▽カトリ ヒデトシ(カトリ企画UR、演劇サイトPULL、舞台芸術批評)
★★
酷ないい回しになってほんとに申し訳ないと思うが、「こういうお芝居をやりたいんだったら、どうぞ。私は見ないけど」というのが偽らざる感想である。
本にも演出にも大きな傷があるわけではない。普通にちゃんとしている「お芝居」である。要はなにを演劇だと考え、なにを面白いと思うかということだ。「私の好きな芝居ではない」という言い方の方が個人の趣味嗜好へ還元されるので却って穏当だと思う。私には心が浮き立つようなことはなかったというだけのことである。
これを「お芝居」だと考える立場の人になら、作者は人物の描き方も模範的で、よく脚本の勉強してる。対立、葛藤、和解(解決)がきちんとあって、セリフ術をキチンと学び、それを過不足なくことばで表している。という推薦もできるだろう。これはこれで活躍できる場があるだろうし、この芝居を必要としてくれる人もあるだろう。それほどにはよくできている。(星は、薄い役でありながら重要な存在感を示したつついきえに一つ追加して二つ)
(5月11日観劇)
▽文月路実(編集者、ライター)
★★★★
小学校の教室を舞台に、保護者と教師による保護者会での議論を描いた会話劇。その小学校では、様々な職業の人を呼び、子どもたちに職業についての話を聞かせる「課外授業」を行っている。子どもたちにアンケートをとり、次回の課外授業で呼んでほしい職業を聞いたところ、一位になったのはなんと「キャバクラ嬢」。キャバクラ嬢を呼ぶのは倫理的によくないと主張する保護者。子どもの意見をもっと尊重すべきだと言う教師。さらには実際にキャバクラ嬢として働いている保護者も登場し、ますます議論は紛糾する。ついには各々の生き方にまで議論が及び─。何度も反転する激しい議論を聞いているうちに、登場人物たちとともに、私自身の価値観もグラグラ揺らいでくる。なにが正しくてなにが間違っているのか。どんな生き方が子どもたちに誇れるようなものなのか。観る者の価値観を揺るがせながら、最後は芝居のタイトルに立ち返ったフワッとした終わり方。見事です。
(5月11日19:30観劇)
▽福田夏樹(演劇ウォッチャー)
★★★☆(3.5)
保護者による職業紹介の授業を巡っての、保護者会での議論を扱う演劇。と聞くとお誂え向きだが、そんな皮を被りながら、露悪的なほど登場人物に本音を話させ、まとまろうとする議論もまとめない。なんとも意地が悪い演劇だ。
観劇後の感覚は、ポツドールのそれに似ているが、ポツドールはあくまでリアルに若者の俗悪さを暴きつつ、そんな俗悪な人間の愛らしさを描いている。一方、このガラス玉遊戯は、一見、良識のある人々の俗悪な姿をひたすらに暴き立てる。その視線は極めて冷徹だ。「建前では色々言っていても、本当はこんな汚いこと考えているんでしょ」という劇中の身も蓋もない議論は、空気を読むことへの皮肉に対し、「でも本音を話したら、「議論」の素地がない日本人は、喧嘩になってそれで終わるのじゃない?」と応答しているようにも思える。押し広げていくと、射程は意外に広い。
冷徹に性悪説にたって人間と人間の作る社会を暴くのは一つの稀有な才能だと思う。ただ、初見だった前作のあまりの救いのなさに比べ、突っ込みにより場の空気を和ませる存在を置くなど、いくらかマイルドにするための配慮が施されていた。
一応の理屈付けはあったが、ご都合主義的な展開に感じる点が散見されたところから星を減らし、3.5点。
(5月14日14:00観劇)
▽木俣冬(フリーライター)
★★★
達者だなあ! たとえるなら春の小川を流れる笹舟。ほどよい緩急を描きながらなめらかに登場人物の会話が進行、後半、強い流れに出会って一気に加速する。
小学校の保護者会に集まった教師と親と教師の卵の10人が長身細身、小柄、ふっくら、ハデめ…と多彩。教室内の会話劇で動きが出せない分、俳優個々の身体だけでもドラマが見える。
彼らが、子供たちが課外授業に呼びたがった職業のNO.1が「キャバ嬢」であることの是非を問い合う中、「建前と本音」「女の争い」が露に。そのモチーフはキャッチーだが平凡でフラッシュアイデアで書き進めた印象が拭えない。やがて大人たちが子供時代の「ピュアな記憶」に帰っていくという小心地よい結末を大事にするためのまもりだとしてももう一工夫欲しい。
教師を目指す女性に侍Tシャツをさりげなく着せるセンスが無性に気になるし、ほうぼうにゆかしさが立ちのぼる。そこを意識し過ぎても良さがなくなる気もするし…塩梅が今後の課題か。
(5月11日19:30観劇)
▽高野しのぶ(現代演劇ウォッチャー/「しのぶの演劇レビュー」主宰)
★★★☆(3.5)
課外授業にキャバ嬢を呼んで欲しいという、10歳の子供たちの希望に応えるべきか否か。教師と保護者らは各人の良識と人生経験を賭けて、文字通り戦う。脆弱なエゴ、保身ゆえの悪意がぶつかり合い、登場人物のよそ行きの仮面がはがれていくのが痛快だ。
前半は寡黙なキャバ嬢の一人勝ちだったが、やがて会計事務所職員の偽善的態度に激高して余裕のなさを露呈する。立場が二転三転するスリリングなパワーゲームが、観客の興味を惹きつけた。
ただ、いくらボランティアでも子供を持つ親は忙しい。卒業文集を探すのに加え、会議続行に同意するのはのん気すぎるだろう。今後親たちが教壇に立つことで予測不可能なことが次々と起こるはずだから、和やかな音楽を流して丸く治めたラストは説得力に欠ける。
しかしながら、これが4作目という作・演出の大橋秀和氏は今後に期待できる劇作家だと思う。脚本に対して俳優が力量不足なのは小劇場団体によくあること。照明や音響等の演出も冒険して欲しい。
(5月12日観劇)
▽宮本起代子(因幡屋通信発行人)
★★★
保護者の出席がわずか6名で重要事項の話し合いをすることに素朴な疑問を抱く。また休憩時間が過ぎたのに担任教師や教頭が部屋になかなか戻ってこなかったことに対して、当人たちや周囲が何も言わないのも不自然だ。しかしこれらは結果的に大きな躓きにはならず、終始舞台に引きつけられた。
最大の見せ場は現役キャバ嬢のシングルマザーと、公認会計士になれなかった良妻賢母の大激論だ。どちらの言い分にも一理あり、相手を批判する気持ちもわかる。どちらが絶対正しいという結論の出ないやりとりは、いちばん言いたくないことが、実は最も言いたかったことであるという矛盾とやりきれなさを鮮やかに描いており、生き方も教育方針も異なる2人の母親が、いつかは歩みよって理解しあえる日が訪れるのではないか、そうなってくれたらと願いたくなるものであった。
敢えて野暮は言わず、劇作家の素直な筆致と俳優陣の懸命な演技を受けとめて、上記の星数とする。
(5月12日観劇)
▽都留由子(ワンダーランド)
★★★
小学校の課外授業を担当するボランティアと教師の会議が舞台。子どもたちが呼んでほしい職業の一位はキャバクラ嬢。とんでもないと言うまじめな良識派、呼べばいいじゃん!と思うヤンママ保護者、教員志望でキャバクラでアルバイトをしているボランティア学生、穏便に収めたい教師などに、実際にキャバ嬢をしている保護者が加わり、会議は紛糾する。良識派が隠している差別意識が明らかになり、キャバ嬢シングルマザーと対決する筋立ては想定の範囲内であるが、役者の個性とも合っていて面白く見せた。どう行き着くのか期待していたが、何だかはっきりしないうちにキャバママが出勤してしまう展開はちょっと残念。また、子どもたちのアンケート(しかも記名)を無断で保護者に見せてしまうとか、遅刻しても何の挨拶もない教師とか、教師は上履きっぽいものを履いているのに保護者は土足とか、つまらぬことが妙に気になり居心地が悪かった。(5月11日観劇)
▽大泉尚子(ワンダーランド)
★★
起承転結のある舞台を、久しぶりに見た気がする。いろいろな職業について話を聞くという課外授業の計画を立てるため、父母の有志が学校に集まっている。ところが、子供たちに希望を聞くアンケートでは、何とキャバクラ嬢が1位になっており、しかも、実際にキャバクラに勤めている母親が、すっかりその気になって乗り込んできて…という騒動。はじめは、学校で水商売の話なんてとんでもないと強硬に反対していた母親たちが、キャバ嬢ママやそのシンパと意見をぶつけ合ううち、語ってもらおうじゃないですか、私負けませんからと、気持ちを「前向きに」切り替えていくところが〈転〉の部分。職業一覧には載らないが、現実に存在する人の生業についての突っ込んだやりとりは、きめ細かく丁寧に描かれている印象。ただ、皆がひたむきに生きる人になってしまった時点で、予定調和を感じさせたのが残念。そしてこういう、よく書き込まれたTVドラマのようなストーリーで説得力を持たせるのは、意外に大変なのだということに、今さらながらに気付かされた。
(5月11日観劇)
▽徳永京子(演劇ジャーナリスト)
★★★☆(3.5)
舞台の両脇に白くて背の高い木のセットが立っている。小学校の教室を舞台に進むストーリーとはまったく絡まない。だがこの木こそが、作品の隠れた主役だろう。
課外授業の「どんな仕事をする人の話が聞きたいか」の子供アンケートで、キャバクラ嬢が1位になった。キャバクラ嬢の話を子供に聞かせるか否かの話し合いで、それまで取り繕われていた親と教師の本音が露わになる─。反対派、賛成派、それぞれの意見と背景。ひっくり返るその比率。三谷幸喜の『12人の優しい日本人』を思わせる、数(多数決)と質(中身)の問題を、作・演出の大橋秀和は、絶妙なタイミングと自然なせりふで構築し、嫌味なく「ひとりも悪人はいない」を紡いでいく。
だが、いくら生々しく大人達のやり取りが描かれても、この作品の成否が、子供の視線をどう舞台に持ち込むかであることは明らか。実は未熟で傷付きやすい大人達を物言わず見つめる存在。それが2本の木だ。美術の坂本遼と大橋の間にそうした打ち合わせがあったかどうか、私は知らない。だが結果的にでも、物語が複層的に広がって舞台に存在したという点で、この作品は確実に豊かだった。惜しいのはタイトル。「見ればわかる」も結構だが、「見たくなる」タイトルを付けることも、重要な劇作家の仕事だ。
(5月14日19:30観劇)
▽北嶋孝(ワンダーランド)
★★
小学校の課外授業で知りたい職業を子供たちに尋ねたら、キャバクラ嬢が1位に選ばれた、さあどうしようという保護者会のドタバタ劇。うーむ。舞台はテレビドラマと違って、放送コード内で勝負する必要はないのだから、脚本優等生のルールや作法にこだわらなくていいのではないか。折角の才能がもったいない。というわけで、どうしたらもっとえぐい話になるか前向きに(?)提案型のコメントを考えてみた。
例えば、話す気満々のキャバクラお母さんに、その場で「仮授業」してもらったらどうか。仕事の具体的な手順とやり方、職場のイジメや友情、収入はどれぐらいでどう決まるか、客のあしらい方とその破綻、などなど。ぼかしもモザイクもなし。そのうえで課外授業にできるかどうか判断する-。キャバクラ店でアルバイトしているという女子学生にも、生唾体験を話してもらおうではないか。その手の行為が家庭でならOKで、お店ではなぜダメなのかというあたりまで乱反射させてみようか…。
売買春と区別しがたい(性)風俗の話を追い込んでいくと、危険度は底なし沼の「レベル7」になるだろう。それを、花瓶に生けた切り花のように扱ってはつまらない。ぼくらの常識がメルトダウンしそうになるぐらい、攻めて責めて迫ってほしい!
(5月11日観劇)
【上演記録】
ガラス玉遊戯 vol.4 「わたしのゆめ」
下北沢「劇」小劇場(2011年5月11日-15日)
作・演出:大橋秀和
【 キャスト 】
龍田 知美 / 櫻井 幸瑠 / 齋藤 友恵 / 山口 真由子 / 与古田 千晃 / 金井 千佳 / 星野 恵亮(Nの2乗) / つついきえ(ボクキエダモノ) / 村上 亜利沙 / ヲギサトシ
【スタッフ】
舞台監督:本間剛史
音響:高沼薫
照明:工藤雅弘
照明操作:横井祐輔
舞台美術:坂本遼
宣伝美術:南裕子
舞台写真:キベジュンイチロウ
制作:はっとりゆみえ 鈴木佳代
プロデュース:T1プロジェクト
協力:Nの2乗、六戸堂、劇団与太組、劇団印象、まつながかよこ、鈴木アツト、土居歩、塩田友克、こうのみか、渡辺かな子、荒井絵里子、浅見絵梨子、佐藤友佳子、さわだまき、宮本裕子、橘ゆり、詩森ろば、川口俊和、ワンダーランド、CoRich舞台芸術、その他
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