shelf 「班女/弱法師」

◎「なるほど」がある演出
 水牛健太郎

公演チラシ
「班女/弱法師」公演チラシ

 三島由紀夫は言わずと知れた大作家だが、演劇にも大変な情熱を注いだ人だ。自己演出に凝ったり人をかついだりと、存在自体演劇的だったし、書いた戯曲の数も小説に匹敵するぐらいあった。ひょっとして演劇の方が小説より好きだったんじゃ、と思うほどにもかかわらず、「そもそも三島の戯曲ってどうよ?」とか言われてしまうのは、天才にして思うに任せないもんだ世の中は、ねえ三島君、と急になれなれしく呼びかけてみる。

 代表作の一つである「近代能楽集」にしても、少なくともとても上演が難しい作品であることは確か。磨き上げた美しい言葉が並べられているが、登場人物が二人以上出てきても、対話という感じがあまりない。「能」だからかもしれないが、登場人物が観念的でどこか人間離れしているのも難しい要素の一つだ。ともかくなかなかドラマが舞台上に立ち上がらない。これまで見た上演でも「ああ、なるほど」と思ったことがあまりなかったが、今回見たshelfの公演はその「なるほど」があった。「こうすればよかったのか」という感じだ。

 「班女」では、登場人物(花子、実子、吉雄)が、結構広い舞台にぽつん、ぽつんといる。実子は黒い和服で下手奥に座って、紙を切っているし、花子は少し離れて舞台中央に赤いドレスで立って、扇を手にしている。吉雄は上手奥。それから中央手前に長いスカートを円形に広げてその真ん中に座っている女性がいる。この人はト書きを読む役割だが、当日パンフ掲載の矢野靖人の演出ノートによれば、「班女」という戯曲の愛読者ということらしい。

「班女」公演から
【写真は「班女」の花子。撮影=原田真理 提供=shelf 禁無断転載】

 登場人物はそれぞれ衣装や姿勢が美しいが、お互いの間には距離があるし、顔は前を向くか後ろを向くかで、視線も交わらない。だからそれぞれ言いっぱなしという感じだ。そしてそれが内容に実に合っていた。そもそも最初からちゃんとした対話になんかなっていない。人の話に耳を傾けるような人たちではなく、華麗な言葉遣いで言いたいことを言っているだけなのだということが、この演出でよく分かった。この三人の登場人物たちは、言ってみれば、一人ひとり、自分を主人公とする唯我論的なドラマの中にすんでいて、他の二人はそのドラマの登場人物のようなものだと思う。

 そして、舞台上で「班女」を読んでいる女性の存在が、この孤独な人たちのドラマの全体を緩やかにまとめている。考えてみれば「班女」というもともとの能では実子にあたる人物はいない。花子は昔から伝わる班女の物語の中に生きているが、その物語を殺伐とした自分の人生のいろどりとして利用しているのが実子なのである。そうして構成されている三島の戯曲「班女」を、このト書きを読む女性が更に生きる糧としている、という入れ子構造になっている。

 わかりやすく言えば、「班女」という戯曲のこれまでの上演については、「何なんだよ、こいつらは」という釈然としない感じがどうしてもつきまとい、お芝居のお楽しみを阻害していたのに対し、今回のshelfの矢野演出は「こいつらは人の話を聞く姿勢のない、どうしようもない連中です」という答えをそっと手渡してくれた。そしてその人たちの話を読んでいる愛読者の女性とともに、連中の話を聞いてみるように私たちに促した。そうして聞いてみると、彼らの華麗な割に空っぽな独白が、妙に面白く思えるようになってきたわけだ。

 最後に花子が「私は待つ」、実子が「私は待たない」というあたりになると、椅子に座った花子の後ろに実子が立つ形で二人は寄り添う。花子の「待つ」と実子の「待たない」が同じことを意味することを示すかのように、二人は共に前方を見ているのだが、視線はやはり交わることがない。

 「弱法師」の方は、川島夫妻と高安夫妻を演じる六人の俳優が黒い服を着て、俊徳役の俳優を丸く囲むという演出だった。男性一人、女性五人の合計六人で四人のセリフを代わる代わる口にする。誰が誰のセリフを、という特定性がない。まるで個人の顔のない集団的な妄念がセリフを口にしているように見える。

 川島夫妻と高安夫妻の四人は信念も意気地もなく、俊徳の機嫌を取るのが精いっぱいという役どころなので、まさにこうした匿名的な扱いがふさわしかった。「弱法師」では川島の「はっきり申せば、あの子は一種の狂人です」というセリフが面白く、いつも笑ってしまうが、これも川島という人に見識があるというよりは、長年俊徳と一緒にいてもそういう風にしか理解できない、という凡庸さの面白さである。

 一方、「闘牛場の血みどろの戦いのさなかに、飛び下りて平気で砂の上を、無器用な足取で歩いてゆく白い鳩のような勇気」を持つという調停委員の桜間級子は唯一、俊徳から対等な存在としての扱いを受ける。そこでこの二人は対面し、視線を交わしながら対話することができるのである。級子の堂々とした立ち姿、会場に響く凛とした声は、この公演の白眉だった。

「弱法師」公演から
【写真は「弱法師」の級子と俊徳。撮影=原田真理 提供=shelf 禁無断転載】

 それにしても、終わり近くの俊徳の長セリフはやはり、今回の演出でも厳しかった。東京大空襲を描写したもので、三島の戦争観を表す文章としてよく論じられる部分だが、不思議なまでに聞く人の心に響かない、平板な印象を与えるのである。空襲の写真集でも見て書いているのかと思わせる。それなのに長いので、てきめんに眠くなった。

 「弱法師」の俊徳というのは結局、マザコンの怪物のような人なのだった。戦争の恐怖から自分を救ってくれる母の愛を求めて周囲を振り回し、泣き叫んでいるのである。しかし義理の母の川島夫人も、実の母の高安夫人も、俊徳の下僕になることしかできないので、欲求は満たされることがない。級子はそれを見抜き、一瞬のうちに俊徳の精神的な母となる決心をする。今はもう、テキストを読んでもそれが当然のことのように思えるが、今回の上演を見てはじめて、そういう話であることに気が付いた。私の理解力がないということでもあるが、今回の上演がいかに基本に忠実な、分かりやすいものだったか、ということでもあると思う。

 今回の「班女/弱法師」の演出は、テキストをそのまま芝居の形で役者に演じさせるのではなく、作品の中に潜む構造を役者の配置や動きとして見せた。その結果、観客は表面的な筋書きと言葉遣いの間にある違和感に脚を取られることなく、ドラマに直接触れることができた。身体のあり方と発声に極めて意識的なshelfという劇団の強みを最大限発揮した公演であったと思う。

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランド編集長。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。東京大学法学部卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/

【上演記録】
shelf volume15「班女/弱法師」
日暮里d-倉庫(2013年6月28日‐30日)
作/三島由紀夫
構成・演出/矢野靖人
出演/
「班女」:川渕優子 春日茉衣 森祐介 たけうちみずゑ (chon-muop)
「弱法師」:森祐介 川渕優子 春日茉衣 日ヶ久保香 小川敦子 和田華子 平佐喜子(Ort-d.d) 櫻井宇宙
※事情により出演を予定していた平田泰久(テアトル・エコー)は降板。

照明/則武鶴代
音響/荒木まや (Stage Office)
衣装/竹内陽子
美術/山上健 (山上建築設計)
舞台監督/佐藤恵
宣伝美術/オクマタモツ
制作/薄田菜々子
制作助手/加登聖子 中村みなみ
協力/chon-muop、Ort-d.d、株式会社テアトル・エコー、(株)酒井著作権事務所
主催/shelf

[料金] 一般前売 2,800円 一般当日 3,300円  学割 2,000円


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