振り返る 私の2013

夏目深雪(批評家・編集者、個人ブログ幻燈機

  • 燐光群「カウラの班長会議」
  • かもめマシーン「スタイルカウンシル」
  • ミロ・ラウ「Hate Radio」(ふじのくに 世界演劇祭2013)

rinkogun_kaura0a 今年は重い題材のものが揃ったので、順位はつけずに観た順。大戦中、オーストラリアの捕虜収容所の日本兵五〇〇名余りが、脱走=突撃を図った事件を扱った『カウラの班長会議』だが、日本兵と女学生の映画クルーのダブルキャストが舞台上にひしめき合う迫力もだが、3.11との接続の仕方に唸った。そして3.11と「僕ら」(私たち、ではなく僕ら、なのだ)との距離を炙り出した『スタイルカウンシル』(拙稿はこちら)。ルワンダの夥しい数の虐殺の被害者へのインタビューと、虐殺の直接的な原因であるラジオの再現というシンプルな構成の『Hate Radio』も、なぜ今、ここでそれが上演されるのかということに意識的にならざるを得なく、観ている間じゅう鳥肌が立った。
 他にはマームとジプシー『cocoon』、ブルーノプロデュース『My Favorite Phantom』、鵺的『この世の楽園』、フォースド・エンタテインメント『The Coming Storm─嵐が来た』、作・松田正隆/演出・松本雄吉『石のような水』などが印象に残った。
(年間観劇数 50本)

片山幹生(大学非常勤講師、ワンダーランド)

  1. FUKAPRODUCE羽衣「サロメ vs ヨカナーン」
  2. 名取事務所「ピローマン」
  3. SPAC「室内」

fukai_salome0a FUKAPRODUCE羽衣の「サロメ vs ヨカナーン」は、ワイルドの「サロメ」を自由な想像力によって拡大し、7組の男女の官能的な愛の風景を抒情的に描き出した。中盤に歌われた長大な楽曲、通称《ゾロ目の歌》の感動は忘れ難い。名取事務所の「ピローマン」、これまで見たマクドナーの作品のなかで一番好きな作品となった。3時間にわたる波乱の展開のスリリングなサスペンス劇。悪意と皮肉に満ちた表現の過剰を、小川絵梨子の演出は見事に制御していた。クロード・レジが演出したSPACの「室内」はメーテルランク演劇の静謐の美学を見事に具現した舞台だった。張り詰めた空気のなか、暗闇にぼんやりと人物を浮かび上がらせる光の効果に息を呑んだ。この他、独創的なアイディアで幻想的でコミカルな世界を提示した人形劇団ココン「繭の夢」、一人語り演劇の可能性を開拓したRoMT「ここからは山がみえる」、卓越した劇作術と丁寧な演出によって台詞劇の醍醐味を味わうことができたiaku「目頭を押さえた」を、今年、特に印象に残った舞台として挙げたい。
(年間観劇数 約100本)

柾木博行(演劇批評誌シアターアーツ編集長)

  • 福島県立いわき総合高等学校総合学科第10期生アトリエ公演「ブルーシート」
  • 維新派「MAREBITO」
  • SPAC「黄金の馬車」

spac_goldencago0a 意図したわけではないが東京以外で上演された三本が印象に残った。『ブルーシート』は飴屋法水がいわき総合高校で滞在制作したもので、上演台本をシアターアーツに掲載したが、校庭で行われた上演を観たときにはその1%ですら誌面には記録できないとある種絶望的に思ったほど、いわきに生きる高校生たちの生に満ちていた。維新派の松本雄吉は『レミング』『石のような水』など他の作家のテキストを演出する作業でも優れた演出を見せたが、月明かりに浮かぶ四国の稜線を借景にした維新派の犬島公演は圧倒的な美しさだった。SPACの宮城聰は、舞台芸術公園の野外劇場・有度で祝祭劇として初めて新作を発表、自身の演劇活動とオーバーラップもするような内容は、かつてク・ナウカ時代に「(我々は)現代の托鉢僧です」と語っていた宮城に相応しいものだった。
 このほかに年末MODEが「カフカ三部作」を個人のカンパニーとして一挙上演した快挙は記憶に留めておきたい。
(年間観劇数 約180本)

斉島明(会社員 fuzzy dialogue

  • スガダイロー五夜公演「瞬か」
  • ホナガヨウコ×環ROY「かみあわない」
  • sons wo:「野良猫の首輪」

n_honaroy 今年は二者を対置してその間の距離をはかること、に興味が出てきて、しかもそのような作品を多く観ることができた。
 たとえばF/T13公式プログラムでも、Port B『東京ヘテロトピア』では東京とアジアの間にある亀裂が示され、木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談−通し上演−』では現代の観客と歌舞伎、また鶴屋南北の歌舞伎との距離感が更新された。
 スガダイロー公演では筆者が観た contact Gonzoをはじめとするパフォーマーとピアノが対決し、ホナガヨウコ×環ROYでは互いにダンスとラップを入れ替えてみる挑戦がなされた。sons wo:では彫刻家の小田原のどかが美術を担当した。舞台上に据えつけられることなく、客席を囲むように配された5つの彫刻の存在が、観客と上演との距離/亀裂を意識させずにおかない。
 距離をはかろうとすることは自分と相手との間に横たわる、一見亀裂にみえるものを越えるための営みではないかと思う。 tiwtter: @fuzzkey
(年間観劇数 約30本)

大泉尚子(ワンダーランド)

  • モジョ ミキボー(オーウェン・マカファーティ作、平川大作翻訳)
  • ユリイカ×川上未映子×マームとジプシー「初秋のサプライズ」
  • KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」

mojo-mikibo0a 「モジョ ミキボー」(演出:鵜山仁)は三年間待ち焦がれた再演。北アイルランドの二人の少年の出会いから離反だけを描いて、連鎖するテロの断面を浮き彫りにする。ただし、初演のシンプルさが少し懐かしいところも。そして、川上未映子の言葉の群れを青柳いずみの身体がむんずと鷲掴みにした「初秋のサプライズ」。天野天街の作・演出「真夜中の弥次さん喜多さん」は元祖リフレインの真骨頂。
 そのほか「幼女Xの人生で一番楽しい数時間」で映像を手玉にとる斬新な劇空間を繰り広げた範宙遊泳が進境著しい。不在の黒田郁世のダンスがまざまざと目に浮かぶようだった劇団子供鉅人「モータプール」に、わけもなく涙・涙。どこをどうはずされているのかわからないのが心地よいワワフラミンゴ「馬のリンゴ」。iaku「目頭を押さえた」では、横山拓也の戯曲の力に目を瞠った。俳優では、木ノ下歌舞伎「黒塚」とカトリ企画「紙風船文様」の武谷公雄と、同じく「紙風船文様」の黒岩美佳に心からの拍手を送りたい。
(年間観劇数 約120本)

 

廣澤梓(会社員、ワンダーランド)

  • 中野成樹、長島確「四谷雑談集」+「四家の怪談」
  • 東京デスロック「SYMPOSIUM」
  • 岸井大輔「元アイアンシアターの女優沖田みやこが、元となった経緯の再現と上演を試みる」ツアーほか

tokyodeathlock_symposium0a 中野、長島両氏の手がけた2作品では、舞台となる四谷と四家のまちを縦横無尽に走る黄色いアドトラックの存在が、作品の枠組みを溶解させていた。
 プラトンの『饗宴』をモチーフとしていたことにちなみ、公演期間の2週間飲みに行っては誰かと話をし、またその後も劇評を担当したことで執筆者の落さんとメッセージの応酬をすることひと月。「SYMPOSIUM」はこれらの時間全てとして記憶している。
 今年の3本は全て、作品のもたらすものが上演時間の中で完結せず、その周囲に漏れ出していくようなものになった。それには1月からワンダーランドの編集に携わり、ある演劇についてひとりで、あるいは誰かといっしょに、上演時間の何倍もの時間をかけて考える習慣がついたことも影響していると思う。
 毎日のように行われている岸井大輔さんの作品の区切りはどこにあるのか、またそれらに参加する時間がわたしにとって日常なのか劇中なのかもよく分からない。
(年間観劇数 約60本)

都留由子 (ワンダーランド)

  1. 人形劇団ココン「繭の夢」「糸による奇妙な夜」(調布市せんがわ劇場第4回人形祭”inochi”)
  2. 木ノ下歌舞伎「黒塚」
  3. イキウメ「獣の柱 まとめ*図書館的人生(下)」

inochi0a ココンの人形劇には、吸い込まれるようだった。操る技術も、人形そのものの表現も。人形でしかできない表現の豊かさには目を見張る思いだった。これは、せんがわ劇場の人形演劇祭の参加作品だったのだが、その人形演劇祭が2014年は演劇祭としては行われないと聞き、とてもがっかりしている。
 木ノ下歌舞伎の「黒塚」にも吸い込まれるようだった。歌舞伎の「黒塚」が、どういう話だったのか、初めて分かったような気がした。こんなに悲しい話だったとは。
 「獣の柱」にもすっかり吸い込まれてしまって、気がついたら終わっていた。なんだかぼんやりして帰宅し、日常生活に戻ったあとにも、何度も何度も場面が浮かび、思い出した。
 これ以外にも、はえぎわの「ガラパコスパコス」、子供鉅人の「Hello Hell !!!」、俳優座の「とりつくしま」(これは小劇場と言っていいのかどうか分からない)、カトリ企画の「紙風船文様」など、吸い込まれるように見入ってしまった作品があった。
(年間観劇本数 60本くらい)

日夏ユタカ(ライター・競馬予想職人)

  1. 福島県立いわき総合高等学校総合学科第10期生アトリエ公演「ブルーシート」
  2. マームとジプシー「cocoon」
  3. Theater ZOU-NO-HANA vol.5「象はすべてを忘れない」

mamagoto_elephant0a 『ブルーシート』は、飴屋法水がいわき総合高等学校に招かれ、総合学科の授業として、生徒たちと一緒に作りあげた作品。高校のあるその県/国/星では、2年ほど前に震災とともに大きな原発事故があり、1年前の9期生の公演ではマームとジプシーの藤田貴大が、アトリエとなった教室の窓を開けることに極度の不安や怖れを漂わせた作品を発表していた。そして本作は、一転して野外の校庭での上演。しかし、そこには開放感はなく、受験直後の震災の影響で合格発表が1ヶ月おくれ、仮設校舎で勉強せざるをえず、いたるところブルーシートに覆われた街で暮らした日々が綴られ、最後に観客は「お前は人間か」との問いを突きつけられる。あの日の声や音、思いはは、いまもじぶんの体内で響きつづけており、「記憶に残る3本」というお題ならば、やはり最初に取りあげないわけにはいかない。
 今日マチ子の1945年の沖縄戦での女子生徒による「ひめゆり学徒隊」を描いた原作を元に、原田郁子の起用により“うつしい音楽が失われてしまう世界”を凄絶に描いたのが『cocoon』。一瞬で消え去ってしまう「音楽」と「少女たち」という重なりが、嫌悪をおぼえ忌避したくなるような状況のなか、儚くも生命力に満ちた輝きをみせるさまは圧巻。最前列の観客に配られた白い毛布が、終演後、あたかもcocoon(繭)のように座席に脱ぎすてられていた光景も印象的だった。
 ままごとの柴幸男が構成・演出を担当した『象はすべてを忘れない』は、横浜の象の鼻テラス/パークにある風景やたまたま通りがかった人々をも巻きこんでいく、とても開けた作品。ある種、大道芸的な部分もありながら、その求心力だけに頼らず、そこに流れる時間を演劇的に紡いでいく手法の心地よさが最大の魅力か。じつは最初はすこし斜に構えて覗き見していたのが、いつしか“スイッチ”が押され、気がつくと積極的に参加していたことに、いまも驚いている。
(年間観劇数 約53本)

藤原ちから(BricolaQ主宰 )

  • 地点「ファッツァー」(京都アンダースロー)
  • ままごと「赤い灯台、赤い初恋」ほか(小豆島坂手港周辺)
  • 地域共同プログラム「枝光八幡宮に『鐵神様(てつがみさま)』を奉納する上演」(枝光八幡宮)
    【番外】東京デスロック+第12言語演劇スタジオ「가모메 カルメギ」(ソウル)
    【番外】東京デスロック「シンポジウム」(STスポット、キラリ☆ふじみ)
    【番外】チェルフィッチュ「現在地」「地面と床」連続上演(東京芸術劇場、KAAT)

地点「ファッツァー」 今年は「自分が今ある状態」に対してクリティカルな上演が多く、なんらかの同時代性を感じている。とても絞りきれるものではないから「関東圏以外」という縛りで3本を。新拠点アンダースローを開設した地点は、俳優たちのプレイがどんどん音楽的に研ぎ澄まされて今や凄い領域へ至ろうとしている。ままごとは小豆島での長期滞在のほか、横浜・象の鼻テラスでのパフォーマンスなどを通して演劇の可能性を捉え直し、大きな発見と力と寛容さを得たのではないか。枝光での『鐵神様〜』は、のこされ劇場≡市原幹也の呼びかけで、大谷能生、岸井大輔、手塚夏子のほか若いアーティストや地元の子供劇団が結集し、鉄の神様をつくるという大胆な試み。神社に正式に奉納された後は、地元の氏子さんたちから神楽を見せていただくという素晴らしい日になった。番外の『가모메 カルメギ』は複数の言語を駆使した、日韓の若い世代による歴史(未来)への挑戦。日本での上演を待望したい。『シンポジウム』は自分が出演。なにげに俯瞰しやすいポジションだったおかげでいろいろ劇評家や観客の反応など見えて、深い絶望と再生への希望を手に入れた。関東圏でどうしてもひとつだけと言われたら、現代日本人の置かれた状況をハイパフォーマンスで鋭く射貫いているチェルフィッチュは今相当にヤバいと思う。
(年間観劇数 160本以上)

宮本起代子(因幡屋通信/因幡屋ぶろぐ主宰)

  1. 小西耕一ひとり芝居「既成事実」(小西耕一構成・演出・出演)
  2. 劇団フライングステージ「OUR TOWN わが町 新宿二丁目」(関根信一作・演出)
  3. green flowers「かっぽれ!~夏~」(内藤裕子作・演出)

「既成事実」公演チラシ 俳優が「劇作や演出も行った」のではなく、小西耕一があくまで俳優として自らの半生を書き、わが身を晒す舞台は、ありがちな自己陶酔や自己満足を吹き飛ばして非凡である。
 『かっぽれ!』は2011年11月の第一作、今年3月の春版につづいて今回の夏版で三部作となり、劇団の財産演目として抜群の安定感と高い好感度を示した。落語と演劇、俳優と落語家の共通点と相違点を的確に捉えた舞台は回を重ねるごとに力強く、同時に優しさを深める。
 これまでフライングステージで中心的な役柄を演じた俳優の早矢瀬智之が急逝した。彼の不在がどう影響するかが懸念されたが、劇中の人物に早矢瀬を色濃く投影しながらも、情緒に流れることなくセクシュアリティの問題に特化されない普遍性を獲得した。
3本に共通するのは、演劇への愛情とどんな演劇を求めるのかという軸足をしっかりと再認識させてくれる点だ。これほど素直に「次回作が楽しみ」と思える舞台はあまり例がない。twitter: @inabaya_kiyoko
(年間観劇数 114本)