◎20分でも「演劇」として
柴山麻妃
昨年度から、日本劇作家協会主催の「劇王」出場権を争って、九州地区でも「劇トツ×20分」が始まった。これは、「上演時間20分」「登場人物は3名まで」というルールのもとで作られた作品の中から、観客と審査員の投票で優勝作品を選び出すというものだ。
3月に北九州芸術劇場で開かれた第二回目は、昨年度の稽古場での公演から小劇場へと場所が替わり(縦横一間ずつ広くなった)、より本格的な上演形態となった。今回出場したのは5劇団、優勝した劇団には北九州芸術劇場・小劇場での上演権が与えられる。審査員には「ままごと」の柴幸男氏、映画監督のタナダユキ氏。試験的な一回目に比べ、今年は全体的に作品の質も上がり見応えのある大会になった。
20分という上演時間は、通常の作品よりはるかに短い。しかし、瞬発力だけで乗り切れるほど短くはない。20分とはいえ、演劇として一つの作品を作り上げられるかどうかが、ポイントである。その点において本大会は、どの作品も演劇的に作り上げられていた。結果は、圧倒的得票数で熊本の不思議少年が優勝した。以下に各作品を論じていく。
劇団C4(北九州)『たまごやき』 作・演出:大福悟
「後期高齢者生活支援移住法」、通称「姥捨て法」により老いた母がどこかに連れられていく、その最後の20分の話。姥捨て法執行役人のリサ(桝添麻衣)、まさに今、家を出て行く母・ヤスヨ(河口紀代子)、その母に何かと反発し最後まで素直になれない娘ヨウコ(河口玲子)の物語である。
「姥捨て法」の着想は目新しくはない。姥捨ての伝説は日本のみならず世界にも散見するし、それを近未来に当てはめたSFもある(例えば、曽祢まさこ『おむかえがくるよ』、手塚治虫『料理する女』など)。ただ、着想の目新しさは実は問題ではなく、その素材をどう調理するかが重要な点だ。
本作『たまごやき』が惜しいのは、その調理法である。永劫の別れとなる母娘の最後の20分を焦点化した点はいい。しかし、母の思い、娘の後悔が観客の胸を打つ結果にはなっていない。足早に述べると、原因は2つある。まず母親の思いの描写が不十分である。反発する娘に対応するだけの受け身の描写でしかないからだ。娘の今後の心配、大人になりきれない娘への苛立ち、母娘関係の後悔が、母親のセリフや態度から浮かび上がらない。それらを「母親の愛情」と敢えて一言でまとめれば、娘の反発の熱量と同じだけの熱量で母親の愛情が描かれていないのだ。
二つ目は、背景にある「姥捨て法」の怖さを際立たせることができなかった点だ。国家の強制という怖さや、姥捨て後どうなるのか不明という不気味さがまったく感じられない。だから永久に会えなくなるというセリフがあまり切羽詰まって感じられず、母親のあきらめも、娘の悲しさゆえの反発も伝わりにくくなっているのだ。
二人の思いをつなごうとした執行役人のリサが却って母娘の険悪な状況を助長し、逆にたった一つの卵焼きが二人の思いを象徴する。こういった人物設定やアイテムの使い方は悪くない。従って、課題となるのは「見せたい思いを際立たせるには、(説明的にならず)どういった言葉の仕掛けが必要なのか」であろう。動きが少ないだけに演出の工夫も欲しかった。
F’s Company(長崎)『レベルゼロ』 作・演出:福田修志
昨年度の優勝劇団である。昨年度の作品は「観客に見える姿と行動のギャップ」が演劇ならではの面白さを生んでいて、それがわかりやすかった。一方、今年の作品『レベルゼロ』はわかりやすい部分のみが観客に伝わってしまったようだ。わかりやすさの罠とでも言えようか。
リア充(現実世界を充実させて謳歌して生きていること、人)を忌み嫌うサークル(?)男一人女二人の話だ。コソコソと、リア充撲滅活動(といってもクリスマスの寂しさを想起させる憎いケーキを処刑=食べるといったバカバカしいものだ)を行う3人だが、3人集まればそこに感情が芽生え関係が生まれ「社会」となる。観客は、リア充撲滅を画策している彼らが実はリア充めいた関係を築いている様を見ていくことになる。審査員の講評では「彼らがリア充に見えてしまう点が不服だった」と述べられていたが、作家・福田修志の第一の狙いはそこにある。本作の評価を下げるどころかそれが作者の意図だろう。
ところが本当は、その先にもう一つ展開がある。こじれた関係を終わらせることを決意した3人が、リア充への滅びの言葉を自らに浴びせたところで暗転、ジ・エンドという展開だ。途切れるような関係の切り方と暗転に「これはネット上のやり取りだったのだ」と思わせる。つまり非リア充の彼らの行動がリア充的に見えた矢先に、これらがすべてネット上(非リア充)の話だったという皮肉(あるいは彼らは結局リア充について回る苦い現実を受け入れられないのだという皮肉)が、本作の狙いではないだろうか。
しかしながらその皮肉がどこまで観客に伝わったか。得点から評価を見るに「リア充嫌いの彼らのリア充な関係」が本作のすべてであるように誤解されてしまったように思う。何しろそれはわかりやすい。けれどそんな分かりやすい物語にはふくらみがなく、飽きる。勝手に分かりやすい部分だけ受け取られ飽きられた、という結果になったように思う。
もっともそれは観客だけのせいではない。20分を短い時間としてとらえ3人の状況を冗長に描いたことが原因ともいえるし、終幕における3人のやり取りの意味が分かりにくくなり幕切れ暗転の効果が薄れてしまったことも原因といえる。
非・売れ線系ビーナス(福岡)『解きをかける少女』 作:田坂哲郎、演出:木村佳南子
演劇的な面白さを十分に持ちながら、脚本の中途半端さが足を引っ張った惜しい作品である。ココロ(ぽち)、アカギ(木村佳奈子)の二人の少女の成長が時間を追って描かれていく。その二人に偶然か必然か、マスメ(林良子)がかかわっていく話だ。
まず、空間の使い方が優れている。3人はシンプルな黒い服の上下、ほぼ何もない舞台なのに無駄な余白を感じさせない。劇中で細い角材を組み立てはじめ、それが棺桶になり、ラストは気球へと変化する。演劇的かつスマートな見せ方で好印象だ。なぞかけの「〇〇とかけて△と解く、その心は…?」という会話で少女たちの成長を見せていくところも、説明的になるのをうまく避けている。
しかし残念なのは軸が定まっていなかったことである。ココロの話かと思いきやそうでない。では3人の物語かというと、それもまた中途半端である。また途中までキーアイテムとなる「香水の香り」も終盤には消えている。せっかくなぞかけの「解き」と少女たちの成長の「時」をかけたのだから、視点の軸を「時」に定め、時の移ろいをなぞかけしながら最後まで描いてほしい。同時に、「香り」が導いてシーンを(そこで中心となる人物を)移行させていく展開があってもいい。わずか20分だからこそ、軸を定めて見せていくことが重要だろう。
不思議少年(熊本)『スキューバ』 作・演出:大迫旭洋
何もない舞台でも、瞬時に自在に時空間を跳んで場面を変えられるのが、演劇の強みであり面白さだ。優れた作品なら、多くの説明をせずとも観客がその変化についていき、一緒に時空間を跳べる。今年度の優勝作品である本作『スキューバ』はそんな作品だ。幾重にも重なる話の層を、自由に行き来してシーンが変わる、まるで海をスキューバしているように。「観客が見ている現実の層」「絵本の中の層」「それを読み聞かせている過去の層」「それを思い出している現代の層」…観客は爽快にいくつもの層のスキューバを楽しませてもらうことができる、演劇的によくできた一本だ。
意識的か無意識なのか、おそらく、作・演出の大迫旭洋は「タイミング」の計算が上手い。例えばこれだけ時空間を行き来するのに観客が無理なくついて行けるのは、各シーンが必要にして十分な長さであり、シーン転換のタイミングが自然だからだ。さらに感心したのが、シーンごとのテンポの違いである。畳み掛けるような会話のテンポだったり、飄々と笑いを誘うテンポに変わったり、のんびりと水を漂うテンポだったり。時に音楽をうまく利用して独自のセリフのテンポを作っている。自らも出演した大迫以外に、俳優の森岡光、宇都宮誠弥の二人もその要求にしっかりと応えている。「間」「タイミング」「テンポ」を意識した作りによって、観客の呼吸も視線も空気もつかむことができていた。
一つだけ難点を挙げておこう。演出のレベルに比べ、脚本の出来が追いついていないと感じた。それが舞台で得た感動を妨げるものになっていたわけではないが、本作の軸となる絵本の内容がいま一つである(素人が作った絵本という設定になってはいるが)。絵本の結末と、別の層での物語とを結ぶためだろうが、軸となる絵本としては話がお粗末。また審査員・柴幸男氏も言及していたが、本作に導入する人物とラストを締める(絵本を読む)人物をそろえた方が作品として「きれい」に収まるのではないだろうか。
ブルーエゴナク(北九州)『普通の四角ズ』 作・演出:穴迫信一
しばしば「演劇とコントの違い」は議論の対象となる。ここで論じるには紙面が足りないが、本大会のような観客による投票で優秀作品を決める場合は(特に福岡では)笑いをちりばめた作品が選ばれやすい。10年ほど前に福岡市内で「E-1グランプリ」という演劇バトルが開かれていた時はその傾向が強かった。笑いは印象に残りやすいからだろう。以後見かける投票形式の大会は、本大会のように審査員票の割合を大きくする、また観客賞を別に設けるといった方法で、コント作品に受賞が偏るのを回避している。
さて本作、リュウコ(橋本隆佑)のサプライズ誕生会での話だ。彼女を祝うマツコ(松下龍太朗)とノブコ(穴迫信一)。だが2か月前にはマツコもサプライズで祝ってもらっていたのに、1か月前のノブコの誕生日は忘れられていたことが明らかになる。仲良し女子のきゃぴきゃぴしたムードが次第に変化し、気まずさや険悪な空気、妙な配慮がその場を支配する。むくつけき男性が女装して内心を見え隠れさせながらセリフをやり取りし、最後にはノブコのオリジナルレゲエ披露、リアルとデフォルメのバランスが絶妙で笑わされた。
これはコントなのか演劇なのか。柴幸男氏はこれをコントではなく演劇と断言した。確かに、マツコとノブコの間でオロオロとうろたえながら黙するリュウコの存在は演劇的だ、コントなら場を面白くするためにリュウコにも何かをさせずにはいられないだろう。だが他方で、シチュエーションの説明にすぎず、物語を有しているとは言えない。演出らしい演出があったとも言えない(即興作品だったこともその理由だろう)。その点においてはコントである。もちろん観客は20分楽しめればどちらでも構わないし、作・演出の穴迫も気にしていないのかもしれない。ただ、(昨年度の穴迫の作品より本作が演劇的になったように)惹きつける笑いを維持しつつ物語を有した作品へと昇華できるのではないか。それが本作に於いて物足りなかった点だ。
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20分を、わずか20分と見るか20分もあると見るか。長い一本の芝居のように凝縮された20分にするのは、通常の公演よりも難しいのかもしれない。しかし、短いからこそ、作・演出家の長所と課題がより明らかに見えたように思う。ブラッシュアップの良い機会として、今後も続けていく価値がある企画である。
(3月16日14:00の回観劇)
【筆者略歴】
柴山麻妃(しばやま・まき)
演劇評論家。九州大学博士課程満期終了(文化人類学専攻)。1997年?98年トヨタ財団助成でNY調査。1998年?2011年演劇批評誌「New Theatre Review」(季刊)を発行。2006年より朝日新聞にて演劇批評を執筆中。
【上演記録】
北九州演劇フェスティバル2014 関連企画「劇トツ×20分」
北九州芸術劇場小劇場(2014年3月1日-16日)
「普通の四角ズ」
作・演出:穴迫信一
キャスト:穴迫信一、橋本隆佑、松下龍太朗
「スキューバ」
作・演出:大迫旭洋
キャスト:森岡光、大迫旭洋、宇都宮誠弥
「解きをかける少女」
作:田坂哲郎 演出:木村佳南子
キャスト:ぽち、林良子、木村佳南子
「たまごやき」
作・演出:大福悟
キャスト:河口玲子、河口紀代子、桝添麻衣
「レベルゼロ」
作・演出:福田修志
キャスト:松本恵、田中俊亮、宮本未貴
審査員:柴幸男(劇作家・演出家・ままごと主宰)、タナダユキ(映画監督)+観客の皆さん
プロデューサー:泊篤志
チケット料金:
全席自由1500円(前売り当日共通、未就学児入場不可)
託児サービス(有料・要予約)
主催/(公財)北九州市芸術文化振興財団
共催/北九州市
企画・製作/北九州芸術劇場