趣向「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」(クロスレビュー挑戦編第6回)

 趣向は2010年、オノマリコの一人ユニットとして活動開始。「物語を通じて、人間の内部の小さな震えと人間の外部の大きなうねりを同時に見せる」(企画書)のが特色のようです。今回は、出身の東京女子大で実際に起きた体育館保存運動を取り上げつつ「場所をテーマにした演劇」を企んだそうですが、その舞台はどうだったのでしょう。レビューは、★印による5段階評価と400字コメントです。掲載は到着順。(編集部)

山田ちよ(演劇ライター)
 ★★★★
 歴史的価値のある体育館の解体を阻むため、女子大生が行動を起こす、という筋はあるものの、「沈黙」「平穏」などの役名、現実か幻想かあいまいな人物の登場などから、リアルな芝居とは言い切れない。この微妙な脚本を演出がうまく引き立てる。舞台上に何も置かず、照明だけで変化を付け、その中を白に統一された衣装の俳優が回り、時に様式的な動きも見せる。このように、視覚の上で抽象にこだわったことで、逆にせりふのリアリティーが際立つ、といった効果を生んだ。
 ただし、せりふを聞かせるという点で、何もない舞台は不都合だったようだ。劇場スタッフの話では、主催公演では技術的なことに関わるが、今回は1月の開館後、初の貸し館公演で、その辺のコントロールは利かなかった、という。できたての劇場の悩みとも言える。女たちのおしゃべり中、突然、男が現れる場面も、この空間をよく研究すれば、もっとインパクトが出せたのでは、と悔やまれた。
(5月21日18:30 観劇)

福田夏樹(演劇ウォッチャー)
 ★★★★
 余白の広い舞台だった。パフォーミングスペースに舞台美術は何も置かれず、大部分は色のない照明で、舞台空間が作り上げられる。衣装は8人全員白のワンピース。裸足。裸足で駆け回るときの独特の足音が、女子大生の瑞々しさを象徴し、体育館の思い出を呼び起こさせる。それが作品の背景を確かなものとしていた。
 物語は、大学に通ったものなら誰でも経験したような、何気ない大学生活に関するもの。抽象的な名前をつけられた登場人物には、大学生活にありがちな葛藤が重ね合わせられる。大学時代は社会に出る準備期間でもある。解体されゆく体育館を守ろうとする運動についても、大学生活の日常から生まれる。こつこつと積み重ねられる運動に、かつての運動のような仰々しさはない。でもだからこそ、今を生きるわれわれの胸にもすっと入り込む。
 星を一つ減らしているのは、胸に迫る何かを見出せなかったから。でもそれは観劇時に疲れきっていた私の集中力の問題だったかもしれません。
(5月21日18:30 観劇)

岡野宏文(ライター&エディター、元「新劇」編集長)
 ★★★★
 時間というものは「過去」の顔しかもっていない。未来とはまだなにものも決定しない夢想であり、現在は瞬く間のデジタルな連続でしかない。それゆえ、人の命に流れたかけがえのない時間の正体を見極めようとする本作のごとき芝居の場合、「私は~でした」と過去形のナラティブに終局的にはゆきつく。
 だが今生きているという「生の実感」はそれを許さず、空間が命を奪還しかえそうと試みる。舞台空間がとても大きかったのはたぶんそのせいだ。九人の女子大生の日々のふるまいを精緻にヴィヴィッドに描きわけ、なおかつカタログにならなかったのは作者の勝利だろう。群像劇でなく時間劇を企んだのがよかった。ただ一つ、セリフが対立せずパラレルになりがちなため、一つのことをいうのに、シーンが二つ必要になるのが惜しかった。
(5月22日18:30 観劇)

水牛健太郎(ワンダーランド)
 ★★★★
 広いがらんとした空間を、白い服の女子学生たちが疾走する。流れ過ぎる4年の月日と競走するみたいに。オノマリコの硬質で美しいセリフと黒澤世莉の採用した「走
る」演出が、彼女たちの永遠と刹那を私の心に焼き付けた。
 本気で期待できるって幸せなことだ。邪悪すぎてとうてい上演できないようなホンを書いていた習作時代からオノマリコの成長を見守ることができた幸運は、私のぱっとしない評論家生活の数少ない光。これからもっと自慢できるようになりそう。そんな嬉しい手ごたえを感じた作品だった。
 今回の公演にも不満はある。長すぎる。セリフがところどころ聞こえにくい。歴史との接続が生煮え。何よりも、投じられた膨大なエネルギーと作品の質に見合わぬ3日4公演というスケジュール。
  もっと美しいものを、もっともっと美しいものを見せてほしい。オノマリコに望むことはそれだけ。オノマリコならできるはず。大きな期待を込めて今回は★4つ。
(5月22日13:30 観劇)

片山幹生(仏文学)
 ★★★★
 人一倍鋭敏な感受性と強い自意識をもてあましながら、人生に立ち向かおうとする九人の私立女子大の女子大生の入学から卒業までの物語。各人物を「息吹」、「癇癪」、「奔放」といった寓意で表現するという着想が素晴らしい。寓意的命名によって抽象的存在となった彼女たちの発する声はそれぞれ異なる音階を響かせる楽器のようだ。各々が奏でる澄んだ音の重なりが硬質で緊張感のあるハーモニーを舞台上に作り出す。演出家は、照明の効果と役者の動き以外の視覚表現をそぎ落としたストイックな表現を選択することで、純度のきわめて高い結晶のような美しさをテクストから引き出すことに成功していた。この戯曲では何らかの「救い」が各人物に暗示されているように見える。しかし日常のなかに埋没し、報われぬままある種の絶望と諦めのなかで現実を生きているマジョリティの存在が思い浮かび、劇場からの帰りの道すがら心が沈んだ。鼻につくほどではないが、戯曲、演出ともにその巧さゆえに少々冷ややかな印象が残る作品でもあった。
(5月22日18:30 観劇)

河合祥一郎(東京大学教授)
★★★★
 建築家レーモンドが建てた東京女子大学の旧体育館が、反対運動にもかかわらず2009年7月に解体された。芝居はその事実関係には深く立ち入らず、旧体育館を守るべく学生が論文を書いて解体を見直す運動を起こした時代、女子大生9人のそれぞれの大学生活をスタイリッシュに描く。神奈川芸術劇場大スタジオの何もない空間を照明だけで区切り、光の中へ駆け込む若い女優たちの躍動感と台詞のテンポの良さで「今この時」を現出する一方、さいたまゴールド・シアターのメンバーの参加も得て、長い時間軸も示した。過去がぎっしり詰まった旧体育館は結局解体されてしまい、「今」は刻々と解体されて「過去」となってしまう。物語らしき物語はないが、清水久美子と辻村優子が爽やかに演じる幼馴染みが話の核となり、二人の心に亀裂が入るクライマックスが、過去を捨てて前へ進まなければならない切なさを巧みに表現して秀逸であった。
(5月23日 観劇)

都留由子(ワンダーランド)
★★★☆(3.5)
 何もない広い空間に照明の変化だけが舞台装置。9人の女優は全員白のワンピースに裸足、登退場はダッシュ。由緒ある女子大に入学した学生たちが描かれる。どの講義を取るか迷い、新しい友だちを作る、ありふれた大学生活が始まる。しかし、舞台はどこにでもあるようには進行しない。旧体育館の解体に反対して起きた現在の反対運動と、かつてそこにあった過去の青春が切れ目なく描かれる。両者をつなぐのは、過去から現在まで在学し続けている二人である。特に注目もされず、名づけられもしないまま、その場所に積み重なってきた若い女性たちの時間が目の前に現われて、目が離せなかった。「奔放」「平穏」など登場人物の名前は象徴として使われたのだと思うが、象徴と説明の違いがよく分からなかったこと、音響のせいか台詞が聞き取れないところがあったことが残念だったけれど、清潔で硬質な舞台ははるか高みを目指していることが感じられ、見ごたえがあった。
(年5月21日 観劇)

後藤明日香(学芸員)
 ★★★
 題の割に旧体のエピソードが生かし切れていないのが残念。でも俳優陣は個性的で演出も面白く、過去から未来へという時間の概念の描写も興味深い。結局もう一度観たいと思わされた。
ただ、この大学の関係者以外の観客にどこまで響くのだろうか。若い女性たちの感情や葛藤を主題にした作品の多くは、女子高を舞台とする。一方この作品では女子大。比較的幼い段階で行われるべき通過儀礼が、女子大という保護されたぬるい空間で4年間行われた後、彼女たちはようやく社会に出ていく。ある男性にこの舞台の話をした際、「自分の周りは大学に何をしに来たか、社会に出て何をしようか決めている人がほとんどだった」と言われた。そうした客層に通じるものは何か。女子大での4年間は、卒業生である我々にとっては居心地良くのびのびと過ごせる不思議な時間と空間だった。共学の大学に通った女性はこの舞台をどのように観たのか聞いてみたい。
(5月22日13:30 観劇)

永岡幸子(社会人学生)
 ★★★★
 素舞台に現れる、デザイン違いの白いワンピースに身を包んだ女性達。哲学、奔放、息吹などキャラクターを体現する名をもつ彼女らは、芝生や学生寮や、のちに取り壊される体育館を裸足で駆け抜ける。彼女らと共に、時間も駆けるように過ぎ去る。長いようで短い学生時代と同様に。
 後半、体育館だけでなく、彼女らの友人関係も「解体され」る。幼なじみの息吹、敬虔、奔放は徐々に距離が遠のく。女の子同士の付き合いは難しい。傍目には仲良しでも互いに嫌っていたり、嫉妬が渦巻いたりするものだ。奔放は高校時代の恋を振り返り、「あの子が好きだと言ったのが(敬虔ではなく)息吹でよかった」と吐露する。この台詞には少女漫画を読んで共感するときのようにグッとこみ上げるものがあり、号泣しそうになった。
 ところで、開演前の舞台にはグリーンの照明。芝生かと思いぼんやり眺めたが、終演後にはそれが旧体育館跡だと気付かされた。やるなあ!
(5月22日18:30 観劇)

宮本起代子因幡屋通信発行人)
 ★★☆(2.5)
 母校の思い出や友人との出会いなどの体験を、劇作家がさまざまに発酵させ浄化させて戯曲に書きあげ、演出家がしなやかに読み解いて、装置も小道具もない簡素な舞台で、幻想的な時空間を構築することに成功した。
 劇作家と演出家の幸福な出会いが結実した舞台であろう。
 白い衣装をまとった女優たちは生き生きと魅力的だ。しかし「何を描くか」、「このことを演劇にしたい」という思いは確かに伝わってきたが、「どのようにみせるか」という手法的な面に、より重点が置かれた印象が残る。
 日常生活の点描が続く前半はやや冗長で、年配の女優が演じる女子大生によって物語が過去にさかのぼり、彼女たちが上演した『修善寺物語』が絡んで時空間が複雑に錯綜するあたりから、さらに深くもっと大胆に展開させることが可能なのではないか。
 今回が初見の劇作家である。細い糸を一本いっぽん繊細に編み込み、次第に大きく強靭な布が織られていくような対話劇を期待したい。
(5月23日 観劇)

齋藤理一郎(会社員)
 ★★★★☆(4.5)
 素舞台での瑞々しく豊かな表現に瞠目しました。
 白い衣装を素のキャラクターを表わす武器となしうるだけの力量が役者たちにはあって、キャラクター達の個性やそれぞれの想いが役者たちの身体からあふれ出してくる。
 身体の動きと言葉で編みあげられていくいくつもの風景、大学時代の快活な時間や緩慢な時間、満ちることのない思いへの苛立ちや満ちてさらに溢れだす感情、子守唄の如き癒し。
 あっけなく流れていく季節と一人ひとりの変化。
 気が付けば広い舞台空間が彼女達の過ごした日々に満ちていて。
 旧体育館解体への反対運動から紐解かれる別の時代の姿に、その場所に醸されるものの普遍性が浮かび上がり、さらにその時間の質感が広がる。
 卒業時点から眺める未来のあいまいさが、その時間を封じ込める。
 絵に描いても写真や映像に落とし込んでもしぼんでしまうような、演劇だからこそ表わしうる感覚に、強く深く心を奪われてしまいました。
(5月22日18:30 観劇)

大泉尚子(ワンダーランド)
 ★★★☆(星3.5)
 確かに学校には、さまざまな思い出とそれにまつわる匂いが染みついた小空間が点在するのだ。「門をくぐっただけでは見えない場所」のその匂いは、同じ時を過ごした者同士にしか嗅ぎ分けられない。そんな共有感を、固有名詞ではない「敬虔」「平穏」「沈黙」…といった役名の女性たちの関係性で描き出していく。時間というフィルターで濾過された〈普遍的な〉世界を垣間見せようという意欲的な作品だ。
 若い女性が全力疾走で坂を登るTV番組があり、単純明快な着眼点に舌を巻くが、こちらは、登退場時の素足で駆けてくる足さばきと音が印象的。役名のネーミングや、衣装が女性全員シンプルな白のワンピースなのは、ちょっとギリシア神話を連想させ、装置なしの照明のみで立体感を生み出しているところにも、寓話的なイメージが浮かぶ。ただ、過去の出来事-マルクスを隠れて回し読みし投獄され転向という流れや、現代の女子大生2人の確執が露わになってくるところなど、その神話性・普遍性とどう切り結ぶのか、やや曖昧になってしまった感が否めない。構えが大きい戯曲、さらに凝縮度が高まることを期待したい。
(5月21日18:30 観劇)

今井克佳(大学教員)
 ★★★★
 まっさらな舞台と、白い衣装の女優たち、照明とわずかな音響のみのシンプルさで、女優たちのビビットな声と身体が浮かび上がり交錯する詩的な舞台だった。まさに、脚本(初稿)に記された「コールドバレエの演劇化」といえる。黒澤演出ではリアリズム的な『廃墟』を最近見ていたので、彼の幅広い演出手腕に驚かされた。オノマリコの書く、キリスト教系女子大の寮という特殊な空間での学生群像は、ヨーロッパ映画風とも感じられ、男の私はそれを楽しんだ。女性ならにきっと誰かに感情移入しただろう。女優たちのキャラクターはそれぞれに個性的で生き生きと存在が伝わった。ただ、これだけの広がりを持つ戯曲は詩的な断片で構成されているとはいえ、もう少し書き込めるのではないかとも思う。特に現在と過去の対比が際立ってもよかったのではないか。また、今回はモデルとなった大学の持つ文化的蓄積があればこそかけた物語ともいえる。今後の劇作に注目したい。
(5月21日18:30 観劇)

田中綾乃(大学教員・演劇批評)
 ★★★
 KAATのブラックボックスの中に、真っ白な衣装を纏った少女たちが浮かび上がる。白い衣装は、無垢のイメージ。舞台は、女子大での学生生活という限定された時空間の中で、少女たちそれぞれの日常(負の感情までも)が純化されて描かれている。
 演出の黒澤は、登場人物の少女たちを全速力で疾走させる。それは、彼女たちの甘美な日常が、風のように一瞬で駆け抜け、消え去るかのようである。そして、時に観念的な台詞や役名が並ぶ劇作家オノマの言葉は、詩のような響きを持つ。
 だが、この作品がどこか物足りないのは、女子大の物語を通して描出しようとしたその先の<世界>が見えない点だ。旧体育館の解体という実話も、エピソード的なものでしかない。そこで描きたかったであろう<記憶>や<歴史>の解体までは、残念ながら踏み込めていない。
 個別的な事象から普遍的なものをいかに表現するのか、というのは、哲学的には、中世の「普遍論争」以来の課題であるが、心に刻み込まれる演劇作品とは、個別的な出来事の中に、普遍的なるものを見出した時だ。これは、今回の舞台のモデルとなった女子大で、学生時代、<哲学>と<演劇>について考えていた私の想いでもあるが。美しい舞台だけに、その余韻にもう少し深みが欲しかった。
(5月22日18:30 観劇)

プルサーマル・フジコ(BricolaQ主宰)
 ★★☆(2.5)
 時空を超えたいとゆう野心は感じる。登場人物たちの「名前」に象徴される戯曲の抽象度も素敵だ。しかしすでに滅んでしまった旧「文学」への憧憬に足を取られて囚われた、との印象が拭えない。メジャーどころの文学者や哲学者の名前を次々と記号的に消費していくのは、惰性的に滅びゆく「文学」に無邪気に荷担する行為のように見えてしまう。その悪意の無さのせいか、彼女たちの吐露する悩みも、想像の範囲内を出ていかなかった。プラトンでも、デカルトでも、二十歳の女の子でもいいけど、たったひとりの人間(たち)が何ものかに出くわしてしまう時の、その、うまく言えないが、鍵爪、のようなものがあれば…。
 演出家については、この脚本家・俳優との相性は決して悪くないと思うけど、今回は、台本、俳優、そしてジャンルとしての「演劇」を、無条件に愛しすぎてしまったのではないか? できるかぎり虚心に耳を澄ませてみたつもりではあるけど、何かに対峙するスリルから生まれてくる音楽のようなもの、つまりは世界を打ち鳴らすビート、背徳のグルーヴといったものは、最後まで聞こえてはこなかった。いくつかの、ファニーなところは、よかったけど。
(5月22日18:30 観劇)

徳永京子(演劇ジャーナリスト)
 ★★★☆(3.5)
 歴史を、資料を調べました、という外枠からでなく、生活者達の瑞々しい主観を紡いで描いたオノマリコの脚本は素晴らしい。さらにオノマは、登場人物それぞれのプロフィールを深追いせず、9人の女性をあくまでも、現在から派生する“点”で描写した。だから彼女達の、はしゃぎ、悩み、もがく姿が愛おしく、その生態が時空を超えて歴史とシンクロした時には、とんでもないレベルに到達するかも、と期待した。だがその直後、なぜか唐突に、幼なじみへのコンプレックスという凡庸な話へとスライドしてしまい、それまでの奔放さと完成度の両立がスペクタクルだっただけに、面くらいつつ落胆した。
 細胞が弾けるような女子大生達の生命力を、セットも音楽も潔く排除して、裸足が駆ける足音で描写した黒澤世莉の演出はクレバー。学生のひとりとして存在しながら、他の登場人物の内省の声としても存在する○○(という役名)の扱いにも舌を巻いた。だが、主人公のキャラクターに次第に既視感を覚え、高い評価に踏み切れなかった。長身で訥々とした喋り方の天然系を、私は黒澤が作・演出して別の女優が演じた作品で何度か見ている。今作が黒澤の脚本なら、曲げられない趣味なのだろうと微笑ましく思えたのだが……。
(5月21日18:30 観劇)

文月路実(編集者、ライター)
 ★★★★☆(4.5)
 「時間」を描いた芝居だと思った。舞台では4年間という時間を描いているが、芝居を観ている間は舞台とは別の時間軸が存在していて、観ながら私の思考は勝手に過去へと飛んだりした。芝居を楽しみながら、頭のなかで自在に自分の時間を行き来する-それが可能な自由さと豊かさがこの作品にはあった。
 実在した東京女子大学の旧体育館取り壊しにまつわるエピソードを軸に、9人の女子学生それぞれの学生生活を描いた芝居。真っ黒な広い素舞台にスポットが当たり、白い衣裳をつけた少女たちが疾走する。学生時代というのは特別な時間だ。気がつくと指の間からぽろぽろとこぼれ落ちているような奇跡の時間だ。そんな4年間を、少女たちは軽やかに走り抜けていく。入学し、学生寮に入って新しい友達ができたり、勉強したりサボったり、彼氏を作ったり、旧体育館を残すために運動したり、友達に嫉妬して自分に絶望したり……。一人ひとり抱えているものは違っていても、登場人物の誰かには共感できるような普遍性がある。あっという間に通り過ぎてしまう時間。その一瞬一瞬が愛しいと思える舞台だった。
(5月23日13:30観劇)

北嶋孝(ワンダーランド)
 ★★★
 9人の女子大生を抽象名詞として登場させるアイデア、手際のよい群像の書き分けなどに目を見張り、スポットの光と周辺の闇を効果的に使った演出にも助けられて、新しい才能がはばたく現場に居合わせたという昂揚感があった。しかしそのその高揚感はフェロモンのせいだったかもしれないとも思う。
 体育館を彷彿とさせる大スタジオの高い天井とだだっ広い空間を、白のワンピース姿に裸足で走り回れば、そりゃあフェロモンはまき散らされるでしょう。抽象名詞ではあっても登場するのはあくまで女子大生。「女子高」といっても通りそうな「女の園」なのだ。配役を男子にすげ替えたら成立しない。異国の人たちの手で上演されるのも想像しにくいだろう。
 しかも由緒ある建物を取り上げながら、学内の歴史を語るのが「平穏」一人。秩序も処分も姿を現すことなく、戦前戦中はインターナショナルの合唱とともに駆け足で通り過ぎてしまう。歴史物語を欲望しているわけではない。しかし学園がしばしば「闘争」の場であった折々の時期を仄聞している身としては物足りない。できうればもっとフェロモンを。学生生活を回顧も浄化もしたくないオジサンとしては、強烈なフェロモンに浸ってしばし酔いしれたい。
(5月22日18:30 観劇)

【上演記録】
趣向解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話

神奈川芸術劇場(KAAT)大スタジオ(2011年5月21日-23日)
作:オノマリコ(趣向)
演出:黒澤 世莉(時間堂)

出演:
息吹 窪田優
敬虔 清水久美子
奔放 辻村優子
哲学 サキヒナタ
癇癪 米沢絵美
沈黙 岩井晶子
平穏 上村正子(さいたまゴールド・シアター)
飴玉 熊川ふみ(範宙遊泳)
○○ 菊池美里

スタッフ
ドラマトゥルク:小栗剛(キコ qui-co.)
照明:和田秀憲
音響:鶴岡泰三
舞台監督:桜井健太郎
宣伝美術: 杉崎壮一(FRAN)原瑞穂
制作:浅見絵梨子
企画:趣向企画班 (オノマリコ、岩井晶子、佐々木啓成、米沢絵美 )


「趣向「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」(クロスレビュー挑戦編第6回)」への5件のフィードバック

  1. ピンバック: seri kurosawa
  2. ピンバック: 浅見 絵梨子
  3. ピンバック: 川口総司
  4. ピンバック: 清水久美子
  5. ピンバック: Ayano Tanaka

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