#6 内野儀(舞台芸術批評)

◇世代間の身体感覚と異なる演技態

-公演の反応や評価はいかがでしたか。ネット上を探しても、それほど目に付かなかったような気がしますが。戸惑いがあったのでしょうか。

内野 しっかり書かれた戯曲ですから、私の周囲で戸惑いはなかったようですよ。観客の入りは土日が満員で断らざるを得なかったようですが、平日まで満員というところまでは行きませんでした。会場になった横浜(赤レンガ倉庫1号館ホール)が単純に遠かったという声もあります。いつもは遊園地再生事業団の公演に足を運ぶ人たちが来られなかったということじゃないでしょうか。ということは、宮沢さんの観客は東京圏の居住者が多い、ということになるかもしれません。

-感想はいかがでしたか。

内野 当事者なので言いづらいのですが、私は、今の段階ではという限定付きですが、宮沢さんはきちんとした戯曲を書くべきだと考えていたので、その意味でとてもおもしろかった。宮沢さんの近年の関心はシェークスピアでもチェーホフでもなくて、演劇という形式そのもの、その関係で検証せざる得なくなる日本の演劇史ではないかと私は思っているんです。今秋、世田谷パブリックシアターで公演が予定されている現代能楽集「鵺/NUE」は、今年2月にリーディング公演(注8)が開かれましたが、明らかにアングラ演劇、あるいは「アングラ演劇的なもの」が主題です。いやそれ以上に、それが能の設定を借りて亡霊的に回帰してくるっていうきわめて刺激的なことになっている。設定として海外に出かけた演出家が空港での乗り換えの際、アングラ的な演劇が幻想のなかで上演されるというような話になっています。

今回の「モーターサイクル・ドン・キホーテ」公演でも結果的に、いろんなスタイルを持つ俳優が登場しましたよね。鈴木忠志さんが岩波ホールで「トロイアの女」を初演したとき、後のヴァージョンでは白石加代子さん一人がいくつかの役を演じることになりましたが、最初は能役者の観世寿夫さん(注9)と新劇俳優の市原悦子さん(注10)が舞台に出ていたんです。まったく違うレベルの演技態が3つ出てきた。その関係ないしは関係のなさみたいなものが、実に刺激的だったと当時言われていたようで、今回の宮沢さんの作品をみて、そのことをしきりに思い出しました。

(バイク店主の竹内忠雄役の)小田豊さんは早稲田小劇場出身。アングラ的と言うと語弊があるけれども、身体にセリフを染みこませることが演技になるというか、身体とことばが密接に結びついているスタイルです。妻の真知子役は文学座の高橋礼恵さんですから、しっかりセリフが入って段取りもきちんとしていて、どんな演技にも対応するという意味でのフレキシブルな面と、だからこそのというべきか、新劇特有のリアリズム的演技態だと思います。(店員の)下総源太郎さんは劇団燐光群所属ですから、2人の中間と言うのかな、いろんなことに対応できるけれども出自が小劇場ですから、身体の問題をすごく考えていて対応する。(娘役の)田中夢さんは宮沢チルドレンと言うか、年齢的にはずいぶん若いわけで、90年代演劇的と言うのか、9・11以降的と言うのか、まったく違う、別の身体を持った人だと思います。(フリーター役の)鈴木将一朗さんは東京乾電池所属、岩崎正寛さんは演劇集団円所属です。こういう異なる演技態の配置を前提として戯曲を書いているわけではないだろうけれども、世代間の身体感覚の差が物語がマッチしている。私はそこが興味深かったですね。

◇メロドラマは困る


-キャスティングも宮沢さんがしたのですか。プロデューサーの内野さんは噛んでいないのでしょうか。

内野 プロデューサーと言っても、私は先方からプロジェクト資金が確実に払い込まれるようにする仕事と(笑)、あとは聞かれたら答えられることなら答える、というスタンスでした。あっ、プロットに関しては宮沢さんに意見は言いましたけどね。いまお話ししたようなことをまとめて、演技論、日本の演劇史論になるといいですね、と書き送りました。

-宮沢さんのブログ「富士日記2」に、高校生の娘役の性格というか役柄に関して、母親が「女優をやめた女」に対して、娘は「これから女優になる」という対比だけだったけれど、内野さんが「大学の演劇教育」を取り込んだらどうかとアドバイスしてくれた、と書いていました(Jun.10 sat. 「この週末など」)。戯曲の構造や内容に関わっていたのでしょうか。

内野 世代間の問題として娘はどうなのか、ちゃんと押さえておく必要があると言ったんです。これは日本の演劇史固有の問題であろうかと思いますが、世代によって演劇に対するスタンスの差がすごくあります。それから、プロットについて言ったのは、終わり方の問題ですね。バイクで旅に出た2人が戻ってきて、受け容れられてそれでお終いだと単なるメロドラマじゃないかということになる。それは困りますよねえ(笑)。そう言った覚えはあります。

-最後は終わっているような終わっていないような、微妙なシーンで暗転しますね。

内野 最後の場面に関して直接的な反応はグリーンブラットさんからあって、夫が勝手に出ていって、また勝手に帰ってきてあんなこと言われたら、あの場面で妻は夫を殴るだろう、と言うんです(笑)。宮沢さんはこれに対して、殴らないからといって認めたわけではないと応えました。だからあの結末は、ハッピーエンドでも何でもないというわけですね。結局あの終わり方は、夫役の小田さんは完全に幻想の中に入り込んで「あっちの人」になっている。「あっち」に行ってるからこそ、現実に戻って来られたわけです。妻の真知子はもう関係ないや、私は働いていくんだと、自分の道を進むことに決めている。娘は、父親が戻ったことがうれしい反面、さあ、これからどうするのか、宙づりにされる。だから夫婦のコミュニケーションが断絶した終わり方です。グリーンブラットさんとミー・ジュニアの作品は取って付けたようにみんなが収まるべきところに収まってハッピーエンドで終わってしまう。それだって、意図的にやっているんですよ。いまのグローバリゼーションの中では勝ち組の話になっています。アメリカのビジネスエリートたちの話だから、イタリアに行って結婚式を挙げるわけですから、勝ち組に決まってる。だから登場するのはすごく教養があってナイーブで繊細な人たちです。でも楽しく生きている。そういう勝ち組たちの振る舞いをどこまでも明るく描くとかえって空虚になるという狙いがあると思う。ただねえ、アメリカで上演するとそう思われない恐れがあると思いますけど(笑)。

そこで宮沢さんが劇中で、妻の真知子の口を借りて「シェークスピアよりチェーホフがずっとおもしろいよ」と言っているのはアイロニカルで、チェーホフの戯曲は終わりになっても何も変わらないか、始まったときよりむしろ悪化しているという話ですよね。ですから、シェークスピアよりチェーホフ的な作品だとも言えるわけですが、そのことは最終場面の衣装の変化、あるいは女性たちの外見の変化ということで示されていました。つまり、男たちがいなくなって、女たちは輝いた。最後の場面で衣裳がパッと替わって、お前たちはなんで帰ってくるんだとなるわけでしょう(笑)。ただそれが、明示的に言われるわけではなく、文字通り目を凝らさないとわからないようになっている。

◇演劇界の外の「常識」と接続する

-宮沢さんは少なくとも演劇的な身体を含めて世の中の動きというか底流を敏感にキャッチしているし、キャッチする必要を感じている人だと思います。そういう点が今回のプロジェクトを依頼する狙いになったのでしょうか。

内野 動きを敏感にキャッチするというとなんだか、流行を追っている的に思われてしまうわけですが、「現実」と私が言う場合、そういう表層的な動きのことを言っているのではありません。思想的には、規律権力から管理権力へというような言い方で指摘される社会関係の変化がこの10年間くらいの間で起きてきた。こういう言葉は、思想的な言説が勝手に、つまり根拠なく抽象化したカテゴリーなのではなく、実際、そういうことが学問的な調査などからの理論化の作業のなかで言われていることです。しかし、演劇やダンスという芸術ジャンルについては、日本では少なくとも、そういう現実に起きている事態とかかわらないですむという幻想が蔓延しており、逃避主義という言葉があまり日本で使われないことが象徴するように、上演する側も観客も、現実に起きていることとかかわらない、かかわるべきではないという了解に立って成立している。だから、誰にとっても危険なものではないから、趣味の世界の話として済んでしまう。国からふんだんに助成金ももらえる。これは日本特殊です。欧米を基準にすれば、ということですが。アーティストというのは、そういう現実に起きていることに、コミットする、あるいは、われわれは生きているかぎりにおいて現実に起きていることにみな、コミットしてしまっているという考え方にならなければならない。だって、そうなんだからと言うしかないんですが。そういう当たり前の前提を共有しているアーティストがほとんどいないのは事実であるにせよ。

で、そういう当たり前の前提で活動している劇作家として、宮沢、川村の2人が挙げられると私は考えています。川村さんは最近「新しいことはやめた」とかどこかに書いていましたが、文学座に作品を提供したり、江守徹さんと組んだりしているのを見ると、現代社会のある側面を描くためには「新劇的なもの」が必要なんだと考えてるんじゃないか。精神分析や心理学が専門の斎藤環さんが「心理学化する社会」と言っているように、社会が心理学化しているなら、きちんと心理学で戯曲が書かれるべきなんです。それを実行しているのは川村さんしかいないと私は思っています。だから昔のアングラ的なのりでワアーッとやる時代ではない。川村さんは心理学的な劇をきっちりと書いて、「いま」がどうなっているかを戯曲として、あるいは上演として記録しようとしている。だれもそんなことを言ってないかもしれないけれども私はそう思っていて、それはすごく内的必然だけではなく、歴史的な必然もあるのではないかと思います。

それに対して宮沢さんはもう少し違うところにいて、いままでの歴史を踏まえた上で、彼は若い人たちと付き合う機会が多いから、こいつらは何を考えているのかという興味を持っているということがまずあるでしょう。街に出ていろんな身体を観察するようなことをやったりしていたようだし、そういう身体と演劇がどうかかわるのか、ということに関心がある。しかしそこにとどまっていては、流行の後追いにしかならないわけで、多様な文学作品から思想・哲学系の書物まで、参照項をどんどん構築していって、そういう現実と演劇をかかわらせようとしている。だから、もっと大きな文脈では、この10年、社会文化政治関係が激しく変化したという演劇界の外での「常識」と接続していこうという思考だと思うんです。

-昨年の雑誌「ユリイカ」7月号の特集「この小劇場を観よ!」で、数多くの劇団やダンスユニットを紹介しています。それらの活動をすくい上げる基準をどこに置いているのでしょうか。

内野 あの特集に書いた文章の中で、遊園地再生事業団を「小劇場マップ」の真ん中に置いたでしょう。現実に向き合いつつ、好奇心を持って開いていっているのは宮沢さんのところだと思ったからです。というか、宮沢さんがロール・モデル、まあ日本語で言えば、若手のお手本になるべきではないか、と。ジャーナリズムや批評の問題なんでしょうけれども、閉じこもっている方が安全で、安全な芝居の方が受け入れられていく。それはアングラもダンスも同じだと思う。アナクロな前衛意識から一歩も出ないとなると、その人たちの意識がどこと接続しているのかと思いますね。私が解体社を例外視、あるいは特別視するのは、かれらは「世界」と接続しているからです。同じようにフィジカル・シアターと称していても、他とは違う。その違いは見れば一目瞭然だと思っています。宮沢さんは、さっきも言いましたが、いままでやってきた「砂漠監視隊」シリーズとかの路線を継続していれば、それなりにやっていけたはずなんです。しかしそれをあえてやめて、いろんなものをどん欲に取り込んでいくあの知的体力の若さが、後に続く人たちのモデルになってほしいと思います。だから真ん中に置いたんです。

-なるほど。

内野 ダンスでも同じですよね。矢内原美邦さん(注11)も演劇に開いていく。本気かよという面はあるでしょうけれど「演劇やります」と言う。それぐらいのエネルギーがないと、創造性が出てこないのではないでしょうか。

(6月15日、東京大学大学院内野研究室)

注8現代能楽集「鵺/NUE」リーディング公演
上演に向けての新作戯曲リーディングの一環で、2006年2月、東京・世田谷シアタートラムで開かれた。宮沢章夫作・演出。同年11月に本公演予定。
http://www.setagaya-ac.or.jp/sept/jouhou/05-2-4-57.html (世田谷パブリックシアター 公演情報 )(注9観世寿夫
1925年、東京生まれ。七世観世銕之亟の長男。弟の榮夫、静夫とともに観世三兄弟と呼ばれる。武満徹、一柳慧ら現代音楽家と組むほか、演劇にも参加。74年、78年鈴木忠志演出の「トロイアの女」「バッコスの信女」に出演するなど新しい能楽活動を積極的に展開した。1978年死去、58歳。著書「心より心に伝ふる花」「観世寿夫著作集」など。
http://www.jade.dti.ne.jp/~tessen/rekidai/hisao.html(観世銕之丞家歴代 )(注10市原悦子
千葉県千葉市生まれ、劇団俳優座出身。「三文オペラ」で新劇演技賞(1964年)を受賞するなど代表的な演技派女優として知られ、1975年には鈴木忠志演出「トロイアの女」で紀伊国屋演劇賞個人演技賞を得ている。その後も映画「黒い雨」で日本アカデミー最優秀助演女優賞(1990年)を受賞するなど舞台、映画、テレビに活躍する。
http://www.aoistudio.co.jp/SP/roadshow/2004/ichihara_profile.html (アオイスタジオ 市原悦子プロフィール)

注11矢内原美邦
高校時代からダンスをはじめ全国ダンスコンクールでNHK賞などを受賞。1997年ニブロールを設立。内外のダンスフェスティバルに招聘される。ニブロールだけでなく、映像作家高橋啓祐とのユニットOFFNibrollではインスタレーション作品に取り組む。作・演出家として昨年「3年2組」を発表。演劇領域に踏み込んだ活動を始めている。http://www.nibroll.com/(nibroll)
http://www.nyyg.com/mikuni/(矢内原美邦の毎日が万歳ブログ)