ロロ「父母姉僕弟君」(クロスレビュー佐藤佐吉演劇祭編 6)

 自分たちを「劇団」といわずに「カンパニー」という平均年齢20歳代前半のメンバー。「同時多発的に交錯する情報過多なストーリーを、さらに猥雑でハイスピードな演出で、まったく新しい爽やかな物語へと昇華させる作品が特徴的」とWebサイトにある。これまでロロの舞台は「ボーイ・ミーツ・ガール」路線が多かったが、今回の舞台は…。レビューは5つ★の採点と400字コメント。掲載は到着順。レビュー末尾の括弧内は観劇日時です。(編集部)


堀里美(主婦)
 ★★★★★

ロロ「父母姉僕弟君」公演チラシ
「父母姉僕弟君」公演チラシ

 ロロの「父母姉僕弟君」の粗筋を無理矢理要約すると、『「僕」が死んでしまった恋人との失われてゆく記憶をたどり、旅をする話』である。全くもって陳腐でありふれた話としてしか要約出来ないが、展開と個々の設定は見るものの予想を裏切り続ける。要約出来ず取りこぼされる部分の中にこそ、ロロの(あるいは三浦直之の)特異な作家性が炸裂しており、それを見ていないものに説明することは殆ど不可能。(大江健三郎とかだったら易々と言語化しちゃうかもしれませんけど。)「舞台でしか出来ないこと」に彩られた芝居であり、演劇の面白さ、ワクワク感を激しく感じさせてくれる作品。個別の場面と登場人物は「何言ってやがんのこいつ?」と思うことばかりなのに、最終的に「伝えたいこと」だけはものすごく強く伝わる。殆どの場面が馬鹿馬鹿しいのに、最後には泣けます。
(8月10日 19:30の回)

小林重幸(放送エンジニア)
 ★★★
 おしゃれなロードムービーのような形式で語られる愛の話は、しかし、時間軸が入り乱れ、どうやら何年も、何世代にも渡って出会いと別れを繰り返しているようで、輪廻転生、曼荼羅模様の様相。「好き好き、愛してる」と現在の気持ちを語るだけではなくて、出会ってしまったことの偶然・必然や、別れてしまった・死んでしまった後の残影にも思いを馳せることで、相手を想う気持ちの深さが滲み出ていて魅力的な物語である。
 舞台上のお遊びは、今回やや淡白ではある。しかし、ラストに登場する情景は、それまでの物語を全て包み込んでそこに収斂し、さらに次の物語へと続くことも想像させ、ファンタジックであり、美しい。
 これまでは力ずくで「愛」を表現してきた感もあったが、本作品は観客の想像力を信じ、委ねる部分が多くなっており、戯曲により厚みと味わいが出てきたと感じた。
(8月12日 14:00の回)

増田景子(学生)
 ★★★
 なにかをイメージするということは、なにかを思い出すということと極めて近い。ベニヤ板の壁に向かって台詞をいうキッドの姿を見ながら、ふとそんなことが頭をよぎった。そう感じたのは、「大きな木」の下での「天球」との出会いを、彼の言葉をたよりに想像していた時だ。つまり、ベニヤ板の向こうに広がっていてほしい風景を、観客である私の記憶にある適当な「大きな木」と「天球」の画像に、風にそよぐ草なんかの補正を加えて、脳内再生をしていた時である。
 そこに喝が入る。バリッ。こちらの想像を打ち壊すかのようにキッドがバットで壁に穴を開けはじめたのだ。その穴の向こうには光しか見えない。と思いきや、壁はひらき、私の想像とは異なる大きな木と天球がそこにはあった。
 記憶(想像)と現実の齟齬を知らしめるラストだが、ベタに想像してしまったこちらに、ベタ返しではなく、塞げない穴が開く程のもっと強烈な一発返しをしてほしかった気もする。
(8月13日 19:30の回)

大泉尚子(ワンダーランド)
 ★★★★
 最愛の妻を亡くした男が「大きな栗の木の下」を目指してドライブを続ける。途中で拾った、いろいろ訳ありげな何人かとは擬似家族の様相を呈するのだが…。
 ロロらしくないなあというシーンがあった。ラスト近くで、男がみんなとあっさり別れると、ベニヤで作られた巨大な門が舞台をとざすように閉まり、独りその前に残される。彼はやおらバットを振り上げて門の一部をぶち破り、その奥から強い光が射してくる。まるで宗教画のように―。門が開かれると、そこには大きな木が聳え立ち、全員が目をつぶって座り込んでいる。ロロのよさは拡散の魅力だと思っていたが、ここは、一点にギューッと凝縮する収斂的な場面。一瞬、みんな父親に惨殺されたのではないかとも思えたが、家族に潜む暴力性というものを瞬間的にあぶり出し、さらには“過去でも現在でも未来でもあるという時間”の具現化の可能性を垣間見せて、新たな力量を感じた。
 もちろん、いつものあっちゃこっちゃに飛んでいく放散的な楽しさも全面展開。パロディにして徹底的に笑いのめしながら好きというひたむきさをも伝える。クールとホット、ウソとホント、そのどっちかに軸足があるというのではなく、同時に存在するところにグッと心を掴まれた。
(8月12日 14:00の回)

都留由子(ワンダーランド)
(星なし)
 大事なものが目の前から消えてしまったら、それを覚えておくためには記憶を更新し続けるしかない。更新されない記憶はいつか失われてしまい、誰にも思い出されなくなったものはその時こそ本当に失われてしまう。結婚したばかりの妻を失った若い夫は、だから、つかず離れずついてくる天使になった妻とともに、ふたりが最初に出会った大きな木を目指す。そしてもちろんその途中で彼らはいろんな人に会うのだ。兄弟、家族、野球チーム、娘と父、猫を連れた婆。脈絡もなく、ものすごくいろんなことが起きる上、キッドも結構ちゃらんぽらんに見えるのに、彼の、愛するものを失ったことと忘れずにいたいという願いの痛切さが伝わる。
 しかし、全編を通じておそらく数え切れないくらい引用されているだろうモノについて全く心当たりがなく、本当にしばしばポカンとしてしまった私には、この作品を見るリテラシーがなかったと思う。なので、★はつけられなかった。
(8月5日 19:30の回)

齋藤理一郎(会社員 個人ブログ rclub annex
 ★★★★
  シーンは整然と繋がっている訳ではなく、むしろ恣意的にラフに重ねられているように思える。しかしながら時系列や場のつながりが無理に整えられたり束ねられたりしないことで、舞台に紡がれていく刹那から主人公の心にランダムに去来するものをそのままに受け取るライブ感が生まれ、エピソードたちも記憶や想いのパーツとしてリアルな質感とともに主人公の心風景に納まり観る側の感覚に置き換わっていく。終盤の激しく壁を突き破るパフォーマンスに物理的な衝撃に留まらない余韻が残るのは、そこに至るまでの想いがビビッドに紡がれ、時に溢れ、観る側が主人公とともに行き場を見失っていたからだろうと思う。
 壁のむこうに現れた大樹の下に眠るキャラクター達の姿に、従前の作品では舞台に広がるに任せていた想いをさらに観る側の内へと収束させる作者の表現の進化を感じる。終盤まで仕掛けを隠し続けた舞台装置が少々武骨な印象を舞台上に醸し続けていたものの、終演時には、記憶を巡り自らの内に収めさらに踏み出し歩み始める主人公の透んだ心情に深く浸潤されていた。
(8月9日 19:30の回)

福田夏樹(演劇ウォッチャー)
 ★★★★☆(4.5)
 愛の探究者三浦直之が主宰するロロの家族のお話。夏に家族のハートウォーミングな話というから、てっきりある種保守的なノスタルジック満開の作品だろうと勝手な予想をしていたら、家族のありようをまさぐりながら、人類愛やら、輪廻転生やらまでいたる至極壮大な作品に仕上がっていた。
 全体を通底するのは、亀島一徳演じる明夫・ザ・キッドが、島田桃子演じる天球との死に別れてからの、思い出と忘れていく苦悩。ある見方をすれば、すべては、夢落ち的に全てをキッドの中の思い出や妄想ととることもできる。亀島はその全てを引き受けつつ、感情を言葉に託すだけの器量を持って舞台に立っており、その感情の爆発と、忘れることの切なさに抗いつつ、受けいれていく姿にやられた。
 これまでの作品は、ひたすらにボーイミーツガールを扱っていたことから、世界が狭いとの批判もあったが(僕は愛の普遍的な部分に迫っていると考えるから同意はしない)、過去も現在も未来も、現実も妄想も、生前も死後も、ないまぜにしながら、人類皆家族として、一点突破で多少強引にも、壮大な世界へ接続させてしまうその力量は、批判をかわした上で、たくさんおつりが来るものであったと思う。
 とはいえ、細かい部分のメリハリの付け方など、前作と比べると密度が低くなった気がしたのもたしかなので、ボーイミーツガールを超えた今後の作品に期待を込めて星4.5個。
(8月5日19:30、12日14:00、13日19:30の回)

藤原ちから/プルサーマル・フジコ(編集者、BricolaQ主宰)
 ★★★★★
 演劇史に名を刻みうる名作。パッチワークは演劇ではしばしば用いられてきた手法だが、ロロの三浦直之の場合、各要素が縫合された人造人間にキラキラした命をどうやって吹き込むか?、その魔法を探し続けてきたと言える。書評家・豊崎由美が指摘したように、設定はキャサリン・ダン『異形の愛』、語り口は初期・高橋源一郎、そして他にも様々な小説、映画、アニメなどの文化的記憶が注ぎ込まれている。だけどそこにスノビズムの影は全然なく、表に登場するのは誰もが知っている(あるいは知らなくても楽しめるはずの)ネタのオンパレード。文学やサブカルチャーの豊饒なボキャブラリーが下支えする舞台の上で、軽やかに、ポップに、フレッシュに、言葉や身体が踊る。
 天球役の島田桃子は素晴らしい声と柔らかな身体感覚の持ち主だが、今作では「女優」としての新たな魅力を見せてくれた。キッド役の亀島一徳も、これまでのロロには登場した覚えのない成熟したキャラクター。他にも(ほんとは全員の名前を挙げたいのに文字数が!)異形の者たちが、裏切り、嫉妬、甘え、絶望、といった人間の負の要素をやさしく力強く抱擁していく。
 ベニヤ板の壁が叩き壊され、神話的な、約束された大きな木の下でのボーイ・ミーツ・ガール。そこは時間軸を超えて物事の順序が入れ替わり、ループし、様々なる並行世界と繋がる彼岸だった。交わされる出会いと別れと愛の言葉は、シンプルだからこそ、美しくも切ない。三浦は2時間のこの大作によって、プロットやセリフや文体に還元しきることのできない、あのような美しい、そして理不尽な、「物語」の心臓部を呼び出す魔法を発見したのだ。しかもあの場所は決して最終到達点ではなく、今後の可能性への余白をなおも湛えている。なんと気持ちのいい連中だろう!
(8月8日 19:30の回)(8月16日追加)

北嶋孝(ワンダ-ランド)
 ★★★★
 いまの時代(だけではないけれど)、ストレートに愛を謳うと、どこか嘘くさく聞こえてしまう。作品として成立する困難を、舞台も観客も無意識に共有しているからだろう。だがこの舞台はその困難に挑戦し、奇跡的に花咲いたのではないだろうか。
 仕掛けは手が込んでいる。まずロードムービー形式を採り、しかも時間軸はさまざまに区切られる。しかも、愛を交わす相手は既に死んでいる。つまりあらかじめ愛を喪っている。その二人が約束の地に向かう途中で出会う人たちも尋常ではない。兄はなぜか、鳥の足に似た義手を付けている弟と離れられない。野球チームを作るのに、野球がうまくない男女。突然衣類を脱いで飼い犬になる父、などなど。台本を入手出来なかったので細部を確かめる術はないが、ふざけたキャラクターが次々に、意表を突く言動を繰り広げる。その軽さも弾けっぷりも想像力の皮を剥ぐようで心地よい。そして、そびえる壁を打破し、約束の地の大樹にたどり着く。仏陀の悟りの地にそびえる樹のように見えながら、根元には旅の途中で出会った人たちが横たわっている。愛の成就は結局、長い歳月と破天荒な冒険と累々たる屍を重ねた上に見えてくるのだった。しかも虚実を確かめられないまま…。
 この作品はたった一つのことを指し示そうと、散らばったジグソーパズルの無数の破片を一つ一つ拾い集め、丹念にはめ直した。その手つきに魅せられて2時間があっという間に過ぎた。
(8月12日 14:00の回)

【上演記録】
ロロvol.8「父母姉僕弟君」(佐藤佐吉演劇祭2012参加作品)
王子小劇場(2012年8月5日-14日)
脚本・演出 三浦直之

出演
明夫・ザ・キッド:亀島一徳(ロロ)
雨 天球:島田桃子
仙人掌:望月綾乃(ロロ)
ダーティ・ダンディ・ダディーマン:内海正考
エノモトキハチ:田中佑弥(中野成樹+フランケンズ)
笠原園絵:葉丸あすか(柿喰う客)
電源:多賀麻美
森永重樹:篠崎大悟(ロロ)
雨 陸生:山田拓実
キャット・ババー:小橋れな

スタッフ
美術/松本謙一郎
照明/工藤雅弘(Fantasista?ish.)
音響/池田野歩
劇中曲/音楽前夜社
衣裳/森本華
舞台監督/鳥養友美
舞台監督補佐/桜井健太郎・成田里奈
演出助手/中村未希
記録写真撮影/natsuco.m
記録映像撮影/埜本幸良
宣伝美術/玉利樹貴
制作助手/鈴木猛丸・横田貴子
制作/坂本もも
企画製作/ロロ
協力/中野成樹+フランケンズ 柿喰う客 Fantasista?ish.
範宙遊泳 CoRich舞台芸術!

チケット
一般:2,800円
学生:2,500円
高校生以下:1,000円(予約当日ともに)
平日お昼の回割り引き:各料金より300円引き
リピーター割引き:1,000円(要・予約)

アフタートーク ゲスト
8月8日(水)19:30の回、豊崎由美(ライター・書評家)
8月12日(日)14:00の回、髙城晶平(cero)
8月13日(月)19:30の回、いまおかしんじ(映画監督)


「ロロ「父母姉僕弟君」(クロスレビュー佐藤佐吉演劇祭編 6)」への4件のフィードバック

  1. ピンバック: 直井卓俊
  2. ピンバック: ひなつ
  3. ピンバック: 小池けい子

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です