趣向「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」

◎失われた場所に描く永遠と一瞬
 水牛健太郎

「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」公演チラシ 舞台は平場で、シアタートラムの高い天井、舞台奥の機構も露わにされている。中央に建物の廃墟のような石積みの一部を模したセットがあり、そこに地下への四角い入口がある。その少し奥に木製の椅子が積み上げられ、同じ椅子が一つ、天井からロープで吊り下げられている。上手側手前には傾いた椅子が一つ。セットの周囲には白い砂が敷かれており、椅子はその砂に埋もれていくように見える。教会の鐘の音が鳴り響いて、開演前の注意がアナウンスされた。

 趣向のオノマリコ脚本による「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」は2011年5月に神奈川芸術劇場で黒澤世莉の演出で上演された。本公演はその再演である。初演はワンダーランドのクロスレビュー(>>)に取り上げられ、好評だった。今回シアタートラムのネクストジェネレーション vol.7に選ばれ、文学座の稲葉賀恵が演出を担当した。

 舞台に8人の若い女性が1人ずつ登場し、他の女性の名を呼ぶ。名前は「息吹」「敬虔」「奔放」「哲学」「癇癪」「沈黙」「平穏」「飴玉」というもので、それぞれの女性の性格を表している。たとえば息吹(清水葉月)は生命力の輝きを体現する学生であり、哲学(深谷美歩)は哲学を愛し、沈黙(朝比奈かず)はほとんど話さない。また飴玉(窪田優)はお菓子を愛し、何よりも若さが与えてくれる華やかさ、甘さを体現する女性である。これらの名前は、作品中においては彼女らのあだ名ではなく、正式な名前(つまり固有名詞)として扱われる。そして作品中で名を呼ばれることのない女性(チラシなどでは○○と表記されている)も1人登場する。

 9人は積み上げられていた椅子を取って3×3に並び、口ぐちに入学したばかりの大学の印象を叫ぶ。「美しかった」「門をくぐると、芝生が広がっていて」「すぐ右に教会」。作品中で名を挙げられることこそないが、舞台となっているのは明らかに東京女子大学である。作品は、彼女らが大学で過ごした4年間を、彼女らが交わす会話の集積として積み上げていく。そこには時間の流れと彼女たち1人1人の変化、友情と対立と嫉妬などが浮かび上がる。

「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」公演
【「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」公演より冒頭の場面。趣向提供。舞台写真:牧野智晃。禁無断転載】

 9人の中には何人かアウトサイダーがいる。癇癪(前東美菜子)は実はこの大学の学生ではなく、他大学(戯曲によれば「文科二類」ということなので、おそらく東京大学)の学生である。鋭敏で過剰な自意識をもてあます彼女は、なぜかいつもこの大学の旧体育館で昼寝している。そしてそこにやってくる学生たちに突っかかる。平穏(増岡裕子)はほかの学生と同期ということになっているが、実は想像もつかないぐらい昔から、この大学に在籍しているらしい。ほとんど時を超えた存在である。

 ○○(上田桃子)はこの世の存在ですらない。名を問われても「誰々の友達」などと言ってはぐらかし、決して名乗ろうとしない。そして、ほかの学生たちの心情や未来を見透かしたかのような言葉を口にする。○○が「夏休みが終わるよ」と叫んで天井から吊るした椅子を振り子のように揺らすと、夏休みは終わる。こうして4年の月日が過ぎていく。○○は押しとどめられない時間の無情さを象徴する存在である。

 作品の軸はいくつかある。(1)息吹、敬虔(藤井咲有里)、奔放(稲継美保)のトリオの関係の変化 (2)学者の卵として目覚ましい才能を発揮する敬虔に哲学と癇癪が寄せる思い (3)哲学が中心になる旧体育館の保存運動 (4)そしてそこに接続される戦前の大学の歴史。

 息吹、敬虔、奔放は幼馴染で、大学でも奇跡的に同級生になるのだが、敬虔は学問の道をひた走る一方、奔放は男友達の間を飛び回り、学校に顔を見せない。息吹は仲を取り持とうとするが、3人の距離は離れていく。

 哲学は、こつこつと好きな哲学の勉強に打ち込むが、教会で出会って哲学書を貸した敬虔の理解力に圧倒される。敬虔に会うのが恐ろしくて教会にも行けなくなる。しかし好きな旧体育館の保存運動に取り組むなかで自分を取り戻していく。旧体育館の歴史について立派な論文を書き上げ、保存運動を盛り上げる。一方、癇癪は敬虔に理想の自分を見て思いを寄せるが、敬虔はやがて癇癪を捨ててしまう。

【「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」公演より
【「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」公演より。哲学(左)と奔放。趣向提供。舞台写真:牧野智晃。禁無断転載】

 大人への入口に設けられた4年間のモラトリアムの間に、それぞれが模索し、自分の可能性を探っている。その結果、自分のしたいことが出来ている他人を嫉妬したり、執着を持ったりする。一方で、それまでは一緒にいられた友人たちと共通の話題がなくなり、心が離れていく。友情、嫉妬、対立、そして別れ。若い女性たちの生々しい感情がほとばしる。

 そこに接続されるのが、大学の過去である。平穏と○○が導き手となり、戦前の学生運動が語られる。そこでは9人は同志である。リーダーの「001番」と呼ばれるのは息吹だ。他の学生はやがて運動から離れ、復学するが、息吹は「自分たちは恵まれている」という負い目と裏腹の強い責任感から女工を支援する社会主義運動に身をささげ、拷問で傷を負って死んでいく。その時息吹は、右手前に置かれた、砂に埋もれかかった椅子に座っている。

 歴史の場面は初演ではごく短く、かなりの唐突感があった。今回は長くなり、しっかり描かれて唐突感は薄れた。現代の学生と戦前の学生を生まれ変わりのように重ねることで、両者の間の距離の大きさと、それにも関わらず時代を超えて若者が抱く焦燥感や純粋さを二重写しにすることができていた。それを体現するのはやはり息吹である。現代における息吹はかなり子供っぽい女性であるが、戦前の息吹は凛としたマルクス主義の闘士である。それにも関わらず、純粋でひたむきであることは共通している。

 4年間が終わり、○○を除く8人は卒業していく。最後の場面に、それぞれが自分の現状を語る。現在の時点はばらばらで、20代の女性として語る者もいれば、99歳として語る者もいる。「たくさんの言語と、たくさんの資料に囲まれて、みんなから遠い場所にいる」敬虔や、CAを目指して勉強している飴玉のように学生時代の姿から予想できる人生を歩んでいる者もいれば、「旅行エッセイスト」になった沈黙のようにまるっきり変わってしまった者もいる。そして地元の市役所に就職した息吹は「23歳でわたしは死にます。雪道をスリップした車に衝突して」という。戦前の「001番」の夭折を想起させる、純粋なものの死。

 保存運動の盛り上がりにもかかわらず、2009年に旧体育館は取り壊される。ラストシーンでは9人が幻の旧体育館の中を駆け回る。お互いがお互いの名前を叫ぶ。その中に1つだけ、それまで出てこなかった言葉が混じっている。息吹が「永遠」と叫ぶ。つまりそれが、○○の名前なのである。そして劇は終わる。

 息吹と○○こと永遠は、対として演出されている。2人を演じる俳優は背格好が似ており、長い髪も共通している。一方、服装は息吹が明るい黄色、永遠は黒と対照的である。そこには一瞬と永遠は対にして同一であるという寓意が鮮烈に表現されていた。

「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」公演より
【「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」公演より。左より息吹、沈黙、飴玉、○○。セット陰に奔放。趣向提供。舞台写真:牧野智晃。禁無断転載】

 オノマリコは一貫して時間に強い関心を寄せてきた。決して止められない時の流れ。それにも関わらず、かつて旧体育館に9人がいた事実だけは決して損なわれることがない。失われた場所の記憶を媒介に、時間と空間の関係を繊細に描いて、強い印象を残した。

 2011年の黒澤演出では、白いワンピースを着た9人の俳優が素舞台を走り回った。抽象性を高める一方、そのエネルギーと走り回るスピードで、時の流れを力強く表現していた。今回の稲葉演出では、演出家自身が女性ということもあり、女性どうしの会話の機微と生々しさが強調された。上述した戦前の場面のスケールアップもあり、より骨格のしっかりした、完成度の高い舞台を作り上げることに成功した。

 一点だけ気にかかることを言えば、大きな歴史とのつながりに、未熟なものがあったこと。戦前の場面はよくなったが、それでもなお、(たとえば)インターナショナルを歌うということが現代の観客にもたらす違和感を処理できていない。革命に身をささげるという行為を崇高なものとして描くことはまあいい。それが己を捨てて他を救おうとするものであることは事実だからだ。しかし、個人レベルを超えてみたとき、20世紀の社会主義が背負った巨大な歴史の皮肉に目を向けていないのではないかという疑問が残った。

 歴史の皮肉は、タイトルである旧体育館の設計者アントニン・レーモンド(1888‐1976)にも、いっそう大きな形で存在する。チェコ出身のレーモンドはアメリカに渡り、市民権を得て、フランク・ロイド・ライトの弟子になる。1919年にライトの帝国ホテル設計・施工の助手として来日、長く日本にとどまり、その間に東京女子大学の建物群を手掛けている。

 問題はその後である。第二次大戦中にレーモンドは米軍から依頼を受け、日本の木造家屋を再現的に設計する仕事に携わった。家屋はユタ州に作られた「日本村」に並べられた。これは米軍の日本空襲の際に用いる焼夷弾の効果を検証するためのものだった。いかに効率よく日本の町を燃やすかという軍事研究に独自の大きな貢献をしたのである。

 日本本土空襲の死者は100万とする説もあり、目もくらむほど多くの人々が炎の中で非業の死を遂げた。戦闘員でない人々を殺傷する空襲を、戦時国際法違反とする意見も根強い。レーモンドの倫理的な責任は否定しようがない。

 作品内ではこのことは「アントニン・レーモンドって第二次世界大戦中にアメリカに日本の情報を流してたんだって」と一言触れられているだけだが、実際にそこにある問題ははるかに大きなものである。日本の女性たちを優しく包み込んだ空間を設計した人物が、彼女らを相手にした戦争に協力していたということ。生み、いつくしむその手で、殺してもいたということ。そんな矛盾と皮肉に満ちた恐ろしいことが、この世では実際に起きる。今回の上演はそこに届かなかった。

 今回オノマリコは、作品世界を守るために、どす黒いものが作品に入り込むのを回避したように思われる。現時点では仕方のない判断だったかもしれない。だが、アントニン・レーモンドをタイトルに掲げながら、この問題を回避しなければならなかったということは、この作品が未だ全てを包み込めるほど強くなかったということなのである。

 今後のオノマリコには、矛盾、皮肉、そして悪をも包み込む強靭な作品世界を期待したい。才能を持って生まれてきているからには、それに見合った仕事をしなければならないのだ。

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランドスタッフ。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。2014年9月より、慶應義塾大学文学部で非常勤講師。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro

【上演記録】
シアタートラム ネクスト・ジェネレーション vol.7 「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」 シアタートラム(2015年2月26日‐3月1日)

作:オノマリコ
演出:稲葉賀恵
出演:清水葉月、藤井咲有里、稲継美保、深谷美歩、前東美菜子、朝比奈かず、増岡裕子、窪田優、上田桃子

美術:松岡泉
照明:松本公亮
音響:鈴木三枝子
衣装:富永美夏
ヘアメークプランナー:古屋ゆり子 高田将樹(チームSABFA/SHISEIDO)
舞台監督:小野哲史
照明操作:高円敦美
大道具制作:C-COM
稽古場付:和田華子
舞台写真:牧野智晃
ワークショップ協力:田中圭介

協力:FMG、キューブ、ノックアウト、文学座、ラウダ、ヒンドゥー五千回、扇田拓也
特別協力:Acco Akiko、植竹明彦、Kageyama Yota、高橋清孝、森一郎
サポートメンバー:石田よめ、飯塚なな子、浅見絵梨子、佐々木啓成
Special thanks to 浅見直樹、大森晴香、木内コギト、栗林茜、小林真梨恵、櫻井健二、鈴木鈴、芝博文、鈴木さやか、直江里美、モスクワカヌ、両角葉

劇場スタッフ:
公益財団法人せたがや文化財団理事長/世田谷文化生活情報センター館長事務取扱 永井多恵子
世田谷パブリックシアター
芸術監督:野村萬斎
劇場部長:楫屋一之
技術部長:熊谷明人
舞台:福田純平、棚瀬巧
照明:柘植幸久
音響:阿部史彦、遠藤瑶子
小道具製作:水森利明(SePT大道具)
衣裳:SePT衣裳部
広報:森明睎子、稲山玲、武井美津代
営業:鶴岡智恵子、竹村竜
票券:小林良子、菅谷舞、江口宏美
制作:大下玲美、宇都宮萌、大木良美

主催:公益財団法人せたがや文化財団
企画制作:趣向/世田谷パブリックシアター
後援:世田谷区
協賛:トヨタ自動車株式会社/東邦ホールディングス株式会社
協力:東京急行電鉄
ヘア&メーキャップ協力:チームSABFA/株式会社資生堂
特別協力:世田谷パブリックシアター友の会
平成26年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業

チケット代金
一般2,800円・ベンチシート2,800円
高校生以下 1,400円(世田谷パブリックシアターチケットセンターのみ取扱い、年齢確認できるものを要提示)
U24 1,400円(世田谷パブリックシアターチケットセンターにて要事前登録、登録時年齢確認できるもの要提示、オンラインのみ取扱い、枚数限定)

 

 


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