集合(急な坂スタジオ)
16:45 開演(動物園閉演後)
横浜市立野毛山動物園 ひだまり広場
料金:2,000円(事前予約制・当日清算) 各回限定50名

主催:急な坂スタジオ
助成:花王株式会社、アサヒビール芸術文化財団
特別協力:横浜市立野毛山動物園
後援:横浜市開港150周年・創造都市事業本部
協力:A.C.O.A、STスポット


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