青年団リンク サンプル「シフト」

◎ナチュラリズムとナショナリズムの狭間で、ナラティヴは。
小澤英実(舞台批評)

サンプル「シフト」公演チラシ久しぶりにワクワクする作品に出逢った。青年団の松井周が、自身のユニット「サンプル」を立ち上げた、その旗揚げ公演「シフト」。そこで私が目の当たりにしたのは、「静かな演劇」のヴァリエーションのなかに留まっていたように思えた前作『地下室』から異なるステージに移行して、松井が自身の演出手法を見つけつつあること、そしてここに日本の小劇場演劇にとっての新しい声が生まれつつあるところだった。

松井の前作『地下室』では、登場人物たちに共有されている常識・価値・環境が、観客に歪みとわかる明確な違和として提示されていた。このポツドールに顕著な「どんでん返し」の手法は、あくまでリアリズムという土俵の上に立ってこそ成立するものだが、今作『シフト』ではそれがすべて「フィクション」の土俵での表現へと移行している。岡田利規はサンプルに寄せて「アクチュアリティを引き連れたままナチュラリズムの隘路をすり抜ける方法を考えるべき時期です。「サンプル」はその問題と正面から取り組むユニットと、きっとなってくれるでしょう」とコメントを寄せている。(註1) この岡田の言う「ナチュラリズム」に加えて、私はここに「ナショナリズム」という語も付け加えたいと思う。『シフト』における松井の手法の面白さは、物語ないし演出手法のレベル、演劇という表現形式のレベル、その双方で、「リアルvs.フィクション」および「日本vs.西洋」という図式を瓦解させたところにある。

舞台は裸電球の明かりに照らされたほの暗い空間。地面には一本の太縄がぐるりと円をなし、相撲の土俵をかたちづくっている。その円周内の頭上には、昭和や田舎を思わせるレトロな品々(ヤカンや世界地図やゲームウォッチなど)が無数に保存・陳列されて吊されている。物語は東京で出逢ったカップルが、田舎にある嫁の実家に戻って新婚生活を開始すると、娘婿がその土地の異様な因習(一族の勢力復活のための救世主を産み落とすための、近親相姦による動物的な交配)に直面するというもの。物語は、前半で描かれる「白子様」を降臨させる計略としての近親相姦の信仰(ひとまずそれを「フィクション」とする)と、観客の視点を共有する娘婿の吉田の常識(同様に「リアル」とする)とが対置されて進む。ところが後半になると、そこに唐突に、姉の晴子によるアントニアとブレッシェルの空想というもうひとつの「フィクション」がカウンター的に侵入してくる。最終的に吉田は嫁の家族側の信仰に洗脳され、視点的人物は誰もいなくなり、すべては笑劇(ファース)的な「フィクション」のなかに融和していく。

サンプル「シフト」公演の舞台
【写真は、サンプル「シフト」公演の舞台から。撮影=青木司。提供=サンプル】

また、登場人物たちが次々に繰り広げるモノローグ――観客に話者の内面を知らせる演劇的な約束事としての既存の独白とは異なり、松井のそれはあくまで観客の共感や読みに抵抗する、はた目にはちょっと頭のおかしい人にもみえる独り言であり、それ自体リアル(理性・常識・正常)とフィクション(狂気・虚構)のあわいにある――も、「日本の国技・相撲と土俵に象徴される鎖国状態の日本とそこに侵入する西洋文化との相克」という混沌の様相を指し示す道具立てとして機能している(敗戦を彷彿とさせる吉田のモノローグの一節(金八先生調の「負けてください。負けて、負けて、立っていられなくなる位、負けてください」)・妙な英語&外来語の多用(「いいかい。ラブの反対はヘイトじゃない。じゃあ、何だ?……アウト・オブ・サイトだよ。動詞じゃないんだよ」、「しかし、すごいな。メートルっていうのは。家具でも何でも全部メートルで表示してあるわけだからさ。トピカでは。ミリメートルとかセンチメートルとか全部メートルさんのおかげだもんな。あれ、フランスか?フランス人か」)・晴子のアンソニアとブレッシェルの自作物語etc)。(註2)

近年、排他的・閉鎖的な田舎を舞台に、真実と虚構の揺らぎを核に据えた物語(『シフト』に道具立てやエピソードが奇しくも異様に近似しているサウンドノヴェルゲーム『ひぐらしの鳴く頃に』や西川美和の映画『ゆれる』など)がジャンル横断的に描かれるという現象も、アクチュアルに物語の可能性が模索される日本の状況として捉えうるのかもしれない。日本のSF小説の新世代作品の総称として現れた「リアル・フィクション」というフレーズがまるで自家撞着的な語であるかにみえて、『シフト』という作品は、物語が「リアル」と「フィクション」が対立せずに接続する、その必然性と必要性とを、「ポスト静かな演劇」として提出したもののように思える。

前述した物語と演出手法のレベルにおいて、『シフト』が「リアル/フィクション」の図式を瓦解させて、岡田の言うごとく「アクチュアルでありつつナチュラリズムの隘路をすり抜けている」とすれば、日本の小劇場の演劇実践が、演劇という制度に「留まる」か「閉じ(ひき)こもる」かという二択の前で立ち往生しているいま、松井の描く「日本vs.西洋」の図式には、土俵が象徴する日本的な閉じた小劇場空間という舞台のなか、そのネオリベ化するナショナリズムの隘路をすり抜けて、小劇場演劇が日本で継続していく可能性の模索自体が上演されているとも言える。(註3)そしてこの問いにおける松井の決意が、結末の場面、相撲のルールをなし崩しながら組んずほぐれつして恍惚の表情を浮かべる役者たちのグロテスクな絡みあいのなかに、何よりも強烈に提示されているのだとすれば、新たに立ち上げられたユニット「サンプル」の未来に、演劇の未来を期待してもいい、と思う。
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第31号、2007年2月28日発行。購読は登録ページから)

(註1)http://www.agora-summit.com/2006w/sample.html
ちなみに上演後、岡田は自身のブログ上で「ほんとにこのコメント通り、いやそれ以上に僕が期待していたことをやっていて、びっくりした。しかも、ナチュラリズムの演技の質を、圧倒的に高いものにしていくことによって隘路をすりぬけるという、いちばん意外な、しかしもっとも堂々たるすりぬけ方だった」という感想を寄せてもいる。(チェルフィッチュブログ2
(註2)台詞の引用は上演台本による。台本の提供を快諾してくださった松井氏に記して感謝します。
(註3)演劇に「留まる/閉じこもる」に関しては、内野儀「芸術に留まる、芸術に閉じこもる」(『舞台芸術03』、京都造形大学舞台芸術センター)および、『舞台芸術11』(近刊)の拙稿を参照。

【筆者紹介】
小澤英実(おざわ・えいみ)
1977年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程。著訳書に『現代批評理論のすべて』(共著、新書館)、トム・ルッツ『働かない-怠けものと呼ばれた人たち』(共訳、青土社)、舞台批評に「破壊しに、と彼女は言う-ニブロール的身体のモード」(「ユリイカ:小劇場 」)など。個人サイト(http://www.geocities.jp/eimiozawa/)

【上演記録】
青年団リンク サンプル『シフト』-冬のサミット2006参加作品
http://www.seinendan.org/jpn/infolinks/infolinks061228.html
http://www.agora-summit.com/2006w/sample.html
作・演出/松井周
アトリエ春風舎(2007年1月26日-2月4日)

■出演
山村崇子
辻美奈子
古舘寛治
古屋隆太
小河原康二
石橋亜希子
荻野友里

■スタッフ
舞台美術:杉山至
照明:西本彩
衣装:小松陽佳留
舞台監督:小林智
宣伝美術:京
チラシ写真:momoko japan
制作:サンプル
総合プロデューサー:平田オリザ

★チケット料金 前売 2,000円 当日 2,500円
★ポストパフォーマンストーク
1月27日(土)19:00 サトウトシキ(映画監督)
1月31日(水)19:30 岡田利規(サミットディレクター、チェルフィッチュ主宰)


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