劇団犯罪友の会「かしげ傘」

◎諧謔に満ち哀切な心情を喚起する重層的な物語
大岡淳(演出家、演劇批評家)

「かしげ傘」公演チラシ関西野外劇の雄として知られる劇団犯罪友の会は、今年で創立30周年だそうだ。私はこの集団を、アングラ演劇の最良の部分を継承し発展させている劇団だと考え、演劇批評家として一貫して評価し、支持し、応援してきた。今年10月に上演された『かしげ傘』は、「30周年超大作野外劇」と銘打たれているだけあって期待に違わぬ力作であったが、これを見ながら私は、もはや「アングラ」云々という文脈でこの集団の魅力を語る必要はなくなったのだな、とふと思った。「犯友」の芝居は、「犯友」の芝居以外のなにものでもなく、殊更に他の芝居との共通性を指摘したり、あるいは相違点を強調したり、といった、私自身がこれまでやってきた批評的な作業は、なんだかさかしらな営為に過ぎなかったような気がしてしまった。それほどに、この集団は、他の追随を許さぬ独自の魅力を備えた劇団として成熟しつつあることを、確認した次第である。

年に一度の祝祭の場となる難波宮跡公園に、今年もまた、丸太3000本からなる野外劇場が組まれている。舞台上には町並みを模した装置が組まれており、毎度ながら、その精巧な出来には溜め息が出てしまう。舞台に屋根はなく、夜空は本物の夜空である。設定は大正末期ないし昭和初期の大阪。下手には、嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』の看板がかかる映画館。上手の建物は、1階に傘屋、2階にカフェの一室が見える。モダンな装飾と下町情緒が同居する、掃き溜めのような町角で、肩を寄せ合って生きる人々が織りなす人間模様。そこから浮かび上がるのは、複雑に綾なす恋のゆくえである。物語を紹介しよう。

巡査・加山(紫壇双六)が、活動弁士・片山(玉置稔)に不敬罪の疑いで因縁をつける、暗い影が忍び寄る時代。後ろ暗い過去を持つと噂されるカフェのマダム弓子(山田山未舟)と、バーテンダー吉野(金城左岸)は、互いに心惹かれあいながらも、思いをうちあけることができずにいる。妹・高子(寝屋原弓夏)を育て、傘屋とパン屋を兼業する働き者の北斗(川本三吉)は、美しい友禅傘を手にする彦乃と名乗る女(桜井盤)に出会い、一目惚れする。その傘は何の因果か、かつて、腕のいい職人であった北斗の父が、恋い慕う人の嫁入り道具として拵えたものであった。当の彦乃は、常連客であるはずの竹久夢二(滝波四級)との再会を夢見て、弓子のカフェに日参する。そして肝心な傘は彦乃から弓子の手に渡り、見間違いがきっかけで、北斗は今度は弓子に心惹かれることに。北斗の店の向かいにある映画館の支配人で、青鞜社出身の女傑として知られるスエ(中田彩葉)は、人気女優・小夏(藤崎小梅)を映画館に招いて一儲けを企み、小夏の後見人としてついてきた右翼・内田良平(デカルコ・マリィ)を暗殺の魔手から救って、女傑としての名を高める。そして運命のいたずらか、くだんの傘はスエの手に渡り、かくして勘違いに勘違いを重ねた挙げ句、北斗はスエとつきあうことになってしまう。

彦乃はようやくカフェで夢二に出会うが、彼女は、自分が夢二の恋人として知られた彦乃だと思い込んでいるに過ぎないことが発覚し、絶叫とともに、狂った恋心は引き裂かれてしまう。カフェの女給・梅子(北山凛)は、オーナー・青木(大場吉晃)の愛人の座におさまり、弓子と吉野を店から追い出しにかかる。そこで明らかになる弓子と吉野の過去。弓子はかつて、築地小劇場の女優あがりの身ながらヤクザな境涯に零落し、蛇の刺青を背負う「白蛇お竜」と呼ばれた女であり、青木に囲われて後、カタギとなって店を任されたのであった。また吉野は無政府主義者であり、軍隊を脱走してこの店に逃げ込んでいた。吉野を官憲に告発したうえ、店は女郎屋に改装すると告げる梅子。「満州に店を持たせる」と嘘を言い、肩代わりしていた借金を埋め合わせようと、弓子の身を売り飛ばしてしまう青木。ようやくにして弓子と吉野が互いの恋心に気づいたとき、国家と資本は、もはやふたりの恋路を許そうとはしなかった。憤怒にかられた弓子は店に火を放ち、官憲との乱闘で殺された吉野にすがり、今一度「白蛇お竜」となって刀を抜く-。かくして町は、悲しい恋の焔に襲われるが、騒動が収まった後、北斗は改めて、スエと共に歩んでいくことを決心する。北斗とスエが、ふたりでひとつの友禅傘に入り佇む終幕の光景は、喜びと悲しみの一切合財を飲み込んで、たとえようもなく美しい。

弓子と吉野、北斗とスエ、彦乃と夢二という、3組の男女の恋を描く物語である。これらを、1本の友禅傘という小道具がつないでゆく様はなかなかに心憎く、武田一度の、ベテラン劇作家としての手練を感じさせる。そしてまた、武田が描くラブロマンスは単なるラブロマンスではない。「三無事件」を背景に据えた前作『手の紙』もそうであったが、人間ドラマの裏側で、政治的・社会的な背景が示唆され、ポリティカル・サスペンスとも歴史劇とも受け取れるような重層的な物語を構成するのが、武田の得意とするドラマツルギーである。

今回も、ラブロマンスの裏側で、昭和のファシズムへと雪崩れ込んでゆく時代状況が活写されている。そしてその様は、戦争体制への準備を着々と進める、現下の政治状況と二重写しにされている。場末に暮らす庶民の生き様にまで、国家権力が容赦なく介入する瞬間があることを、武田は歴史のひとこまを題材にとることによって、鋭く見抜いている。おかげで観客は、「人情あふれる下町」だの「庶民のあたたかさ」だのといった物言いはただの固定観念に過ぎず、社会の底辺でもまた、善が輝くこともあれば悪が蠢動することもあるのだと教えられる(対するに、『ALWAYS 三丁目の夕日』のような、昨今の昭和回帰ブームの空疎さはどうだ)。このように重層的なドラマを描きうる劇作家は、現在の日本演劇界の中で、武田を措いて他にはいない。彼が関西ベースで活動を続けているため、東京の演劇人は見逃しているようだが、武田の劇作家としての技量は、もっともっと評価されてよいはずだ。リアリズムの約束事に束縛されず、自由奔放に人物が行き交い語り合い、かといって史実をないがしろにはせず、過剰に想像力を飛躍させることもなく、地に足のついた劇世界を創造する。そうした独創性は、武田一度と犯罪友の会だけが獲得しえたものだ。

そしてまた、台詞がいい。例えば、梅子は弓子を、極道としても半端者だと難じ「ウチはオマエの背中をずっと見てきた。オマエの背中は素人や」と、吐き捨てるように罵ってみせる。零落しながらもどこか気高さを捨てきれぬ弓子と、その弓子に苛立ちを覚えずにはいられない梅子の関係が、見事に浮き彫りにされる台詞ではないか。また例えば、吉野が弓子に恋心を吐露して曰わく「生活の中で出会う人は多いが、人生で出会う人は珍しい」。流浪を重ねた果てに、吉野が弓子と出会ってしまった運命の重みが、ずしりと胸に響いてくる台詞ではないか。

武田の作劇術に応える俳優陣も、充実している。「犯友」の俳優は、既に初期メンバーから代替わりを遂げているが、スエを演じた中田彩葉と、北斗を演じた川本三吉は、既にベテランの域に達しており、今回も安定した技量を見せた。弓子を演じた山田山未舟は、荒削りながらも、暗い過去を背負い、強靭さと繊細さが混在する複雑な役柄を演じ切って、見事であった。弓子が動であれば吉野は静である。吉野を演じた金城左岸は、物静かなたたずまいを見せつつ、時に世の理不尽に対する憤りを隠さない、魅力的な人物像を造形した。内田良平を演じたデカルコ・マリィは、大言壮語することによって小心者の一面を隠す怪異なキャラクターを作り上げており、相変わらず巧みであった。

時に見得を切り客席に正対する“和風”の身体所作、間が空くことを恐れないゆったりとしたテンポ、そしてよく通る発声-こういった「犯友」の演技術は、どこか歌舞伎を連想させるが、それ以上に、野外空間で最も効果を発揮する方法論として編み出されたのではないかと思われる。野外劇における演技は、広大な空間の中に拡散してしまい、観客をひきつけられない危険にさらされる。あるいは、そのような恐怖心に俳優を陥らせるのが野外という空間だと言ってもいい。そこで、野外の上演空間に自信を持ち、安定して立つために案出されたのが、「犯友」の演技術なのではあるまいか。観客の注意をむりやりひきつけるのではなく、むしろ観客の意識を遊ばせる隙間を作りながら、それでも確実に、台詞と所作のひとつひとつを観客の脳裏に刻みつけていく。このような方法論を磨きぬき、「様式」と呼んでしまうとなんだかくすぐったいけれども、ともあれひとつのフォルムを完成させていることが、30年に及ぶ活動の到達点だと解釈してよいのではないだろうか。

以上に加えてこの芝居では、特殊効果(岡田正夫)が巧みに用いられていたことを補足しておきたい。小夏の登場時には煙が吹き上がって興を添え、スエが内田を救った後「東京音頭」にあわせて皆が踊る愉快な場面では花火が上がり、そしてクライマックス、カフェが炎上する場面では、中空に実際に焔が吹き上げられた。祝祭的な時空間の演出に特効が一役買っており、観客をわかせる効果をじゅうぶんに発揮していたように思う。

再度強調しておこう。『かしげ傘』は、劇団犯罪友の会の30周年を記念するにふさわしい大作、力作、傑作であった。正直に告白すると、実のところ、この劇団の公演を批評するのは私には難しい。というのも私自身が一観客として、この劇団から芝居の何たるかを多く学んでいるつもりなので、なかなか客観的に対象化できないからだ。しかし今回は、敢えて私が「犯友」に見出している魅力を、拙い言葉で綴ってみた。その魅力が伝わったかどうかなんとも心許ないが、諧謔に満ちながらも哀切な心情を喚起する「犯友」の劇世界に、是非一度あなたも足を運んでみてほしい。これこそが芝居である。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第20号、2006年12月13日発行。購読は登録ページから)

【筆者紹介】
大岡淳(おおおか・じゅん)
1970年兵庫県生まれ。演出家・演劇批評家・文化活動家。演劇ユニット「商品劇場」主宰、ミュージカルユニット「チューインガム過激弾」監督を経て、来春いよいよ劇団「普通劇場」を旗揚げする(4月24日・25日に麻布DIE PRATZEでブレヒト『闇の光明』を上演)。(財)静岡県舞台芸術センター(SPAC)芸術局企画運営委員。桐朋学園芸術短期大学、静岡文化芸術大学、河合塾COSMO東京校非常勤講師。先頃は、はままつ演劇・人形劇フェスティバル2006で演劇賞審査委員長を務めた。

【公演記録】
劇団犯罪友の会「かしげ傘」(創立30周年記念公演)
難波宮跡公園・野外特設劇場(10月19日-25日)
作・演出/武田一度

出演
中田彩葉 川本三吉
玉置稔 金城左岸 山田山未舟
滝波四級 桜井盤 寝屋原弓夏
紫壇双六 北山凛 怪人バース
デカルコ・マリィ 大場吉晃 藤崎小梅

第6回大阪野外演劇フェスティバル参加作品

【関連情報】
・「野外でたんのうする歴史ロマン」(西尾雅・culture critic clip
・かしげ傘(松岡永子・culture critic clip
mystic garden-Daisuke Igarashi Blog 【犯罪友の会】


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です