#4 中野成樹(POOL-5+フランケンズ)

中野成樹さんを知ったのは2年前の夏でした。筑波の野外ステージで開かれた2劇団合同公演を、観客としてわざわざみに来ていたのに驚いた記憶があります。その後何度かフランケンズ公演をみて、斬新な舞台にすっかり魅せられてしまいました。早くからフランケンズの活動に注目していた柳沢望さんにお願いして今回のインタビューが実現し、そのステージのおもしろさ、「誤意訳」を標榜して翻訳劇を続ける秘密のいくつかが明らかになったのではないかと思います。ポップでオーソドックス。粋だけれども、ちょっとシャイ。2人の遣り取りを読み進むにつれ、そんなスタイルが伝わってくるかもしれません。今年もっとも期待される劇団の一つです。(北嶋孝@ノースアイランド舎)【写真は、中野茂樹さん。撮影=wonderland】

根っこはないけど大切にしたいものはある-「誤意訳版」翻訳劇の源

ウッチャンと内Pの関係

中野成樹さん柳沢 作品を上演するときは「中野成樹(POOL-5)+フランケンズ」となりますが、POOL-5所属の中野成樹さんがフランケンズという団体を組織しているということでしょうか。中野さんとPOOL-5とフランケンズの関係はどうなっているんですか。

中野 最近うまい言い方を発見しました。ぼくとPOOL-5とフランケンズは、ウッチャンナンチャンと内P(うちピー)(注1)のような関係だと言うと分かってもらえる。ぼくはウッチャンで、POOL-5はウッチャンナンチャンで、フランケンズは内P なんです。これでたいていの方は理解してくれますね。

柳沢 POOL-5の中で、中野さんがウッチャンの位置にいるというわけではなくて、あくまで一メンバーですよね。

中野 もちろんキャラクターではなくて、関係性でみると、ということです。

柳沢 POOL-5の舞台はまだみていませんが、ホームページ(ぷうるふぁい部)をみると、だいたいどんな感じか伝わってきますね。

中野 ああいう楽しい舞台はあれはあれで、ちゃんとやっていかなきゃいけない。うまく言えないけど、高校生なんかが初めてみに来て、「おもしろーぃ!」とか「感動しましたーっ!」とかいう舞台。お客さんに受けるためのギャグをやって、テレビネタもふんだんにやって。そういった作業はそれはそれで大事だと思いつつ。でも、POOL-5でぼくがいちばん大事にしたいと思ってるのは、メンバーのアンサンブルです。バンドじゃないけど、メンバーのアンサンブルってのは一日二日でできるものじゃないし。POOL-5 は大学時代に出会ってから男4人だけでずっとやってきました。だから、もう十数年たちます。例えばいまそれを手放したとしたら、もうそういったメンバーとはもう出会えないんじゃないかと。いま味わうことができる、このアンサンブル、グルーヴは二度と体験できないんじゃないかと。そういう意味でもPOOL-5は大事にしたいし、ちゃんと活動していきたいと思ってます。

柳沢 フランケンズのホームページができたのは年末ですよね。今までホームページがなかったので、なかなか紹介したくてもしずらかった。

中野 反省しています。今年から制作を担当してくれることになっている人と話したら、「知りたいと思ってもホームページがないから調べられない。せっかくの機会を失っているんですよ!」と説教されてしまった(笑)。うすうす感じてはいたけれども、ウチにはwebに詳しい人間だだれもいなくて。一応作ったけどまだ、ほぼできていない。これからですね。しかし、いまどき「ホームページができましたね」というのが話題になるって(笑)ちょっとすいません。

柳沢 これまであまり知られていませんでしたが、昨年の雑誌「ユリイカ」特集(注2)にも取り上げられました。数ある劇団のなかから選ばれるのは、大変なことですよね。

中野 素直にうれしかったですね。おれたちでいいのか、ヤバイんじゃないかって思ったりもしましたけど(笑)。これも「岡田効果」(注3)かな。でも、まあいいやって感じでした。

柳沢 実際、中野さんたちの活動は一部の注目を集めてはいるけれど、まだまだあまり知られていないですよね。というわけで、まず劇団の紹介という面から質問させていただきました。

中野 確かにぼくらは驚くほど知られてないと思います。

柳沢 中野さんは、今度の東京国際芸術祭の「アメリカ現代戯曲・劇作家シリーズ(ドラマリーディング)」に演出家として登場しますね。俳優座の宮崎真子さん、毛皮族の江本純子さん、ジンジャントロプスボイセイの中島諒人さんに、中野さんが加わって4人。これまでの活動が実を結んで、いい波が来ている感じがします。

中野 つまずきっぱなしのフランケンズでしたから。いい波だといいなあ(笑)。

柳沢 最新作はブレヒトですよね。その「サマーキャンプ」公演(注4)は行けなかったんですが、第11回ガーディアンガーデン演劇フェスティバルの二次審査(注5)に選ばれたときも、ブレヒトを取り上げた作品でした。このときは庭劇団ペニノ、ヨーロッパ企画、ひげ太夫が選ばれましたが、ほかにポツドールや毛皮族などそうそうたるメンバーでしたね。

中野 あれはいったいなんだったんですかねえ。

フランケンズ、横浜に登場

柳沢 そのときは「フランケンシュタイナー」という名前で出てますが、この団体はその後いったん解散したんですか。

中野 知られてないついでに、この辺の事情をざっとしゃべっていいですか。

柳沢 どうぞ、おねがいします。

中野 フランケンシュタイナーの活動は98年からです。POOL-5とはまったく別口で、だから内Pですね。次の年に、STスポット主宰のスパーキングシアターに参加したら優勝できた。それで調子に乗りました。これでいけるぞと勢いづきました。若かったんですね、このままブレークすると信じて疑いませんでした(笑)。で、その後ガーディアンガーデン演劇フェスティバルに応募して、最終審査に残りましたが、結局は落ちました。

落ちたら解散しようって、身内には事前に宣言してました。ブレークのチャンスは1回しかないって思ってたし、いま残ってて話題になってる人たちはそういうチャンスを逃さなかったはずだとも思ってましたから。だから、落ちたら解散。そんな感じでした。ガーディアンガーデンは小劇場界の一つの登竜門ですから、そこをくぐれずに勢いを失った後、どんなふうに活動していけばいいのか正直分からなかったということもあります。大学卒業を控えているメンバーもいたし、どうやっていけばいいのかが分からなかった。だから、投げ出しちゃった。いわゆる出世レース? どこが先に雑誌に載るかとか、でかい劇場から声がかかるかとか、賞もらうかみたいな、そういったいわゆる出世レースから逃げ出してしまった。もちろん、逃げるが勝ちなんて奇跡はおこらず、逃げて負けました。

それからしばらくは、うだうだしていて。でもやっぱり未練は残っていて。でも、その未練と言うのは、やっぱり脚光を浴びたい! ということではなくて。なんというか、フランケンシュタイナーでやっていたようなお芝居を、もう一回思う存分つくりたいという思いが湧いてきた。それは翻訳劇だった。POOL-5の活動はフランケンシュタイナーがあろうがなかろうが継続していましたが、翻訳劇を、例えばチェーホフをそこでやることは難しくて。ウッチャンとナンチャンだけじゃ大喜利はできんぞ、と。そこで、じゃあもう一回だけ腹をくくってやってみようと。自分がやりたいお芝居をやってみようと。それでもう一度、翻訳劇を専門にあつかう集団を作ってみました。フランケンシュタイナーのメンバーは10人を超えていましたが、今度は絞って4人で再出発しました。フランケンシュタイナーを解散した後もずっと一部の方からは「フランケンの中野さん」と言われていたので、じゃあ名前は「フランケンズ」にしようかと(笑)。そうしたら今度はPOOL-5の方から、もっとこっちにも力を入れろよと言われて、確かにオレはPOOL-5のメンバーだし、ということで、「中野成樹(POOL-5)+フランケンズ」になったわけです(笑)。

柳沢 なんだかあやふやだなあという感じがしますね(笑)。

中野 自分の居場所がはっきりしてないからでしょうね。カッコで身分を表したり、プラス記号をくっつけたり…。ぼくは一応、横浜のSTスポットという劇場の契約アーティストなんですが、実は去年の夏に東京に引っ越しをしてしまいました。東京在住なのに、地元横浜を盛り上げよう!的な立場にいたりして、いろんな人から「中野さんって、横浜なんですよね」と言われて、あれっ、オレなんなんだろうと思ったり。「すみません、いま池袋の近くに住んでるんです」とは言いづらくて。うん、立ち位置が相当あやふやなんですね。

柳沢 そのあやふやさをごまかさないところが中野さんらしさというか、そこに中野さんしかできない何かがあると思うんですけど。生まれはどちらですか。

中野 葛飾区柴又の近くです。ぼくが大学を出たころ、実家ごと横浜に引っ越しました。その後ぼくは東京に下宿したり、横浜の実家に戻ったり。

柳沢 フランケンシュタイナーを解散するころは…。

中野 東京にいましたね。大学を卒業した後、大学の演劇研究室で副手を4年間、その後2年間大学院に行っていたので合わせて10年大学に行ってました。解散はおそらく院生のときかな。

柳沢 もともと横浜の人ではないけれど、東京に住みながら横浜に通って、横浜に住みながら東京に通っていたことになりますか。

中野 そうですね。ぼくが最初にSTスポットへいったのは1997年です。知り合いのダンサーさんの公演をみにいったのですが、どちらかというと劇場の方に気をとられて(笑) 一目ぼれでした。衝動的にその場ですぐ劇場おさえました。だれと何やるのかまったくあてはなかったですけど(笑) それ以来、ずっと気に入ってる場所です。だからフランケンシュタイナーを立ち上げたときも、しばらくはSTスポットでやっていきたいと思ってた。横浜出身ではないけれど、横浜にあるこの劇場へのこだわりはありました。どこがそんなにいいのかというとまず、STスポットは壁が白い(笑)。くだらないけど、これはでかい。よくある黒壁よりも、白壁から出てくるイマジネーション、白い壁に何を描くのかっていうイメージの方が豊かだった。あとロケーションかな。でっかいビジネスビルの地下にある。それが美しかった。それと新宿や渋谷じゃなく、下北沢でもない、横浜はある種の隠れ家的存在というニュアンスがあった(笑)。

柳沢 雑音が入ってこないというか、やかましい人が寄りつかない(笑)。

中野 そこに集まっているメンバーも心地よかった。スタッフの方にもいろいろお世話になりました。

柳沢 どうしてフランケンシュタイナーという劇団名を付けたんですか。

中野 あまり意味はなくて、まあプロレスの技の名前です。当時、プロレスや格闘技の技の名前を付けていたバンドやDJが結構いまして、格闘技とストリート系のバンドやDJの組み合わせってのが、何かカッコいいじゃんと思ってたんですね。それでですね。小説のフランケンシュタインとはまったく関係ありません。

柳沢 そうだったんですか。てっきり関係があるのかと思っていました。

中野 ぼくはプロレスが好きで、武藤敬司という選手がひいきだったんですが、彼がよく使ってた技で。ただそれだけです(笑)。

柳沢 なぞが一つ解けました(笑)。>>


中野成樹(なかの・しげき)
1973年8月東京都葛飾区生まれ。日本大学大学院芸術学研究科舞台芸術専攻。修士。修士論文「翻訳劇の演出-誤意訳への道-」。
1996年 POOL-5旗揚げに参加。1998年 自身がリーダーを務めるフランケンシュタイナー立ち上げ。2003年中野成樹(POOL-5)+フランケンズに改名。2004年度よりSTスポット横浜の契約アーティスト。
フランケンズwebサイト: http://frs.fc2web.com/
POOL-5(ぷうるふぁい部): http://www.pool-5.com/

柳沢望(やなぎさわ・のぞみ)
1972年3月長野県飯田市生まれ。法政大学大学院哲学専攻博士課程単位取得退学。 専門はベルクソン哲学。
小劇場レビュー紙「CutIn」などで劇評を執筆。舞台芸術をめぐって情報と意見の交換を行うMLエウテルペ主宰。 ダンスの学校PASで「ダンス批評」のクラスを担当していた。
個人ブログ「白鳥のめがね」主宰

(注1)内P(うちピー)
「内村プロデュース」の略。内村光良(ウッチャンナンチャン)が司会するバラエティー番組で、テレビ朝日系列で2000年4月から2005年9月末まで放送された。その後はスペシャル番組として不定期に放送されている。(注2)ユリイカ特集
雑誌『ユリイカ』(2005年7月号)の特集「この小劇場を観よ!」。このなかで「この劇団がすごい’05」のページで紹介された。筆者は演劇評論家の内野儀東大助教授。

(注3)岡田効果
岡田利規は演劇ユニット「チェルフィッチュ」主宰。中野とともに2004年から横浜・STスポットの契約アーティストとして活動。2005年『三月の五日間』で岸田國士戯曲賞を受賞。現代の若者の日常会話を使った「超リアル日本語」の舞台が話題を呼び、STスポットを中心に活動してきた劇団に注目が集まった。岡田利規インタビュー(インタビューランド第1回2004年4月)参照。(注4)サマーキャンプ
中野成樹(POOL‐5)+フランケンズと演出コースの後輩』公演(2005年10月26日-30日)で上演。2006年1月に再演。ブレヒトの原作『Der Jasager und Der Neinsager 』(邦題:イエスマンノーマン)と『Das Badener Lehrstueck vom Einverstaendnis』(邦題:了解についてのバーデン教育劇)を1本にまとめた。誤意訳&演出=中野成樹、出演=フランケンズ。

(注5)第11回ガーディアンガーデン演劇フェスティバル公開二次審査
「次世代の若い表現者の発掘」「新しい表現を探るための実験的な場の提供」をコンセプトとしたコンペティション形式の演劇フェスティバルで、演劇だけでなくダンス、ミュージカル、コントなどあらゆるジャンルの舞台芸術が対象。1991年から毎年開催。若手の登竜門的機能を果たしてきた。ビデオ作品と資料による一次審査、上演形式の公開二次審査によってフェスティバルで公演する団体を選ぶ。