田野邦彦(青年団リンク・RoMT主宰)、太田宏(青年団)

◎一人芝居とワークショップによって作り出される《共有体験》:RoMT第4回公演「ここからは山がみえる」再演を前に

 上演時間、3時間30分。出演者、1人。
 しかも日本ではほとんど知られていない英国人作家の翻訳劇である。青年団リンク・RoMTを主宰する田野邦彦は、青年団所属の俳優、太田宏とタッグを組み、2010年にこの壮大な一人芝居を上演し、大きな成果を獲得した。そして初演から3年後の春、マシュー・ダンスター作「ここからは山がみえる」が、ふたたび東京と福岡のほか、全国各地で上演される。インタビューではこの大胆な公演についてのほか、田野邦彦さんには彼のもう一つの演劇活動の軸であるワークショップについて、フランスの舞台でも活躍する太田宏さんには日仏の演劇事情の違いなどを聞いた。
(聞き手・構成 片山幹生@ワンダーランド編集部)

上演作品について

-「ここからは山がみえる」という作品についてまず簡単に説明してください。

田野 1980年代に10代を過ごしてきたアダムという少年の青春白書です。1970年生まれのダンスターの自伝的作品で、彼自身のエピソードをモノローグ劇のかたちで提示。ちなみに俳優の太田宏さんも偶然、ダンスターと同じ1970年生まれで、語られている内容に共感できるところは多いようです。

- 田野さんは英国でこの作品の上演をご覧になったのですか。

田野邦彦

田野 この作品は2008年にマンチェスターで初演され、その2009年の4月から5月にかけてロンドンのヤング・ヴィック劇場でも上演されましたが、私は見ていません。2009年の上演の少し後にロンドンに二週間ほど滞在する機会があったのですが、その旅行の計画中にこの作品のことを知りました。ウェブの情報でこの作品に興味を持ち、直感的にこの作品を取り上げてみたいと思いました。それで、当時フランスで公演中だった太田宏にメールで「2時間を超える一人芝居があるのだけれど、やってみない?」と聞いてみたんですが、「面白いこと言うねえ」という返事を貰ったので、じゃあということで、台本を取り寄せて読んでみて、最終的にやってみることを決めたのです。

- 2010年に今回の公演と同じアトリエ春風舎でこの作品を上演されましたが、初演と今回の上演ではどのような違いがありますか?

田野 かなり大きな変更が加えられています。初演のときのエピソードですが、英語版の上演時間が2時間20分とあったのでそれくらいでできると思っていたのです。ところがはじめて通し稽古をやったときに4時間ぐらいかかってしまいました。まあ、見通しが甘かったんですね(笑)。翻訳によって台本が原文より冗長になってしまっただけでなく、僕の演出が間をしっかりとるものだったのが原因です。あと初演では、太田さんが会場内の黒板に彼が演じる人物が他の登場人物の名前を書いていったのですが、これが相当な時間を食っていたんだと、今回の上演のための稽古で分かりました。その点についても変更をしています。

- でも今回の上演時間も3時間20分となっていて、前回とそれほど変わりがないようですが?

田野 前回は上演時間を3時間に収めるために、オリジナルの戯曲から大幅にカットしました。それでも3時間かかってしまったわけですが。今回は休憩を長め(15分)にとっています。演技の上で全体の流れがスピーディになった分、初演ではカットした多くの部分を台本に戻しました。今回はオリジナルの戯曲にかなり近いかたちでの上演になっています。テキストの量は前回公演より大幅に増えています。

- 台本の翻訳にあたって、どのような作業を行ったのか教えて下さい。翻訳者として近藤強氏を選んだ理由や、翻訳にどのようなリクエストをしたかなど。

田野 男の子のひとり語り芝居なので、どうしても男性に訳して欲しいと思いました。翻訳を依頼した近藤強さんは10年間、ニューヨークで生活していた人で英語に精通しています。また彼は青年団所属の俳優ですので、彼なら俳優の立場から話しことばである台詞を訳すことができるのではないかと考えました。初演のときは僕と太田と近藤の3人で、翻訳された台詞のチェックを二ヶ月間近い時間をかけて丁寧に行いました。その上で初演のときは大幅に削ってしまったのですが(笑)、今回の上演ではオリジナル版に近いかたちの台本になっています。しかし訳文については再演にあたって、稽古の段階でかなり変更を加えました。英語的な翻訳調の言い回しが初演台本ではかなり残っていたので、今回の上演では台詞を大分日本語としての表現に引き寄せています。台詞は大分聞きやすくなったと思います。

- なぜこの作品をとりあげようと思ったのですか。モノローグ・ドラマというスタイルに特に関心を持っていたのですか。

田野邦彦

田野 当時のことを思い出してみたのですが、いまとなっては、モノローグのこの作品を選んだのは自分にとっては必然だったように思います。演劇というのは“共有体験”です。この共有体験であることを突き詰めたかたちでの演劇をやってみたいと僕は考えているのですが、その究極のかたちが一人芝居であるように思うのです。「ここからは山がみえる」は英語版でも2時間20分というひとり芝居としては破格の長さです。こうした極端な形態の作品の上演によって、僕が目指している共有体験としての演劇の本質を提示できるのではないかという気がしました。

- キャストは最初から太田さんと決めていたのですか。

田野 当時、太田さんは「別れの唄」などでフランスでの活動を既に始めていたのですが、「フランスで芝居をやってみて、日本人が話すってことと、フランス人が話すって感覚には大きな違いがあることに気づいた。その違いは何だろうなということを考えている」といったことを聞いていました。「話すってのは、いったいどういうことなんだろうね?」なんて話をふたりでしていたんですね。それをすごく覚えてて、そのあとでこの作品に出会ったわけです。

- 演者として、太田さんはこの作品についてどういうふうに考えていますか。

太田 上演や稽古のたびに自分の状態が変わっていくわけですが、その度に新しい発見をもたらしてくれる作品だと感じています。今後もずっと、日本全国のいろいろな場所で演じ続けていきたい作品ですね。

演劇ワークショップ活動と作品創造

- 田野さんはワークショップ活動で近年とくに幅広い活動をされていますが、ワークショップ活動に関心を持ったきっかけは何ですか。

田野 ワークショップ自体はイギリスに留学していたときに学んでいました。イギリスの大学院のプログラムを通じて、ワークショップは社会と演劇の接点として当たり前のことのようにすり込まれていたんですね。青年団に入ってからは、アゴラ劇場のワークショップ研究会に関わらせていただいたいり、平田オリザのアシスタントをしたりしながら、ワークショップの現場で経験を積んできました。

- RoMTでの演劇公演に、ワークショップ活動が寄与するものはありますか。

田野 ワークショップについては2009年ごろに自分のなかで大きな転機がありました。それまで大学の演劇科でプロ志望の学生たちを相手に演劇指導の授業を持っていたのですが、自分のなかではどうもすっきりしないところがあった。2007年か8年に別の縁で、都立高校の普通の高校生相手に週一回演劇を教える仕事をするようになったのですが、そのときに初めて「この仕事はなんて面白いんだ!」と思ったんです。それまで演劇とはあまり縁のなかった高校生が、たまたま選択授業で一年間、週一回演劇をやることになったわけですが、演劇の体験が彼ら、彼女たちに、まさに劇的な影響を与えてしまうこと、演劇が人に与えうる可能性を目の当たりにしたことに僕はわくわくしたのです。プロ志望の大学演劇科の学生たちよりも、演劇と縁がない一般の人たちに演劇の魅力を伝える仕事こそ自分がやりたいことなんだということに、そのとき僕ははじめて実感したんです。

 ワークショップ活動で手応えを感じとったこの時期に、僕は二週間イギリスに行き、そして同じタイミングで「ここからは山がみえる」という作品と出会いました。イギリス滞在では、僕ははじめてグローブ座に行ったんです。留学時代には一度も行かなかったのに、です(笑)。そしてシェイクスピアの「お気に召すまま」を見たのですが、このときに自分の演劇観がはっきり見えてきたように感じたのです。シェイクスピアの時代から、演劇は舞台上に構成されるものだけで完結するものではない。演劇はそれを受け取った観客とともに劇場という舞台空間で作りあげるものだ。作品上演の現場に立ち会うことで、作り手や観客のなかで様々な考えや気持ちが生じ、そうしたさまざまなイメージによって作品の外側の世界と有機的に繋がり、そして新しい物語が生み出されていく。自分が演劇で実現したいことはこの延長線上にあるはずだ。そしてそんなことを考えていた時期に出会った「ここからは山がみえる」は、まさに今、自分がやらなくてはならない作品だ、と思ったのです。

 グローブ座での体験は、自分にとってはある意味では啓示的なものであり、このとき、シェイクスピアから一人芝居の「ここからは山がみえる」、そしてワークショップ活動の可能性がひとつの輪みたいにつながったんですね。自分の作品の演出方法は、この時期を境に大きく変わったと思います。自分にとってはワークショップと作品制作は、演劇活動の根幹になっています。ワークショップでは僕らを窓口として演劇にはじめて本格的に触れる人たちが多いですから、彼らに対しても、そして演劇そのものに対しても背負っているものや責任はとても大きいと考えています。「ここからは山がみえる」の公演では、僕がワークショップを通じて接しているような人たちが見に来てくれて、面白かったと思ってもらえる作品にしたい、そんなふうに考えながら作るようになりましたね。

- 今、どのような場でワークショップを行っていますか?

田野 いろいろな場で、いろいろな種類のワークショップをやっています。年齢の幅だけでも〇歳児から九〇歳くらいの老人まで(笑)。小学校などの教育機関でもやっていますし、地域の防災・防犯活動の一環でワークショップを行うこともありますし、ホームレスのかたへの自立支援プログラムでのワークショップもやっています。場所も北は青森から南は沖縄、そしてベトナムまでと様々です。

俳優から見たフランスの演劇

- 想田和弘監督「演劇1」「演劇2」はご覧になったと思います。太田宏さんが出ている場面がたくさんありましたがご感想は?

太田宏

太田 作品はもちろん見ました。青年団のすがたを想田さんの視点から撮っているわけですが、稽古の繰り返しの場面とかはわれわれにとってはもう日常なので、「もういつもどおり」っていう感じでしたね(笑)。
 想田さんの作品は前から好きで、「選挙」も「精神」も見ていました。青年団を撮った「演劇」は、想田さんから見たわれわれの日常のすがたではありますが、発見もありました。例えば、オリザさんってとまらない人なんだなあと。平田オリザの仕事の全体像は、私たちも「演劇」を通してはじめて見ることができたように思います。普段は、通過する一瞬にしか、平田オリザを見ていないので。

- 「演劇1」で太田さんがらみで印象深い場面があって、フランス人の女性キャスティング・ディレクターが青年団に共演の日本人俳優を探しにきたとき、平田オリザが太田さんを推したのに「この人は色気がないから」と言われていましたね。

太田 あの女性、いまフランスで「HIROSHIMA MON AMOUR/ヒロシマ我が愛」で共演している女優のヴァレリー・ラングなんですよ。あそこでは「色気がない」とか言っていたけど、今、フランスで彼女には「ヒロシは本当に美しいよ」とか「お前はセクシーだ」とか言われているんですよ(笑)。映画のあの場面見て、僕は爆笑してました。

-太田さんのフランスでの最初の出演は「別れの唄」(2007年)ですが、フランス語はどう学ばれたのですか。

太田 フランス語についてはそれこそ血の涙を流しました。「別れの唄」では上演の一年前にキャスティングが決まったのですが、その時点では僕はフランス語のABCも読めませんでした。青年団の補助があってフランスの語学学校に通算で一ヶ月ぐらい通いました。でもちょっとフランス語が読めるぐらいのレベルで、その状態でプレ稽古に行ったらまったく太刀打ちできない。最終的にはフランス語の台詞を全部フランス人に吹き込んでもらい、それを音で覚えました。初演のときはそんな感じでした。それからは学校に行ったりはしていないのですが、独学でやったり、フランス・ツアーで向こうに行ったときに、実地で話して学んでいます。

-「HIROSHIMA MON AMOUR/ヒロシマ我が愛」は大きな成功を収めたとのことですが、この作品の出演のきっかけはどういったことだったのでしようか。

太田 「別れの唄」の再々演が2009年にパリがあったときに、「HIROSHIMA MON AMOUR/ヒロシマ我が愛」の演出家がパリのコリーヌ国立劇場で作品を上演していて、それを見に行ったんですよ。終わったあとに飲みに行ったのですが、そのときに演出家が僕を見ていて、それで決めたみたいです。「HIROSHIMA MON AMOUR/ヒロシマ我が愛」は2009年から世界各国で上演されていています。ツアーでも日本人は僕だけでしたが、通訳は付きませんでした。とても心細い思いはしましたが、スタッフに親切な人がいましたね。この作品のツアーはまだ売り込みをやっていますので、これからも上演される機会はあると思います。出演者が三人だけなので売り込みやすいみたいです。

-日仏の舞台作りで、カルチャーギャップを感じたことはありますか。

太田 フランスでは時間をかけて作っている感じがします。俳優と演出家がじっくりコミュニケーションをとっていますね。話合いでよく稽古が中断します。俳優は疑問を持つと質問します。演出家はそれをきっちり言葉で説明し、納得するまで話合いを続けるという感じですね。日本人の俳優は「とりあえず一回やってみよう」と言って、納得していようがいまいがとりあえずできる。やってみてからその結果を利用して芝居を作っていくことができるのだけれど、フランス人の俳優にはこれは全くないですね。納得しないとやらないですね。言葉でちゃんと説明しなくてはダメですね。

-今後の活動予定は。

太田 9月にパスカル・ランベールの『愛の終わり』に出演します。この作品は各国版が作られていて、今回、日本版が新たに作成され、オーディションで僕と青年団の兵藤公美が出演することになりました。KAATとSPACで上演されます。

【写真は、左から太田宏さん、田野邦彦さん、片山幹生(編集部)。2013年4月17日、東京・小竹向原、アトリエ春風舎にて】
【写真は、左から太田宏さん、田野邦彦さん、片山幹生(編集部)。撮影=ワンダーランド 2013年4月17日、東京・小竹向原のアトリエ春風舎】

【略歴】
田野邦彦
 1975年生まれ。愛知県小牧市出身。1998年秋よりイギリス・ロンドンに留学。ミドルセックス大学大学院にてMFA演劇・演出コースを修了。帰国後の2002年4月より青年団演出部に所属。2005年に自らの活動ユニットとして、青年団リンク・RoMTを立ち上げる。RoMTは数年に一度という緩やかなペースでプロダクションを組んで活動している。近年はワークショップデザイナーとしても全国的に活躍。小学校から高校などの教育現場、企業・社会人向け、PTAや親子など、世代間や地域間を超えた様々なワークショップの実施や提案を行うファシリテーターおよびコーディネーターとしての評価も高い。

太田宏
 1970年生まれ。大阪府出身。同志社大学卒業後、KTカムパニー(京都)を経て青年団に入団。『ソウル市民』『冒険王』『東京ノート』など平田オリザ作・演出作品に数多く出演している。2009年には平田オリザが手掛けた世界初のロボット演劇『働く私』に出演。国際プロジェクト『別れの唄』(2007)、『鳥の飛ぶ高さ』(2009)ではフランス語を駆使した演技が高く評価された。2009年にはスイス・ローザンヌとフランス・レンヌの劇場が共同制作したマルグリット・デュラス作『HIROSHIMA MON AMOUR/ヒロシマ我が愛』に出演し、絶賛された。

青年団リンクRoMT 第4回公演「ここからは山がみえる
戯曲:マシュー・ダンスター
翻訳:近藤強
演出:田野邦彦
出演:太田宏
制作:森忠治(トライポッド)、RoMT
企画制作:青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
総合プロデューサー:平田オリザ

チケット取り扱い・お問い合わせ:
青年団 tel. 03-3469-9107(12:00?20:00)http://www.seinendan.org(オンライン予約)
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東京公演
【公演日程】2013年4月24日(水)-5月6日(月・祝)
【会場】アトリエ春風舎
【料金】予約・当日ともに 一般=3,000円 ユース(25歳以下)・シニア(60歳以上)=1,500円 高校生以下=1,000円 ※平日夕方公演(4月24日/25日)予約・当日ともに 一般=2,500円
1ドリンク付、日時指定・全席自由・整理番号付

福岡公演
【公演日程】2013年5月30日(木)-6月1日(土)
【会場】konya-gallery
【料金】予約・当日ともに 一般=3,000円 ユース(25歳以下)・シニア(60歳以上)=1,500円 高校生以下=1,000円


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