忘れられない一冊、伝えたい一冊 第25回

◎「ナポレオン」(作者/出版社不明)
  益山貴司

 小学校の図書館で、人気があるのは当然漫画で、「はだしのゲン」は必読のベストセラーだったし、手塚治虫の「陽だまりの樹」は、おっぱいぽろりがあって人気があった。「ズッコケ三人組」シリーズもみんな読んでたし、「ぼくらの七日間戦争」ではじまるぼくらシリーズは、本格的に流行ったのは中学校からで、この頃は一部の女子しか読んでいなかった。

 そんな図書館事情を尻目に、小4のぼくは、クラスの奴らにインテリなところを見せつけてやろうと、世界の偉人シリーズの「ナポレオン」を借りることにした。当時のぼくにはナポレオンの予備知識は「いいちこ」くらいしかなく(それすら、なんのことか理解していなかったが)はっきりいって、興味がなかった。図書館の隅の、だれも行かない薄暗い一角で、世界の偉人を物色した結果、表紙の写真が一番えらそうだったのがナポレオンだったのだ。(ジャケ買い)

 図書の時間、一人一冊本を借りねばならない。わざと表紙をみんなにみえるようにして、意気揚々とカウンターに「ナポレオン」をもって行ったぼくは、前人未到の白紙の図書カードに黒々と「益山貴司」と書き込んだ。めざとい担任と利害が一致したとみえ、彼女は「ナポレオン」を高々と掲げると、「図書館では静かにしましょう」という鉄の掟を破り「マスヤマ君がこんなものを借りましたよ!」と大いに教育プロパガンダに活用してくれたのである。しめしめ。

 家に持ち帰り、親にも見せびらかし、さて、ナポレオンを征服したら、次はキュリーか野口、どっちを料理してやろうか、と、早くも来週の偉人のことを考えながらページを開いたが、二行も保たずに飽きてしまった。おそらく、序章で、どこかの大学教授が説教をたれていたのだろうと思う。そのままナポレオンは、タンスの上のセントヘレナに流刑となった。

 一週間、担任やクラスの連中に感想を聞かれるのがこわくて、ナポレオンのナの字も口にださなかった。無理して読めばよかったのだが、二行の挫折から立ち直ることはできなかった。翌週、再び図書の時間が巡って来た時、ぼくは、図書カードに二回目の名前を書いて延長を申し込んだ。前回とは打って変わって、小さな文字で……とんだ茶番だ。ナポレオンを征服するつもりが、あの小男に支配されているのだ。

 翌々週 、さすがに三週目はやばいのでは、と感じたぼくは、知らん顔で「ドリトル先生航海記」をカウンターに提出した。図書カードを整理しながら、めざとい担任は「あれ、ナポレオンは?」と、もっともぼくが恐れていた質問を発した。「読んでる途中で」とかなんとか、曖昧な返事でお茶を濁すと、担任はそれ以上追求することなく「ドリトル先生航海記」を貸し出してくれた。本来、二冊以上の貸し出しは禁止なのであるが、「じっくり読んで、ナポレオンのような男の子になって欲しい」という願いをこめてかどうか知らないが、担任の判断に、ぼくは救われたような気になった。

 それから、ナポレオンはセントヘレナを脱出することなく、ぼくの家で幽閉され続けている。彼を、再び図書館という故国に帰還させなかったことを、担任もとがめはしなかった。現在、彼がいまどこにいるのか、それは不明である。恐らく、実家のどこか片隅に潜伏しているのかもしれないが、見つけ出すのは容易ではない。というか、ナポレオンの復讐を恐れるぼくは、彼がこのままセントヘレナで幽閉され続けることを願っている。

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【筆者略歴】
 益山貴司(ますやま・たかし)
 1982年大阪生まれ。劇作家、演出家、俳優。劇団子供鉅人代表。これまで、子供鉅人のほとんどすべての作・演出を行う。お化けと女の子に怯える幼少期を過ごした後、20世紀の終わり頃に演劇活動を開始する。作風は作品ごとに異なり、静かな会話劇からにぎやかな音楽劇までオールジャンルでこなす。一貫しているのは「人間存在の悲しみと可笑しさ」を追求することである。


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