◎秋風吹いて―KYOTO EXPERIMENT2012報告(第1回)
水牛健太郎
形も色も材質もバラバラの椅子が五つ、講堂に並んでいる。そこに出演者が座り、左端の椅子と隣の椅子の間には男性が、車いすを華麗に操って滑り込む。パフォーマンスが始まる。
しばらくは顔見せとでも言うのか、出演者が一人ずつ、前に歩いて、壁に突き当たって後ずさりして戻ってきたり、自分の名前を言って、それを他のメンバーが口まねしたりと、一定の規則的な動作が繰り返される。でも、単調ではない。強烈な存在感を発揮するのは車いすの男性だが、三人いる外国人男性のうち二人は吃音者らしく、そのうちの一人は、自分の名前を言ってもまるで鳩の鳴き声のように聞こえる(吃音のためだけでなく、この人の名前自体、鳩の鳴き声を思わせる響きを持っていることに、今パンフレットを見ていて気づいた)。
こうして、規則的な中にパフォーマーの個性を響かせる調子で始まるが、やがていくつかの山が形つくられる。男性二人が右手と右手、左手と左手を握り合った形での、レスリングのような力比べ。それを客席にいた車いすの女性がビデオ撮影する。この女性の身体の動きによって、画面が揺れ動く。
それから車いすの男性と、女性ダンサーのダンス。これはものすごくうまい。見ていると、床を滑る女性の手や足が、今にも車輪でひかれそうな気がするが(実際、練習の時は何回かひかれてても不思議ではないのだが)、ひかれない。女性もうまいが、車いすの男性の運転技術は卓抜なものがある。人馬一体ならぬ人車一体とでも言うのか、実に自由な動きだ。
こうしていくつかの山を越えると、パフォーマンスは急速に緩くなってくる。あらゆる縛りがほどけていく。「暑いから」といって扇風機を回す。気持ちよい風が吹いてくる。カーテンを開ける。昼下がりの日差しを感じる。窓越しに、駐輪場から自転車を出している女性が見える。まるでテント芝居のように、講堂の奥の扉を開け放つ。がらっとした廊下が見える。さっきまで講堂の中にいた女性が、トロンボーンを持って廊下を歩いていく。やがて音が聞こえる。どんどん自由になって、外に開けていくのだ。
誰が、どこまでが出演者やスタッフなのかも、このパフォーマンスではぼやけているのだった。最初に講堂に並ぶ六人のパフォーマー、そしてマイクを持って出てくる男性に自然と注目が集まるが、たとえばビデオを撮った車いすの女性は、まるでたまたま声をかけられたかのようにしてパフォーマンスに加わるのだが、だんだんキャストであることがはっきりしてくる。トロンボーンの女性も、その直前までそんなことをしそうには見えなかった。ビー玉を投げる男性とかDJとか、ほかにもパフォーマンスを助ける人たちがいる。観客の目に触れないところにもきっといるだろう。
男性の車いすの車輪をDJのレコードを回すターンテーブルと連動させたり、スコップがテープレコーダーの再生装置になったりと、いろいろと面白い趣向が凝らされているが、それによる「表現」が自己目的化してパフォーマーが「表現」に奉仕する形にならない。あくまでも個々のパフォーマーがその場に心地よい形で存在できるように、配慮がなされている。
最初にマイクを持って出てくる男性、この人が最後に突然どろだらけになって出てきて、パフォーマーとくんずほぐれつする。泥んこプロレスのようになって、みんな汚れる。これだって「融合」とか「混沌」といった意味を見つけるのは簡単で、またそういう意味をもっていることも間違いないけれども、「まあ、それはそれとして」という感じがある。みんな、なんか楽しそうなんである。
この作品はドイツの「劇団ティクバ」と日本の「循環プロジェクト」の、つまりは国際共同作品なのだ。大変だ。障害者もいる。ますます大変だ。こういう時に簡単に済ます方法というのはあって、つまり誰かを「指導者」にして、その人の言うとおりにすればいい。わかりやすくてソリッドなものができる。しかし、その過程で何かが消えていく。そうした競争的な環境では、どうしてもクリアに、大きな声で話せる人が有利になる。身体の大きい人、体力のある人、外見の整った人、我を張る人が有利になる。
消えていくものを惜しむなら、いや、むしろそこにこそ本質を見るならば、そういう「指導者」風にしないようにするしかない。大変なものを大変なままに、複雑なものを複雑なままにして、小さな声、滑らかでない声に耳を傾けて何かを作り上げようとすると、こういう作品になる。ゆるい。伸びやかだ。風通しがいい。みんな楽しそうだ。
いいなあと思った。これは一つの理想である。現実の世の中は、ぜんぜんこんな風ではない。でも、いつかこうなるかもしれないと思えば、夢があるし、何かを勇気づけるかもしれない。長くて厳しい夏の終わりにこの作品を見れてよかった。
【著者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
ワンダーランド編集長。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。東京大学法学部卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。2011年4月より京都在住。元演劇ユニットG.com文芸部員。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/ma/mizuushi-kentaro/
【上演記録】
砂連尾理/劇団ティクバ+循環プロジェクト「劇団ティクバ+循環プロジェクト」(KYOTO EXPERIMENT 2012)
元・立誠小学校 講堂(2012年9 月22日-23日)
【構成・振付・演出】 砂連尾理
【ダンスドラマトゥルク】 中島那奈子
【出演】 カロル・ゴレビオウスキ、ニコ・アルトマン、ゲルト・ハルトマン、福角宣弘、福角幸子、西岡樹里、星野文紀、砂連尾理
【アーティスティック・コラボレーション】 ゲルト・ハルトマン
【音】 西川文章
【照明】 三浦あさ子
【舞台監督】 大田和司
【舞台美術】 望月茂徳、目次護、椎橋怜奈、立命館大学映像学部望月ゼミ
【製作】 NPO法人DANCE BOX、劇団ティクバ
【共同製作】 KYOTO EXPERIMENT
【助成】 Berlin Senate’s Cultural Affairs Department
【主催】 KYOTO EXPERIMENT
チケット料金
一般 前売 ¥2,500/当日 ¥3,000
ユース・学生 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
シニア 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
小・中・高校生 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
※ユースは25歳以下、シニアは65歳以上
※全席自由
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